55話 凡人皇太子、契約に従いトラブルメイカーの世話係に就任する
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外を歩いていて感じるのが、とうとう夏か、という暑さだった。
「けっこー蒸すのな……」
ハルトは手で汗の垂れる顔を扇ぎ、少しでも暑さを緩和しようとする。そうしながら、帝国とはやっぱ違うな、と気候の違いに気付いた。帝国はだだっ広い大陸をど真ん中から支配しているだけあって、割と乾燥している地域も多い。
そこまで考えてから、いや、と考え直した。ブリタニアも国土としてはかなり大きい。それでなおこれだけ蒸すのは、多分、魔怨の森の所為だ。あの森の所為できっと、学園内に満ちる湿度の逃げ場がないのだと。あと多分ブレゼディアス大湖峡が近いから。
ブリタニア王立学園。夏休み初日のことだった。
ハルトは荷物を旅行鞄にまとめて、ガラガラと地面に引きながらそんな益体もないことを考えていた。以前ならば、偏執的にハルトの所持品を管理する従者がいて、そちらにこういった雑事は全て任せていたのだが。
「従者なんて連れてこられるわけなかったからな」
ハハ、と強張った顔で笑って、ハルトは旅行鞄を押す。学園の石畳の細かな隙間で、カバンの車輪が断続的に音を立てる。
思い出すのも恐ろしい、永久凍土を通過した春の亡命。ロレッタに助けられなければ、本気で死んでいたのではないか、と今でも思うハルトだ。
永久凍土、というのだから、今も凍っていたりするのだろうか。その辺りについても、今日聞いてもいいかもしれない。
何せ、今日から長期間共にするのだ。そう思うと、頬の少し緩んでしまうハルトである。
「お、すでにいるじゃんか。おーい!」
旅行鞄を押しての集合場所への移動で、曲がり角を曲がった視線の先に、ちょうど彼女は立っていた。制服ではない、真っ白なワンピース。それは髪も肌も、何もかもが純白な彼女に似合いすぎるほど似合っている。
ロレッタ・フロストバード。帝国の脅威、序列二位とされる、帝国軍の侵攻を数十年簡単に潰し続けてきた、げに恐ろしき凍える霊鳥の血族の一人娘。美しすぎるほど美しすぎる、ハルトの心を奪いつつある彼女は―――
「うげ、本当に来たんですか」
ハルトの到着に、すごい嫌そうな顔で出迎えた。
「……」
傷つくぜおい、とはハルトの密かな本心だろうか。だが、思い返せば今までの恋愛が容易に過ぎたのだ。何で勝手に惚れられて勝手にハーレム築かれてて勝手に逃げ場がなくなるのだろう。どちらかというと攻略されたのは自分なのでは、と今更ながら疑うハルトである。
まぁいい。ハルトは一つ嘆息してから「朝から挨拶だな、ロレッタ」と肩を竦めて軽く受け流す。
「ええ、朝一番にでフラン様に会える、という期待を肩透かしさせたんです。せめて空気を読んでフラン様の登場までタイミングを見計らっていて欲しいですね」
「ブルゴーニュ嬢が来たら良いのか?」
「いえ、フラン様が来たら歓談が始まるので、そこに水をささないで欲しいです」
要するに来るな、という事らしかった。ハルト、絶妙な目でロレッタを見つめる。
「……な、何ですか。いいじゃないですか! 元々ハルトなしの私のハーレムだったんですよ!? フラン様! アルフィー! 美少女がそろい踏みじゃないですか! それを台無しにしてくれたんです、嫌みの一つくらい言わせてください!」
「どっちかというとアルフィーのハーレムじゃないか?」
「アルフィーは女の子じゃないですか何を言ってるんですか」
「お前真顔でそんな……」
アルフィーが聞いたら涙目になりそうな言い様である。ともあれ、人間は感情の生き物である。ロレッタが納得いっていないというのなら、それはそれとして理解しておくべきだろう。すごい顔してるし。激怒する小型犬みたいな顔である。
故にハルト、頭を掻いて会話に一拍入れつつ、そっと話題を変えた。
「そういやその服似合ってるな」
「でしょう!?!?!?!?!?!?!?」
ハルト、ロレッタの機嫌の取り方はこれでいいんだな、と理解した瞬間である。
「そうなんですよハルト! お目が高い! やっぱり夏で美少女と言えば、純白のワンピースなんですよ! これぞッ! 童貞のッ! 夢ッッッッ!」
「そのイメージで言えばこれも似合いそうだな」
ハルトは自分用に持っていた麦わら帽子をロレッタに被せた。キョトンとする彼女に「お、やっぱ似合うな」と笑いかけると、「ハルト」と手を両手で握られる。
「あなたの感性に敬意を表します。画竜点睛を欠いていたのが、麦わら帽子によって完成しました」
「最近分かったんだが、ロレッタと接するのに貴族の女性への丁寧さみたいなのは欠片も要らないよな」
むしろ淑女扱いされると嫌がるまである感じがする。容姿を褒めたりその為に何かプレゼントをしたり、というので喜ぶのは、どちらかというと作品を褒めたりその手伝いをしてありがたがられるのに近い。
だがそこで「は? ちゃんと女性として尊重してくださいよ」というのだから紛らわしい。お前絶対レディファーストすると眉をひそめるだろうに。
「あはは、朝から元気だね二人とも」
「まったくよ。特にロレッタ、あなたもう少し静かになさい。淑女たるもの叫んだりすることのないように」
そんな二人に合流してきたのは、アルフィー、ブルゴーニュ嬢の二人組だった。小柄な二人だから、揃っていると微笑ましい。アルフィーは輝かんばかりの金髪を撫でつけ、ブルゴーニュ嬢は長く伸ばされた赤い髪に暑そうにしている。
その後から、ブルゴーニュ嬢付きのメイドが二人の旅行鞄を運んできた。それを見ていると、彼女はそっと目礼をしてきた。ハルトもとりあえず目礼を返しておく。
「フラン様! 本日も麗しゅうございます。ああ、夏の少し薄着な感じがとてもエモう存じます……」
「エモうって何よ。エモう……、エモい? 知らない表現ね」
「おっと方言が」
「勘だけど絶対方言じゃないぞ」
ハルトのツッコミにロレッタ、何とも言えない流し目をしてきた。どういう感情なんだろうか。あけすけな性格かつ素性が割れてなお謎だらけなのは、ロレッタの人間性の奥深さ故か。
「おはよう! ハルト君」
改めて挨拶をしてくるアルフィーに「おう、おはよう」とハルトは返す。彼はまるで向日葵のように満面の笑みを向けてくるので、何と言うか、ロレッタが女の子と言い張る気持ちが分からんでもない、という気がしてくる。
そこで、ブルゴーニュ嬢がそっと目配せをしてきた。分かってるよ、とハルトは片手を挙げて、注目を集めるべく手を叩く。
「はい。じゃあ今回のブルゴーニュ領訪問の段取りをまとめるぞ。よく聞け」
「え、フラン様の実家に行こうの会ですよね? ハルトがまとめるんですか?」
「ブルゴーニュ嬢との契約でな。力を頼った見返りに、今回は“何が起ころうと”俺が対処する予定になってる。だからトラブルメイカーズ、可能な限り大人しくしてろよ」
「力を頼った!? フラン様の!? 一体! フラン様に! 何をさせたというんですか!?」とうるさいロレッタ。
「あはは、ロレッタのお守りは大変だろうけど、頑張ってね」と他人事なアルフィー。
「ロレッタ、黙れ。アルフィー、お前もトラブルメイカーズの一員だぞ」
「「!?」」
ハルトの雑な切って捨て方に、宇宙の真理を目の当たりにした猫のような表情になる二人。ちらとハルトがブルゴーニュ嬢を見ると、感心したように目をパチクリとしていた。何だこの図。
「気を取り直して、よく聞け二人とも。今回の集まりの主旨は、知っての通りブルゴーニュ嬢の誘いを受けた俺たち三人が、ありがたくそれを受けて帰省の度にお供しよう、だ。それに当たって、友人宅で粗相するなよ、という注意喚起の役割を、今俺が担っている」
はえーという顔をするロレッタにハルトは一発デコピンを入れて「いたっ、何ですか! 私だってそこまで非常識じゃないですよ! いたっ!?」二発入れて、ハルトはさらに続ける。
「でだ。まぁ起こすなって言って起こさずにいられたら世話ないので起こす前提で話すが、「うぅ……ボクトラブルメイカーじゃないのに……」独断で迷宮潜ってボス部屋までたどり着くのは立派なトラブルメイカーだぞアルフィー。それで今回最も注意しなければならないのは、ブルゴーニュ嬢は完全に休暇の意識に切り替わってる点だ」
見ろ。とハルト、ブルゴーニュ嬢を手で指し示す。彼女はメイドに用意された紅茶を受け取って、我関せずの表情で啜っている。
「いつもなら補足の一つも入れてくれてそうなのに、今回はこの知らん顔っぷりだ。何かがあっても頼れないのは一目瞭然だろ? だから、何かあったらまず俺に報告しろ。ブルゴーニュ嬢に情報が行った時点で俺は社会的に死ぬ」
「えっ、ハルト君社会的に死ぬの?」
「死ぬ。契約不履行は許されない。だからこのことは肝に銘じてくれ」
「つまり、フラン様に報告できれば、ハルトを排除できるという事ですか?」
「ロレッタが直接ワタクシに何か言ってきた場合に限り、ワタクシはロレッタを見捨てる判断を下すわ」
「そっ、そそそそ、そんな~。ちょっ、ちょっとした冗談じゃないですかぁ~」
顔を蒼白にして目を左右に泳がせまくるロレッタ。一方ロレッタの発見を即座に潰してくれたブルゴーニュ嬢に、ハルトは感謝の頷きを一つ。これくらいはね、とばかりブルゴーニュ嬢は一度肩を竦めて、視線で先を促してきた。
「ま、といってもそのくらいだ。問題は俺のところに、ってだけで、一緒に帰省を楽しむ以上、遊びに誘うくらいは構わないよな?」
「それはもちろんよ。問題を持って行ってはならないからって、休暇の間腫れもの扱いされたら楽しむものも楽しめないもの」
「ということだから、その辺りは各位の判断に任せる。あとはまぁ、隠す努力と、ブルゴーニュ嬢側でも知らない努力をしてほしいくらいか」
「フラン様が穏やかに過ごしたいと仰るのであれば、このロレッタ全力を尽くさせていただきます!」
「ま、全校舞踏会では随分頑張ってくれてたしね。ここはボクらに任せてよ」
やる気に満ち溢れるトラブルメイカーズを見て、ブルゴーニュ嬢は早くも死んだ目をしている。それからとても作り物らしさを感じる笑みを作って、彼女はハルトにこう宣言した。
「ワタクシの知らない努力に関しては安心してくれていいわよ。メイドに耳栓を始めとした各種準備をさせているわ」
「ブルゴーニュ嬢が本気なのは謎の寂しさと頼もしさがあるな……。ともかく、そういうことになるので、よろしく頼むぞ」
「はい。かしこまりました」「承知したよ」「任せたからね、アレクトロ」
それぞれの返事を聞いて首肯を変えたところで、馬車が姿を現した。ブリタニア王家の家紋が入った、かなり豪華なそれだ。御者がこちらに一礼して、ブルゴーニュ嬢のメイドと軽くやり取りをしている。それから彼女は、こちらに向き直ってこう言った。
「では、こちら準備が整いましたので、皆様馬車にご搭乗くださいませ。一泊を要する長旅になりますが、どうかごゆるりとお寛ぎください」
言われて、まずブルゴーニュ嬢が「ほら、アルフィーから入るのよ」とせっつく。アルフィーは「あっ、そっか。今は対外的にそうだよね」とちらとハルトを見てから、一番に馬車に乗り込んだ。続いてブルゴーニュ嬢が続き、ロレッタが首を傾げながら乗り込み、最後にハルトが、という順番になる。
そして、馬車の狭い空間に四人が揃った。メイドは御者の隣に納まったらしく、馬車がゆっくりと動き出す。窓の外の景色が動き始めて、旅の始まりが実感として湧きあがる。
「レイの言った通りそこそこの長旅になるけれど、途中で適宜休憩も入れてもらう予定だから」
ブルゴーニュ嬢の言葉に、「じゃあ皆さん暇ですよね! 早速ですがトランプ用意してきましたので、これで遊びましょう!」とロレッタが食い気味に提案した。準備が良い。
「あら、ロレッタも用意してくれたの。なら、それを使わせてもらおうかしら」
ブルゴーニュ嬢も用意していたのだろうが、空気を読んでそっとしまい込んだようだった。そして、折り畳みの簡易テーブルを前にトランプの束が置かれる。
「さて、じゃあ何から始めますか? 安定の大富豪? 読み合いのひりつくポーカー? それともゲーム性の高いスピードにしますか?」
「ボクは大富豪かなぁ。運も上手さも程よいしね」
「俺も大富豪に一票だ。女性陣は?」
「ポーカーが一番得意なのだけれど……。ま、ワタクシが暴れてもみんなはつまらないでしょうしね」
「私は何でもいいですよ! では多数決で大富豪にしましょう」
それぞれが首肯するのを確認して、ロレッタはにっこりトランプを切り始めた。その際中、打って変わって低い声で「それで」と仄暗い笑みで尋ねてくる。
「みなさん、何を賭けますか? まさか賭けも何もない、つまらないトランプを想定していたわけじゃありませんよね?」
「っ?」「えっ、賭けるの?」
ハルトとアルフィー、それぞれが予期していなかった展開に困惑を示す。一方ブルゴーニュ嬢は「へぇ……? ロレッタ、あなた良い度胸しているのね」と底知れない笑みで嗤う。
「トランプを持たせれば、普通の平民程度を簡単に破産に追い込めるワタクシを相手に、賭け事を申し出るなんて……。それも、ふふ、アルフィーをも壇上に含めての提案とはね」
「ふぉおおお……!? フラン様が乗り気で、私嬉しいです! 二人はそれでいいですか?」
問われ、ハルトはアルフィーと一度目配せしあって「金とか、高価すぎないものなら、まぁ……」「じょ、冗談で済むような範囲でね?」と釘をさしての参加表明。「いいでしょう」とロレッタはご満悦げに頷き、こう宣言した。
「では第一回! 仲良し四人組、チキチキ大富豪大会! ~地位も名誉もクソ食らえ! 負けたら恥ずかしい過去のエピソードを大暴露~ の開催です!」
「ロレッタ? 待ちなさい? 一旦冷静になりましょう? ね? いい子だから」「確かに高価ではない……ぐ、お、俺からは異議の申し立てはできない」「あ、あの、ロレッタ。確かに冗談で済む範囲ではあるけど、それはちょっと……」
三人から寄せられた困惑に、ロレッタは珍しく嗜虐的な笑みを浮かべて、こう言った。
「アレ? 大貴族の皆様ともあろう方々が―――も・し・か・し・てぇ……ビビってらっしゃるぅ~~~~~~~?」
その煽りは、何と言うか、完璧だった。
何せ、全員の堪忍袋の緒を食いちぎったのだから。
「いいわ、受けて立ちましょう」
「上等だ。ほえ面かかせてやる」
「ロレッタ……。後悔、しないでね?」
ブルゴーニュ嬢は表情を失くしてただ瞳のみを剥いた。ハルトは思わず下町育ちで身につけたギャング流でメンチを切り、アルフィーはまるで天使のような微笑みの中に殺気を内包していた。
しかしロレッタは悠然と嗤う。
「ふふ、乗っていただけて嬉しいです。では、始めましょう。ひりつくマジのギャンブルを。名誉と運の殺し合いを」
そうして、地獄が始まった。ただの帰省の馬車の中で。特に誰も得しないと分かっていたのに。




