42話 悪役令嬢、童貞美少女こそが一番の脅威だと理解する
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ハルトヴィン殿下ならロレッタを守ることが出来るでしょう、という目算の元、フランは短い会話を済ませてから息をひそめるようにしてその場を離れていた。
考えるのは、先ほどのヨーデルの話だ。嘘の噂をまき散らす、というのはやり口としては有効だが、サロンに所属しているコマドリたちが掴んでいない以上、実態として蔓延しているモノではないはず。
そして、ヨーデルは第一王子支援派。もっと言えば生徒会の臨時メンバーとしての側面も有している。ならば、その筋を辿るのか妥当だろう。
そう考え、フランは生徒会メンバーの姿を探していた。
ハルトヴィン殿下が正式な生徒会メンバーに選出された、というのは耳に入っていたが、こういう噂話の調査や分析は流石に呪術師には及ばないだろう。となれば、こういった物事はフランが直接当たらねばなるまい。
「アレクトロには動かぬ証拠を探してもらわなきゃだし、ね」
役割分担というものだ。フランは独り言ちながら、周囲に目を巡らせる。
舞踏会で歓談し合う人々の間をすり抜けながら、耳に聞こえてくるのは無数の情報群だ。元々膨らんでいた噂がさらに拡散していくこともあれば、秘密裏の話を、木を森の中に隠すように交わしている者も居る。
その全ての内容がフランの把握しているものであることを確認しながら、ゆっくりと歩いていた。そして、不意に聞こえてくる知らない話題。
「にしても、あの下級クラス生からの情報は、とても有効でしたわね。あの赤髪のおチビちゃんの慌てふためく様子が目に浮かぶわ」
クスクスと嗤う声の内に、フランは生徒会所属の人間のモノを見出す。その上赤髪のおチビちゃん、というフランの蔑称を使っているとなれば。
「当たりね」
にんまり口角を上げながら、フランはその会話の輪にぬっと入り込んだ。空気が動揺に揺らぐ中で、剣を突きつけるように言ってやる。
「あら、何か楽しそうな話をしてるみたいね。ワタクシも混ぜていただけるかしら?」
誰もが凍り付き、困惑に目が泳いでいた。こういう状況下での情報の引き出し方は押さえている。軽い調子で、フランは鎌をかけた。
「にしても、そのシャッテンブラウトという下級生はそれだけ信用にたる人物なのかしら? あなたたち、踊らされてない?」
「なっ、そんな訳はないですわ! 彼女はちゃんと動かぬ証拠をもって」
「あら、本当にシャッテンブラウトなのね。教えてくれてありがとう」
噛むつくようにして罠にはまった令嬢は、絶句と共に口を閉ざした。シャッテンブラウト、というのはオルドジシュカの姓である。生徒会に絡んでいた、という情報に、やっと裏が取れたというところか。
「それで? 動かぬ証拠って何を見せてもらったの? ワタクシ見当もつかなくって、良ければ教えていただけるかしら」
「な、何を、仰っているのですか? ブルゴーニュ様。私たちは、その、別に」
「今更取り繕えるなんて甘い考えで居るの? ふふっ、あなた――」
そっと伸ばした手で強く令嬢の襟首を掴み引き寄せ、ずいと顔を突きつけるようにして脅しをかける。
「――ヴァネッサが失態を犯したあなたを守ってくれると思っているの? 守ってなんてくれないこと、分かるでしょう? あの子はワタクシやミリアムと違って不道徳にも寛容かもしれないけれど、それだけに身内にすら容赦がない。違う?」
ひ、と竦むような声が漏れた。フランは、畳み掛ける。
「そこで公爵家のワタクシが責任追及であなたを追い詰めれば、あなたの味方は一人もいない。あなたは終わりよ。そうなりたいかしら」
涙を目に湛え、震えながら横に振られる首。「ちょっ、待ってくださ」と横やりを入れようとする他の令嬢を、フランは視線だけで黙らせる。
「なら、すべきことは分かるわね。今ならワタクシがあなたを助けてあげる。そのお口を、ちょっと開くだけでいいの。さぁ―――」
「あら、ブルゴーニュのご令嬢ったら恐ろしい方なのね。アタクシ、全身の震えが止まりませんわ」
最後の一押し、というところで掛けられた声に、フランは掴んでいた令嬢を解放した。そして振り返ると、案の定ヴァネッサが立っていた。
首を傾け、不敵さを演出しながらフランは向き合う。
「あなたには及ばないわ、ヴァネッサ。下級貴族クラスの生徒たちを、蜘蛛の子を散らすようにはけさせるなんて真似、ワタクシには出来ないもの」
皮肉でやり返すと、珍しくヴァネッサは「そうね」と言葉を受け入れる。
「フランソワーズ。あなたはやっぱり、この手の手段は向いてないわ。迫力という面では頑張っているようだけど、一人を徹底的に追い込んで情報を吐き出させる、なんて本当に無慈悲なことはあなたには出来ない」
「……何をしたの」
「アタクシは何もしていないわ。したのは、この子」
言って、ヴァネッサは物陰に隠れていた右手を、ぐいと引っ張った。するとその人物は、ヴァネッサに髪の根っこを掴まれたその姿を現す。
「ッ! ナナリー!? ヴァネッサ! あなた何をして!」
「シー……。ダメよ、そんな大声を出しては。フランソワーズったらまだまだね。どんなに驚いても、それを隠さなければやっていけないわよ?」
クスクスと嫌らしい嘲笑を漏らしながら、ヴァネッサはフランに付き従うミツバチ三人組の一人であるナナリーを跪かせていた。フランは頭がカッと熱くなるような感情をどうにか押し殺しながら、ヴァネッサを睨みつける。
「ヴァネッサ、今すぐその手を離して、ナナリーを開放なさい。そんな粗雑に扱って、シガレット侯爵が黙っていると思っているの?」
ナナリーはシガレット侯爵家の人間だ。男爵とは訳の違う、古来より王家につかえている重臣の家系である。王族の親族にあたる公爵家といえ粗雑には扱えない。それが分からないヴァネッサであるはずがないのに、彼女は平然と笑っていた。
「ですって、ナナリー・シガレット。大切なフランソワーズ様がこう言っているけれど、アタクシはこの手を離すべきかしら」
「……い、え、離さないで、下さい。お願いですから……」
「ですって。残念ねぇフランソワーズ。ナナリー・シガレットは、あなたの要望に応えてほしくないみたい」
泣きながら解放を拒否するナナリーに、フランは下唇を噛んだ。フランのあずかり知らないところで、弱みを握られたのだろう。それも、致命的な何かを。フランにも知られたくないようなそれを。
どうすればいいの。フランは、仄暗い焦燥に息が浅くなる。ナナリーは幼い時からずっと付き従ってくれた、大切な親友だ。見捨てられるわけがない。だが、助け方が分からない。
ヴァネッサの意図は分かり切っていた。フランを徹底的に挑発し、明確な敵対をこの舞踏会で学校中に知らしめた上で叩き潰すつもりなのだろう。好き嫌いなどという感情以上に根深い、彼女の嗜虐趣味のために。
だからこそ、今まではヴァネッサの弱みを握ってチラつかせるなどのやり方で退けてきた。だが、今起こっているのはヴァネッサとナナリーの二人の問題だ。横やりを入れれば、入れたフランの責任となる。それだけで、不利を招く。
そうなれば結局はナナリーを助けられないのと同じだ。フランが潰されれば、大きくしてきた分だけ花園のサロンメンバーは将来の冷遇を免れない。
いや、そもそも敵対そのものが望むべき展開ではないのだ。ヴァネッサとの潰し合いの危険性もそうだが、例え勝ったとて、ヴァネッサから恨みを抱かれながら彼女が担っていた役割を継がなければならない。そしてそれは、フランにはやり遂げられるか難しいことなのだ。
思考が、渦を巻く。敵対そのものを避けたいという気持ちと、敵対したときにどうすれば有利に立ち回れるか、敵対以外の方法でナナリーを助ける手段があまりにも見つからない現状を憂う心。それらはぐるぐると堂々巡りをして、止まらなくなる。
そこで、ヴァネッサが、嗤った。
「フランソワーズ、とても困っているのね。だからって泣いちゃダメよ。ふふ、可愛い」
フランは息をのんで、咄嗟に腕で目を拭った。水滴はない。だが、ヴァネッサは「あら、本当に泣きそうだったの? 本当、昔からイジメると可愛い子」とさらに嘲笑を大きくする。
フランはもう、立ち尽くすしかなかった。手玉に取られている。打開策がない。敗北感に涙がにじみかけたその時、横に誰かが立った。
「少しお邪魔しますね」
「え……?」
そこに立っていたのは、ロレッタだった。笑みを口に貼り付けているが、いつものような心からのものではない。仮面のように感情を隠す様に、美しさと相まって恐ろしささえ感じられた。
ロレッタの登場に、ヴァネッサすらキョトンとしていた。だがロレッタもフランの抱える弱みの一つ。すぐにニタと嗤って言葉を発しようとしたが、出来なかった。
ロレッタの接近はゆっくりとした挙動なのにあまりに虚を突いていて、ヴァネッサには対応できなかった。ロレッタは滑らかな動きでナナリーの髪を掴むヴァネッサの手を外し、ナナリーを解放してフランの方に連れ戻す。
「はい。名無しの令嬢、もう大丈夫ですよ」
「え……? あの、だから私、名無しじゃな」
ナナリーの言葉を無視して、ロレッタはヴァネッサに向かい言う。
「ヴァネッサちゃん、こう言う事は良くないですよ。女の子に暴力で訴えるのはいけないことです。謝ってください」
「ちゃん……?」
何でもないかのように拘束を解かれ、しかもかつてない呼ばれ方をしたヴァネッサは、眉をヒクヒクさせて怒りを示した。だがすぐに息を吐いて平静を取り戻し、皮肉気に語り掛ける。
「ロレッタ・コールドマン。あなたが一体どういうつもりでいるのかは知らないけれど、謝るのはそちらのナナリー・シガレットの方よ。だって彼女――」
そこで、ヴァネッサは訳もなく息を詰まらせ咳き込んだ。ひどく苦しそうに体を折り、荒い呼吸を繰り返す。
不可解だった。大勢の前での演説になれたヴァネッサが、こんなときに咳き込んで喋れなくなるなど考えにくいことだった。
「ヴァネッサちゃん、謝ってください」
ロレッタの主張は変わらない。呼吸を落ち着けたヴァネッサは「だから、言ったでしょう? 悪い事をしたのはナナリー・シガレッ――」まで言ったところでまた激しく咳き込んで、何も言えなくなる。
「謝ってください、ヴァネッサちゃん」
周りが、ざわつきだす。今やロレッタは様々な意味で有名人だ。そんな彼女が学園の権威の一人であるヴァネッサを、不可解な方法で下している。それも、フラン陣営として。
フラン、先ほどとは全く違う意味で状況が逼迫していることに気付いて、焦り始める。
「ろ、ロレッタ。もういいわ。その辺りで止めておきなさい」
「……名無しの令嬢、それでいいですか?」
「え、あ、そ、その」
「だからッ! 言っているでしょう! ナナリー・シガレットは――」
「私がヴァネッサちゃんに許しているのは、名無しの令嬢に謝ることだけですよ」
ロレッタが鋭く言いながら指を鳴らすと同時、ヴァネッサは三度の咳き込みに崩れ落ちた。フラン、ああ、もうダメ、確定的じゃない。とお腹が痛くなる。
事の成り行きを見ていた聴衆のざわめきがいよいよ大きくなっていく。フランは目を瞑り、唸り、そして決めた。
もう来るところまで来てしまったのだ。余裕を演出して、ヴァネッサに語り掛ける。
「仕込みはうまいこと働いたわね。ま、そう言う事だから、あまり口を滑らせようなんてことは考えない方がいいわよ、ヴァネッサ。でないと、あなたのその繊細なノドがどうにかなっちゃうんじゃないかしら」
「……フランソワーズ……! あなた……!」
「今まであなたの存在を許していたのはワタクシだったのに、そのことに気付かないなんて、あなたも愚かな人ね。いい機会だから、分からせてあげる。あなたが何をどうワタクシに攻撃してこようとしていたのか知らないけれど、その策略ごと、ね」
こちらからも挑発し、敵対を突きつける。すると流石のヴァネッサだろうか、ニンマリと笑って、クックとノドを鳴らし始める。
「……ふ、ふふ、ハハハ。いいわね、とてもナマイキ。少し誤差があったようだけれど、概ね思惑通りよ。フランソワーズの涙目を拝み損ねたのは心残りだけれど、次の機会には必ず見せてもら」「いやだから御託は良いから謝ってくださいよ」
ロレッタの指鳴らしでヴァネッサはまたむせ返り、その余り膝を崩した。フランは顔を蒼白にしながら「もういい、もういいわ。ロレッタ、もういいから。大人しくなさい。いい子だから、ね?」とあやしにかかった。
ひとまずロレッタ、ナナリーを連れてその場を離れながら、フランは考える。もう後には戻れない。三大公爵令嬢の二人で、どちらかが潰れるまでの潰し合いが始まってしまった。
オルドジシュカの関連性はまだつかみ切れないが、無関係ではないだろう。今日上手く忍び込んでいたようだったハルトヴィン殿下がどこまで掴んでこられるかで、今後の戦略も変わってくる。
そんな風に考えながら、フランはロレッタを見やった。
「うーん、形だけでも謝ってくれればお互い救いがあったのかなって思うんですけど、難しいですね。気管を少し凍らせるだけでは不足でしたか……」
むむむ、と考えているのが何とも怖いところだ。フランが引き気味に見つめていると「どうされました? フラン様」と、いつものように心から笑っているのが分かる笑みを浮かべる。
「……ロレッタ、今回は助かったけど、次から乱入するときはワタクシの指示を待ちなさい。今度その話もするわ」
「ふぇ?」
何のことを言っているのかさっぱり分からない、という風な態度をするロレッタに、やっぱり一番怖いのロレッタだわ、とフランは震えるのだった。
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