ロザリーネと一握のパン
とある街のお屋敷にロザリーネという女の子が住んでいました。
ロザリーネはこの地で領主をしている一人娘でありましたが故に、毎日毎日お稽古でスケジュールは一杯でした。
「レオン、わたくしは今日もピアノのお稽古なの?」
「そうでございます、お嬢様」
ロザリーネ付き執事のレオンは今日も大変です。
「わたくし、もうピアノには飽きましたの。何か違うことがしたいわ」
「それはできません」
「もぉ」
ロザリーネはとてもわがままなので、お稽古に連れて行くだけでも腰が折れるお仕事です。
今日も今日とて行きたくない行きたくないの大合唱で、そのままオペラハウスに連れて行けば客席もほとんど埋まるのではないかというくらいです。
「なんでピアノなんて弾かなきゃいけないのかしら」
「……」
「それにマナーのお稽古にお勉強、終いにはダンスのお稽古なんてするんですのよ。何のためになるというんですの?」
レオンは答えません。
無言を貫くレオンを尻目に、ロザリーネはため息をつきながら言葉を続けます。
「わたくし、何のために生まれたんですの?」
「……」
レオンは答えません。否、答えられません。
なぜ生きているのか、その問いにはレオンはおろか領主であるロザリーネの父親でさえも答えることはできません。
ですがこの家には一つの家訓があります。
『強き者になりなさい。強き者とは弱き者を助けられる者のことである』
これはロザリーネにも耳がお鍋の蓋くらいパンパンに膨れるくらい聞かされた言葉でもあります。
なのでレオンは一言「強き者になるためです」と囁いてロザリーネを部屋から連れ出しました。
そして「生きる意味を探すのもまた人生です」とも付け加えました。
ある日のことです、ロザリーネは「気分転換にお散歩でもしてはどうだ」と両親に許しをいただきました。
それならば、街で有名なパン屋さんに寄ってはどうかとレオンが言うものですから、ロザリーネは飛んでは踊りやで大喜びです。
ロザリーネにとっては久々の外出です。
いつもは部屋に籠ってお稽古の日々、出れても家の敷地の中だけという限定的なものでしたが今日は街に出ていいということで、おめかしを始めるロザリーネに対してレオンは少しきつめの口調でたしなめます。
「街でそのような派手な格好は目立ちます。もっと町人のような格好をしてください」
外に出るにあたってレオンの言うことには従うことという条件を付けられたものですから、真っ赤な靴にフリルの付いたドレスというようなダンスホールに行くような格好ではなく、茶色の靴に白いワンピースといった街によくいる少女のような格好に着替えます。
門を出て目抜き通りを真っ直ぐ南下し、少し路地に入った商店街で一際繁盛しているパン屋に向かいます。
途中焼いた肉の香ばしい匂いがしてきましたが、一生懸命我慢してきた甲斐はあったようで、焼きたてのバゲットを三本も買うことができました。
しかし、鼻の奥にやはり香ばしい肉の匂いは離れなかったようで、中にソーセージの入ったパンを一つ買って、店を出たところで一気に齧り付きました。
レオンはマナーが悪いですよ、と叱ろうとしましたが今日はロザリーネにとっては休日、つまり領主の一人娘から町娘になってる日でありますから、言いたい気持ちはぐっと抑えて帰路につくことにしました。
もちろん、これは二人だけの秘密です。
「レオン、こっちの道はどこに続いてるの?」
「この道はお屋敷に続く近道ですが、危険なので来た道を戻りましょう」
「いいえ、わたくしこっちの道へ行きたいわ。着いてきなさい」
ロザリーネは狭く、汚く、そしてなにより暗い路地裏を小さくスキップしながら進んでいってしまいました。
小脇に挟んだパンのせいで興奮してしまっているのか、レオンの言うことを守るという約束事も忘れているようです。
昼間だというのに暗いこの道には、家や職を失ったものたちが多くたむろする場所であり、盗みや殺しこそ少ないものの小さな少女からしては危ない人たちには変わりありません。
「パンを少しわけてくれ」
壁に寄り添って座る男がロザリーネに向けて手を伸ばします。
ボロボロになった作業着と伸びきった髪の毛と髭から、この男がいかに困窮しているかが見て取れます。
「レオン、この人にパンを少し分けてもいいかしら?」
「いけません」
「なぜ? 強き者とは弱き者を助けられる者なのでしょう?」
「……」
「強き者にならなければいけないのでしょう?」
「……」
ぐうの音も出ません。
確かに、ロザリーネは強き者にならなければいけないと教えられてきましたし、レオン自身もロザリーネにそう言ったこともありました。
レオンはただ俯くことしかできず、ただロザリーネの動向を見守ることしかできませんでした。
ロザリーネは抱えていた紙袋の中のバゲットを千切ると、一握のパンを男に分け与えました。
「これでわたくしも"強き者"ですわね」
レオンにそう語りかけると同時に、男はロザリーネの肩をがっと掴んで
「もっとくれよ。なあそこにもっとあるんだろう?」
と、迫るのを見て、レオンは急いでロザリーネを抱えて走り出します。
衝撃でロザリーネは紙袋ごとパンを全て落としてしまいましたが、お構いなしにその場から逃げます。
レオンが道に入る前から危惧していたことが起こってしまいました。
「わたくし、悪いことしました?」
「していませんよ。お嬢様は正しかったです」
「わたくし、すごく怖かったですわ」
「お嬢様は悪くないですよ」
レオンには、ロザリーネをなだめながら背中に背負って逃げるようにお屋敷に帰ることしか出来ませんでした。
ロザリーネとレオンの二人は、事の仔細を領主であるロザリーネの父親に報告しました。
場合によっては執事をクビになることも考えていたレオンでありましたが、それは杞憂に終わりました。
ロザリーネの父親は二人を見ながら優しく語りかけました。
曰く、「ロザリーネのやったことは一族として間違ったことはしていないが、やり方は間違えた」のだと。
「その後のレオンの対処については目を見張るものであり、称賛されることはあれど批難されるようなことではない」と。
怒られると思っていた二人でありましたが、よくやったと褒められ逆に困惑してしまいました。
また、「かの者のような者を出してしまった責任は自分にもある」といい、ロザリーネの父親はロザリーネを強く抱きしめました。
その後、領主の計らいで週に一度家や職を失った人へ向けて、街の広場でパンとスープを配る炊き出しが開催されることになりました。
もちろん、炊き出しのリーダーはロザリーネです。
とある日、炊き出しに例の男がやってきました。
彼はロザリーネの顔を見ると「あの時はすまなかった」と反省しきったような顔を見せた。
「あら、わたくしは少しも気にしていませんよ」とロザリーネが返すと、「あの時のお礼と謝罪はなんでもする」と言ったので、ロザリーネは「それじゃあ、仕事をしてくださる?」と冗談交じりに放つと広場にいた全員が腹を抱えて笑いながら炊き出しで貰ったパンを齧り、スープを啜っていました。
「これでわたくしも、強き者への一歩を踏み出せたかしら」
空になった鍋の底を見て、ロザリーネは少しだけ笑いました。
初投稿です。
本作品を読んでもらいましてありがとうございました。
今後連載作品も書いていきたいと思ってるので、応援してくれると嬉しいです。
童話は書いたことがなかったので、書いていて面白かったです。