54話 悪役令嬢、断罪イベントも終えたので気が抜けてほぼアホになる
アルフィーの訓練場にて、剣戟の音が鳴っていた。
剣を振るうのはアルフィーとロレッタだ。アルフィーはハルトヴィン殿下から譲り受けたというデュランダルを鈍らにし(何でも宝剣デュランダルというだけあって命じれば形が変わるらしい)、ロレッタは氷のレイピアでの模擬戦だ。
特にロレッタなど、髪をいつかのようにポニーテールにまとめているほどの真剣さである。トロールの軍勢相手でも結んでいなかった人間とは思えない。
「すごいすごい! どこまでやっても付いてくるじゃないですか! じゃあこれはどうです!?」
「あはは。お手柔らかにね、ロレッタ」
ロレッタはすでに、ちょっと常人離れした動きで四方八方からアルフィーへと氷の弾丸や剣先を突き出している。それに対するアルフィーは何だか楽しそうに笑いながらグルグル回転していた。
まるっきり常人のフランからすれば、二人はとっくに目で追える速度ではない。
「平和ね~……」
「何か疲れ切ってお婆ちゃんみたいな肝の据わり方してないかブルゴーニュ嬢」
「そんなことないわ~……」
「あ、うん。その、何だ。ゆっくり休んでくれ。そういう契約だったしな」
横に座るハルトヴィン殿下からのお言葉に、フランはコクコク頷いてぼんやり二人の模擬戦を眺め続けた。思い出したようにメイドのレイが広げてくれたお茶菓子を摘まみ、紅茶に口を付け、またぼんやりと肩の力を抜く。
「平和ね~……」
「ロレッター! アルフィー! ブルゴーニュ嬢がおかしくなったー!」
「おかしくはなってないわよ失礼な」
流石にむっとして言い返す。何だ何だ、とばかり近づいてきた二人を、「悪い俺の勘違いだ。続けてくれ」とハルトヴィン殿下は追い返した。
「まったく。いいじゃない偶にはのんびりと頭の中空っぽにしても。こういう何もない時間が大事なのよ、特に頭を使う生き方をしているならね。アレクトロも色々考えるタイプなんだし、こう言う息抜きくらい覚えなさいな」
「お、おう。何と言うか、今までのブルゴーニュ嬢とのイメージとはまるっきり違ってて、その、混乱がな」
「……そうね。ま、お互いこれだけ色々あったんだもの。少しくらい気を許してしまうのも普通のことじゃないかしら?」
「それもそうか」
わざとらしくハルトヴィン殿下は肩を竦め、それからフランのように力を抜いて壁に寄りかかった。アルフィーの入り浸っている訓練場。ここに全員で集まれるのは、ある意味学園での厄介ごとを全て片付けられた証拠のようなもの。
「とはいえ、面倒ごとのすべてが片付いたわけじゃないだがな」
「もうその話するの……? 少しは休ませてほしいわ」
と言いつつも、仕方のないことか、という思いがフランにはあった。「そう言うなよ」という殿下の脳裏に浮かんでいるのは、きっとオルドジシュカのこと。
「―――結局、オルドジシュカは尻尾も掴ませてくれなかったわね」
「ああ。本当驚かされた。まさか迷宮の主に支配されてたあの状態の方が、ディー自身よりも弱いとはな」
おかげで隙を突かれて見事逃げおおせられた。とハルトヴィン殿下は頭を掻く。
本当に演技の上手い子だったわ。とフランも同感だ。まったくいくら仮面をつけかえれば気が済むのだろう。
フランには慇懃無礼な下級貴族の顔、ロレッタには親友の顔を見せて近づき、アルフィーには意図の読み切れない交渉人として接近し、ハルトヴィン殿下には狂気めいた愛を囁いた。
「ま、勝ったのはワタクシよ。オルドジシュカは負けてないなんて言ってたけど、アレは世間一般で言うところの敗走というものなのだから」
「嬉しそうに言うよなまったく。俺は身内同士の食い合いなんざみたくなかった」
「お蔭で余計な被害は出なかったじゃない」
「それはそうだが……」
注文通り捕獲、とまでは行かないが、少なくとも学園内にオルドジシュカの学籍はもう残っていない。真っ白なひげを蓄えた学園長は「いやはや、フランソワーズ様も今代の傑物に一杯食わされましたな」と笑っていたが。
「ヴァネッサ嬢、結局どうなったんだ?」
ハルトヴィン殿下の質問に、フランはこう答える。
「あの後異端審問会を利用した罪で、王都で改めて裁判にかけられるそうよ。今は実家の方で軟禁状態。けど、オルドジシュカの件が半ば立証されたのもあって情状酌量の余地はあるんじゃないかしら? それがいい方向悪い方向のどちらに転ぶかは分からないけれどね」
「うっわ。後々に響きそうだな」
「そうね。ま、これで良かったのよ。ワタクシ、ヴァネッサのこと嫌いだけど、憎んでいる訳じゃないもの」
喧嘩仲間のようなものだ。居るとうざったいが、居なくなるとそれはそれで寂しい存在。だから、元気になって戻ってきて悪態をついてくれれば、フランも気兼ねなく毒を吐き返せるというもの。
「そうかい。じゃ、悲惨なことにならずに済んでおめでとう、っていうべきなのか?」
「いいえ、とどめをさせなくて残念だったわね、というところよ」
「ははは、何でだよ」
わっかんねー、と言ってハルトヴィン殿下はカラカラ笑う。殿下のこんな気の抜けた笑い声を聞いたのは初めてで、行動を共にするっていうのはこう言う事よね、とフランは一人納得した。
それから、「いくらか聞きたいことがある」とハルトヴィン殿下は視線を向けてくる。
「アルフィーの目の前から姿をくらましたのは何だったんだ?」
「ああ、敵を騙すには味方からっていうでしょう? ヴァネッサはともかく、オルドジシュカにボロを出させようとして考えた結果ああなったのよ。呪術師は一般人の演技を見抜くくらい余裕だから」
「ってーと、ブルゴーニュ嬢がディーに捕まったのは」
「もちろん茶番よ。実際に異端審問会に拉致同然にさらわれたけれど、それそのものは打ち合わせ通りだったもの。それで満を持して、打ち合わせ通りヴァネッサの前に出てきたの」
「恐ろしいこと考えるなぁ……にしたって、アルフィーの憔悴ぶりったらなかったぞ。謝っとけよ」
「とっくに謝ったわ。アルフィーのむくれる顔なんて久しぶりに見ちゃった。ああいう表情も何て言うかこう」「まさかこの流れで惚気ようだなんて思ってないだろうな……」
魂胆が見透かされ、そっと視線をハルトヴィン殿下から遠ざける。
「ちなみにそれで言えば、アルフィーに異端審問会の場所を探させたのは何だったんだ?口裏合わせてるなら要らないだろ」
「集合場所を決めるって段階で、相手側の手紙の様子がちょっとおかしくなったのよね。オルドジシュカ関連か分からないけど、素直に文通できる状況じゃなくなったの。だからワタクシは異端審問会に『いいから自国の王子を信じなさい』って」
「ブリタニアって人死にとかは珍しくても闇そのものは深いよな……」
ハルトヴィン殿下苦い顔で声を絞り出す。フランは肩を竦めて、「これでも帝国に次いで大きな国なのよ。バロン王国と一緒くたにされがちだけど、神魔大戦を乗り切れるだけの切り札は抱えているの」と返した。
「アルフィーと言えば」
殿下がそう切り出したのに、フランは「ええ」と相槌を打つ。
「オルドジシュカが言ったっていう、後見人の件でしょう?」
「率直に聞きたい。どう思う? ディーがそれで満足するって言うんなら、俺は特に構わないんだが」
「ワタクシとしても、アルフィーが王位継承で有利になるだけのような気もするし、そこまで忌避感はないんだけど……」
話し合いながら、お互いに言葉が詰まる。
「不安だよな。俺は意図が読み切れない今はすべきではないと思う」
「ワタクシもそう思うわ。呪術師の言う事なんて基本無視した方がいいのよ。特に味方でもない限りね」
そこで無言でハルトヴィン殿下が見つめてきたから「何よ」とフランは見つめ返す。
「呪術師ってさ、結局何なんだ? 身内の呪術師連中に聞くとさ、全員が全員悪く言うからよく分かんねぇんだよな」
「お父様は、人間一人一人をチェスの駒とするならそのプレイヤーだって言ったわ。ワタクシはそうね、今回やったのは決め打ちした一人だけを殺す流行病の病原体製作ってところかしら」
「……怖いから何やったのか聞かないでおく」
「ふふ、それが賢明ね」
そこまで話したところで、「ぐぎゃー!」「わーッ!」とアルフィー、ロレッタが訓練場の中心で激突し吹っ飛んだ。改めて目をやると訓練場の地面全部が凍り付いてるわ、その全てが大きく裂かれているわで、ほとんど怪物が暴れまわったような状態になっている。
「ロレッタ!? アルフィー!?」
ハルトヴィン殿下が慌てたような声を上げて立ち上がり、跳び上がって飛んできたロレッタを受け止めた。それを地面に寝かせた直後アルフィーへと駆け寄って「おい! 大丈夫か! こんな体温で寝たら死ぬぞ!」と抱きかかえてこちらに声をかける。
「すまんブルゴーニュ嬢! アルフィーがちょっと低体温症になりつつあるから、魔法特進クラスの医務室に連れていく!」
「えぇ!? そんなに激しい戦いだったの今!?」
問い返すが早いか、すでにハルトヴィン殿下は駆け足で遠ざかっていってしまっていた。ジロ、とロレッタを見やるとバツの悪そうな顔で「えと、その、どんな攻撃も全部対処されるのが面白くて、温度管理をですね、その……」と目を泳がせる。
「……まぁいいわ。怪我はないんでしょう?」
「はい。というか、アルフィーに怪我を負わせることは多分私には無理です」
フラン、静かに返す言葉を失う。様々なところで英雄だのなんだのと言われるロレッタにここまで言わせるのね、とアルフィーが何だか遠くに行ってしまうような気持だ。
「まったく、久しぶりにやんちゃ出来るからって言っても、ほどほどになさい? アルフィーは確かに親しみやすいけれど、だからと言って加減もなしに戦っていい相手じゃないのは分かるでしょう?」
「はい……。うーん、体に精神が引っ張られているって奴なんでしょうか。前世でもスポーツ自体は好きでしたけどここまでではなかったですし。肉体年齢的な面が関わっているとか……?」
「何ぶつぶつ言ってるの」
「いえ! 何でもありません、マム!」
「誰がお母さんよ」
ポニーテールが揺れるほどの勢いで背筋を正して答えるロレッタに、フランは半笑いで溜息を落とした。このすっとぼけた応答にも慣れたものよね、としみじみ思う。
そこで、ロレッタがフランに視線を送りながら、何やらもじもじしているのに気づいた。お花摘みを我慢している子供みたいね、と思いながら「言いたいことがあるなら言いなさい」と急かしてやる。
「はっ、はい! その、最近色々忙しかったようなので言わないで置いたんですが、何でもフラン様からお聞かせ願える権利、というのは、まだ有効でしょうか……?」
「……あー、あったわねそんなのも」
忙しくて忘れていたが、出来れば忘れていたい用件だった。とはいえ約束は約束だし、ロレッタの手綱を手放すつもりもない。「あんまり変なことは聞かないでくれると助かるわ」とフランは早速聞き出すことにした。
「で、ではその! ふ、フラン様ともっと仲良くなるには、どうしたらいいでしょうか?」
「……うん?」
「でっ、ですから、その、……何でもないです」
「あ、いえ、別に責めている訳ではないのだけれどね」
何だか小さな子から告白を受けているような気持になったフランである。
とはいえロレッタは顔を真っ赤にして唇を隠し俯いているあたり、相当の勇気を振り絞っての発言だったようだ。確かにロレッタ、女の子の友達少ないしね、とハルトヴィン殿下からの報告も加味して判断する。だが、帰省先にまで連れていくのにこれ以上も何も――
あ。
「そういえば、忙しくて言うのも聞くのも忘れていたわ」
「はい……?」
赤面しながら上目遣いしてくるロレッタに、同性ながら少しグッとくるものがあったフラン、様々な意味で恐ろしいと思いながら続ける。
「ロレッタ、これから夏季休暇だけれど、あなたどうするの? 帰省するにも、フロストバード領は馬車でも数週間掛けていくような場所でしょう?」
「はい。ですので冬期休暇だけ帰省して、夏季休暇はせっかくの夏ですし学内で過ごそうかと思っていました」
どうせ領地は凍ってるので、というロレッタに、過酷な環境よねぇ……と内心引きながらフランは続ける。
「そうよね。で、提案なのだけれど、あなたブルゴーニュ公爵領に来る気はない? っていうのは、いつもアルフィーを連れて帰省しているから、あなたもついでにどう? という提案なのだけれど」
「!?」
ロレッタは跳び上がって「あわ、あわわわわ」と両手を震わせてから深呼吸する。
「そ、そそそ、それは、フラン様とアルフィーの百合に、私も混ざっていいという事でしょうか……?」
「ロレッタの言う百合が何を指しているのか分からないけれど、ひとまずこの提案はロレッタの質問に適うんじゃないかしら」
「ッ! ぜひ連れていってください!」
「そ、よかったわ」
ロレッタが満面の笑みでしきりに拳を握るのを見て、これでしばらく楽できそうね、とフランはほくそ笑んだ。
これでひとまず、夏季休暇においてフランは完全に解放されたといっていいだろう。愛しいアルフィーと共に帰省し、ロレッタという問題児も手の届く範囲で管理しつつ、面倒ごとは全てハルトヴィン殿下が何とかするという契約も交わしている。
要するに、フラン、数カ月ぶりの完全な休みである。それを思うと解放感で多少頭が弱くなってしまっても仕方がないだろう。本当に幸せ。
と、その辺りで夏のギラギラした日差しがロレッタの氷を溶かし始めていることに気付く。むわっとした湿気に立ち上がり、言った。
「ロレッタ、そろそろ行きましょう。日陰とはいえ、あまり汗をかきたくないもの」
「はい。アルフィーたちが帰ってきたらどうしましょう」
「氷でメッセージでも残しておきなさい。そうね、『サロンの中で涼んでいます』とでも」
「分かりました」
瞬時に凍り付く緻密な訓練場のメッセージを確認して、フランたちは訓練場を後にした。どこかはしゃいで歩くロレッタを見ていると、何だか小さかった頃の記憶を思い出す。
そんな時だからだろうか、ロレッタの髪をまとめるリボンが黒であることに気付いて、フランはしばし動きを止めた。
「? フラン様、どうかされました?」
「……いえ、何でもないわ」
再び歩き始めながら、フランは想う。この手で処断した古くからの幼馴染のことを。二度と会えないと覚悟しながら結局完全に追放しきらずに済んだ、あの嗜虐趣味の才女のことを。
「二度としたくないと思っていたことをさせないでくれて、ありがとうね、ロレッタ」
「? 今何かおっしゃいましたか?」
「いいえ、何も言ってないわ。ほら、行くわよ」
フランの言葉は、夏の木々の騒がしさの中に吸い込まれていった。日差しの眩しさに辟易したフランは、メイドのレイに日傘を差させ、ロレッタと他愛のない会話を交わしながら進んでいく。




