21話 三女と焚き火とキャンパーさん
美しい夕日。
木々の隙間からこぼれる光。
そう、いま僕はキャンプ場に来ています。
「さあ急ぎましょう亮にい。日が暮れる前に設営を済ませないと」
今回のキャンプも、相棒は末っ子の雪ちゃんだ。
「まあ落ち着こう。まだあと一時間は明るいよ。……テントはそのあたりに立てようか。どう思う?」
今はすでに夕暮れどき。週末は日曜日が雨予報だったので、金曜日の学校が終わり次第でダッシュで集合し、遥に車で送ってもらって、家から一番近いキャンプ場にやってきたのだ。
金曜日の夜はキャンプ場の予約も取りやすいし、人もわりと少ない。
キャンプで体が疲れてしまっても、日曜日にゆっくり回復できる。
金曜夜からのキャンプ開始は、前世の社会人生活でも行っていたテクニックだった。
「いやあしかし、やっぱりキャンプ場はいいねえ。空気がうまい! 幸せ!」
今回のキャンプまでに、いくつか道具も追加してきた。100均のアイテムが多いが、案外いい道具が多くて、かえって楽しいくらいだ。
周りのキャンパーたちと比べれば、もちろん見栄えは貧相だが。
「なんか、周りのキャンパーさんたちにすごく優越感がありますね」
雪はむしろ逆の感想を持ったみたいだ。
なぜだろう。こちらは寝袋すらなく、家庭用の薄い毛布で眠るほどの貧相な装備なのに。
不思議がっている僕の顔を見て、雪はニヤリと笑った。
「このキャンプ場で今、男連れなのは私だけですよ。チラチラこっち見てる人が多くて。へへ、亮にい、周りに見せつけてやりたいので、ちょっと亮にいの方からちゅーして下さいよ」
性格の悪いチビすけめ。
でもかわいいので許す。ちゅーもする。
「よく考えてみると、明日お家に帰るまでは亮にいと二人っきりなんですね。なんかちょっと、嬉しいです」
受付で買ってきた薪の紐を外しながら、雪は頬を赤らめている。
こういうちょこちょこデレてくるところが、ほんと好きなんだよなあ。
追加でちゅーもする。もちろん。
時間がないので、料理はコンビニでアルミ鍋のうどんや焼き鳥などを買ってきた。
今のところの装備では、焚き火で暖めるだけで食べられる、というのが大事だ。
なにせ焚き火台は、有名ブランドの偽物を驚くほど安く購入したが、キャンプ用のガスコンロは猛烈に高額なので、焚き火以外の加熱調理の方法が僕たちにはない。
薪を割るナイフなどもまだ揃っていないので、買ったばかりの太い薪にそのまま、着火材で強引に火を移す。
あるものだけでなんとかする。これもキャンパーの大切なスキルだ。
アルミ鍋のうどんを沸騰させるにも、そう時間はかからなかった。
これはこれで、充分おいしい。
焚き火で暖めれば、何でもうまい。
美少女の雪が、横で幸せそうにしているのだからなおさらだ。
「やっぱり薪割りの道具くらい買うべきでしたかね。……でも焚き火はやっぱり素晴らしいです。心が洗われます」
地面に敷いたマットに並んで座りながら、焚き火をながめてぼんやり過ごす。
「一応、焚き火の最中はエッチなことは禁止ね。火事や火傷に注意だよ」
一応ね。宗教上の問題なので。
燃える薪を100均のトングで動かしながら、冗談で言った僕の言葉に、雪の目は座っていた。
「亮にい、焚き火の前ではそのような発想が出ること事態が、不敬、と言えますよ。まあちゅーくらいなら、許してあげますが。……あ! ちょっとなんでそこの薪を勝手に動かすんですか! なるべくノータッチでお願いしますよ」
こいつ、焚き火の神に忠誠を誓ってるのか。宗派の微妙な違いを感じるな。
僕の場合、薪はちょこちょこ触りたい派だ。邪道ではあるが、見て愛でるだけではなく、触りたい欲求が抑えられないので。
焚き火の光に照らされて、雪の横顔はちょっと危ない人の表情に見える。
焚き火ガチ勢の表情だ。
「雪ちゃんちょっと怖いよ……。あ、僕ちょっとトイレ。火の番は任せたよ」
雪は僕の方を振り返りもせず、指でクイッと、こちらに来いと命令してくる。
顔を寄せた僕に雪は、ちゅーという言葉では生ぬるい、激しめの接吻をお見舞いしてきた。
なんだろう。かわいいけど、なんか腹立つなこいつ。
後でお仕置きが必要みたいだ。
きちんと整備されたキャンプ場なので、お手洗いまでの道は明るかった。
買い足したランタンは一つしかないので、僕が持っていくわけにもいかない。
明かりが少ないキャンプ場だったら、少し危なかったかも。
用を足し、手洗いを済ませてトイレを出た僕の前には、少し酔った感じの女性二人が立っていた。
「わ、やっぱり男じゃん! ねえキミ、向こうで私たちとお話でもしない?」
こいつら、キャンプ場でナンパとは。
浮かれた酔っぱらい。
キャンプに対して、不敬だぞ。
血圧がぐんと上がったが、こういう輩は無視に限る。
すたすたと立ち去ろうとすると、女性たちは僕の肩をつかんできた。
「ねえ、無視はひどくない? あんた向こうのショボいテントのとこの人でしょ? わたしたちのところのほうが……」
ぶっ○すぞ、と怒鳴りかけたが、横から遮る声がした。
「す、すいません。その人は私の連れです。触らないでいただけますか」
引っ込み思案の内弁慶のくせに、雪はぐいっと僕たちの間に割り込んでくれた。
僕のピンチに気付き、駆けつけてくれたのだろう。
が、いかんせん身長が低い。
僕とナンパ女性キャンパーの目は合ったままだ。
「な、なによこのチビ。今大事な話してんだから、あっちいって」
なんだこのブス、ぶっ○すぞ。
「おいブス、ぶっ○すぞ」
やっぱりダメでした。抑えられません。
禁止ワードを使わざるをえない。
「お前ら神聖なキャンプ場に来ておいて、キャンプより男あさりの方が楽しいのかよ。今すぐ帰れよブス。今こっちはキャンプしてんだよ、キャンプを。お前みたいなカスの顔見に来たんじゃないんだよ。焚き火に突っ込んで○ね! ○○○○! ○○○○!」
荒い言葉が止まらない。
禁止ワードを連発する僕の剣幕に、さすがに女性たちは引き下がってくれた。
ちょっと引いたような表情は心外だったが。
女性たちが離れると、雪がこちらを振り返って、強く僕を抱き締めてきた。
「こ、こわいですよ……。何やってるんですか。うろうろしないで、早く戻ってこないからあんなやつらに絡まれるんですよ」
いや、トイレ行ってただけだが。
でも、知らない人にはよわよわの雪にしては、よくやった。
たぶんあいつらがトイレの前で僕を待ち伏せしているのが見えて、慌てて助けにきてくれたんだろう。
本当に怖かったのか、少し震えている雪を撫でてあげながら、僕は苦笑いしてしまう。
男女逆転しているから、こうやって女性が男を守ってあげなきゃ、みたいな形になってしまうけど、無理しなくてもいいのになあ。
でもまあ、よく頑張りました。
ご褒美は後ほど体でお支払いします。
僕は雪の体を、くるっと自分たちのテントの方向へ向けてやる。
「ま、ありがとうな。でも焚き火を放っておくのはキャンパー失格だよ。火事になったらどうする」
手を繋いで薄暗い道を歩いていく。
誰かの焚き火や誰かのランタンの明かりで、暗闇の恐怖は感じない。
「亮にいが危ないときに、焚き火のことなんて気にしてられませんよ。……怖かったんですからね。ほんとに私、ああいう人は苦手なんですよ、知ってるでしょう?」
「わかってるよ。ごめんな、心配させて。助けに来てくれて、嬉しかったよ」
繋いだ手をにぎにぎしてやると、雪はこちらの顔を見もせず、ぐいぐい手を引いて早足で進み始めた。
自分たちのテントへ戻ったとき、焚き火はすでに半ば鎮火してしまっていた。
本当はそこからきちんと後始末が必要だったのだが、雪は僕をテントの中に突き飛ばし、自分も入ってくると、粗っぽくテントのファスナーを下ろした。
「今日の亮にいは私のものです。私だけのもの。……他の女とお話しさせてしまいましたから、上書きします。ね? ちょっと早いですけど、構いませんね?」
何が、とは言わないが、その後めちゃくちゃ○○○○した。
朝、焚き火の不始末でのトラブルはなく、そのまま自然鎮火してはいた。
一応、テントの隙間から夜にちょくちょくチェックはしていたけど。
が、当然天罰は下る。
僕の信奉するキャンプの神も、雪の宗派の焚き火の神も、当然、火の始末を怠る者を許しはしない。
その日の昼までは降らない予報だったのに、朝起きたときには、結構激しい雨が振りはじめていた。
またいつもの祟りであろう。
雨に対抗できる装備など何一つ持っていない僕と雪は、テントの中で毛布にくるまったまま、顔を見合せ思わず笑ってしまった。
「また雨ですか。もうこうなったら、時間ギリギリまでテントでイチャイチャしていきましょう。なんか私、雨のキャンプも大好きみたいですから」
違う、これはキャンプではやっちゃいけないことなのに……。
いけないことなのに、朝からさらに二回、サービスタイムは続いた。
終わったあと、チェックアウトの時間が近づいてきたので、名残惜しそうにする雪とキスを繰り返していると、雪の携帯にメッセージが届いた音がした。
「なんでしょう、こんないいときに。ん、雫ねえからです。……なんでしょうこれ。亮にい、これなんのことか分かりますか?」
雪が見せてきた携帯の画面には、
『10万字突破記念キャンプ、おめでとうございます!』
と書かれていた。
僕はため息をつき、首を横に振る。
雫の意味深なメッセージは、最近よく雫が受信している謎の電波だろう。
遅れて来た中二病みたいなものだろうから無視するとして、画面の時刻を確認した。
あと5分くらいはゆっくりしていても大丈夫。
僕は雪にすりよっていき、あざとく追加のキスを要求する。