17話 バーベキューとキャンパーさん
里美さんの単身赴任が始まる前の最後の週末。
あいにくの曇り空だったが、雨が振ることはなさそうだ。
近所の河川敷の公園では、朝一から僕と雪で場所とりを完了していた。
周りの広場にも何組か、同じように場所とりをしている人たちの姿が見える。
当然のように女性だらけだが。
日陰兼、万が一の雨対策として、先日購入したテントも幕だけ張っており、今は細々した荷物の置き場になっている。
もうすぐ遥が車を運転して他のみんなを連れてきてくれる手筈だ。
「亮にい、このイスも素晴らしいですね……。体が包み込まれるみたいな、いいフィット感です。」
結局僕のお小遣いから購入した、主賓用のアウトドアチェアを組み立て、今は雪がそこにすっぽりと収まっている。
「ネットで買った安物だけど、評判の通り結構頑丈そうだね。何より軽くてコンパクトに収納できるから、今後のキャンプにも持っていきやすそうだ。」
我ながらいい買い物をしたものだ。
ただ、僕は前世ではあまりキャンプ椅子は使わない、地べたにマットだけで座るワイルド路線だったので、まあこのチェアはそのうち、雪に譲ってあげてもいいだろう。
「ところで亮にい、お母さんたちが来るまで、まだもう少しかかるはずです。……ちょっとだけ、私達のテントにおこもりしませんか?」
早速発情モードの顔になった雪に、さすがにここではまずい……と身構えたが、言いながら体をねじってこちらを振り向いたためか、チェアの足の部分が地面にめり込み、バランスを崩して雪はずっこけた。
キャンプ椅子あるあるだな。
「う……カッコ悪いですね……。亮にい、これは見なかったことにして下さい。あの、恥ずかしいです」
手についた土や芝の汚れを払いながら、うつむいている雪。こういう感じの方が、かわいいと思うのだけれど。
思わずキュンとしてしまい、まあ、周りの人たちに見られるだろうけど、キスまでなら許してやるか、と雪に近づいた。
いや、近づこうとしたとき、後ろから強烈に視線を感じて思いとどまった。
この感じ、間違いない。うちの妹だわ。
「お兄ちゃん雪ちゃん、お待たせ! かわいい雫ちゃんこと、私が来てあげたよ!」
明らかに、ちっ、と舌打ちせんばかりの雪の表情を見て、雫はニヤリと笑う。
「おっ、雪ちゃん何かな何かな? もしかしてお邪魔でしたかな?」
最近になり、雫の嫉妬心はすっかりおとなしくなっている。
これがこの間までなら、もうプンプンぷりぷりと機嫌を悪くしていたところだろう。
雫たちはあれから、自分が僕と今どんな状態にあるのかを、各々話し合ったらしい。
みんなわいわいぎゃあぎゃあと騒いでいたが、流石に僕は同席できなかった。
でも、結果的に雫の心がこんなに急に落ち着いた理由ははっきりわかる。
自分も、充分に満たされたからである。主に肉体言語的な意味で。
同時に僕も、雫に対してこれまでの、妹、という立場での見方が少し変わり、雫のことを本当に、これまでとは違う意味も含めて、今まで以上に愛おしく感じられるようになった。
まあとにかく、うちの妹兼恋人はまじプリティ、まじエンジェルということだ。
「ちぇ。雫ねえ来ちゃいましたか。で、お母さんたちは?」
「もう来てるよ。でも私だけ先にダッシュで来たんだ。このあたりからピンク色の空気を感じたのでね」
振り返ってみると、駐車場の方から見慣れた顔が歩いてくるのが見えた。
よし、それじゃあ楽しいバーベキューの始まりだな。
みんなが抱えてきた荷物を開いていく。
本日は、火起こし担当が僕と遥。料理担当が葵と雫だ。雪は雑務担当である。
雪が主賓の里美さんにキャンプ椅子を譲り、せっせと飲み物を渡しているのが横目に見えた。
なんだかんだ、雪はまだ中学生だからな。里美さんと離ればなれになるのを、一番寂しく思っているのかも知れない。
「さて亮一くん。このあいだ、ボクに二人っきりで火起こしを教えてくれるって言ってたの、覚えてるかな? 結局、家族みんなになっちゃったけど、今日は先生として、よろしくね。」
ホームセンターで買っておいた炭の段ボールを開けながら、遥がこちらに爽やかな笑みを浮かべる。
「よろしい。ではこの軍手をつけてから、マイナスドライバーを持ちなさい。……よし、それじゃ少しだけ見本を見せるね」
遥は渡されたドライバーを見つめ、なんでドライバー? と言わんばかりに目をぱちくりさせている。
ふふふ、良いリアクションですね。
僕はあらかじめ立てておいたバーベキューコンロの上で、大きめの炭を片手に持ち、そこにドライバーを突き立てた。
炭はバリバリと音を立て、剥がれるように砕けて小さくなる。
「こうやって炭を小さく薄くしておくんだ。ドライバーは、尖ってる感じのものならなんでもいいよ。さ、やってみてね」
炭は遥にやらせてみて、僕は先に着火材を仕込んでいった。
「二人っきりの方が、やっぱり良かったかな?」
僕が言うと、遥はクスクスと笑う。
「ううん。ボク、こうやって家族で一緒に過ごすのも、すごく大好きだよ。二人っきりのデートは、また今度にしよう。……でも、気を使ってくれて、ありがとうね」
遥は炭を砕く手を止め、僕の頬を撫でた。
「あと、今晩も、ボクと二人っきりになってくれたら嬉しいかな」
誘うところまでは王子様みたいな素振りだが、夜の二人っきりイベントでは、バリバリに女の子が全開になるのも遥の愛らしいポイントだ。
誘い受けの名人である。
ちなみに一番成熟した年齢のためか、みんなの中でも一番そっちの路線でパワフルなようだ。
これは、今晩は気合いを入れてかからないとね。
遥は楽しそうな手つきで、炭をどんどん砕いていった。そろそろ良さそうだ。
「じゃあ遥。着火材の上に炭を並べていこう。小さすぎるやつは適当にばらまいておいて、薄っぺらくなったやつを、隙間を作りながら、こんな感じ、こんな感じに積んでいこう。さあ、続きをお願いね」
遥はせっせと言われた通りに炭をならべていく。
どきどき僕の顔を見ては、おもしろそうに笑いながら。
なんなん? 僕のことそんなに好きなん?
「なるほど、空気が通りやすくしてる感じかあ。亮一くん、男の子なのによくこんなことまで知ってるねえ」
少しだけ雲に切れ間が出来て、日の光が差す。
光の加減で、僕の方からは遥のショートカットがキラキラ輝いてみえる。
僕は遥にマッチを渡した。手渡しするとき、なるべくお互いの手が触れ合う時間が長くなるようにして。
「では遥、着火をお願いします!」
「亮一くん、了解だよ! マッチ準備できました! 3、2、1、着火! ……あ、ごめんマッチ折れちゃたよ。へへ、もう一回ね。着火しまーす」
いちいちかわいいところを見せつけられながら、着火は無事完了した。
「よし、いい感じっぽいよ。これなら後は放っておくだけで炭に火がきちんと着くはず。炭の白とか赤っぽいところが増えてきたら、どんどん大きめな炭を足していこう。」
「なんだあ。大学のサークルで着火するときって、みんな頑張ってうちわであおいでたんだけどなあ」
僕はその言葉にニヤリと笑ってみせたが、実のところ若干不安だ。
炭の種類や状態によっては、こうして段取りをきちんとしていたつもりでも、うちわ様が必要になるときがあるので。
古きよきうちわ様はやはり偉大である。
遥はまた僕の顔を見ながらクスクス笑っていた。
なんだよ。チューするぞこら。
とりあえず一旦、火の番を遥に任せ、葵たちの料理の方を確認しに行くことにする。
料理のペースにあわせて、炭を足しておくタイミングを調整してあげるためだ。
広場に備えつけのテーブルの周りでは、葵と雫が並んで仲良く食材を並べていた。
最近は二人とも、恋のライバルというより、同志という感じで、前よりずっと仲良くなってきた感じがある。
見た目ギャルと見た目清純の組み合わせ。尊いね。
僕が近づいていくと、二人はこちらを嬉しそうに見てくれて、でも何故か顔を見るなり葵が吹き出した。
「ちょっ、なにそれ亮一。うはは、ほっぺた真っ黒じゃんか。マジうける」
えっ、なにそれ。
雫がすぐに、甲斐甲斐しく僕の顔をウエットティッシュで拭いてくれる。
黒っぽくなった紙を見て、ベテランキャンパーである僕にはすぐわかった。
これ炭の汚れだわ。
……そういえばさっき、遥が軍手のままほっぺた撫でてきたな。
……そういえばさっきから、遥も僕の顔を見てニヤニヤしてたわ。
くそ、僕を好きすぎてニヤニヤしてるのかと勘違いしてたぞ。悔しい。超恥ずかしい。やられた。
バーベキューコンロの方を見ると、僕の顔を汚したのがバレたことに気づいた遥が、片手でお祈りのごめんなさいポーズをしている。
ちくしょう、夜に絶対おしおきだからな!
「やられたな。……で、葵たちの準備はどんな感じ? 炭の準備はもう少しで終わりそうだよ」
「うん、朝一から雫っちとしっかり準備してきたから、もうほとんど終わったよ。でもごめん、実は亮一の飲み物の炭酸水だけ忘れてきた。あたしのコーラ分けてあげるから許してね。……てか、まだほっぺた少し黒いよ。……ふふ、やばい、うけるわ」
葵は僕のほっぺたに顔を寄せて、まだニヤニヤ笑っている。
距離が近いと、葵はとにかくいい匂いがするし、目がきれいすぎるし、夜の恋人同士のイベントをクリアした今ですら、何度でもどきどきさせられてしまう。
最近、あの美少女の葵ちゃんがさらに綺麗になった、というのは高校でも少し話題になっていたほどだ。
先日は、なんと下級生の女の子からも、ラブレター的なものが送られてきたらしい。尊いしうらやま。
「今日は雫っちとしっかり考えた、おしゃれなバーベキュー料理だよ。絶対美味しいからお楽しみに!」
おどけて笑う表情は、何度見ても色褪せない葵の必殺技だ。僕には効果ばつぐんすぎる。
幸せすぎる時間にほっこりしながら、雪の方を見ると、なんと里美さんが泣いているではないか。
雪もどうしたものかとあたふたしている。
「里美さん、どうしました? 煙……はこっちまで来てないか」
里美さんは、泣き顔を見られたくないのか、椅子から体をよじって逃げようとして、さっきの雪と同じように、椅子の足が地面にめり込んでずっこけた。
「ひゃああ!……えへ、ごめんねえ。……あー、だめだあ。煙が目に入っちゃったのかなあ」
里美さんはまだ顔を隠したまま、涙が止まらないみたいだ。こけたときについた土を、雪がパタパタと払ってあげている。
「やっぱり、単身赴任は寂しいですか?」
里美さんはようやく立ち上がり、ずっとまとわりついている雪の頭を撫でた。
「そりゃあ、寂しいよう。……でもね、それ以上に嬉しくって」
里美さんは準備を続ける自分の子供たちを、涙を浮かべたままの瞳で眺めている。
「最近、この子たちがとっても幸せそうだから。……亮一くんたちが来てから、みんなすごくイキイキしてるもん」
里美さんの腰のあたりに、雪がしがみつくように抱きついた。
里美さんはそのまま、雪を本当に愛おしそうに撫でる。
「亮一くん、みんなをよろしくねえ。私の大事な子供たちを、どうか幸せにしてあげて下さい」
感動的な展開っていうのは、あんまり得意じゃないんだけど。
「ありがとうございます。全力で頑張ります。……でもまあ、当たり前の話ですよね。毎日みんなが僕を幸せにしてくれるんですから。お返ししなきゃ、バチが当たりますからね」
空にはまた雲がかかって、日の光は薄くなってしまったけれど、これほど素晴らしいキャンプ日和は初めてだ。
大好きなみんなに囲まれていれば、晴れでも雨でも、いつでもどこでも、それが一番のキャンプ日和である。