11話 純情次女とキャンパーさん
「あの、わたし、二年の○○って言います。あの、初めて見たときから、先輩のことが好きでした! わたしと付き合って下さい!」
最近高校では、最初にガツンと作ったはずの葵バリアーが弱ってきている。告白を受けるのは今月に入ってもう三人目だ。
嬉しい。ありがたい。
でも正直、けっこう精神的には疲れてしまう。
「ありがとう。でも、ごめん。僕は今、他に好きな人がいます。だから、お付き合いはできません」
「知ってます。三年の川口葵先輩ですよね。でも、ほんとは付き合ってないって聞きました。だから、あの 「え!? 嘘でしょ? それどこ情報よきみ」
由々しき事態発生! そりゃいかん、バリアーの効果も弱るわけだ。
お付き合いに関しては丁重にお断りし、しかし別れ間際、そっと相手の手をとって、小包を渡してあげる。
実はこれまでも、僕に玉砕承知のうえで告白してくる女の子は数名いた。
さほどイケメンでもない僕に。ありがたいやら、申し訳ないやら。
そんなに頑張ってくれた気持ちに答えたくて、最近ではこのちょっとしたお気持ちを渡すようにしている。
渡しているものは安物だが、火吹き棒、というキャンプ道具だ。100均でも売られているので、大量購入し、自分でせっせとラッピングしておいた。
火吹き棒とは、焚き火に使うアイテムであり、炎の美しさで失恋の傷を癒してほしい、という僕なりの優しさが込められている。
そしてもちろん、キャンプ布教活動の一つだ。
「ねえ葵、知ってた? 僕と葵、本当は付き合ってなかったらしい。 今日二年生に聞いたんだよ」
学校帰り、校門を出ながら葵に訴える。
「あー、今さらだけど、最近噂になってるみたいだね……。でも、な、なんでバレたんだろうね。雰囲気的な?」
葵はこっちを見ず、少し早足で進みながら答えてきた。
ちなみに当然、僕はとっくに登下校の道は覚えてしまい、それどころかこのあたりの地域一帯のことは概ね把握したが、やはり葵がかつての自転車登校に戻る気配はない。
おじさんの心をもつ僕でも、この仲良し登下校は、ビンビンに青春を感じられるひとときである。
葵も同じように思ってくれていたらうれしい。
「なんでそんな噂が立つんだろう。なんか悔しい。多分僕たちの仲良しっぷりが足らなかったんだよ。悔しいから今日は少しだけデートして帰ろう、うんそうしよう」
僕は葵の手を引き、下校ルートを外れて駅前の方へ向かった。
こういうとき、一切文句を言わずに手を握り返してくれるのが、ほんと葵は最高である。
駅前には、先日遥を救助した居酒屋の看板も遠くに見えている。
遥はあの夜の翌朝、僕と目が合うと、それだけで顔を真っ赤にして逃げていった。
かわいい。あと、嫌われて逃げているのではないと信じたい。
「噂っていえば亮一、あんた一部の女子から、キチ○イキャンプビッ○って呼ばれてるみたいだよ。自覚ある? 特にビッ○の部分が気になるんだけど」
ひでえあだ名。しかしできればキチ○イの方に反応して欲しいな。
「自覚症状ありません。学校でそういう態度で接してる相手って、葵くらいだよ? 雫は学年違うから、全然会えないし」
「いや、こないだ部活やってる雫っち見つけて、大声で応援してたじゃん。あれで恥ずかしがらずにむしろ喜ぶとか、雫っちも大概ヤバいよね。あたし、何の嫌がらせかと思ったもん」
大通りで場違いに売られていた鯛焼きを、葵と半分こにしてお行儀悪く歩き食べする。
「てか、亮一はちょっとガード甘すぎなんだって。なんか、もしかしたらエッチなこともワンチャン? みたいな雰囲気、他の女子たちも感じてるわけよ。」
そういうのに処女は弱い!と葵は断言するが、もちろん未だに自身も処女である。
葵が鯛焼きの餡をこぼしかけたので、あわててハンカチを口元に当ててやる。
なぜしっぽの方から食べるのか。半分に割ったとこから食べなさい。
「こんなことまでしてるのに、逆になんで付き合ってないと思われるのかねえ」
学校でチューでもしてなきゃ、彼氏彼女認定はされないとでもいうのか。
なぜか何も答えない葵を見ると、顔を真っ赤にして鯛焼きを咥えたまま固まっている。
……ははーん、こいつ本人が原因か。鯛焼きは一旦没収。
ちょうど通りがかったドーナツ屋さんに葵を押し込み、席に座らせる。
僕は手早く二人分のドーナツの会計を済ませ、無料の水をとり、葵の正面にドンと座った。
「では被告人の葵さん、説明を聞こうか。」
別に怒っているわけではない。
実際、付き合っているか、と言われると結構あいまいなままになっている、というか正確には付き合ってないんだろうしなあ。
「あのですね、こないだ、友達と昼休みに、ほら、少しエッチな話とかしててさ……」
なるほど。あるよねそういうの。
僕は無言でうなずきながらドーナツを一つ葵の方に渡してやる。
「友達で年上の彼氏いる子がさ、自慢してくるわけよ。チューがどうだとか、ほら、あの、あれがどうだとか」
わかるわかる。水の入ったコップを一つ、葵の方に押してやる。まあ飲め。
「悔しくて、その、わたしだってデートしたりとか、た、たまには手を繋ぐんだ、とか言っちゃたんだけど……」
「そんなもん小学生でもやっとるわ!……と思われちゃったわけだね。……まあこの水は無料だが僕のおごりだ。気にせず飲みなさい」
哀れ処女。
お盛んな高校生なら、おてて繋いで仲良しデート、くらいで満足できるわけがない。
葵ちゃんっておくれてるー!みたいな感じでばかにされてしまったことだろう。
それで、それって本当に付き合ってるの? みたいな噂に繋がったわけだ。
「イケてるギャルで通ってたんだよ、あたし。でもそれ以来純情お子ちゃまいい子ちゃん扱いだよ……」
いやそれは嘘だ。最初からお前は見た目だけギャルのいい子だと評判だぞ。
「じゃあ、葵は、僕と本当にそういう関係になるのは嫌かな? 僕は、葵とだったら、全くやぶさかではないですけども」
こんなチェーン店のドーナツ屋で言うことでもないですけども。
しかし葵は、思った以上に食いついてきた。無料の水をドンと音をたてて置き、テーブルに身を乗り出してくる。
「そ、そういう関係とは、どっちの意味で? き、きちんとつきあう、とか? それとももしかして、その、いい感じの、肉体的な感じの、あれこれする間柄のことでしょうか!?」
「あ……なんか身体目的の人みたいで、僕、怖いな……」
冗談で言ったのだが、葵は椅子をひっくり返しながら激しく立ち上がった。
「違う! 全然、全然身体狙ってない! あたしに狙われたらたいしたもんですよ! 本気で狙ってたらもう何十回か押し倒してるから!」
うおお声が大きい!お店の中だぞ!
僕はあわてて葵が倒した椅子を起こし、まあまあ、と座らせる。
小声で、
「全然ねらわれてなかったのかあ、それはちょっと、寂しいかもなあ」
と耳打ちすると、葵は顔を両手で隠して、机につっぷした。
「あーもう。なんなの。亮一はあたしをどうしたいわけよ……」
なんという処女感でしょう。
かわいすぎるだろうこれは。からかいたい。
が、からかいたい、と言っては怒らせそうなので。
「きちんと彼女にしたい。将来的にはお嫁さんにしたい」
葵を見つめながら言う。
葵は、ビクッとして、ゆっくりと顔をあげ、僕と目が合うとまた、ぴくんと体をふるわせた。
「ほ、ほんき? ……からかってるでしょ。 ……ほんき? ほんとに? ……ここ駅前のドーナツ屋だよ?」
この、びびりながらも、がっついてくる感じ。たまらん。ゾクゾクする。
「本気じゃない方が嬉しかった? 身体だけの方が良かった? ……本気に決まってるでしょ。僕の彼女になりなさい。それがいいようん。それがいいそれがいい」
ちょっとふらふらした葵と店を出て、駅前を離れ、またいつもの下校ルートに近づいていく。
部活か何かで帰りが遅めの生徒たちがちらほらと歩いているのが見える。
「葵さん。大好きです。昔からずっと好きでした。隠してたけど、葵さんは僕の初恋の人でした。好きです。改めて、僕とお付き合いして下さい」
ずっと手を繋いで歩いたまま、葵にだけ聞こえるくらいの声で言う。
葵は、耳まで真っ赤にしながら、繋いだ手をにぎにぎしてくれる。
「亮一。ずっと、小さいころから、亮一のお嫁さんになるのが夢でした。大好きです。あたしとお付き合いしてください」
手を、同じように握って返事をする。
二人で、ふふふ、と笑った。
「あー、ヤバい。あたしどんな顔してる? なんか照れる。ヤバい」
「めちゃくちゃかわいい顔してるよ」
あー、浄化される……女子高生の彼女……肩書きだけでも浄化されるのに、この葵の照れた顔ときたらほんと、ほんと浄化されるうう……。
「帰ったら、雫たちにも報告する?」
僕が言うと、葵はうーんうんと顔をしかめた。
「自慢したい。超したい。……でも、しばらくはナイショにしとく。だって雫っちも遥ねえも、絶対対抗してくるじゃん。……雪はよくわかんないけど。だから、もう少しだけナイショにしとく」
こいつにそんな隠し事ができるだろうか。
今ももう、明らかに、なんかありました! って感じのデレッデレの表情だというのに。
「いいよ。でも、葵は顔にでちゃうからなあ。すぐばれちゃいそうだね」
近くを歩いている他の生徒はまだちらほらいるけれど、ちょっとこの繋いだ手を離すのは無理だ。高校生だし、ちょっとバカップルだと思われてもかまわんかまわん。
葵は、キリッとした感じの顔で、でも半笑いで、おふざけしているような表情を作っている。
「ほら、あたし真面目な顔してるっしょ。これならバレないバレない」
もはや凶器かと思うほどのかわいさ。これ彼女です! 僕の彼女です!
僕は、ちょっと立ち止まり、葵に手招きをした。
不思議そうな顔になった葵を、こっちこっち、と僕の横まで来させ、人目も気にせずに、短く、軽くキスをした。
その体勢のまま完全にフリーズした葵を置いて、僕はすたすたと歩き出す。
「さ、帰りましょ帰りましょ。今日は葵が夕飯作る日だもんね。楽しみだなあ」
葵が再び動きだすまでには、思ったより時間ががかって、しかもすごい表情でこっちを見てくるから、思わず笑ってしまった。
家に帰るまでの間、さらに一回は僕から、五回、いや六回は葵からキスをされた。道端で。
さかりのついた処女とは、実に恐ろしいものである。
当然これにより、僕と遥がきちんと付き合いだしたらしい、と噂は広がってくれた。
キスを見ていた人が広めてくれたのか、葵本人が自慢して回ったのかは謎に包まれているが。
ちなみにその夜、僕の夢の中には、愛しの葵ではなく、偉大なる神の姿があった。
キャンプの神。
神は、キャンプをないがしろにし、葵とのいちゃいちゃで脳内がピンク色になった僕に、激しい怒りを覚えていたようだ。
恐れおののく僕を小さなテントに閉じ込め、蚊、ムカデ、蜂、ブヨ、ヒルといった、キャンプで注意すべき危険な害虫たちを放り込んできた。
常にキャンプを愛し、キャンプを敬い、キャンプを信じること。
それを忘れてしまったとき、きっと荒ぶる神は、またやってくるだろう。
この夢で激しくうなされた僕は、心配した雫に起こされて、ようやく神の裁きから解放された。
……ほらみろ、キャンプの話をするな、なんてひどいことをみんなが言うから、こんなことになるんだ。
これが世に恐れられている、キャンプ中毒患者の末期的な禁断症状である。