6話 悪役令嬢たるもの、心労に負けてはならない
フランソワーズ・アストヒク・ブルゴーニュは、悪徳公爵ことブルゴーニュ公爵家に生まれた。
チャームポイントは父親譲りの真っ赤な長髪だ。自分でも気に入っていて、欲張って腰のあたりまで伸ばしていたらその辺りから微妙にウェーブし始めたので、これ以上伸ばせないな、と残念に思った記憶がある。
逆に、コンプレックスとしては女子にしても低めの身長というのがある。平均的な背丈の女子と比べても頭一つ小さいことに気付いて、慌てて厚底の靴をかき集め、少しずつ底を厚くしていったのだ。結果、少し小さめかな? くらいの認識におさまったと思う。あとは常に席についていれば気づかれないと考え、あまり人前で立たないように心掛けている。
何故、そんなことをここまで気にかけるのか。
それは、生まれが悪徳公爵と恐れられる公爵家だからだ。
親しい人間からのみこっそり呼ばれる「フラン」呼びを、よほどのことがない限り他人に呼ぶことを許さない威厳が必要なのだ。
「だとしても今回のは無理ぃ~~~~~~…………!」
フランは自室のベッドに顔をうずめ、バタバタと暴れていた。ちいさな腕でぽすぽすベッドを叩くが、この非力では毛布すらろくに動かない。
「……どうしよう。え? ワタクシの気のせいじゃないわよね? あの光景夢だったりしないわよね?」
夢であれ、と思う心もあるが、フランの強固な自制心は自らに現実逃避することを許さない。「ウググググ……!」とまたベッドの中でもだえ苦しむ。
頭の中にグルグルと渦巻くのは、夕方のひと時のこと。
目も奪われるような見事な魔法――ではなく、精霊術と剣技の演武。
そして、それを繰り広げたロレッタ・コールドマン――ではないだろう、何者か。
「……」
ごろん、とフランは寝返りを打ち、虚空を睨んだ。それから、ガバッと起き上がる。
「レイ、居る?」
「ここに、フラン様」
寝室の扉越しに、声が聞こえる。フランは扉を開けながら、指示を出した。
「便箋をいくらか用意して。あと、封蝋も」
「誰宛ですか?」
「お父様、学園長、そして……時と場合によっては、フロストバード辺境伯に」
メイドのレイは眉をぴくりとさせ、「分かりました。執務室でお待ちください」と告げていなくなる。フランが執務室の大きな机を前にすると、すぐに現れ指定の物を用意した。
「ありがとう、レイ」
「いえ。それでお嬢様、伝書鳩郵便局の方は……」
「そうね、明日の朝に一人来るよう手配してもらえるかしら」
「かしこまりました。では、お夜食もご用意しますか?」
「……太らないのでお願いね」
「心得ております」
指示を出すと、音もなくレイは執務室を去っていった。フランは一つ長い息を吐きだして、紙面に向かった。
羽ペンにインクをつけ、フランはまず父に一筆をしたため始める。内容は、『伝統的に身分を隠して子女を学園に入学させる貴族の名簿一覧をください』というものだ。次に学園長にも『不正に名前を偽って入学した生徒がいないかどうか』圧を掛ける文章を記す。
それからフロストバード辺境伯への手紙を書こうかどうか迷い――今は保留することに決めた。
「レイ! アレクサンドル大帝国とフロストバード辺境伯の小競り合いについての記録ってどの文献だったかしら!?」
「執務室の右端下部が外交部門の文献となっております! 題名は『ブリタニア王国の冷たき氷壁についての勃興及び戦術記』です!」
「ありがとう! そちらの作業を続けて!」
部屋越しに大声で情報を伝えあい、フランは自分で大きな本棚から目当ての本を探し当てる。それを大机の上に開いて、舐めるように調べ始めた。
「氷に類する言葉と、鳥の精霊に関して……、あった。神歴503年、永久凍土に凍える霊鳥とされる精霊あり。その地の豪族に土地を安堵し、その地をフロストバード領とした」
間違いない、と思う。あの氷の鳥を自由に操るのは、魔法ではない。そもそも魔法とは神への信仰心より起こる奇跡であって、人間が行うのは下手なまねごとにすぎない。魔法で出来るのは、精々氷の塊を手から撃ち出すくらいの物だ。
精霊術。かつて獣人のアニミズムより見出されし、魔法とは異なる力の根源をもとに行使される技術。貴族でも知らない者は居るだろう。エルフの血が強い森の賢者たちならば別なのだろうが。
「『森の賢者』にも手紙を……いえ、止めておきましょう。あそこは知識に大きな見返りを求めるもの。面倒だわ」
独り言ちつつ、フランはページをめくる手を進める。フロストバード家が綿々と続く様が綴られ、近代貴族らしくエルフの血を入れ、同時に獣人の血を入れ精霊との契約を強固にしたという話まで書かれている。領民たちも獣人と混じらせ、領主の名の下に加護を与えたと。
「……何よそれ、領主領民揃って生物兵器じゃない」
パッと見獣人の混血らしき特徴はなかったが、人間、エルフときての獣人であるなら納得だ。エルフの血もそうだが、一定以上濃くないとその種族の特徴は現れない。耳の長い森の賢者たちも、そのほとんどが半分以上エルフの血を身に宿している。
何はともあれ、もう確定に近かった。あとは父と学園長から裏取りをするだけ。フランは背もたれに体重をかけ、長い溜息を吐く。
「……ロレッタ・コールドマンの正体は、ロレッタ・フロストバード。凍える霊鳥、国防の要であるフロストバード辺境伯の美しい一人娘……」
あの世間ずれした感性からして、溺愛されて育ったのだろう。でなければ、あそこまで他人からの悪意に横柄で居られるものか。
フランはまた半泣きになる。
「どうしよう~~~~、国防の要の愛娘に喧嘩売っちゃったわよ~~~~~~!」
びえーん、とフランは真っ赤な長い髪をわしゃくしゃにする。最後の方は結構下手に出たというか柔らかめの態度をとったが、自分ならあんな態度で詰めてきた相手を許さない。きっとロレッタ・フロストバードも許してはくれないだろう。
「い、いえ……まだ大丈夫よフランソワーズ。だってまだ命があるもの。あの練度で精霊術を修めてるような人間よ? あの場で殺さなかったんなら、殺意は少なくともなかったのよ、ええ、そう、そうに決まって……うぅぅ」
胃が痛い。そうなのだ。フランのような蚤の心臓の持ち主が、貴族の身分的秩序を保つために幅をきかせるなど土台無理な話だったのだ。
「でも、やらなきゃ。やらなきゃ……」
お腹をさすさすしていると、メイドのレイがそっと水と胃薬を置いてまた作業に戻っていく。ありがたい……と感謝の念を送って胃薬の錠剤を口に放り込み水を飲みほした。
「……方針を決めましょう」
両頬をぺしんとやって、フランは考える。当初予定していた、圧をかけてアルフィーから引き離す作戦は棄却だ。今やロレッタ・フロストバードは敵に回せない相手である。どうにかこうにか、せめて敵対ではない程度の関係性にまで持っていかねばならない。
「いっそ抱き込む……? いえ、表向きロレッタ・フロストバードはコールドマン男爵家。男爵家の人間がワタクシの陣営に入るのは不自然だわ。他の勢力から見て弱みと看破されかねないし、……そもそもあれだけの演武よ。示威じゃないはずないじゃない」
あのお茶会で行われたのは、要するに『お前たちがいびろうとしているのはこれほどの武力を持った人間だぞ。あまりちょっかいを出すようなら……』という敵意あってのことだ。でなければあれほど強引に芸を見せる流れにしないだろう。
「実家の名前を出さないで出来る唯一の防護策だった、ってことかしら。となると、フロストバードの名は極力出したくない……。でも自分への攻撃をこれ以上容認する気もない」
ややこしくなってきた、と思う。それから、状況を整理せねばと考えた。
「ロレッタ・フロストバードは、まず生家の名を知られたくない。これは確定。つぎに、アルフィーに近寄っていた。これも事実確認が取れてるわ。アルフィーを女子だと思っていたのは……確かにアルフィーは男子にしては愛らしい顔をしているけれど、そこまでかしら」
メモ紙を用意して、一つ一つ情報を分けていく。ひとまずは、確定情報と疑わしい情報で。
「イジメも……アルフィー経由でワタクシに話をつけに来たんだもの、嫌がっているで確定。ワタクシと敵対は……微妙なところね。示威的な演武はしてきたけれど、終始友好的な態度ではあったのだし」
つまるところ、余計な干渉のみ止めておけばいいのか、と思う。だが、それだけでまかり通るほど話は簡単ではない。
「……アルフィーへの接し方についてを、なぁなぁで済ませてしまったわ」
フランは難しい顔で紙面の羅列と睨めっこ。やはりそこなのだ、問題は。
元々問題視されていたのはただ一点。男爵家の娘如きが、王子に気安く近寄っているという点である。だが、ロレッタ・フロストバードは、男爵家ではなく辺境伯……それも、アレクサンドル大帝国の侵略対策を一手に担い、何百年と退け続けてきた名家の生まれだった。
近寄る資格は十分にある。フランの個人的な感情やロレッタの家名隠し、学園内の勢力関係を無視するなら、フランの陣営に抱き込んでしまうのが一番早い。その上でアルフィーの婚約者はワタクシなのだ、と言い含めればいい――
そこでフラン、気づいてしまった。ロレッタ・フロストバードの“嘘”に。
「……彼女は、アルフィーが男だと知っていた?」
そうだ、そう考えた方がずっと早い。何故『女子だと思い込んでいた』などという苦しい言い訳を少しでも信じてしまっていたのか。
となると、話は変わってくる。下手な嘘をついてまでアルフィーに近寄ってきた理由、そしてその点をはぐらかすために演武による威嚇を行ったのか。そんなの、答えは一つだ。
「ロレッタ・フロストバードは……」
――アルフィーを、ワタクシから横取りするつもりでいる?
一つの仮説にたどり着いて、フランはその厄介さに唸る。敵対できない相手が、フランの一番大切な相手をかっさらおうとしている。その事実は、看過できないことだ。許せない話だ。
フランは再び、長い長い溜息を吐いて机にもたれかかった。ロレッタ・フロストバードの意図は見えた。だが、どう対策を打っていいものか分からない。まずは情報をかき集めなければ、と考えて「また仕事が増えたぁ~~~~~~!」とじたばたする。
「フラン様、お夜食です」
「ありがとう……」
目の前に置かれた野菜サンドイッチを口に運ぶ。それから眉根を寄せつつ、引き出しを開けて手紙を取り出した。
それは、父ブルゴーニュ公爵からの正式な書簡だ。開いて中身を取り出す。
そこには、このように記されていた。
――アレクサンドル大帝国より、密偵と思しき不審な入学生あり。詳細は追って連絡する。注意されたし。
フランは睨みつけるように、その手紙をしばらく見つめていた。サンドイッチを咀嚼し呑み込んで、差し出された紅茶を一啜り。
「この恐ろしき大森林の中に建つブリタニア王立学園に密偵なんて、命知らずにもほどがあるでしょう……、うぅ」
どれほど厄介な輩が入り込んでいるのかを想像し、また少しお腹が痛くなってくる。紅茶をぐいと飲み干して、眉間によったしわを伸ばし伸ばししながら、結論を出した。
今、フランソワーズ・アストヒク・ブルゴーニュ公爵令嬢にとって解決すべき問題として提示されるのは、二つ。
一つ、フロストバード辺境伯の娘が、身分を隠して入学し、アルフィーを狙っていること。
一つ、アレクサンドル大帝国より侵入した何者かが、この学園で生徒面をしていること。
「前途多難なのだけれど……」
フランはまた半泣きになりながら、もぐもぐとサンドイッチを食べる。その後情報収集や計画立案のために夜更かしをせねばならず、一睡もせずに朝を迎えることとなる。