40話 童貞美少女、舞踏会を前に女の子になる
♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧
フランはどうやら間に合ったようで、ロレッタはまだひどい目に遭わされていないようだった。ちょっとロレッタの頭頂部がふわっとしているのが気になるが、ヴァネッサが本気を出したらこんなものではあるまい。寝ぐせの梳かし忘れとかだろう。
「あら、フランソワーズ。奇遇ね、下級貴族クラスなんかに何の用かしら?」
対するヴァネッサは、ひどく泰然としてフランを迎えた。今回は制裁を加えに来たのではないのだろうか。それとも、と警戒しながら返答する。
「奇遇? ずいぶんとふざけたことを言うじゃない。ロレッタの件はワタクシの受け持ちよ。あなたの出る幕じゃないわ」
「あなたが不甲斐ないから出てきてあげたのでしょう? 特に、フランソワーズ、あなた最近随分とこのロレッタと仲がいいって聞いているわよ? 身の程知らずに対する警告が、あなたの役割じゃなかったかしら」
ねぇ、とキツネめいた笑みで、ヴァネッサはフランの失態を責め立ててくる。オルドジシュカを退けたと思えば、今度はヴァネッサが来るなんて、と嘆きつつも、フランは抜け目なく反駁だ。
「ええ、警告したわ。そしてロレッタはそれを受け入れた。実際最近になってロレッタとアルフィーが一緒に居るところを見たなんて噂はないはずよ。である以上、この件はもう解決しているの。ワタクシがロレッタと仲良くしているのは全く別の話でしょう?」
下級貴族クラスや魔法特進クラスはさておき、上級貴族クラスの噂は全てフランが統制している。ロレッタの噂の主流はすでにアルフィーとの逢瀬から外れ、その身分に隠された秘密に関してが主だ。すでに反感らしい反感もない。
が、ヴァネッサは退かなかった。
「そんな誤魔化し、今更アタクシに通用すると思っているの? フランソワーズ。もはや話はそんな次元には無い。だってそうでしょう? 身の程知らずに警告して、その相手が反省して、それで終わり? まさかそんなバカげた話はないものね?」
フランは、その物言いに眉をひそめる。何か、フランが知らない情報を掴んでいるかのような言い回しだ。しかしロレッタの本当の身分を知っていたなら、ヴァネッサとて喧嘩を売る訳もない。それだけフロストバードの名は特殊なのだ。
なら、何を。そう訝しんでいると、ヴァネッサはにんまりと笑って手紙を差し出して来た。
「これ、アタクシが近々開くパーティの招待状。そろそろ全校社交パーティの時期だし、その前にあなたにお送りするわ、フランソワーズ。是非来てね? じゃないと……、ふふ、どうなっちゃうのかしら」
「……。ええ、ありがたく受け取るわ、ヴァネッサ」
意図が読めない。であれば、拒絶も出来ないのがフランの立場だ。きっと罠を用意して待っていることだろうが、それでも行かない方が酷くなると、これまでの経験で知っている。
「では、御機嫌よう。シータも大変ね、フランソワーズに引きずり回されて」
「ええ、大変な光栄です。ヴァネッサ様もご機嫌麗しゅう」
シータがうまくヴァネッサの軽口を受け流すと、奴はクスクスと笑いながら取り巻きたちと共に去っていった。その姿が見えなくなり次第、フランはロレッタの肩に掴みかかる。
「ロレッタ! 大丈夫だった!? あの性悪女に怪我の一つでもさせられていないでしょうね?」
「えっ、い、いえいえ! 全然ですよ。むしろちょっと可愛いなって思ったくらいで」
「そ、そう……? ヴァネッサに可愛らしい面があるなんて、ワタクシには想像もつかないけれど」
シータにちらと視線を送るも、今更になって緊張が来たのか、僅かに顔を青くした彼女はふるふると首を振った。シータのこの反応が、ブリタニア王立学園に生きる女生徒の順当な反応である。
ロレッタに対する攻撃が目的ではなかったのだろうか。とも疑えなくはないが、ロレッタは攻撃を無自覚に潰して回る無敵要塞なので、ちょっと判断が難しい。
「ともかく、それならよかったわ。でも、何でこのタイミングで仕掛けてきたのかしら。それに、この招待状……不可解ね」
まるでロレッタ以上にフランに用事があったのかと思うくらい、自然にヴァネッサはこの招待状を押し付けてきた。そこに、意図がないとは思えない。
「ワタクシを潰しに来た……? いいえ、それが出来るほどの材料は、ヴァネッサにはそろっていないはずよ。やりたいとは考えているだろうけれど、そこまで迂闊ではないはず」
条件の正しく揃わない暴虐は、いずれ本人に返ってくるものだ。それを心得ているが故に、公爵令嬢は海千山千の貴族令嬢たちよりも一歩先んじて立ち回れる。
身分に胡坐をかいてふんぞり返っていれば、数ヶ月で誰かの踏み台だ。
オルドジシュカにかかりきりで、ヴァネッサ周辺の情報が揃っていないのが痛いわね……、とフランは考え込む。その時、ロレッタは思考を遮って話しかけてきた。
「あの、フラン様。その招待状は一体なんですか?」
「え、ああ。これはヴァネッサが主催する舞踏会のものよ」
舞踏会。それは、華やかな社交場であると同時、情報が目まぐるしく錯綜する淑女の戦場でもある。
だが、それはフランの捉え方だ。他の三大公爵令嬢であるミリアムにとっては思い切り踊り明かして意中の男性を虜にする場所だし、ヴァネッサにとっては多くの場合処刑場となってきた。舞踏会の捉え方は人それぞれなのだろう。
「舞踏会!」
事実、ロレッタの食いつき方は憧れを全身にまとったそれだ。目をキラキラと輝かせて、行きたいと態度で示している。そういえばロレッタは、フロストバード領なんていう最北端の辺境の出である。今まで経験がないのかもしれない。
幸い、招待状というものは付き添いに一人介添えを付けるくらいなら十分目こぼしを貰えるのが通例だ。ロレッタを守り、そしてフランの身を守るのにはこれ以上ない適役か。
「ロレッタ、ワタクシの介添え役で、一緒に来てもらえるかしら」
「ええ、是非! 私ずっと憧れだったんです! ロレッタが舞踏会仕様のおめかしした姿を見るの!」
「あなた聞いた通り清々しいくらいのナルシストね」
シータからの報告で知ってはいたが、ここまで自分の晴れ姿が見たい! と言い切れる精神性は尊敬に値するというもの。シータに目配せすると、苦笑を返された。シータが居ると、自分の感性が正しいと信じられる。
「じゃあ、詳しい日程は後日の勉強会で伝えるわ。シータ、今季のシーズンに合ったドレスをロレッタに用意してあげて。それから、バーバラ、ナナリーとヴァネッサ周辺の情報収集を」
「分かりましたわ、フランソワーズ様」
「えっ、あ、ビンタ嬢今からですか? 私にも一応、まだ授業が」
「あなたの成績の良さは知っていますわ。少し抜け出したくらいではどうという事もないでしょう。むしろ、ドレスを見繕う間に私にも教えなさ――ビンタ嬢って言ったわね今! 聞き逃しませんでしたわよ!」
「ギリギリセーフだと思ったのに!」
賑やかに去っていく二人を見送りながら、フランは上級貴族クラスの教室へと踵を返す。それから、不意に思い立って、手紙を書くことに決めた。
そういえば、元々オルドジシュカの動向を調べる予定でハルトヴィン殿下の生徒会の潜入が決まったのだ。となれば、今回のヴァネッサの行動にもオルドジシュカが関わっている可能性がある。
生徒会は第一王子派閥の楼閣。そしてヴァネッサは、第一王子エセルバート殿下に次ぐ、生徒会の権力者であるが故に。
♥♡♥♡♥♡♥♡♥♡♥♡♥♡♥♡♥♡♥♡
待ちに待った舞踏会の夜がやってきた。
「ッ…………!」
童貞美少女はその時、改めて手鏡を前に感涙していた。その理由は、ひとえにロレッタの美しさである。今シーズンの流行はこれだから、と選ばされたドレスの中で最もロレッタの白いイメージを映えさせる、柔らかで薄手のシフォン素材。色は涼しげな水色を選択した。
結果、現れたのは天女だった。シフォン素材のドレスはまるで天女の羽衣が如く柔らかに波打ち、ロレッタの姿を彩っている。童貞は今のメルヘンな気持ちも相まって、まるで白雪姫の鏡にでもなったような自画自賛を済ませ手鏡をしまう。
舞踏会は公爵屋敷と呼ばれる敷地内の建物の内、ミッドラン家が抱えている大広間で催されるとのことで、フラン様が案内してくれるのだ。
以前ヤバいな、と思っていたフラン様お抱えのブルゴーニュ屋敷だったが、ああいった大きな建物は上級貴族間で受け継がれていくものらしい。特に公爵家という王族の血を幾分か受け継ぐような大貴族は、家ごとに持っているのが普通とのことだ。
「いや、それでも凄いですけどね。だって学園内ですよ学園内。ほぼ一都市みたいな敷地ではありますけどこの学園」
どうしても前世、日本人だったの頃の価値観で考えてしまうロレッタ、街灯のうすぼんやりとした灯りに照らされながら、夜の中に探し人を求める。
歓楽区域の中でも公園に近い、ちょっと人通りの少ない場所だった。公園近くに来るとどうしてもジシュカちゃんをハルトに寝取られたトラウマが蘇り、うずくまって唸りたくなる。
「うぅ、ウググググ……! ユルスマジ……! マオトコ、ユルスマジ……!」
ちょっと精神的外傷と憎悪のために野生に帰りかけるロレッタだったが、「何を小さくなっているのよ、ロレッタ」と掛けられた声に正気を取り戻し、顔を上げた。
そこに居たのは、待ち合わせていた相手、フラン様だった。赤を基調とした小柄で愛らしいドレスながら、大胆に肩を出して着飾っている。
「お綺麗ですフラン様!!!!!!!!!」
「えっ!? え、ええ。ありがとう。いきなり大声出さないでくれる? 驚くじゃな、うぇっ」
戸惑い気味に頷いていたフラン様、ロレッタを見るなりゲッという顔をしたので、童貞はサッと顔を青ざめる。
「えっ、ど、どこかおかしかったですか? 何か問題でも!?」
「い、いえ、……ちゃんと着飾ると、ロレッタの容姿はちょっと見ていられないわね。大丈夫よ、誇るべきことだわ。ただ気合を入れて着飾ってきた女ほど、あなたを見て嫌な顔をすると思うけど」
「何でですか!?」
訳の分からないことを言われて、童貞美少女は困惑してしまう。それにフラン様は「いいのよ、反則級の外見を持って生まれたあなたに罪はないのだから。誰が悪いのかと言えばあなただけれど」と褒められているのか責められているのか分からない。
ともあれ、二人はフラン様の用意した馬車に乗り込み、舞踏会会場であるミッドラン屋敷へと向かった。学園の敷地の中でも、ちょっと丘になっている立地を上った先。そこに、フラン様の屋敷よりも一回り大きな豪邸が立っていた。
「いえ、家のサイズが小さいからって、フラン様の方が立場が弱いなんて思ってませんよ? フラン様のお屋敷は歓楽街からとても近いですから、その分地価が高いですもんね」
「一体何を言ってるのよロレッタ……。でも、ワタクシの立場の方がヴァネッサより弱い、というのは事実よ。彼女は第一王子、エセルバート殿下の婚約者、ワタクシは第二王子のアルフィーの婚約者だもの」
認めつつも、だから何だと言わんばかりのすまし顔でフラン様は言う。あ、何だ何も気にしてないんですね、とロレッタは肩透かしを食らいつつも、馬車に揺られていた。
到着し、フラン様の冷静沈着なメイドさんに降ろしてもらってから、立ち止まって舞踏会の入り口を見上げる。
豪奢な門構え。その先では、輝かんばかりに着飾った美形ぞろいの貴族たちが談笑にふけっているのが見え隠れした。貴族らしい華麗な営みに、永久凍土住まいだった童貞は感激だ。
「こんな普通の舞踏会に感動しているなんて、可愛らしいところもあるじゃない」
フラン様にからかわれ、童貞美少女は顔を真っ赤にして言い訳を始める。
「えっ、いやっ、そのっ、何と言うか、はい、私は田舎者でございます……」
言い訳にならなかった。
それに赤い髪を揺らしながら、フラン様は肩を揺らし慎ましやかに笑う。それから、「じゃあ学期末の全校社交パーティなんか卒倒しちゃうわね」と言われる。
「全校社交パーティ、ですか?」
「ええ。春学期の終わりに、期末試験後に行われるのよ。そこではクラス問わず盛大に社交パーティが執り行われるの。中等部や初等部の小さな子も一緒にね。とても華やかで楽しいのよ。だからこそ、それ相応に準備する必要があるのだけれど」
「そうなんですか……」
感心にそれしか言えないでいると「今回の舞踏会の表向きのお題目も、全校社交パーティの予習みたいなものなのよ」と教えてもらう。「これだけ煌びやかなのにですか!」とロレッタは驚き続きだ。何か今童貞、全力で女の子している気がする。
「さ、行きましょう。でも、楽しんで羽目を外すのはほどほどにね。それと、ヴァネッサには注意すること」
「は、はい」
「あと出来るだけワタクシの近くに居なさい? あなた少しでも目を離すと問題の火種になりかねないから」
「あれ、私小学生でしたっけ……?」
扱いの厳重さに、油断した瞬間に走り出す子供を注意する親の姿を幻視する。最近分かってきたが、フラン様は結構姉御肌というか、かなり面倒見がいいのかもしれない。
そんなこんなでフラン様に連れられながら、ロレッタは社交界デビューを果たした。一応社交ダンスの練習は男所帯な家族相手に散々済ませてはいたが、正直今日はどんな男とも踊る気がないのでどうしよう。
「社交ダンスって女の子二人で踊るのって……」
「え、ありえないけれど。踊りたくないなら壁の花を決め込んでいればいいだけでしょう? 悪目立ちする行動は控えなさい」
「なるほどそういう感じなんですね、了解です……」
ワンチャンもなかったようで、ロレッタションボリである。ロレッタは地味に社交ダンスの男役も務められるくらい極めているのだが、それを披露する場面はなさそうだ。
「……なるほど、そういう作法も分からないのね。いいわ、じゃあヴァネッサと遭遇するまでは、ロレッタに舞踏会の楽しみ方を教えてあげる。来なさい」
手を伸ばされ、思わず握るとフラン様は歩き出した。ロレッタは呆気にとられるままについていく。




