41話 童貞美少女、悪役令嬢と共に舞踏会イベントをこなす
舞踏会の大広間に足を踏み入れると、桃源郷だった。
ドレスで着飾った、美少女、美少女、美少女! 麗しき貴族のご令嬢たちがそれぞれ楽し気に会話をしながら、片手に持ったグラスを傾けている。その優雅な出で立ちに立ち振る舞いは、高貴さがにじみ出ていてもう何かいい。語彙がアレ。
しかし当然の如く、横にはスカした若造どもが、生意気にもタキシードなり燕尾服なりを着て佇んでいた。ロレッタ、奴らは貴族だからと納得はしつつも、そこはかとなくイライラだ。前世の童貞は燕尾服を着るような機会は一度きりだったというのに。
と、そんなことはどうでもいいのだ。問題は、ロレッタの手を握る存在が、急かすように手を引いていること。
「ほら、行くわよロレッタ。折角の社交界デビューなのだから、精いっぱい楽しんでもらわなきゃ」
包容力のある笑みでロレッタを誘導しようとする、フラン様の尊さである。「はい!」と忠実な犬のようについていきながら、童貞は前世でいつ積んだのかも定かではない功徳に想いを馳せる。
「いい? 社交界といったら、楽しむべきは会話、ダンスよ。こういう機会でもないと接近も難しい相手、というのは往々に存在するわ。そういった相手との会話は、特に刺激的なんだから」
「そうなんですね! フラン様はこういうとき、どんな方とお話しされるのですか?」
「そうね、ワタクシなんかは……」
ロレッタの質問に、少し考えるようにして周囲を見渡すフラン様。ちょうどよく何かを見つけたようで、「あちらを見なさい?」と手で遠くから指し示す。
「あそこにいる黄色いドレスの彼女は、ブレゼディアス大湖峡中部の領地を治める、ゼディア大公の娘よ。本来の身分では上級貴族クラスに配属されてしかるべきなのだけれど、本人たっての希望で魔法特進クラスで学んでいるの」
「……なるほど!」
ロレッタ、政治に詳しくならないとですね、と焦りを抱きつつ、ひとまず頷いて分かったふりをする。
「ああいった、高貴な身分なのに魔法特進クラスに属している、という人間との交流は社交界以外だと難しいところがあるわ。アレクトロの時も苦労したもの。特に彼は最初逃げ回っていたし」
「アレクトロ、ですか?」
誰だろうか。
「ハルト・アレクトロよ。ロレッタ、あなたあんなことがあって忘れたなんて言わせないわよ?」
あ、ハルトの偽名の苗字の方ですね。
「あ、なるほどそういうことですか。理解しました」
と納得しつつ、不意に出てきたハルトの名前にロレッタ、微妙にムカッ腹が立ってくる。
理由はひとえに少し前のジシュカちゃん寝取られ事件である。童貞、そういった趣向も嗜まないではなかったが、現実に発生しては嗜むが故の激しい憎悪に駆られてしまっていた。
辛い。ジシュカちゃんがその前の一件を境にロレッタを避け始めたのも相まって、辛い。
「ぐすっ……気にしませんもん。ええ、私は気にしていません、うぅ……!」
「何をいきなり泣いているのよ……」
ロレッタ、男泣きをフラン様に引かれてしまう。しかしそこはフラン様の肝っ玉。溜息との一つで切り捨てられ「じゃ、さっそく話しかけに行きましょう?」と手を引かれる。
「えっ、ちょっ、ま、ままま」
「緊張するようなら軽く挨拶する程度で良いわ。あなたが人見知りなのはシータから聞いているもの」
ロレッタの躊躇を完全に置いていく形で、フラン様はそのゼディアなんちゃらのお嬢様(公国の公主の娘だからお姫様?)の前に立った。ロレッタはその健康的な肌色の美少女を前に緊張が走り、ササッと自分より小さなフラン様の背に隠れてしまう。
「お久しぶりですね、フィオレンティーナ・ミランダ・ゼディア様。フランソワーズ・アストヒク・ブルゴーニュです。先日はアルフィーがお世話になりました」
「ああ! フランソワーズ殿じゃないか。こちらこそ久しぶりだ。アルフィー第二王子殿下に関しては、二年の攻略組として保護と脱出の付き添いをしたくらいだよ。ワタシではなく、ハルト・アレクトロに礼を言うべきだ」
というか、フィオと呼んでくれと言っただろう。と小麦色の肌の健康美少女がからからと笑った。ロレッタ、今までにない女傑感あふれる態度によさみがあふれてバグり始める。
普段ズボンで活発に動いてそうなのに、黄色の派手めなドレスがばっちり似合ってるのが特にいい。一目でギャップを感じて刺さっちゃう。
「そうでしたね。ではフィオ様、と」
「ああ、頼む。……ところで、その後ろで震えている子は――」
びくっ、としてロレッタはちらと上目遣いに見つめた。え、やばい、良い。何だろう抱きたいというより抱かれたい。
「うわっ」
と思ったら恐怖チックな顔で引かれたのでもう何か死にたい。
「私はもうメンタルが爆発四散したので帰って泣き寝入りします……」
「えっ、あっ、いや違うんだ! ちょっと酷いくらい美しい女性だなと思って、一周回って、な!? フランソワーズ殿も何か言ってくれ!」
「ほら、普通の女性ならあなたを見てこういう反応をするのよ。見惚れるをちょっと通り越しているの。自覚なさい」
「どういうことかさっぱり理解できません……」
しかし、目の前のフィオ様と呼ばれた小麦色の肌のお姫様は「いやしかし、すごいな。これは……すごいとしか言えないな」と目を丸くして、ためつすがめつロレッタを眺めてくる。何かここまでされるとちょっと気分いいかもしれない。
「え、ええ、と、その、改めまして、ロレッタ・コールドマンと申します……。その、どうぞよろしくお願いします」
「ああ、なるほど。君が例の……」
名前を名乗ると同時、フィオ様からの視線に冷たさが混じった。おぉう、と女傑からの視線の温度差に、背筋がゾクゾクしてくる童貞だ。
しかしそこで、フラン様が自然に耳を寄せて、そっと何かを囁いた。フィオ様はまたもや目を丸くして、「それは本当か」と確かめる。フラン様はただ、重く首肯を返した。フィオ様はロレッタに向かい、「なるほど、そういう事情が……」と何度か頷く。
「分かった、心に留めておこう。そしてロレッタ殿。しばらく会うこともないかもしれないが、次に会うときは対等な立場で接してくれると嬉しい。ワタシとて国防装置である公国領の公主の娘にすぎない。ブリタニアにとっては、あなたとほとんど同じだ」
「へ? えっと、それはどういう……?」
「あなたはそのくらい重要な人間だ、ということよ。いい加減に自覚を――」
フラン様のお小言をちょうだいする、といったタイミングだった。
「おや、おやおやおや。フランソワーズ様、一体全体、そこで件の身の程知らずを連れて、何をやっているんですか?」
嫌らしい小僧の声が、少し離れたところから飛んできた。フィオ様は素早くフラン様と目配せをしてその場を離れ、フラン様は正面からその小僧に向き直る。
そこに立っていたのは、燕尾服を小賢しく着こなした、腹の立つ顔をした若造だった。ロレッタ、どこかで見たことありますね、と少し考え、ブリタニア王立学園に入学した初日にナンパしてきたのを凍えさせて分からせた奴だ、と思い出す。
「あら、ヨーデルじゃない。そちらこそどうしたの? わざわざやり込められるために近づいてくるなんて」
対応するフラン様も険たっぷり余裕ふんだんだ。なるほどこいつはどこに行っても嫌な奴らしい、とロレッタは苦笑い気味に見つめる。
「やり込められるのはそちらですよ、フランソワーズ様。そこのコールドマン何某という男爵家の田舎むす、め……」
言いながらロレッタに目を向けてきた若造は、何故かロレッタの顔を見るなり声が尻すぼみになっていき、最終的に止まってしまった。ロレッタが小首を傾げるとハッとして咳払いをし、「改めまして」と仕切り直す。
「そこの男爵家のご令嬢にアルフィー第二王子殿下を取られて、無様に泣きついて実質的な妾の座に納まった、というのはこのパーティに来ている誰もが知っていることです」
ロレッタ、若造の言い方が丁寧になってて半笑いだ。男の下心というのはこうして見ると醜いですねぇ、と前世を思い出して複雑な気持ちになる。割と辛い。
が、だからと言って事実無根の侮辱を許せる訳もない。氷漬けにして一昼夜放置してやろうか、と一歩踏み出すと、フラン様が慌ててロレッタの前に出て反駁する。
「あら、それはそれは。そんな事を思いつくだなんて、噂を広めた誰かさんは妄想癖を患っている可哀想な人みたいね。いったい誰なのかしら。ヨーデル、知っている?」
「妄想? これこそが真実ですよ、フランソワーズ様。でなければ、あなたの傍に何故そのコールドマン令嬢が立っている? 実質的にあなたが第二王子を奪われた証拠そのものではありませんか」
ロレッタ、えっ、という顔でフラン様を見た。それから、「……そうなんですか?」と尋ねると「そういう邪推をするお馬鹿さんも、そこのヨーデルよろしくいるでしょうね」とフラン様はすまし顔だ。
感心顔で、ロレッタはヨーデルという若造に語り掛ける。
「……想像力豊かなんですね」
その一言に、フラン様を始めとした周囲の面々が吹き出した。フラン様は口元を隠しながら「ひっ、皮肉、利きすぎでしょ……!」と笑い声交じりに言う。対するヨーデル何某は顔を真っ赤にして立ち尽くしていた。
「――このッ、男爵家の田舎娘ごときが侮辱してくれたな!」
ヨーデル何某は、そう吠えて平手を振るってきた。ロレッタ、女の子からのビンタならいざ知れず、女性に拳を振るう男にまで気を遣うつもりはない。多少痛い目見てもらいましょうか、と凍える霊鳥に目配せしたと同時、割り込む者がいた。
「お前、いつ見ても女の子に手を出してんな」
「えっ、アレクトロ?」
ヨーデル何某改め、DV小僧の拳をその背後から拘束したのはハルトだった。フラン様は驚きの声を上げて、キョトンと見つめている。
「なっ、何だ貴様は! その手を離せ下郎!」
「いや舞踏会で手を出すほうがよっぽどの下郎だろ……」
暴れて拘束を取り払おうとするDV小僧と、その手を固く掴んで離さないハルト。ロレッタは色んな毒気を抜かれて、渋面で「あー、もういいですよハルト。離してあげてください」と言う。
「ん、そうか。じゃあもう行け。顔見せんなよ」
「ぐっ、クソ、覚えていろ! この侮辱は忘れんぞ!」
「覚えねぇよ。お前も忘れとけ」
言いながら、ハルトは指先を奇妙に動かす。離れているDV小僧は、気づかず早歩きで遠ざかっていった。何かしたのだろうか、とロレッタはジト目で見る。精霊術ばかりで、いざ魔法となると疎いロレッタである。
「という訳で、先日ぶりだな、ロレッタにブルゴーニュ嬢」
「ええ、そうねアレクトロ。今日は例の件で?」
「ああ。ちなみにアルフィーも遠くにいる。呼んでくるか?」
「いいわ、あまり見せたくないことになるだろうし」
「分かった」
手早く会話を済ませるフラン様にハルトを、ロレッタはすごい表情で見つめていた。は? え、何ですかこの男。地味にフラン様とも裏で会ってるんですか? 嫉妬で狂いそう。
と思っていると、続いてロレッタに目を向けてくるハルトである。その表情はちょっと気まずげだ。何か誤解を解きたいという意思の元、躊躇いを破るようにして提案してくる。
「その、ロレッタ。いくらか話したいことがあるからよ、せっかくの舞踏会だし、踊りながら話さないか?」
だが、童貞の心はそんなものではない。ジシュカちゃんの件や今のフラン様との会話で、内心が荒れ狂う吹雪の様相を呈している。
「嫌です」
会話が終わった。