12話 かしこい妹とキャンパーさん
バイトが終わり、居候中の僕と雫の部屋に帰ると、ドアに『はるかちゃん あおいちゃん たちいりきんし!』
と張り紙がつけられていた。
先日から遥も葵も、僕への態度がやっぱり変わっており、明らかに、なんかありました! という感じが見え見えなのだ。
しまいには昨日、葵が僕と、この部屋でちょっといい雰囲気になっているところを雫に目撃されている。
恐らくそれで雫が、このような入室制限を開始したのだろう。
「あ、お兄ちゃんお帰り! ねえ、これ見て!」
一足先に部活から帰っていた雫が見せてきたのは、英語のテストの結果だった。なんと94点!
高校入学以来、80点以上の点数をとったことがなかったあの雫が!
「やるじゃん雫! すごい! よく頑張った! うちの妹はかしこい! かわいいだけじゃない! かしこかわいい!」
髪がぐっちゃぐちゃになるくらい撫でてやる。
誉めて伸ばす。これ大事ね。
「えへ、英語はお兄ちゃんが教えてくれたからね。ちょっと頑張っちゃった」
ふむ、この僕はなにせ、ギリギリ英語でなんとかかんとか雰囲気で会話ができるくらいの英会話力の持ち主だからな。高校生の習う英語を教えるくらい、ギリ大丈夫だ。
おじさん時代の僕、頑張って勉強していてくれて本当にありがとう。
最近なにかと雫は、僕に勉強を教えてくれとねだるようになっていた。
魂胆はわかっている。夜に僕を一人占めする時間を増やしたいのだ。
みんなとケンカはしなくなったようだが、ブラコンが収まったわけではない。
遥とまったりお茶を飲んでいるときだとか、そういうタイミングに限って勉強勉強と言ってくる。
しかしそんな見え透いたワナでも、かわいい妹がなんだかんだ真面目に勉強しようというのだから、最優先で時間を割いてあげるのが良い兄というものだろう。
雫の質問に答えたりしながら、図書館で借りてきたキャンプ雑誌のバックナンバーに目を通す。これが最近のよくあるスタイルである。
「でもほんとによく頑張ったね、雫。ご褒美に今度キャンプに連れていってやろう」
「え、それはあんまり……。そうだ、じゃあ週末、お母さんのお墓参りでもいこうよ。それで、帰りに気になってたカフェがあるから、そこでお昼おごって?」
僕の週末まで確保しにきたか! とおののいたが、墓参りと言われればそれはもう、大賛成だ。我が妹ながら、いい子に育ったものよ。
気がすむまで撫でてやらんとな。
褒めに褒められて満足した雫は、ベッドでゴロゴロしながら、なにやら女性用の雑誌を読みはじめた。
どうやら遥あたりに借りてきたようだ。
この時代の女性用雑誌……気になる。気になるが、なんとなく怖いのでまた今度にしよう。
横で僕は床にマットを敷き、仰向けで膝を立てると、せっせと腹筋をはじめた。
マットは当然、キャンプ用に使えるものである。だが、体を鍛えたい、と言えば雫も全くこの贅沢には反対意見を言ってこなかった。
女性の大半は、やっぱりある程度引き締まってかっちりした男の身体が大好物だからね。
「ふう、ふっ、それでっ、ふっ、テストはしば、ふっ、しばらくはもうないの? ふっ、ふう」
「お兄ちゃんやめてその声。エロいような、エロくないような、微妙な気持ちになるから。……来週、数学で小テストがあるよ。ちょっと数学はさすがに自信ないけどね」
確かに雫の数学は、50点を越えたところすらみたことがないかもしれない。
僕は雫の言葉を言い訳に腹筋をとめた。だってきついんだもん……。
「数学かあ、そうだね、もし100点取ったら、ご褒美に雫のお願いを何でも聞いてあげ「何でも!?」
雫は叫んで立ち上がると、雑誌をベッドに放り投げて机に向かった。おい、借り物の雑誌ではないのか。
「あ、一応言っておくけど、不健全なことは「あー! あーあー! 聞こえない聞こえない! 何でもって言ってた! もう聞こえません! あー!あー!」
これはヤバい。勢いがすごい。少々雫の執念を侮っていたようだ。この感じ、こいつは教師に賄賂を送ってでも100点をもぎ取るつもりだろう。
さっそく教科書を広げだした雫の横にすり寄り、また頭を軽く撫でてみる。
「雫、無理は良くないよ。部活で疲れてるでしょ? ほら、お兄ちゃんと一緒に、キャンプ動画でも見てまったりしようよ」
「うるさいよお兄ちゃん! 邪魔するなら出て行って!」
おおう、すごい気迫だ。
ここは一時撤退しておこう。
雫は夕食もせかせかと食べ進め、おかわりもせずにまた二階の自分の部屋に戻って行った。
こ、これはまずいかもしれない。やつは本気だ。
やぶさかではないという気持ちはある。
というか実際、全く嫌ではないし、いつも同じ部屋に寝ていると、正直こっちの方がムラムラして寝れない日も多い。
だが、どうしても前世の道徳観念が抵抗になる。
ここまで守り続けてきた僕の貞操が、実の妹によって散らされるなんて、僕にとってはちょっと倒錯感が強すぎるのだ。
最初の一人が妹。これが、実に犯罪的に感じてしまうのである。
少しだけ、後少しだけ気持ちが整うのを待って欲しいのだけれど。
僕は雫の分も含めて食器洗いに精を出す。
食器を拭く係の雪と二人で、もくもくと作業していく。
「……今度は雫ねえに何をしたんです? 亮にいは最近また、少々おいたが過ぎるようですけど」
「違うんだよ……。雫が最近勉強頑張ってるからさ、ついうっかり、100点とったらご褒美になんでもしてあげるって「「「なんでも!?」」」
三人の声が重なる。
「亮にい、それはさすがに雫ねえをなめすぎですよ。あの人なら、ありもしないテストを捏造してくる可能性すらあります」
「逆に100点とれなかったとき、雫っち落ち込むだろうな……あたしなら泣くね、間違いなく」
「ねえ亮一くん! ボクも大学のテストで100点とったら何かあるかな!?」
……やっぱりまずいよね。
仕方ない。やんわりと、諦めるように誘導していこう。
雫が勉強を頑張るのは素晴らしいことだが、動機が不純すぎるのはよろしくない。
僕は階段を登り、自分たちの部屋を開けようとして、気づいた。ドアの張り紙が変わっている。
『しずくべんきょうちゅう おにいちゃん たちいりきんし』
僕は見なかったことにしてドアノブを回す。
「雫、お兄ちゃんは寂しいよ」
雫はこっちを振り向こうともしない。
「お兄ちゃん、またノック忘れてるよ。……一応、気をつけてね。以前の雫回における悲しみを繰り返してはならないから。一応ね」
そのせつはすまんかった。本当に。
僕はカバンから財布を取り出して雫に近づいた。
「雫、お兄ちゃんコンビニに行きたいんだけど。一緒に行かない? ほら、夜に男一人は危ないし……」
雫はまだこちらを向かない。
「だめかあ……雫と二人で夜のお散歩、楽しいと思ったんだけどなあ……」
雫はピクリと反応したが、何事もなかったように勉強を続ける。
「しょうがない、葵に来てもらおうかな……。雫、僕は少し遅くなるかもしれないけど、心配しないでね」
雫は激しくシャーペンを机に叩きつけ、立ち上がった。
「なんでそういういじわる言うの! 今、私に人生で最大のチャンスが来てるんだから! 邪魔しちゃだめでしょ!」
雫、ついにキレる。
「お兄ちゃん、なんで? わたしとそういうことするの、そんなに嫌? 嫌なら、はじめから優しくしないでよね!」
雫の剣幕に、僕はしゅんとした表情でうつむく。
「ごめん雫。そういうわけじゃなくて。……ただ、少し雫の勢いが怖かったから……」
「あ、騙されないよお兄ちゃん。か弱い雰囲気で誤魔化そうとしてるでしょ。かわいいけど、私には通用しませんから。かわいいけど」
!! こいつ、成長してやがる!!
「いじわる! ばーかばーか! 今日こそは絶対ごまかされないからね! 100点とってたっぷり、そのばかチン○○にわからせてやるから!」
「雫、言葉がよくないぞ! もっとオブラートに包んだ言い方にしなさい! あと、僕の股間のつよつよポールに謝れ!」
「うるさい! ざこポール! ざこ棒!」
ざこ棒!? ざこ棒だと!?
「雫、お兄ちゃんをなめすぎたようだな。悪い子はおしおきだ。……くすぐりの刑に処す!」
僕は勢いよく襲いかかり、雫の脇をぐにぐにと強めにくすぐる。
雫は絶叫しながら、もんどりうってベッドに倒れこんだ。
雫の弱いところなど、生まれたときから研究済みよ!
くすぐる手はとめない。雫はもはやびくんびくんと、海老のように跳ねてのたうちまわるだけだ。
「あああああ!まいりましたあ!!やめてえええ!!ふひゃあああ!らめぇ!とめてえええ!」
まだとめない。
「いやあああ!ひゃあああ!もうむりいいい!おにいさまああ!ゆるしてえ!ゆるしでえええ!!」
……よかろう。
兄としての威厳を取り戻した僕は、荒い息のまま雫に馬乗りになった。
兄より優れた妹などいねえ! ということだ。
戦う前から勝敗は決まっていたのだよ、雫。
しかし、なかなか手強い相手だった。こいつ、部活で鍛えてかなり抵抗する力が強くなってやがる。
かわいい妹の全てのくすぐったいポイントを研究しつくしていた僕でなければ、苦戦は免れなかっただろう。
そしてさらにもう一度。
ヨダレをたらしてびくんびくんと震えながら、放心状態になっている雫の耳もとに口を近づけ、ゆっくりと、息を吹き掛けてやる。
雫のくすぐったいポイントその41、耳にふー。
そのとき急にガチャりとドアが空いた。手に箱を持った遥が入ってくる。
「いやあ、ボクは残念だよ。この家でのケンカは禁止されている。さあ二人とも、おとなしくこの箱に罰金を……」
遥は言いながら、僕と雫を見て、固まった。
荒い息で馬乗りになり、耳に息を吹き掛けている兄。
ヨダレだらけの顔で、アヘ顔のまま震える妹。
遥はすっと目を伏せた。
「遥ねえ、罰金の徴収はできましたか?」
また厄介なやつが部屋に入ってきた。
雪は、僕たちを見るなり、眉間にシワを寄せて黙りこむ。
たっぷり5秒ほどたってから、すっと顔をあげて言った。
「もしかして、これが○○○○ですか?」
違う。それはこんなに汚い感じのものではない。
危ないところだった。僕じゃなかったらパワーワードの全てをここまで見事に音声処理することはできなかっただろう。
意外にも正式採用されていた罰金ルールにより、まんまとお小遣いをむしりとられた僕たちは、ベッドに腰掛けてうつむいていた。
徴収されたお金は、みんなで行くキャンプに使われることになっている。その日が近づいた、と考え、あきらめるしかない……。
虚しい。人はなぜ、争いをやめることができないのか……。
「お兄ちゃん、ごめんね。私、ちょっとおかしくなってた」
「雫は悪くない。元はといえば、僕がへんなこと言い出しちゃったのが悪いんだ」
二人はとっても仲良し兄妹。ケンカをしても、すぐに元通りである。
一週間後。
僕は押し入れの中に立てこもり、震えていた。
「騙したな雫! もうあれは終わった話だったはずだ!」
「逃がさんぞ! 見ろお兄ちゃん! 見ろ!! 100点! 100点だ! 私はやり遂げた! 約束は守ってもらうぞ!!」
押し入れを力づくで開けようとする妹の腕力に恐怖を感じる。
僕にばれないように、こっそり勉強を続けてきた雫の執念が、ついに僕を追いつめたのである。
こいつ、よりにもよって他のみんなが出かけた隙に……いや、狙ってやがったんだ!
「やめろ雫、純粋だったころのお前に戻るんだ!」
「お兄ちゃん、あなたが私を変えてしまったんだよ! さあ観念しろ!」
押し入れの扉がガタガタギシギシと悲鳴をあげている。
ああ、だめだ、もう助からない……。
さすがに居候先で押し入れを破壊するわけにはいかない。
観念して出てきた僕に、しかし意外にも雫は、思っていたほどがっついてはこなかった。
……そう。肝心なところでヘタレたのである。
こやつも立派な処女。この時代の処女とは、かくも悲しいものである。
最終的に雫が要望したのは、毎日おやすみのキスをする、ということだった。
非常になごやかで幸せな、いい習慣である。
しかし雫がそんななごやかなチューだけで満足できたのはわずか2日間。それからはどんどんエスカレートが続いている。
正直僕も、他の部屋にみんながいるんだ、と気をしっかりもたなければ、このままズルズルと流されてしまいそうだ。
雫のお風呂上がりのいい匂いだとか、とろんとした目だとか、意外と成長してきた胸だとか。
もう多分、僕が雫から逃げられる日は来ないのだろうし、よく考えてみれば最初から、特に逃げる必要もなかったのである。