48話 主人公四人、作戦会議
ハルトヴィン殿下から受け取った紙片は、今までヴァネッサがロレッタに行ってきた、あるいは行おうとしてきた嫌がらせの羅列だった。
非常に重要な情報だ。ロレッタの制御にも使えるし、ヴァネッサの軌跡を辿るのにこれ以上のものはない。だが――
「残念だけれど、これは使えないわ」
フランの結論は、こうだった。
それに反応したのは、ハルトヴィン殿下ではなくアルフィーだった。「そうなの? 結構苦労して取ってきたんだけど」と食い下がってくる。
「ええ、残念ながら、ね。っていうのは、ヴァネッサってワタクシと同じ公爵令嬢だから、まずこの証拠を忍び込んで入手したって時点でこちらの弱点になる。じゃあこのメモに従って証拠を集めれば、と思っても多分痕跡は残ってないわ」
貴族社会は身分社会だ。そして公爵家は、元を辿れば王家の血筋だ。その意味では王族に限りなく近い以上、裁かれる対象であるとは言い難い。
その公爵家の人間を潰すことを考えるならば、非合法的な方法は決して行えないのだ。少しでも弱みを見せればそこから逆転勝ちされる。下級貴族をいたぶるよりも、上級貴族に盗みを働く方がよほどの罪であるが故に。
そしてヴァネッサは、その辺りの感覚が非常に鋭い人物だった。だから明確な弱みというものを残さず的確に相手を潰してしまえる。そして傍からすれば身ぎれいなままで居るのだから、厄介極まりないのだ。
「ヴァネッサってね、ある種の天才なのよ。何か碌でもないことをしていることは確実なのに、身分という盾と証拠の抹消を徹底するから弱みが残らない。感覚で自分がやって許されること、許されないことを、全て理解しているの」
アレクトロ、あなたご兄弟の告発はどうやったの? とフランは問う。
「ああ、あれは確か、俺を狙ってきた暗殺者を尋問して本拠地に乗り込んで、そこで見つけた公的な指示書みたいなのを裁判所に提出したな」
「ヴァネッサがやってることは、アレクトロに何か罪を着せて、暗殺者ではなく警察を動かし、しかも公的な指示書を残さない、みたいなことよ」
「え、詰みじゃん」
「そ。普通に相対しようものなら必ず負けるのよ。少なくとも、ヴァネッサは自分が負ける可能性のある勝負は絶対にしかけてこないわ。だからアレだけ派手にやっても君臨していられるの」
公爵家、とは名ばかりのこの学園の女王のようなものだ。どうしたものかしらね、とどん詰まりの空気を誤魔化すために、フランは紅茶を啜る。
長引く会議に、紅茶はすっかり冷めてしまっていた。フランは口をへの字にしてカップを置き、小さなため息を吐く。
「だから、みんなの意見を仰ぎたいの。あの性悪女の牙城をどうやって崩せばいいのかが、ワタクシ一人では思いつかないから」
言われて、それぞれが難しい顔だ。ロレッタなどずっと黙り込んで、何かを考え続けている。いつもうるさいこの子が静かなのも不気味ね、と思わないではないが、こう見えてかなり鋭い思考回路を有しているのも事実だ。
せっかく考え込んでいるのだから、邪魔しないでおきましょう。とフランは「アルフィー、何か無いかしらね」と軽い調子で尋ねてみる。
「うーん。難しい話だなぁ。少しそのメモ見せてもらっていい?」
はい、と渡すと、アルフィーはそのメモを目で追い始めた。それからすこし笑って「ヴァネッサもロレッタには手を焼いてたみたいだね」と言う。
「そうね。様々な意味で手を出しにくい子だから」
からかうような目で見ても、しきりに思案しているあたり凄い集中力だ。それからアルフィーに視線を向けなおすと、「ん、でも……」とさらに深い分析をし始める。
「ヴァネッサ、今は結構油断してるんじゃない? このメモを書いてた時は結構切羽詰まってたみたいだけど、魔女告発の案はかなり起死回生と言うか、すっかり勝った気でいるんじゃないかな。隙を突くにはいいタイミングかもしれない」
「筆跡を見たの? アルフィー」
「え、うん。あとは、そうだね」
何度か文章を読み返しながら、アルフィーは吟味する。
「このメモ、追い詰める手法の羅列は初期に書かれてて、その取り消し線とかは後から付け足しで書かれてるんだけど、そういうのを追ってく限りフラン自体への執着みたいなのは少しずつ薄れて言ってる印象があるかな」
「そういえば書斎でディーと相談してた時も、ブルゴーニュ嬢はさておいてロレッタを潰すことを主眼に置く、みたいなこと言ってたな」
というかこのメモだけでよくそこまで分かるな、と感心顔のハルトヴィン殿下だ。「そうでしょう? アルフィーはすごいんだから」と誇ると「何でブルゴーニュ嬢が自慢するんだ?」と首を傾げられてしまった。少し恥ずかしい。アルフィーもニヤニヤしながらこっちを見るんじゃないの。
「ご、ゴホン! となると、ワタクシが主体となって反撃に動くのが良さそうね。実際、ヴァネッサが唯一ワタクシに敵わないところって情報収集能力だし、その意味では裏をかけるかもしれないわ」
「そうなんですか?」
今まで黙っていたロレッタが食いついてきて、フランはちょっと驚いてしまう。が、ここは共有しておくべきね、と考え「そうよ」と頷いた。
「ワタクシは基本的にオイタのすぎる子以外には寛容だし、費用をサロン持ちでお茶会だの食事会だのよく開くから、結構上級下級問わずツテがあるのよ。やっていることがやっていることだから人気があるとは言わないけれど、少なくとも明確に嫌われているヴァネッサに比べれば情報は集めやすいわ」
周囲からの評価は、『厳しいが誠実である』というのが主流だ。学園入学当時の下級クラスからの評判はヴァネッサとのものが混ざったり実家の異名もあって怖がられていたりしたらしいが、今はさほどというところに落ち着いていると聞き及んでいる。
「情報収集なぁ……」
ハルトヴィン殿下は、紅茶のカップを指先で撫でながら呟いた。「何か思いついたのかしら?」と話を促すと、「ちょっと昔話になるんだけどな」と口を開く。
「俺も昔噂の類に悩まされてたことがあってな。ディーともう一人の身内の呪術師のお蔭で解決はしたんだが、俺には何で解決したのかさっぱり分からなかった」
「どんな噂だったの、ハルト君?」
アルフィーの質問に、ハルトヴィン殿下はさらりと答える。
「俺が帝国の帝政を排して民主化しようと企んでるって噂」
フラン、絶句である。ただでさえ政争の多いアレクサンドル大帝国でそんな噂が蔓延したら、皇族出身でも皇家の敵、皇帝の敵として排除されかねないだろう。昔話で軽く話題にあげるようなものではない。というか本当に何でまだ五体満足なのか聞きたい。
「え、そ、それでどうしたの?」
アルフィーも深刻さゆえに唾をのんで尋ねると、「大したことは別になかったんだが」と彼は前置きして話し始めた。
「何だったか、ディーともう一人の呪術師が、俺を買い物に誘ったんだよ。俺はそんな噂が広がってるときに自分の身を危険にさらしたくないって嫌がったんだが、随分強く誘われてな」
「行くことになったの?」とアルフィー。
「ああ、遺憾ながら行くことになった。で、いざ買い物に行ってみればディーじゃない方の呪術師が『この先に神魔大戦で帝国に滅ぼされた国の残党がいるから倒しに行こう』って言いだして、そんな事何で知ってんだって聞いたら情報収集の結果だとか何とか」
それで思い出したんだけどな、と一言挟んで、殿下は結末を語る。
「で、その残党をひーひー言いながら倒したらあら不思議、その噂は気づかない内に聞かなくなってた。何したんだ? って聞いても、あいつら口を揃えて『やったのはハルト様ですよ』ってな。今でも何がどうつながって噂の収束に至ったのか分からないままの、ちょっと不気味な小話だ」
その〆に、アルフィーは「本当に不思議だね、何でなんだろう……」と首を傾げる。フランも、何となく輪郭は見えているが、正確な実態がつかめない。
そこでしばらく考え込んでいたロレッタが、口を開いた。
「それ多分、噂の上書きをしたんじゃないですか? つまり、民主化云々なんていう事実無根の噂を、形ある過去の残党の脅威を打ち倒したハルト、っていう噂で上書きしたんですよ」
フランはハッとして、「あっ、なるほどね。そういうこと」と納得だ。フランの『花園の呪術』は噂の収集と自発的な発生に関するものだから、噂の収束となると専門外なのだ。
その為、勉強になるわね、とメモに記しながら「へー、そういうもんか?」「よく分かんないけど、すごいんだねぇハルト君のお友達は」と言いあう二人の声を流し聞きしていると、ロレッタはさらに踏み込んで喋り始める。
「それで思うんですけど、噂って、要するに話題ですよね。もっというなら流行というか」
ふむ、といくらか父から教えられた事例をなぞりながら、フランはその理論を吟味する。
「そうね。人気の噂は度々人の口に付いて回ることになるわ」
「で、流行って基本的に序列がありますよね。今一番人気! みたいな。逆に言えば、一番人気以外の噂ってどこか落ち目って言うか、その噂が騒がれている間はその腰掛でしかないって言うか」
「……そう、ね。それも、あるかもしれないわ。そもそも複数の噂が出回るなんていう、刺激的なことが少ないっていう背景もあるだろうけれど」
噂話には旬というものがある。今はこの噂! と誰もが口を揃えるようなことは良く起こるが、その噂がずっと話されることはそうない。
人は、飽きるものだから。そして、他人と同じことを話したがるものだから。
そこまで聞いて、フランの中に方針がまとまってくる。ロレッタはそこまで考えながらもまだ決定的なところには至れていないようで、また黙り込んでムムムと唸り始めた。
「一つ質問いいか?」
ハルトヴィン殿下の質問要請に、「ええ、構わないわ」と促す。
「そもそも、ミッドラン嬢がロレッタを嵌めようとしてる、って内容そのものを噂として広めることは出来ないのか? それが出回れば当日に本人が何を言おうと勝ちはもぎ取れるように思うんだが」
「陰謀めいてる、というところで話そのものは広がるでしょうけれど、そこにワタクシが関与すれば『ブルゴーニュ公爵令嬢がミッドラン公爵令嬢を陥れようとして、魔女告発は出鱈目だという噂を吹聴している』って噂に変化するでしょうね」
「あー、なるほど。そうだな、その方が傍からしてみれば正確だし面白いのか。難しいな」
やっぱディーとか、呪術師みたいな真似はすぐには出来ないか。とハルトヴィン殿下は唸り始めた。そこでまたフランは思いつくことがあって、手段をいくつか吟味し始める。
「うーん……ボクなんかは疎いから、情報に限った話だと何にも思いつかないなぁ。敵が魔獣なら、自分から斬られに来てくれるのに」
そしてアルフィーの困りながらの言葉で、フランの頭の中ですべてがつながった。
「いや、魔物が自分から斬られに来るって何だよ」
「えっ? 来ないの? でもハルト君は強いし、それでも大丈夫なのかな。羨ましいなぁ」
「私の時は、魔物は半径五メートルに入ったら止まりますね。ピタッと」
「それ凍らせてるの間違いだろ」
早くも集中力が切れたらしい三人は、アルフィーの話にガヤガヤと花を咲かせ始める。その間フランはじっと考え込み、案は具体的な形に帯び、最後には口端を吊り上げた。
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数時間後、あの後自分の羽休めも兼ねて、フランは散々お喋りに興じてから自室へと帰還した。時はすでに日も落ちかけていて、夕暮れは夕闇へと変わろうとしていたところだった。
自室の扉をくぐると同時、フランの顔からは笑みが消える。もうお遊びの時間は終わりだ。有意義とは言い難い時間だったが、それでも価値観も得意分野も違うあの三人の話はフランの頭脳を刺激した。故に、フランはわき目も振らず机に着く。
すべきことはやはり、手紙、手紙、手紙。それも膨大な量をミツバチたちや学園の権力者たちに送る必要がある。
恭しく腰を追って命令を待つメイドのレイに、フランは様々な指示を出した。優秀なこのメイドは、その全てを「畏まりました、お嬢様」の一言で取り掛かり始める。
それからまた数時間。用件を正式な手紙にまとめ終わったところで、ちょうど夜の窓に降り立つ影があった。
影は翼を広げ、そしてゆっくりと畳む。そこにあったのは獰猛な笑み。フランの意思を体現するかのように、彼は勇ましく言った。
「よう、待たせたな。お呼びを聞きつけ即参上。伝書鳩郵便局のシニアポストマン、バルディッド・ロマンだ」
常のような馬鹿元気は鳴りを潜め、その声には静かな迫力が宿っていた。フランは悠然と歓迎に口端を緩め、伝書鳩の鳥人は翼を差し出す。
「聞いたぜ、お嬢。これから政争らしいな。もちろん俺はお嬢につくぜ。さぁ、手紙を出しな。この“速達狂いのロマン”、矜持に懸けてお届けしてやらぁ」
手紙を差し出しながら、フランは思う。決着は近いわよヴァネッサ、と。あなたは取り返しにつかない領域に足を踏み入れてしまったのだから、と。




