45話 王子二人は人たらし(様々な意味で)
アルフィーの考えはこうだった。
ハルト君がヴァネッサの屋敷に侵入しその書庫で何かを調査する、と聞いて、その調べものは間違いなく運命に関するものだと直観した。
“運命”。それは、ある限られた人間には見え、そしてその人生を大きく左右するものだ。その影響をもろに受けているのが、友人、いや、親友たるハルト君。その人生は、運命によって受難と栄光に彩られた。
先日のジシュカの提案とハルト君の態度を鑑みるに、二人の考え方が食い違っているのだろうというのがアルフィーの推測だ。
例えば、ジシュカは運命に従順だ。運命に逆らう事を良しとせず、運命の意図を解釈しその通りに振る舞うことで、ハルト君が傷つくことを防ぐ。
一方で、ハルト君は運命に真っ向から逆らうつもりなのだろう。以前語った「限界だったから」というのも、嘘ではないにしろ真実ではないのかもしれない。つまり、ブリタニアに赴いた真の目的があるという事だ。
――ヴァネッサの書斎には、フランの書斎と同じくらいの情報が眠ってる。フランとは協力関係を組めている以上、先に調べるべきはこっちだ。
アルフィーの考えは正しかったようで、書斎には数冊ほど運命という形ないものに関して綴られたものが見つかった。その内の、特に密度が高そうなものを懐に入れた時、ジシュカとヴァネッサが現れ、ハルト君と身をひそめることになった。
それからの詳しいことは割愛する。ちょっとハルト君が思ったよりも近くてドキドキしてしまったが、多分隠れる緊張感からくるものだろう。ジシュカが思ったよりも鋭くて怖くなってしまったのだ。
我ながら情けない、と思いながら書斎から立ち去っていった二人の足音が確かに遠ざかっていくのを確認し、ハルト君のアーティファクトから出た。
「もう大丈夫だよ。それで、どうしようか。まだ調べものはある?」
「……いや、止めておこう。正直量が膨大すぎて見つけられない。それに、ディーがああ言いながら何も手を打たない訳がないからな。ここに居るのは危険だ」
言われて、思う。昨日の彼女の提案を。後見人というちょっとした申し出にすぎない何かに、彼女が隠した意図を。
本当にハルト君を守りたいだけなのか。さもなくば、何なのか。今のアルフィーには判断がつかないことだろう。特に、ヴァネッサとの会話中声色を探ったが、昨日のジシュカも先ほどのジシュカも態度が違うだけで本気だった。
そういう手合いは、いる。フランも方向性は違うがそういった気質がある。そしてそうした人物を、アルフィーでは看破できないのを自分自身で理解していた。
ならば、一人で悩んでいても仕方がない。いずれ相談しよう、と考えながら「じゃあ早いところボクらも出ようか」と出口に近づいた。起きてしまった警備兵が厄介だが、どうにかするしかない。
物陰から「なぁ、俺たち、今後どうなるんだ……?」「分からん。あのご令嬢は庇ってくださったが、死罪と言われないとは……」と相談を交わしている警備兵をちらと見て、アルフィーは苦しくなる。
「ぼ、ボクの所為で国民が……」
「あー、なるほどな。そうかすっかり平民の感覚を忘れてたけど、そういうもんだよな貴族って」
言いながらハルト君はおもむろに警備兵二人の前に顔を出した。どよめく二人に「よっ」と気さくに挨拶したものだから、アルフィーも「何やってるのさ!」と思わず言ってしまう。
「しっ、侵入者!」「あー待て待て。そう焦るなって。ほら、そこにはアルフィー第二王子殿下もいらっしゃることだし、ひとまず静かに。な?」
不敵なハルト君の態度に、兵士二人は後ずさる。それから「そ、そういえば意識が落ちる寸前まで、アルフィー殿下とお話をしていたような……」「クソッ、先ほど思い出していれば……!」と小声で漏らした。
が、あくまでもハルト君は親しげに持ちかける。
「まぁまぁそんな気落ちすんなよ。でさ、本題に入るんだが、お前らアルフィーに乗り換えないか?」
「「は?」」「え?」
アルフィーと兵士二人の声が重なる。ハルト君はアルフィーに向かって一度目配せをしてから、「いやなに」と話を切り出した。
「お前ら、今のやり取りで立場危ういんだろ? 解雇どころか命まで取られそうな雰囲気だったじゃんか。でもお前ら平民は抗弁すれば即刻打ち首、逃げるのも魔怨の森がある以上悪手、かと言ってそのままで待つ訳にも行かない。だろ?」
「そ、それは、まぁ……」
「だったら、アルフィーに乗り換えないか? アルフィーならお前らを守れる。なんたって王子だからな。しかもこっちとしては、アルフィーが侵入してきたっていう秘密も守れるし、ついでにこの屋敷の案内役も付いてくるって寸法だ。お互い得しかない。違うか?」
「「……」」
顔を見合わせる兵士たち。どうやら、吟味している様子だ。ハルト君はそこまで言ってアルフィーの横に並ぶ。そして「ま、これなら後味悪くないだろ」とニッと笑った。
「……もしかして、ボクの為に?」
「それもある。が、元々は平民育ちなんでな。苦労のほどは分かってるし、少しくらい気をかけてやりたいだろ」
な、と言われ。アルフィーは強く頷いた。それから一歩前に出て、兵士に語り掛ける。
「是非ボクの力になって欲しい。もちろん、無理にとは言わないよ。けど、きっと君たちのことは守れると思う」
「……しかし、ミッドラン公爵領には家族が」
「王都に移ってくればいい。そのくらい世話出来るよ」
沈黙。葛藤が見て取れる。だが、この反応は――
「分かりました。これよりお世話になります、アルフィー殿下」
「屋敷のご案内でしたね。承りました。どちらに向かいますか」
アルフィーは声色をやわらげた兵士二人に、パァッと顔色を明るくした。「やったな」とハルト君はアルフィーを労った。
やっぱりハルト君はすごいな、と思う。優しくて、頼もしくて。アレだけたくさんの婚約者がいるのも納得だ。そう、温かな気持ちが湧きあがる中で頷く。
だからこそ、続く「じゃあヴァネッサ嬢の私室の場所分かるか?」というハルト君の問いに、アルフィーは首を傾げた。
何故ヴァネッサの私室に行こうとするのだろう。兵士二人の視線に「うん、お願い」とひとまず了承を示しながら、アルフィーは考える。
ヴァネッサの私室に向かう。その目的は何だろうか。運命について調べるなら書斎の方がよっぽど向いているだろう。となると、順当にロレッタの告発に対して先手を打つ目的か。
しかし、ヴァネッサは非常に難しい相手だ。ロレッタはよく分からない方法で翻弄していたけれど、アルフィーでは彼女との舌戦に碌に太刀打ちできまい。ハルト君でもどうか、というところだ。
しかし、それをハルト君が理解していないとは思えない。ならば、どうするのかと考えて、今しがた自分が感じていた感情を思い出した。
――ハルト君は、ヴァネッサを篭絡するつもりだ。
アルフィーは愕然としてハルト君を見つめた。男の自分でさえここまでハルト君に惚れ惚れしてしまうのだ。婚約者もたくさんいる以上、恐らく難しいことではないのだろう。
だが、そう考えると途端に何かもやもやした感情が湧きあがってくる。先ほど気遣ってくれた直後はアレだけ嬉しかったのに、今はハルト君に難しい目を向けてしまう自分がいる。
何故だろう、と考えても分からなかった。そうやって、アルフィーたちは進んでいく。
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兵士二人の案内が付いて堂々と舞踏会の裏側を歩けるのは、随分と楽だった。
まず、見回りの警備兵に遭遇しても、案内二人が簡単に誤魔化してしまえる。それどころかアルフィーのお蔭もあって軽く会釈までもらえる始末だ。この分なら、廊下で騒動が起こることもないだろう。
しかし、まったく自分の運命には呆れたものだった。帝国では言うまでもないが、まさか世界地図を開いて目を瞑って「ここ!」と指差した先であるブリタニアでさえ、こうも騒動に巻き込まれるとは思うまい。
よくよく考えれば、そんな方法で出国先を選ぶ当たり、本当に限界だったのだろう。多分すぐに衛兵に捕まると思っていたのか。にしたってもっとマシな方法があるだろうに。
そこまで考えて、気が緩んでたな、と気を引き締める。
さて、とハルトは考え始めた。ヴァネッサ嬢の私室で探すべきは、ブルゴーニュ嬢の助けになるだろうヴァネッサ嬢の弱みだ。そして、あわよくばディーがヴァネッサ嬢を誑かした証拠、といったところか。
とはいえ、後者は見つからないだろう。見つからないし傍から見ていても判然としない働きかけしかしないのが呪術師というもの。そんなことを考えていると「こちらです」と案内役二人が扉の前で振り返る。
「申し訳ありませんが、我々はここまででお願いします。すでに持ち場を離れているので、ヴァネッサ様に気付かれる前に屋敷を出なければ」
「うん、分かった。じゃあ屋敷に出たら、最初に出会った人にこの紙を渡して。それで君たちの命は保証できると思う」
言いながら、アルフィーはブリタニア王家の家紋を印字したカードを手渡した。こういう手をすぐに打てる当たり、ブリタニアという国の暗部は存外に深いのではないか、という気がしてくる。
去っていく警備兵の後ろ姿を横目に、ハルトたちは万能鍵を用いてこっそりと部屋に侵入した。
部屋の中はベッドなどの複数の調度品、ドレスが十数着並ぶクローゼット、そして机の上に積まれる分厚い本などが目立った。生活感があまりないのは、校舎から遠い立地上さして使われていないのだろう。ブルゴーニュ嬢も寮とサロンで二つの自室を有していた。
「アルフィー、扉を見ててくれ。頼んだぞ」
「うん。任せて……」
何故かちょっと元気のない様子のアルフィーにハルトは片眉をひそめつつ、机の上の本の束に着手した。恐らく少し前に開いたばかりなのだろう。傍に置かれる走り書きを見て、「エグイことしやがる」と呟いた。
そこに書いてあったのは、およそ人道的とは思えない人を追い詰める方法の羅列だ。だが取り消し線が引かれているのを見ると、失敗したか通じなかったか。
「多分、標的はロレッタだな」
ヴァネッサ嬢による肉体的な攻撃はロレッタには通じないだろうし、家名を偽っているロレッタの情報を歴史書から集めるのは困難だろう。最後に「本当にコールドマン男爵家なの!?」と殴り書きされている。相当イライラしていたらしい。
この走り書きは証拠になるかもしれない。そう考えハルトは懐にしまい込んだ。他には無いかと覗き込んだところで「ハルト君、ヴァネッサが近づいてくるよ」と小声で伝達。人物まで断言できるのは何でだろう。足音を覚えてんのか? と思いながら、「おう」と返答だ。
それで、隠れようとしたタイミングで、アルフィーは自発的に扉を開けてハルトとヴァネッサ嬢を直面させた。
えっ。
「えっ?」
直面したヴァネッサ嬢もキョトン顔だ。アルフィーを見ると両手をグッと握って応援の構えでいる。ここから何をしろと?
両者の間で沈黙が下りる。ハルトは冷や汗をダラダラ流し、ヴァネッサ嬢も状況を理解し始めて段々顔色を青ざめさせていく。
「――衛兵! ふっ、不審」
しゃ、と言いかけるところを肉薄し、素早く腹に一撃キメて眠らせた。「きゅう……」とぐったりする様が痛々しい。けどまぁ魔女告発とか企むような奴だしいいか。
「えっ、はっ、ハルト君!? ヴァネッサも落とすんじゃないの!?」
そして困惑に声を上げるアルフィー。ハルトにはさっぱり意味が分からないが、とりあえず「も」って何だ「も」って。
そこで「どうしたぁぁぁあああああ!」と野太い声が聞こえてくる。衛兵かそれ以外か。ハルトは「俺は隠れる!」とアルフィーに告げて、蜃気楼のフードを被って部屋の隅に移動した。
残されるのは、アルフィーと倒れ伏すヴァネッサ嬢だ。ハルトは今の内に彼女に忘却のルーンを刻んでおく。と、数秒経って無事成功したところで、部屋に殴りこんでくる巨漢が現れた。
その姿は、先ほど見たばかりの人物だった。ヘクター・ヴァノン。ブリタニア国軍元帥の息子にして、魔法特進クラス三年生の特待生だ。
彼は部屋の惨状を見て「なっ、何があったのだアルフィー! 賊か!? 魔物か!?」とアルフィーの肩を掴んで揺さぶってくる。「あわわわわわわ」とアルフィーは混乱している様子だ。頑張れアルフィーお前しか誤魔化せる奴は居ない。と内心で応援する。
アルフィーは、苦しそうな顔をして言い訳だ。
「あ、あの、ヴァネッサ、虫が嫌いでしょ? すっごい大きな虫がいて、不審者と見間違えて叫んだらヴァネッサめがけて飛んできて、気絶しちゃったんだ……」いやその言い訳には無理があるだろ。
「……なるほど! そうだったのか!」いや通じんのかい。
「なら、その虫はわたしが対処しよう! さぁ、何処に行った害虫め! 成敗してくれる!」
「え、あ、もう居なくなったから大丈夫だよ、へクター」
「そうか! それは良かった!」
「うん……」
会話を傍から見ながら、アルフィーの苦手具合が伝わってくる。ハルトなどはこの手の暑苦しい奴も嫌いではないのだが、アルフィーはグイグイ来られすぎて辛い模様だ。今は耐えてくれ、と念じながら見守るハルトである。
が、そこで会話が途切れ、「うむ、そうか、うむ……」とヘクター・ヴァノンが言い淀み始める。さして関わりのある人物ではないが、らしくなさ、というものを感じる態度だ。
まるで、今から重要なことを言い出そうとしているかのように見える。
「えっと、その、ひとまずヴァネッサを寝かせてあげない? 軽く失神してるだけだからそんなに体には影響ないだろうし」
「あ、ああ! そうだな。うむ」
手早くヘクター・ヴァノンはヴァネッサ嬢を抱き上げ、そのままベッドの上に寝かせた。それから速足で扉まで歩を進め、その先に誰も居ないことを見てから扉を閉めた。
つまり、アルフィーと二人きりの状況を作り出して、ヘクター・ヴァノンは向き合ってくる。
……無論ハルトは出るに出られない状況の為黙って見守っているが。
「えっと、ヘクター? どうしたの?」
「……こんな場でしか二人きりになれない故、無礼を許してくれ、アルフィー」
ヘクター・ヴァノンはそう前置きして、アルフィーの前に片膝ついて跪いた。そして顔を上げ、言う。
「このような感情、抑えなければと思っていたが――抑えきれなかった。アルフィー、好きだ。あなたの、傍にありたい」
沈黙が下りる。ヤベー場面に居合わせちゃった……。とハルトはフードの中で天を仰いだ。




