13話 テントと三女とキャンパーさん
「じゃあ、最後に聞きますけど、本当にポチっていいんですね?」
「ああ、やってくれ雪ちゃん!」
そんな会話をしていたのが2日前。
雪とお金を出しあって購入したテントが宅急便で届くまでにわずか2日だ。通販サイトって本当にすばらしい。
バイトもしている僕が7割、貯めていたお年玉を切り崩した雪が3割。
共同出資により、ちょっとだけ質のよいテントを買おう、という協力作戦である。
もちろんそれでも、国内メーカーの最上級のテントとはいかない。
二人で出しあった予算の範囲で、比較的評判がいいものを探すのが精一杯だった。
でも、それが楽しい。調べている時間も、二人であれこれ話し合う時間も、なんなら選んだものが大失敗になるという可能性すら、幸せに感じられている。
前世では遠い昔に忘れてしまっていた、このワクワク感。キャンプの神に感謝を!
ちなみにそのテントは、各々が自由に使っていい、ということにしているが、二人でネットで検索、候補について話し合ううちに自然と、二人一緒に使えるくらいには、若干大きめなテントを選ぶことに決まっていた。
僕とて、ソロキャンプ大好き人間ではあるが、雪のような美少女と一緒にテントにインできるというチャンスを、実のところ狂おしいほど求めているのである。
今日は早めの夕食を終えて洗面所で歯を磨いていると、ひょっこりと遥が顔を出した。
洗面台の鏡越しに目があった遥は、ふいにそのまま僕を後ろから抱きしめてくれる。
え? と思いながらも、遥の思ったよりいい塩梅の胸の感触と、女性特有の謎の甘い匂いに理性を奪われ、そのまま立ち尽くしてしまう。
たっぷりそのまま10秒くらい停止していると、玄関からチャイムの音が鳴り響いた。
それが例のテントの宅急便というわけだ。
このくらいの時間帯に届くんだ! と、さっきまでそわそわしながら待っていた雪が、どこかから大きな声をあげる。
「誰か! 宅急便です! 代わりに出てください! わたしトイレです! 今出れません!」
遥はまた鏡越しににっこり笑うと、そのまま何も言わずに出ていった。
玄関に向かった遥が、宅急便を受け取る声が聞こえる。
僕は正直驚いたやら、自分の下半身を見るとやはり体は正直だったやらで、歯ブラシを咥えたまま呆然としていた。
最近みんな発情期でも来ているのだろうか。
そういえばそろそろ野良猫もそういう声で騒ぎだしてたもんなあ……。
最初はみんなに対し、僕から積極的にアプローチを仕掛けていくのが常だったが、最近はそれが少し逆転しつつある。
雪とだけは以前から変わりなく過ごしているが、他の三人とはなにかこう、明らかに今までより一段階上の、甘酸っぱいというよりもこう、肉欲的なあれが、あれしている感じなのだ。
もはや僕も日々、自身のそういった欲求を抑えつけるのに精一杯である。
もともと若々しい高校男子の肉体は、何がなくとも年中欲求不満だというのに、慣れてはいたが雫と同じ部屋で過ごす以上、自分だけの時間などほぼなく、いつもいっぱいいっぱいなのだ。
特に、お互いが認める恋人同士であるはずの葵に対しては、そういった欲求をぶつけても何ら問題はないはずだし、この時代の女性からすれば、なんとも美味しいシチュエーションだろう。
だが、そもそもこの家で長時間、誰かと二人っきり、というタイミングは基本的にないのである。
やり場のない欲求不満にため息をつくと、咥えていた歯ブラシがすぽーんと飛び出して床に落ちてしまった。
いかんいかん、掃除しなきゃ。
僕を探しにきた雪が、床をふきふきしている僕の姿をみて、おしりをとんと蹴ってきた。
「亮にい、なにしてるんですか。早く来てください。テントですよ! はやく開封しますよ!」
わかったから蹴るな。
まだうがいしていないので声を出せずに手を振って追い払う。
急いで歯ブラシをあらい、うがいをしながら、先ほどから主張のはげしい下半身のワンポールテントがなんとか収まるのを待った。
「ああ、これはいいものですね。生地が触っていて気持ちがいいです。匂いもなんだかとってもいい感じで……」
僕の到着をちゃんと待っていた雪。いい子や。
今は中身の検品を行ってくれつつ、テントの素材をくんくんかぎながら頬擦りしている。
僕の感性からするとめちゃかわゆしだが、中学生の女の子がしていい表情ではない。
「お母さん、お願いがあります。」
雪はテントの布に顔をくっつけたまま、表情だけは整えて急に宣言した。
「もう夜ですが、念願のテントに我慢ができません。今すぐ、今すぐに庭にテントを張らせて下さい。今日はお庭に泊まります」
普段はなんだかんだしっかりいい子にしている末っ子の雪の言葉に、里美さんは優しい表情のまま、やれやれ、と笑った。
「わかったよお。でも、まだ朝方は冷えるし、しっかりお布団とかも持って行ってねえ。……亮一くん手伝ってあげてもらえ「もちろんです里美さん。このベテランキャンパーである私めに是非ともお任せ下さい」
僕が立ち上がって言うと、雪は目を輝かせた。
「亮にい、ありがとうございます!……皆さん、すいませんが今日だけは私に亮にいを貸して下さいね。雫ねえ、一人で寝るのが寂しかったら、今日だけは葵ねえと寝ることも許可しましょう」
お前が許可するんかい。
そして僕も庭で寝るんかい。
テントで一緒に寝ることを実質的には宣言した雪に、葵は不安になったようで、僕を見つめた。
男女二人でテントにこもれば、当然何もおきないはずがなく……という察しだろう。
かわいい彼女を心配させるのも罪悪感はあるが、確かに今日くらいは雪のわがままを優先してやるべきかもしれない。最近は他のみんなの押しが強く、少し寂しい思いもさせていただろうし。
僕は葵の頭を撫でてやり、しっかりと目をあわせてあげながら言った。
「心配いらないよ。今回買ったテントは、ワンポールテントっていうタイプで、テントのど真ん中にポールが立ってる形のテントなんだ。思春期真っ盛りの雪が僕にいたずらしようとしても、そのポールが邪魔でうまくいかないってわけさ」
「何もしませんよ。むしろそっちこそ、私に変なことしないで下さいね、亮にい。私は心も体も葵ねえに捧げてるんですから」
僕は続ける。
「ていうか葵、男女的な意味で心配するようなことがあるかも、なんて、そういった考え自体が、キャンプに対して、不敬、と言えるよね。キャンプとは自然を、自由を感じるために行うものだ。決して男女のあれこれが介入する余地なんかな
「あ、わかったわかったからその話はもう結構です」
葵は言うと、自分より一回り小さい雪を抱きしめながら、僕に目を向けた。
「じゃあ亮一、わたしのかわいい雪を、今晩はよろしくね」
葵もなんだかんだ、自分にここまで好意をアピールしてくれている雪に内緒で僕と恋人になっていることに、罪悪感を感じていたのだろう。
意外とあっさり折れて、雪を抱きしめたまま僕に一瞬ウインクしてきた。
かわいっ。
ちなみにいつもならこういうとき、たわわな葵っぱいを存分に楽しんでいる雪も、今日はなんと念願のテントに目を向けたままだ。
ちょっと違和感を感じたが、それだけガチでキャンプを愛してくれているこということだろう。もはや感動すら覚える。
「ちぇっ、今日はお兄ちゃんいないのかあ。仕方ないけど、まあかわいい雪ちゃんのためだ。我慢してあげるよっ。あ、私は寂しくないから、遥ちゃん葵ちゃん、今日は絶対私の部屋を開けちゃだめだからね」
雫は言って遥たちとくすくす笑っているが、お兄ちゃん的にはショックである。
意外と寂しがらないという点ではない。
あのかわいいかわいい妹の雫が、そういうちょっと下品なことを匂わす感じのセリフを、平気でみんなの前で言うようになってきたことに、である。
女性多めなこの家での暮らしが、少しずつうちの雫に悪影響を与えつつあるのか……?
……まあ今はいい。雫への再教育はまた次回としよう。
「では雪ちゃん、場所は庭ではあるが、これより我が家の第一回のキャンプを始める。これがキャンプである以上、これから明日の朝、テントの片付けを終えるまで、トイレ以外の理由でこの家に戻ることは許されない! 万全の準備と歯磨きを済ませ、10、いや15分後に玄関に集合だ! よいか!」
トイレは認める。女子のキャンプにきれいなトイレは必須。前世の時代では、そんなことを雑誌などでみたことがある。
「は、はい! ふつつかものですが、よろしくお願いいたします!」
おいそのセリフ、行くのは嫁にではなく、庭キャンプだぞ……。
準備のためバタバタと部屋を出ていく娘の雪を見て、里美さんが微笑ましい、といった感じで笑っている。
「亮一くん、急にごめんねえ。あの子のことよろしく」
娘への愛情を感じるね。いいお母さんですよほんと。
「お任せあれ。里美さん、玄関に置いてある懐中電灯だけお借りします。あと、すいませんが空いてるペットボトルの容器を2つ、500ミリと2リットルのやつに、洗って水道水を入れておいてもらえますか」
僕もなんだかんだ久しぶりのキャンプ的な活動に心が踊っている。
準備をするなんて言っても、そもそもまともな道具なんてほとんどない。
さっきのテント、雪の宝物のハンマー、家族おそろいのシェラカップを除けば、後は僕が100均で揃えた貧相なアイテムがいくらかあるだけだ。
後はなんなり、工夫してやりきるしかないだろう。
前世で揃えていた道具と比べ、なんとも情けない状態だが、キャンプを愛する者ならば、こんなにワクワクする瞬間はない。
いい道具がなくても。万全の準備ができていなくても。
キャンプを楽しむ、ただそれだけが大事なことなんだから。