7話 悪役令嬢は空回りばかりの婚約者騒動で心がやられてる
「ひゃっほぅ! 呼ばれて飛び立ち即参上! 伝書鳩郵便局のシニアポストマン、バルディッド・ロマンだ! お嬢! 今日はどこへお届けだい!?」
徹夜明けの早朝のこと。バルコニーの塀に小柄な鳥の獣人が立っていて、出入り口となる大窓を開けるなり大声で叫ぶものだから、フランはしかめっ面で耳を塞ぐ。
「朝から元気なのね……。これ、お父様と学園長に」
「おう!? 何だい何だい! 俺ぁよう! あの極寒、『飛んでる最中に翼が凍って墜落する』と名高いフロストバード領にお届けだって聞いてきたんだぜ!? そんなんじゃあ肩透かしじゃねぇの!」
「それ名高いんじゃなくて悪名高いでしょ……。その案件はまた今度よ、今はともかくこれを届けて」
「ったくよぅ……速達だよな?」
「己の限界に挑むのはあなたの勝手よ」
「やりぃ!」
素早くフランから手紙を受けとって、鳥人ロマンは飛び立っていった。すぐに遠ざかって点のようになってしまう彼を見ながら「伝書鳩郵便局の面々は何でスピード狂しか居ないのかしら……」と欠伸をする。
「おはようございます。お嬢様」
背後から声がかかり、フランは振りむいた。そこには礼儀正しく腰を折る、メイドのレイが立っている。フランはまたあくびをして、むにゃむにゃした口調で挨拶を返した。
「おはよう、レイ。よく眠れた?」
「お嬢様よりは」
「そう、それは良かったわ。あ、この招待状を下級貴族クラスの“コマドリ”三人に届けて頂戴。ワタクシは、今日は授業を休んで寝ることにするわ。午後のティータイムまで寝ているようだったら起こして」
「左様でございますか。ご朝食は」
「夜食食べちゃったし、食べないでおくわ」
「ではベッドメイキングの間スープをお飲みください」
レイはそっとスープの注がれたカップを執務机に置く。それをフランが椅子に座り直しながら手に取って一啜りすると、彼女は尋ねてきた。
「それで、今日のご予定は?」
フランは徹夜明けの胃にもじんわり優しい味に目を細めつつ、こう言った。
「ロレッタ・フロストバードが実際にアルフィーとどう接しているのか、この目で確かめるわ」
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アルフィーとフランは、生まれて数ヶ月からの仲だ。
親が勝手に決めた婚約者とはいえ、幼いころから何となく、フランはアルフィーと結婚することを意識していた。多少頼りないと思うところもあったが、そういった点は自分が手伝って直していければいい、とすら考える程度に、その事実を受け入れていたのだ。
激しい恋心ではないにしろ、あの穏やかな気性がつい忙しさにカリカリしてしまうフランにとっては相性が良かったし、何事も褒めてくれる人の好さに、自然に好きになっていた。
だからこそ、ロレッタ・フロストバードが無理に迫っていたら受け入れてしまうかもしれない。そんな弱さがあることもちゃんと理解していた。長い付き合いだし、これからも長く共にいる相手である。弱さを受け入れ、支え合う事こそが肝要だと考えていた。
だからフランは、ロレッタが訓練場に現れる前に先手を打つことにした。
「……あれっ? フラン、どうしたの? こんなところに珍しい」
キョトンとした様子で、アルフィーは訓練に現れたフランソワーズに声をかけてきた。それにフランは、「少し話があるのよ」と近寄っていく。
「単刀直入に聞くわ。ロレッタ・……コールドマンについて、あなたはどう思っているの、アルフィー?」
「え、普通に友達だと思っているけど」
意図が見えない、と言わんばかりに首を傾げるアルフィーに、フランはひとまずの安心を得る。なのでそのまま近寄っていき、ちょうどいい位置にあるアルフィーの胸元に額をぶつけた。
「……」
そして、黙り込む。いつものポーズだ。それに、アルフィーは「ああ」と気づいたような声でくすくす笑いながらフランの頭を撫で始める。
「もしかしてロレッタを招いた昨日のお茶会、大変だった? よしよし、頑張ったねフラン」
「うぅぅうううううう……!」
フランは非力な手でアルフィーをポカポカ叩く。それから、恨みがましく言った。
「何よあの子ぉぉぉお……! アルフィーが『ボクのことでイジメに遭ってるみたいで、ちょっと話してくれない?』って言ってたけど、それどころじゃなかったわよ、もおお……!」
「ごめんね。それで、ロレッタは何をしたの?」
「……精霊術で一発芸始めた」
「え、面白そう。いいな、ボクも見たかった」
ムッとして、フランは顔を上げる。
「いいな、じゃないわよ! あんなの威嚇に決まってるじゃない! もうワタクシ、見てていつ氷の弾の標的がワタクシになるかってひやひやしてたのよ!?」
「えぇー、ロレッタはそんな子じゃないよ。こう言っちゃなんだけど、そこまで深く考えて生きてないよあの子は」
「いいえ! ワタクシには分かるわ。天然装ってかわい子ぶってる女ほど、頭の中で何考えてるか分かったものじゃないのよ」
「そうなの?」
「そうなの。で、ここからが本題」
フランは懐から懐中時計を取り出して、手早く時間を確認してからアルフィーに確認する。
「これから、多分いつも通りロレッタ・コールドマンがここに来るわよね」
「多分来るだろうね。友達いないってずっと寂しがってるから」
そういえば昨日も言っていたな、と思い出す。それを心のメモ帳に止めながら、フランはこう指示を出した。
「いい? アルフィー。これからワタクシは隠れるから、ロレッタ・コールドマンと自然に会話して欲しいの。それから、それとなく恋愛の話をしてもらえる?」
「うぇっ!? れ、恋愛? 何でさ」
「いいから。ワタクシの見立てでは、それで重大事実を割り出せると思うの。お願い、大切なことよ」
「……まぁ、フランがそこまで言うなら……」
渋々、といった様子で、アルフィーは頷いた。それにフランも頷き返して、素早く小さめの塀の陰に隠れた。
それからしばらくもしない内に、ロレッタ・フロストバードが現れた。「アルフィ~~~!」と大声で叫びながら近寄っていく。アルフィーはワタクシの婚約者よ、とフランは塀の陰でむむむと見つめた。
が、憎たらしい恋敵は接触寸前で急ブレーキ。それから何故か距離を取り直し、獣のように両手を広げて威嚇のポーズ。
「……アルフィー、あなた、男だそうですね……」
本当に信じていたのか。フランは思わず驚きに声を上げかける。
しかもそこから、実際に喉を鳴らして唸り始めるものだから、フランは困惑しきりだ。アルフィーも同様に戸惑いを示し始める。
「がるるるるるるる」
「え、えと、あの……ロレッタ……?」
「ふしゃーっ!」
ロレッタ・フロストバードの大きめの威嚇に、アルフィーはおろか、かなり離れていたフランもびっくりして肩を跳ねさせてしまう。
どうやら、ロレッタ・フロストバードはアルフィーの接近に対し、野生動物さながらに警戒しているらしい。
意味が分からない。
「意味が分からないのだけど……」
昨日の強引な演武もだいぶ驚かされたが、この奇行は輪にかけて理解不能だ。少なくとも教養ある貴族の振る舞いではない。
「ろ、ロレッタ、ロレッタ……。どう、どうどう……。大丈夫、怖くない、怖くないよ……」
アルフィーはどうやら、暴れ馬を落ち着ける飼育員方式でロレッタ・フロストバードを宥めようと考えているようだった。そんなバカなと思うが、真っ白な凍える霊鳥の娘は「……くぅーん……」と近寄っていくではないか。
「ち、知性のかけらも見られない……」
フラン、徹夜してまで巡らせた様々な知略の数々がガラガラと音を立てて崩れ去っていくような気持になってくる。
「……これ、ワタクシの取り越し苦労だったんじゃないかしら」
第一に、本当にアルフィーを女子と信じていたなら横恋慕云々という発想にはならないだろう。同性愛などという野蛮なことを、貴族は行わないはずだ。第二に、あのような知性に欠ける人間が、王子の恋人に相応しいはずもない。
ほっ、と胸をなでおろし、この件は杞憂だったわね、と一人納得する。となると、明日の茶会では秘密裏にロレッタ・フロストバードの身元に関する噂を流布して、いじめが起こらないように仕向ければ一件落着だ。
とはいえ、今すぐに抜け出せる空気でもない。もはや興味もないが、一応このふざけたやり取りを見ておこうかしら、とフランは暇つぶしのような感覚で二人に目を向けた。
「ごめんね。その……ボクが男で」
「……いいでしょう。謝罪を受け入れます」
アルフィーの謝罪をきっかけに、あのアホはようやく人間の言葉で話し始める。にしてもアルフィーはアルフィーで、そんな情けない謝罪はしないで欲しい。男なんだから胸を張りなさい胸を。
「ですが何故訂正しなかったのですか……。するタイミングはあったはず……」
ロレッタ・フロストバードの追求に、アルフィーは苦しい顔だ。ちら、とこちらを見やってきたので、やる気なく手を振って何でもいいから誤魔化すように伝える。
「そ、その、えーと、何ていうか、……ロレッタ、女の子以外と友達になりたくないみたいな雰囲気でいたから、今更伝えても困らせちゃうかなって」
というか、とアルフィーはさらに続ける。
「それでロレッタに嫌われちゃったりしたら、嫌だから……」
……んん? とフラン、アルフィーの返答に少々突っかかりを覚える。ただの友達、という割には好感度高くないだろうか。
「……アルフィー、そんな悲しいこと言わないでください。大丈夫ですよ、私はアルフィーの優しいところが好きなんです。それは性別に関わらないあなたの魅力。男だったくらいで嫌いになんてなりません」
ロレッタの応答もかなり情熱的だ。しかも語り掛けながら、二人は両手を握り合い始めている。フランは、あまりの動揺にどんな顔をしていいのか分からない。
待ってほしい。少しで良いから呑み込む時間が欲しい。
「じゃあ、許してくれる?」
「ええ、私とアルフィーは親友です」
ロレッタはそういってアルフィーに微笑む。女性のフランでさえドキリとしてしまうような、穢れのない笑顔。アルフィーもそれを真正面から見て、少し頬を赤らめている。
これは、ダメでは?
やはりロレッタ・フロストバードは、アルフィーを異性として狙っているのでは?
「ではいつも通り練習を始めましょうか」と許しがたき恋敵が、武器倉庫から模造剣を取り出しに行こうとする。そこでアルフィーはハッとして「そういえば」と無理やりに話題をフラン指定の恋愛話に持っていった。
「ロレッタ、入学して多少慣れてきたころだけど、好きな人とか出来た?」
「好きな人……、ですか?」
その質問に、処女雪のような頬がぽっと赤らんだ。まるでリンゴのような色合いになるまでの変化に、フランはガクガクと震えだす。何だその表情は。碌に友人もいないようなお前が、誰に恋をするというのだ。
「だ、ダメです。秘密です」
「ってことは居るんだ。へぇー、気になるなぁ」
「なっ、カマ掛けをしましたね!?」
「ふふふ」
アルフィーはその矛先が自分に向いているとは全く思っていないような表情で、にこにこと自分の木剣を手に取った。その様子を見つめるロレッタ・フロストバードは、ちょっと不満そうに口をとがらせる。
「何だかハメられたみたいで納得いきません」
「そんなこと言わないでよ。ボクらの仲じゃない」
アルフィーの言葉に、ロレッタ・フロストバードは黙り込む。それから、赤い頬のまま、悪戯っぽくこう言った。
「まぁいいですけど……もしその人がダメそうなら、アルフィーが私のこと貰ってくださいね?」
潰す。
フランは覚悟を決めた。
塀の陰に隠れながら、ロレッタの欺瞞について考える。汚い女だ。まさかアルフィー相手にまで「女性だと思い込んでいた」という戯言を真実として通すとは思わなかった。一瞬とはいえ騙されかけた自分が恥ずかしい。こんな口説き文句、冗談で出てくるわけがない。
つまり、ロレッタ・フロストバードは最初からずっとアルフィーを狙っていて、その為のつまらない嘘を徹底していたのだ。フランは静かな怒りの炎の中、奴の狙いの核心を見抜く。
――そんな考えに没頭するフランは、自分の世界に入り込みすぎていて、続く「アルフィーなら女の子っぽいですし、気も合いますし、何よりフラン様の婚約者ですしね」「それ、もしかしなくても主目的ボクじゃないよね?」という軽口も耳に入らない。
その後訓練が始まって、もはや何を見るまでもない、とよわよわ悪役令嬢はひっそりとその場を立ち去った。その口からは、「ふふふふ……!」と地の底より響くような仄暗い笑みが漏れ出ているが、その目じりには涙が溜まってもいる。
「な、なななな、なぁにが国防の要よ。いいわ、やってやろうじゃない。ワタクシの婚約者に手を出そうっていうなら、徹底的に立場ってものを分からせてあげるわ」
フランソワーズ・アストヒク・ブルゴーニュ。学園を中心とした社交界では並ぶもの無しとされる彼女は、人脈、名声のすべてをかけてロレッタ・フロストバードを排除することを決心する。