3話 退院するキャンパーさん
この世界のキャンプ場で男が快適に過ごすには、まずは素早くスマートな、テントなどの設営作業が求められる。
もしモタモタと手間取っているようなら、「手伝いましょうか?」と親切の皮を被って出会いを求めた周りの女性たちが、これ幸いと声をかけてくるからだ。
悪くはない。それも悪くはないけれど、往々にしてそういう輩は、イマイチ魅力に欠けるやつが多いのだ。
前世のおっさんだったころの時代でも、汚いおっさんほど女性キャンパーに近づいていきがちなものだった。
もちろん僕は違いましたよ。違いましたけども。
今の僕は男子高校生の皮を被っているものの、そのキャンプの経験や技術は、ベテランおっさんキャンパー時代のものをしっかりと受け継いでいる。
技術は体で覚える、なんてことも良く言われるが、大抵は嘘だ。技術とは知識と理論、すなわちこの記憶の中にこそあるのだと思う。
見よ、このシワ一つなくピンと張られたテントを。出会い目的の女子どもに、立ち入る隙などない。
生半可な経験しかない女子どもでは、このテクニックを見せつけられれば、気後れしてくれるに違いない。
さっそく煙草を咥えて冷たいビールを、といきたいところだが、そこは残念ながらこの2040年の法律でも、この年齢では当然NGだ。
爽やかなレモンが香る炭酸水を片手に、自慢の道具で昼食作りといこう。
そのあとでやりたいこともたくさんある。
散歩もいいし、ちょっとお昼寝というのも魅力的だ。
コーヒーを飲みつつ、携帯にダウンロードしておいた電子書籍に目を通すのもいいだろう。
ああキャンプとは、まさに自由の象徴である。
そもそも、このソロキャンプを実現させるため、過保護な身内の女性陣を説得するのにどれだけの対価が必要だったか。
具体的には身体や、お小遣い、そして身体や身体を対価として、ようやく手にした真の自由である。
売春まがいと言われようと、僕にとってキャンプとはそれだけの価値があるものだ。
この苦労を順にお伝えするため、ようやく僕が退院日を迎えたところまで話を戻したい。
◇◇◇◇◇
僕が意識を取り戻してさらに1週間後、ついに退院の日を迎えた。
朝早くから妹の雫が来てくれて、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。
なんと雫は、僕が意識を取り戻す前も毎日、この病室まで通ってくれていたらしい。うちの妹はまじプリティ、まじエンジェルである。
今も特に必要はないのだけれど、僕の着替えを手伝ってくれているところだ。
この世界ではいわゆる、ブラコン、というやつが結構多い。
男女の関係性が逆転しているにはちゃんと理由があって、その最も大きな要因が、新生児の男女比にある。
僕の前世の記憶が残る、2020年頃を迎えたあたりから、急激に新生児に占める男の子の割合が減っていったらしい。化学物質によるホルモンの異常だとかなんとか、よくわからないがまあ、そういう感じだ。
前世も後半の方では、世間はそういったニュースで持ちきりだったのを覚えている。
現在の2040年では、政府の発表によると、僕と同年代に占める男の割合は、およそ10%くらいだとか。
このままでは世界は滅亡するんだよ!
そんな感じの説も多いようで、あまり細かくは考えたくない話である。
おじさん世代の男はそれなりにいるわけなので、今のところ男性自体が珍しいと言うほどでもないのだが、恋人やら夫婦やら、若者が男女のペアを作るという面では、すごく貴重な存在ということになる。
最近の子供にとっては、お兄ちゃんがいる、というだけで、充分ラッキーガールなのだ。
国の方策では、新生児の数の減少を食い止めるのが第一とのことで、数年前からは兄妹ですら結婚が認められるようになっていた。
そうでなくとも、割と貴重な男子との交流に幼い頃から慣れることができるから、男性側からしてもコミュニケーションが適切で、魅力的な女の子に育ちやすく、つまり兄がいるというのは年頃の女子にとって、かなりのアドバンテージということだ。
少し年上の優しくイケメンな兄とのラブロマンスなんてのは、少女漫画やアニメなんかでもいわゆる鉄板のシチュエーションだ。
……なんか前世の時代でも、そういうのはたくさんあったような気もするが。
雫がどこまでそのへんのことを考えているかは知らないが、まあ昔の常識なら、こいつはヤバいレベルのブラコンだろう。
「やっと今日からお兄ちゃんと一緒に寝られるんだね。ずっと寂しかったんだから……」
上目遣いで言われるとかなりぐっときたが、元々雫と一緒に寝ていたのなんて、幼稚園生くらいのときの話である。
とはいってもこちらは前世の記憶に目覚めた男。長いバツイチ独身生活の寂しすぎる記憶が、高校二年のピチピチの妹と一緒に眠ること、やぶさかではないと叫んでいる。
「やぶさかではないけどね」
ほら声に出ちゃたし。
「雫ちゃんはほんとにお兄ちゃんっ子なんだねえ。おばさんもこんな優しいお兄ちゃんが欲しがったなあ。」
横から自分をおばさんと卑下するこの美人は、僕の入院中に雫を保護してくれていた、そしてこれからは僕の保護者にもなって下さる、親戚の川口里美さんだ。
これから雫が一人立ちするまで、僕と二人だけで暮らすのは無理がある。
身を寄せられる親族がいるならば、なんとしてもそこで世話になるべきだ。
前世で培った冷静な思考により、僕はそう判断し、里美さんにお世話になるようお願いさせてもらったのだ。
「最近の男の子は、女に冷たい子が多いってきくけど、亮一くんはなんか、私の世代の男の人みたいな雰囲気だよね。」
里美さんは僕たちの遠めの親戚にあたる人で、3人の娘さんを持つシングルマザーである。
歳は40代前半というところで、前世50歳くらいの僕の感覚からすれば、うん、どストライクだな。
ちょうどその娘さんたちが、僕たちのはとこにあたり、年齢も近かったので、僕が小学生くらいまでは親族の中でも特に親交が深かった。
今日から当面はその子たちとも一緒に生活することになる。
「里美さん、今日はわざわざ迎えに来てもらってすいません。平日だし、お仕事お休みさせてしまいましたね。」
遠慮がちな僕の声に、里美さんは子供のようにぴょんぴょん跳びはねながら笑った。
「いいんだよう。こういう理由でもないと、うちの会社お休み取らせてくれないんだもん。久しぶりに平日に会社に行かなくていいってだけで、体中に元気がみなぎっちゃうよね!」
わかります、それ。
しかしなんとまあ、若々しい人だな……。
社会人あるあるはさておき、里美さんが事前に色々と手続きを済ませてくれたので、着替えを済ませれば後は一声、受付に挨拶したらこんな病室とはおさらばだ。
入院中、努めて視界に入れないようにしていたが、個室ではないので、周りで同じように入院していたおば様方の視線が、すっごくうっとおしかったのだ。
当然隙あらば声をかけられていたが、これも極めて冷たく事務的にあしらっていた。
さあ早く退院しよう。こんなところに長居していたらおかしくなってしまうぜ。
最後に受付で挨拶したナースさんは、僕の担当っぽい感じだった人ではなかったが、まあそこは気にしないことにする。
担当の方。まあまあ大きなおっぱいを毎日拝ませてくれたこと、心の中で感謝しております。
そもそもこの時代の女性は、若い男のエロ目線に対するガードが緩すぎる。
なんなら積極的にいろんなところを見せつけようとしてくる女性もいるから、前世の感覚からすれば、ありがたいような、ありがたくないような、まあ違和感バリバリと言ったところだ。
迎えにきてくれた里美さんの車は、7人乗りのバンだった。非常に好感が持てる。
キャンプ道具をたくさん載せられそうな荷台部分の広さが特に素晴らしい。
キャンパー目線でもさらにストライクゾーンの里美さんだが、このお話の中で僕と里美さんの間に、期待されるような男女のあれこれは起きない、とだけは先に言っておく。
僕からすれば里美さんはそういう目で見るべきではない恩人だし、里美さんは数年前に死別した旦那さん以外と再婚するつもりなど更々ないらしい。
ちょっと寂しい気もする話だけど、旦那さんは幸せものだね。
そもそも里美さんは前世の僕とそう変わらない時代に育っている。
里美さんの生まれた2000年頃においては、まだ男女比の異常は全く顕在化していなかったので、里美さんは男子高校生にいやらしい目線を向けるほど、男に飢えた青春時代を送っていないのである。
まあ、世の中の大半のおば様方は、そんな時代のことはとっくに忘れて、貴重な若い男を見るなり、あわよくば僕の尻でも触れないものか、というねちっこい視線を向けてくるけれども。
いびつな男女比がいびつな社会をつくり、それが多くの人の考え方をいびつにしてしまっている、みたいな感じか。
かっこよく言うとすれば。
走りだした車の後部座席では、雫が過剰に僕にくっついてきている。
「でもお兄ちゃん、入院してから急に優しくなったよね。なんか小さいころに戻ったみたいでうれしいよ」
前世のおっさんの記憶が宿る前の僕は、この時代の高校生男子の一般的価値観の通りに周囲と接していた。
男は選ぶ側であり、女はそれに尽くす側。
僕は妹に対しても、ときに冷たく、都合よく扱っていたことは間違いない。
今の僕の感覚からすれば、許されざる行いである。
「雫、今までは色々、冷たくしたりして悪かったよ。前に母さんがいなくなって、本当はそのときにもう、僕もちゃんと変わらなきゃいけなかったんだと思う。これからは雫を何より大切にしていくからね」
僕の太ももにのせられていた雫の手が、少し重たくなったように感じた。
「母さんに全然親孝行できてなかったこととか、いっぱい後悔してるんだよ。これからは大切な人にはきちんと自分の気持ちを伝えて、大事に扱っていきたい。もう、僕もいつまでも思春期の子供ではいられないからね。雫が嫁に行くまでのあと何年かは、しっかり家族として仲良くしていきたいんだ。」
雫は口を尖らせながら、でも楽しそうに笑った。
「嬉しいけどさ。でも、嫁には行かないからね。お兄ちゃんがもらってくれなかったら、一生独身を貫いてやるんだから。」
おっと爆弾発言。運転席の里美さんが、からかうようにクスクス笑う。
「雫ちゃんも知ってると思うけどお、三親等以内での結婚は、男の人の結婚相手二人目以降だからねえ。雫ちゃん、一人目のお嫁さんに嫉妬しちゃうんじゃない?」
「先に既成事実を作っとくから大丈夫です。実質私が一人目です。」
ちょっと悔しそうに僕の太ももを叩きながら雫が答える。
マイエンジェルにそう言われればやぶさかではないが、まず退院したての僕を叩くな。
あと、ちょっと発言がリアルで怖すぎる。
「大変ありがたいお言葉ではございますが、そういうのはもっと雫が大人になってから考えようね。あと僕本人の前でそういう発言はかんべんな」
二人の会話にあったように、この世界の日本の法律では、男性人口の減少に伴う国力の低下を食い止めるため、結婚に関しては近年、かなり緩和が進められている。
まず男性は重婚可能。近親婚も少し条件はあるが可能で、結婚の最低年齢も男女共に15歳まで引き下げられている。
僕が今年で18、雫は17歳になるので、一応すでに結婚可能な年齢にあるのだ。
20代の男性の数はまだ一応健全な範囲だから、その相手となりうる女の子の結婚年齢は当然引き下げておくべき。
男も早めに結婚可能にして、少しでも出生率をかせぐべき。
筋が通っているような、いかれているような。
この環境下では、特に20代の男性を中心に、男のモテかたが半端ではない状態になっていて、性的犯罪の被害者はまず男。被害件数も尋常ではない。
そこまでするほど女はまずい状態なのか? と思うのだけれど、メディアが発信したり、社会全体に広がってしまったあやふやな危機感みたいなものが、世界の女性たちの考え方を大きく変えてしまったようなのだ。
ちなみに男性で二人目のお嫁さんを迎える場合は、いわゆる出来ちゃった婚だけが認められている。
やみくもに重婚を許可すれば、経済力のある女性複数に養ってもらいつつも、子供は作らず飼い殺しにする男が増えるだろう、という考えらしい。
妹とできちゃった婚。
倫理観やばすぎておじさん、頭がフットーしちゃう!
里美さんが、運転席の窓を開けながら笑っている。
「亮一くんと雫ちゃん見てると、兄妹って言うより、親子みたいに見えるねえ。雫ちゃんもその歳にしては大人っぽいかなあって思ってたけど、亮一くんはなんかもう、結構なお年のおじさんみたいな雰囲気あるよねえ」
そりゃ前世と合わせて60年くらい生きてますからね。
「今どきこんなに雰囲気のある男の子、なかなかいないじゃない? 亮一くん、顔も悪くないしねえ。うちの三人娘たちに、亮一くんに手を出そうとして、嫌な思いさせたら駄目だよって、言っておいたんだよ? でもこれは正直、危ないかもなあ」
こちらとしては望むところですが。
「みんなに最後に会ったのって、母の葬儀を除いたら、確か2年か3年くらい前ですよね。あの頃、結構みんなには嫌な感じで接してしまっていたし、むしろ嫌われてるんじゃないかと」
今どきの男子は、女子を全く大切にしない。
女子は粗野で危険な存在。適当にあしらっていても、向こうから嫌というほど媚びを売ってくる。
そういう考えが、ほんのこのあいだまでは僕にもあったのだ。
母が亡くなったときも、里美さんは強く、自分たちのところに来るよう勧めてくれていた。
でも、二人だけで生活したいという雫の無茶な希望を優先してしまったのは、当時の僕が、雫以外の女性との生活に恐怖感を覚えていた、という理由もある。
里美さんはちょっと大げさに手を振りながら苦笑している。
「今どきは年頃の男の子はみんなそうだもん。うちの娘たちも、学校生活でそのへんよくわかってるよ。嫌われるどころか、みんな今日亮一くんに会うときにどんな服着とこうかー、とかお化粧しといたほうがいいかなーとか、楽しみにしてたみたいだよお」
実際みんなに受け入れてもらえるかどうかは、少し心配なところだ。
当時のことはきちんと謝罪し、ギスギスした関係は避けておきたい。
「同年代の男の子と一つ屋根の下で暮らす、なんてドラマみたいだよねえ。あの子達も浮かれすぎないといいけどなあ」
のんきに言う里美さんの車は、もうすぐその三人姉妹が待つ家に着く。