51話 凡人皇太子、着々と童貞美少女に攻略されつつある
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ダンスホールに踏み入れると、様々な生徒たちがハルトたちに注目したのが分かった。
「……この手の注目は慣れたものとはいえ、気持ちのいいもんではないな」
ハルト、口の中でそう呟いてから、エスコートするロレッタの表情を見る。しかし対照的というべきか、ロレッタは突き刺さる視線の数々を微笑みで受け止めていた。
「いいですね。ちょっと棘のある感じがビリビリ来ちゃいます。この中で踊れるとなるとちょっとワクワクしますね」
「お前の精神性何なの? 鋼?」
とはいえヤジでも何でもまったく声をかけてくる人間が居ないというのは、やはりブルゴーニュ嬢が狙った通りなのだろう。
上級・下級貴族クラスは政治性の高い人種の集まりだ。その為噂の収集などにある程度気を払うし、その意味でロレッタにまつわる騒動を知らない者は居ない。
だからこそ、その付き添いを務めるハルトがまったく知らない相手であるからには、下手に干渉することもなく見物に回るしかない。一方ハルトのクラスメイトたちもロレッタを知らないために、人垣の奥でビビり散らかして近づけない様子が見え隠れだ。
ハルトがちらと見ているのに気づいたのか、唇だけで『ダ・レ・ダ・ソ・ノ・ビ・ジ・ン! ア・ト・デ・ショ・ウ・カ・イ・シ・ロ!』と伝えてくる。嫌だね、とハルトはこっそり舌を出した。
「さってと……。ひとまずこの組み合わせで『易々と話しかけられない』っていう名目は果たせてそうだな。続いてはアルフィーたちが動きやすいように人目を惹くことだが」
「今は十分ですけど、音楽が始まったら本気にならないとですね。ダンス中は踊らない人間には注意は向きません。私たちに求められてるのは、闇に蠢きフラン様を邪魔するヴァネッサちゃん陣営の動きすら魅了して止めてしまう事ですし」
「え? そこまで求められてんの俺たち?」
初耳である。ハルト的には長時間注目を集め、アルフィーたちが動きやすければいいくらいだと思っていた。
だがロレッタはやる気満々らしく、「とはいえこれは私の定める最低ラインにすぎません。目標は――」と握りこぶしを作って言う。
「フラン様さえ思わず見とれてしまうような、神がかったダンスをお届けすること!」
「実はお前ブルゴーニュ嬢の敵だったりしないだろうな?」
まさかの裏切り者疑惑にハルトの胸中はざわめきだした。獅子身中の虫のエスコートを務めてしまったかもしれない。
「じょっ、冗談ですよ? 気持ち的にそのくらいの情熱をこめて踊るという事です」
「ロレッタなら出来そうなところが恐いんだが」
と、何となくダンスホール内を順繰り歩きながら会話を交わす。特に腹が減っている訳でもなし、ダンスホールの隅に設置された料理の近辺には近寄らない二人だ。
さて、そうしていると音楽隊が入場してきて、中央にライトアップが集中し出す。踊りたい面々は、この光の中に入って踊りなさいという訳だ。
踊らない生徒たちは光の中から静かに出ていき、逆に踊るつもりの生徒たちは男女のペアを組んで進み出る。音楽がそっと静かに流れだし、それぞれがそれぞれの感覚に従ってゆっくりとリズムに乗り始める。
「いいですね。混ざりましょう」
「ん、いくか」
ハルトとロレッタは、そっと歩調を合わせながら光の中に身を投じた。ざわめきが走る。それは、噂の渦中の人間でありながら堂々と踊ることへの驚きか。
最初はゆったりとしたムードの曲で、どことなくブリタニアっぽいな、という印象だった。ハルトも皇太子任命以来の教育の一環でほどほどに踊れはするが、聞いたこともない曲への合わせ方は詳しく知らない。
が、それ以上にロレッタの動きがハルトを補助していて、ちょっと驚いてしまうくらい楽だった。社交ダンスというのは女性を男性がリードする場面が多い。にもかかわらず、ロレッタの踊りはほとんどハルトに負担をかけないのだ。
「ロレッタ、お前どのくらい踊れるんだ?」
「この容姿に恥ずかしくないくらい、ですかね」
それ世界レベルの言いかえですらあるんだがその自覚あっての発言だろうか。あるかもしれない。確かにハルトのダンス教師との練習以上に動きがなめらかだった。
こいつ本当にいろいろできるよなぁ、などなどハルトはダンスに興じながら考える。天才、という言葉がふさわしい人物だ。そしておそらく、どれか一つの道を究めれば容易に英雄に至るだけの華やかさがある。
時代に選ばれた者。帝国でのハルトの周囲と変わり映えのしない、英雄の資質の持ち主。
だがそれで、何故こいつと接するのは受ける印象が違うのだろう。一体何が違うのか。それを漠然と掴もうと考えながら踊っていた時だった。
「ハルトの踊り方、癖がないですね」
「……んっ?」
何を言ったのかに一拍、内容の意味に一拍、その含みに一拍。合計三拍ほどの考える時間の後に、ハルトは返す。
「面白みがないって?」
「いえ、それもまぁそうなんですけど、面白いなって」
「面白いのか面白くないのかどっちなんだ」
「んー、観客として見て楽しむ分には面白くなくて、表現者として見て観察する分には面白いんですよハルト」
「俺は何だ? 褒められながら貶されてるのか?」
「褒めてもないですし貶してもないですよ。ただ、どんな人生を歩んできたのかちょっと興味は湧きました」
「……」
ハルトは少しの間黙って、それからこう返す。
「俺のこと知らないなら、知らないままでいてくれると助かる」
ロレッタはその返答に、首を傾げて怪訝な目を向けてくる。だが、ハルトの表情を見てその色が抜けた。リズムに乗せて踊りながら、ため息を吐く。
「分かりました、無理に知ろうとはしません。だから、そんな顔止めてください。ダンス中ですよ」
ハルトは相槌も打たず、ロレッタに合わせてそっと踊りを続けた。ゆったりとした音楽は次第に終局へと向かい、静かに終わりを迎える。
ひとまず、一曲目に関しては『噂のロレッタが大胆にも踊りに参加する』という一点で注目を掻っ攫えたらしい。突き刺さる注目とさざめき声がとても嫌だった。ハルトは渋面で皇太子任命直後のパーティーのことを思い出す。アレも大概地獄だったが。
「さぁて、いい感じに体もあったまってきましたし、どうしましょうかね」
他方ニンマリしながら次のダンスへの構想を練るロレッタは、現状を最大限に楽しんでいるらしい。この精神性は本当にすげぇよな、と思っていたところで、思わぬ声がかかった。
「やぁやぁ! これはこれは、噂のお二人がよくもまぁダンスで目立とうなどと考えたものだ!」
嫌みな物言いに聞き覚えがあって、嫌な顔で振り向くと嫌な顔がそこにあった。ブルゴーニュ嬢が名を呼んでいたが、何と言ったか、確かそう……。
「ヨーデル、とか言ったな」
「おや! 私を知っているとは殊勝な心掛けだ。だが私を差し置いて生徒会入りを果たした無礼はその程度では許せんな! しかもそんな美しいお嬢さんを連れておいて」
そこまで言ったところで、「ヨーデル様ぁ!」と甘ったれた声をヨーデルのパートナーが上げた。
「ヨーデル様の恋人は私でしょう? こんなぶ、すとは決して言えないけど、厚化粧……もしてないけど、こんな女より私を見てくださいよぅ!」
そしてあからさまに嫉妬されながらも悪口を言いきらせないロレッタの美貌は何と言うか神がかり的なものを感じてしまう。しかもロレッタ自身はこの甘ったれた女を見てひどくにこやかだ。何で笑っていられるのだろうか。本気で謎である。
「まぁまぁ、そう言わないでおくれ、マイハニー」うわ。「だが、ナマイキだと思ったのは君もだろう? 何せ、ダンスコンペティションで毎年最優秀賞を取り続けてきた私たちよりも目立っているのだから」
そんなのがあるのか、とハルトは半分興味を失いながら思う。アレクサンドル帝学院ではそういった教養分野はサロンくらいでしかやれなかったなぁと。
それより他の連中に話しかけられる前に会話を終わらせ、早いところ近寄りがたさみたいな雰囲気を回復しなければならない、という焦りがある。
「そんな訳で、勝負だ! ハルト・アレクトロ! 君のようなパッとしない人間に、噂の渦中でもあるコールドマン男爵令嬢は相応しくない! 私とのダンス勝負に負けたら、次からは男爵令嬢のダンス相手は私が受けようではないか」
「「……は?」」
ロレッタと声が重なる。何言ってだこいつ。
「勝負は無論ダンス勝負! より多くの衆目を集めた方の勝利だ! ま、君に負ける未来は想像もつかないがね! ハッハッハ!」
「ちょっ、ヨーデル様!? 今夜は私とだけ踊ってくださるという約束だったではないですかぁ!」
「ああ、約束を破る私を許しておくれ。しかしこのような身の程知らずに、この美しいご令嬢を預けておくわけには行かないんだ。そのことを理解して欲しい」
「でもぉ……!」
食い下がるパートナー。それを大胆にも、ヨーデルはキスによって黙らせた。
周囲で黄色い歓声が上がる。その光景を眼前にしたハルトは、本気で何をやってるんだこいつ、とドン引きだ。しかしヨーデルのパートナーはそれでトロンとまぶたを蕩けさせて「理解してくれるね?」というヨーデルの甘い言葉に「はぁい」と答えた。
「では後ほど会おう! ハルト・アレクトロは覚悟の準備をしておけ? そしてコールドマン男爵令嬢、あ、あなたと踊れることを楽しみにしていますよ!」
ロレッタに対してのみちょっとどもりつつ、ヨーデルたちは遠ざかっていった。何だったんだ……、と思うのもつかの間、強めに手を引かれ、ロレッタの方を向く。
そこには、怒れる氷の妖精が立っていた。
吊り上がる眼、わなわなと震える唇。ロレッタの恐ろしいところは、そうやって怒りに震えていてなお可憐というところか。
「許せません。絶対に勝ちましょう」
「お、おう。というか負けたら任務続行できないしな」
「いいえ、そんなこと些事です」嘘だろおい。
「あの若造……! 何ですか、何なんですか!? あんな愛らしいパートナーが居るにもかかわらず! 他の女の子に目移り!? しかもその文句をきききききき、キッスで黙らせる!?」何でキスの言い方だけキモイんだ?「許せる訳がありません!」
「……そうだな?」
ハルト、確かにうわっと思ったが、それ以上の興味のなさに曖昧な返事を返す。とはいえ、ダンス勝負など想定外にも程があった。何でこんなことになったんだあのヨーデルとかいうアホの所為かそうか。
……毎度記憶消してるはずなのに、何でこうも絡まれるのか不思議でならない。
そんな訳でダンス勝負となったらしい。ハルトは首を傾げながらも、次の音楽が始まるまでロレッタと作戦会議をせねばならなくなった。
「んで、どうするんだ? 相手の実力は高いんだか低いんだか分からんが、少なくとも俺の技量はさっきの通りだぞ」
「そうですね……ハルトの悪目立ちすらしないダンスだけでは、人目を惹くのはとても難しいでしょう」
「悪かったな悪目立ちも出来ないで」
目立たないことをこそ至上として振る舞ってきて目立ってきた身としては、目立つやり方など考えたこともなかったのだ。というか今でも十分に目立ちすぎているのでそろそろ一人になりたいハルトである。
が、ロレッタ、「いえ、ディスったわけじゃないんです。今回の場合は、その無個性さも活かせるんじゃないかなって思って」と純白の長髪を耳にかける。
「そうですね……、ちょっと見えてきました。方向性としては、ロレッタの引き立て役として最大限頑張ってもらいましょうか。ロレッタはこれ以上ない容姿での華やかさがあるので、ハルトが目立たなければ目立たないほどに映えます」
「……それ、いいな。目立たずに役割を果たせるってのは」
注目を集めるという役割でありながら、今後の生活に影響が及ばないのはとてもいい。しかしロレッタは、「ただ」と言った。
「そうするにはちょっとばかりハルトには険があるんですよね。疲れているというか、警戒心が取れないというか。どうにかなりません?」
ハルトは、口を閉ざした。それから、「俺には無理だ」と首を振る。「渋い顔しますね」と言われたから、「お前がこんなどうでもいいところで核心を突きすぎるんだ」と返した。
「ま、いいです。ハルトに出来ないなら、私がやります」
「は?」
言うが早いか、ハルトの両目を嫋やかなロレッタの手が覆った。照れてハルトが離れようとするのを、「ダメです。動かないでください」と固定される。
そして、視界を小さな闇が包んだ。何だこれは、と思いながら「いいですか?」とことさらゆっくりになったロレッタの声を聞く。
「ハルトは今、闇の中に居ます。暗いくらい闇の中です。力が抜け、立っていることしかできません。それ以外の何も、闇はハルトに許していません」
「……催眠術の類か? その文言はむしろ体が強張ると思うんだが」
「その中で、ハルトは少し苦しくなってきます。呼吸が、早くなります。吸って、吐いて。それが、一テンポずつ短くなります」
ロレッタが、ハルトに聞こえるように呼吸する。それに、無意識にハルトは合わせていた。次第に呼吸は早くなる。走っても居ないのに、何だか無暗に苦しくなる。
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ。あなたの辛かった出来事が、背後から迫っています。いまだ拭いきれない後悔が、あなたの奥底からあふれ出してきます。あなたの体は熱くなり、そして寒くなります」
過呼吸が、全てを狂わせていく。かつて助けられなかった友人の記憶が、自分が無力でなければどうにかなった過去が想起されて、汗がにじみ、震えるような気持になる。
そこで、パッと視界が晴れた。視線の先で、真っ白な天使が微笑んでいた。
「でも、大丈夫です。私が居ますから」
苦しさが遠のいて、呼吸が落ち着いてくる。ハルトは何度かまばたきをして、ロレッタのことをじっと見つめた。
「うん、いい感じに険が取れましたね。踊るときはリラックス。楽しく踊りましょう。多くは望みません。ただ、ロレッタと踊ることを精いっぱい楽しんでください」
「……今の、何だ?」
「え? ちょっとしたおまじないですけど」
ハルト、その言葉をかみ砕くのに十秒近い時間を要した。それから、キツめに言い含める。
「そうか、二度とするなよ」
「えっ」
音楽が始まる。ハルトは頭を激しく掻いて、「ちょっとした洗脳だろこれ……」と胸の中で起こる安心感に愚痴を吐いた。しかし天使は素知らぬ顔で「この歌は知ってますか?」と尋ねてくる。
「……知ってる曲だ。母さんが良く歌ってた。帝国でも定番で、踊りもある程度分かる」
「じゃあ、無難に、ですが楽しい気持ちを全身で表現してください。私は、そうですね。楽しい曲なので」
複数の種類の笑みをロレッタは浮かべ、そして「これですかね」とにっかり笑った。いつもよりも天真爛漫で、無邪気な笑み。朗らかな調子で「ではエスコートお願いしますよ」と両手を握ってくる。
「仕方ねぇな。任せろ」
その笑みを受けて、ハルトも自然と笑みになってしまった。そして、音に乗って踊り出す。何だか全身から強張りが抜けて、ただ体をロレッタと共に動かすのが楽しかった。跳ね、回り、ロレッタの誘導に従って彼女を高く持ち上げたりする。
そうしながら、ふと気づくのだ。舞踏会の踊りで楽しいなんて感じたのは、もしかして初めてなのではないだろうかと。
踊りの流れで、ロレッタの笑顔がはじけるのを目の当たりにする。まるで雪解けの中で咲く花のように、瑞々しくて、愛らしくて、華やかで。
踊りながら、ハルトは言う。
「ロレッタ、ダンスってこんな楽しかったんだな」
ロレッタは、満面の笑みで答えた。
「ハルトは馬鹿ですね、そんなことも知らなかったんですか?」
仕方ないだろう、とハルトは思う。舞踏会とはトラブルの集まるハルトの忌避すべき場面の内の一つ。可能な限り出たくないし、出るにしても極力息を殺す。だから、目立つようなダンスなんて真っ先に避けてきたのだ。みんな何が楽しくて踊るのだろうと考えていた。
だが、違った。何かダンスと遠い場所に楽しみがあるのではない。踊ることそのものがこんなにも楽しかったのだ。
だから、ハルトはこう返事した。
「ああ、馬鹿だった。なぁ、ロレッタ。俺さ、いろいろ経験してきたけど楽しいことって全然知らないんだ。だからさ、今度教えてくれないか?」
「何ですかそのヒロインみたいな発言。男なら楽しいことの一つや二つ、自分で発掘してくださいよ」
「頼むって。ダンスだってこんな楽しいと思ってなかったんだ。その代わり、何かロレッタが困ったことがあれば手伝うからさ」
「仕方ないですね……。ま、ハルトはモテるようですし? その辺りの秘訣を教えてくれるなら考えてあげないこともないですよ」
モテる……? と言われて首を傾げる。ロレッタは女性である以上男にモテるという事なのだろうが、ハルト自身は男にモテるとは言い難い。いや、それなりに友人なり臣下なりは居るのだが。
それで、察した。そういえばロレッタの暗殺をもくろんでいたディーとのやり取りであれだけ喜んでいたロレッタである。恐らく友人関係のことを指しているのだろう。
これだけ楽しい事を知っているくせに友達が少ないのも変な話だな、と思ったが、ハルトは「分かった。よく分からんが、任せとけ」と返す。
それから二人は、音楽が終わるまで全力でダンスを楽しんだ。勝負のことなんて忘れて、音楽に乗る喜びを全身で堪能していた。




