39話 敵対令嬢、童貞美少女を襲撃するが……?
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ざわつく空気に、何かが起こったのはすぐに分かった。
「シータ、バーバラ、ナナリー。教室全体に探りを入れて頂戴」
「分かりましたわ、フランソワーズ様。バーバラ、ナナリーはそれぞれ右側、左側に。私は中央で情報収集をいたします」
「はい、承知しましたわ」
「承りました」
フランの指示に従って、ミツバチの三人が散っていった。フランは授業が始まるまでの時間は十分ほどであると確認してから、教室の最後尾、最も高い場所に登って、全体を俯瞰する。
朝だった。これから一限目の授業が始まる、という隙間時間。上級貴族クラスの教室で、珍しい種類のざわめきが場を支配していた。
誰かが妙な噂を流しているならば、上からの俯瞰だけで流れや発信源が見つかるものだ。だが、この騒動は毛色が違った。点在するグループごとで固まって、人間同士で動きがないのに、共通の雰囲気が蔓延している。
つまり、上級貴族特有の、仄暗い話題に静かな盛り上がりを見せる、陰湿な雰囲気が。
「……」
こういった状態に雰囲気を持っていけるのは、上級貴族とて限られている。つまり、誰かを裁く権利を有している、あるいは有していると目される人物だ。フランを始めとした三大令嬢、王族。その中でも今一番やってのけそうな人物と言えば。
そこまで考えていたところで、教師が現れた。教室内が静まっていくが、それでも教師に見つからないような囁き声、小さな手紙で情報が行きかっている。その様子を眺めながらノートを取っていた一限の終了間際、一通の小手紙がフランの下に届いた。
「ナナリーからの物ね」
開く。そして、フランは目を剥いた。嘘、という言葉さえ喉を詰まって出てこない。だが、ここで衝撃を受けて硬直しているような時間もないらしかった。
立ち上がる。教師の戸惑う目を「申し訳ありません、先生。少し野暮用が入ってしまいまして、ここで中座させていただきます」とはっきり言った。こうなると、下級、中級貴族出身の教師ではフランに何も言えない。ついでに「シータ、来なさい」と言えば、その通りになる。
二人そろって速足で廊下に向かいながら、「情報は掴んでいる?」と手短に問うた。頷くのを確認しつつ廊下に出て、走り出す。
ここからは、時間との勝負だ。フランは脆弱な自分の体力が持ってくれることを祈りながら、鋭い声で先を促した。
「詳しい話を聞かせてッ。ヴァネッサがロレッタに、何をしたの?」
「直接は何もしていませんわ! ただ、生徒会からの公布で、ロレッタの案件がミッドラン公爵令嬢の受け持ちになったと知らされました! 我々がそれを掴むのに遅れたのは、情報統制がされたからかと思いますわ!」
「――やってくれるじゃない、ヴァネッサ!」
恐らくヴァネッサは、花園のサロンメンバーにのみ、公布の手紙を届けなかったのだろう。それでも情報を掴んでのけるのは、流石ミツバチと言わざるを得ない。
そうしていると、授業終了の鐘が鳴った。人通りが多くなるのを見越して、普段から人気のない道を選ぶ。いよいよ時間がない。少し痛くなり始めるわき腹を押さえながら、フランたちは走り続けた。
数分して、フランはシータを連れて下級貴族クラスへとたどり着く。すると、強張った顔で押し寄せる生徒たちの波に遭遇した。その中に下級貴族クラスのミツバチ候補を見つけ「な……ぜー、……何、があったの? 手短に……、教えてもらえる?」と尋ねる。
「フランソワーズ様! あ、あの、ロレッタさんが、向こうで」
「あり、がとう。この廊下を、まっすぐ、行った先ってことで、合ってるかしら……!」
フランの荒い息交じりの質問に、こくこく、とその女子生徒は頷く。首肯を返して、フランはシータを連れて人波をかき分け進んだ。周囲で「アレが上級貴族か……、こぇえ」「たった一人のためにここまでするの?」といったざわめきが耳に届く。
無理からぬ話だ。ヴァネッサは、こうと決めたら情け容赦ない。フランが躊躇うような制裁を、嬉々として加えるのがあの公爵令嬢である。
頭に手を伸ばせば髪を鷲掴みにして振り回し、指を取れば「きれいな爪、羨ましいわ。貰ってもいいかしら」と言って本当に奪うような女だ。ロレッタは逞しい子だが、ああいった手合いには不慣れだろう。そして、そういった油断を突くヴァネッサの気質は天敵だ。
「急ぐわよッ……シータ!」
「もちろんですわ、フランソワーズ様」
さらに進むと、気味が悪いほど人通りが少なくなってくる。そうやって閑散とした廊下をまっすぐ進むと、数人の令嬢たちの人影が見えた。そして、その中に見え隠れする真っ白なシルエット。「ロレッタ!」と名を叫びながら近づくと、彼女らは振りむいた。
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憂鬱な朝だった。
目を覚まし、じっと隣の誰も寝ていないベッドを見つめる。それから、少し涙がにじむ。それを眠気の所為だと誤魔化して、ロレッタは立ち上がった。
カーテンを開くと、曇り空が覗いた。どうせなら雨でも降ればいいのに、と思いながら夏の到来を感じさせる熱気に顔をしかめる。
それから振り向いて、二つあるベッドの内、今は誰も使っていない方を見つめて溜息。
「ジシュカちゃん……」
ロレッタ、悲しみの朝である。そして怒りの朝でもあった。
「……絶対、絶対に許しませんよ、ハルト。よくも、よくもジシュカちゃんを手籠めに!」
うがー! とベッドに襲い掛かり、ぼすぼすとグルグルパンチを喰らわせた後、その怒りを原動力に身支度を整える。
傷心の乙女にも、朝食があり、授業があるのだ。ロレッタは鼻息荒く準備を済ませ、自室の扉をあけ放つ。
今日の目標は、無論ハルトに圧を掛けることである。女の子から何かお誘いがかからない限り、絶対に圧を掛ける。ロレッタの意思は固い。
ロレッタは女の子に囲まれながら、ハルトに圧を掛けるのは今度で良いですね、と感じていた。
事の始まりは一時限目の授業の最中からだった。いつもロレッタを回答役に指してくれる数学の女教師が、何故だか今日はロレッタを指名してくれなかったのだ。
「……?」
とはいえ童貞、そんなこともあるでしょう、と普段通りに授業を受けていた。何十年ぶりの高校数学を解いては前世の青春時代に想いを馳せ、当時少しいい感じだったのに何もなかったマネージャーを思い出してすんっ……と俯き、そして窓に映るロレッタに癒される。
そんな一連のコンボをこなしてまた黒板を見やると、いつものようにロレッタから目をそらす多くの生徒たち。だが、今日は当社比三倍くらいで、んん? と首を傾げてしまう。
思うのは、こんなこと。
――ロレッタが可愛いのは分かりますが、クラスの八割が私を見ているのは中々珍しいですね。
確かにロレッタはいつも通り真っ白で艶やかな髪、白磁の頬、白魚の指先も美しく、それら混然一体となって座る様など永久保存ものだが、それでも一度に教室の二割程度が普通である。八割はかなり高い数字だ。
そこでロレッタ、勘づく。
「もしや、ロレッタの美しさが今日で壁を超えた……?」
ありえない話ではない。つまりそれは、常日頃から心がけていた美容意識が、傷心の乙女という精神状況と絡み合って、ワンランク上に至ってしまった可能性だ。窓ガラスなどでは正確に美しさが分からない、と童貞美少女は手鏡を取り出して自らの姿を直視する。
「女神……!」
ほろり、と童貞はロレッタの美貌に涙を流すが、しかしやはり平常運転である。涙をそっとハンカチで拭いつつ、至高の領域の突破はまだまだ高き壁としてそびえたっている。
「では、一体何が?」
うーん、と童貞美少女は腕組み腕組み考える。何故いつもより注目されているのか。結果があるならば、必ず原因が存在するものだ。ではその原因は何だろう、と。
授業が終わってしばらく考えていたが、理由は分からなかった。仕方なく立ち上がり、次の授業室に移動しましょう、と教室を出た直後である。
「あなた、ロレッタ・コールドマンね」
デジャブかな? と思いながら、耳に届いた女の子の声に満面の笑みで振り返ると、そこにはビンタ嬢をさらにキツくした顔つきの美人さんが立っていた。
背の高いモデル体型の少女である。金髪は長くドリルめいて伸ばされていて、鋭い眼光はキツネを思わせる。前髪に着けられた黒い大きめのリボンがとても愛らしい。これ似合うってすごいですね、とロレッタ素直に感心だ。
「初めまして、アタクシはヴァネッサ・エヴリーヌ・ミッドラン。ミッドラン公爵家の長女よ」
名乗りながら、彼女は周囲に視線で合図を出す。途端周囲の生徒たちは駆け足気味に遠ざかっていき、逆にヴァネッサちゃん(身分的に様の方がいいだろうか)の取り巻きらしき、釣り目気味がキュートなご令嬢たちがロレッタの周りを囲い始める。
そして童貞は、冒頭の考えに至る訳である。美少女複数名から掛けられる圧は、何だか背筋がゾクゾクしてよい。フラン様の派閥はロレッタを組み込んでしまったために、そういう空気を作ってくれなくなってしまったのが惜しまれる話だ。
ひとまずロレッタは元気にお返事である。
「お初にお目にかかります、ヴァネッサ様。私はロレッタ・コールドマン。コールドマン男爵家の一人娘にございます!」
「ええ、とてもよく存じているわ。アルフィー第二王子に身の程知らずに近づいてくる不届きもの、と。そして、フランソワーズの追求を退けた曲者だ、ともね」
クスクスクス……、と周囲で含みのある笑い声が響く。その様は強気な少女に囲まれている、というよりも、まるで物の怪に詰め寄られたような不気味さがあった。
前世嗜んでいたS系モン娘を思い出して、童貞美少女はその珍しい趣きに頬を緩ませかけてしまう。危ないところでした、とこっそりロレッタは胸を撫でおろす。こういうのは怯えが混じるから一層魅力的なのだ。軽んじては魅力も半減というもの。
ひとまず、適当言ってはぐらかしておきますか、とロレッタは口を開く。
「フラン様とは懇意にさせて頂いております。大変ありがたいことです」
「そうよ、それ。それが問題なの。あなたの立場は秩序を乱すもの。それを三大令嬢の一人が容認しているという事が問題なのよ。分かる? ねぇ、ロレッタ・コールドマン」
ず、と妙な迫力と共に踏み込んでくるヴァネッサちゃんは、その手をロレッタの頭へと伸ばしてくる。何だろう、撫でられるのだろうか、とワクワクしながら、童貞はその手を眺めていた。
だが、その手はロレッタの髪の毛を鷲掴みにした。おっ、そう来ますか、と思いつつ、ロレッタはされるがまま。
ぐい、と手前に引かれる。普通の女性なら、その力によって強制的に跪かせられるところだろう。
だが、ロレッタは雪山暮らしの狩人育ちである。領兵たちに混ざって精霊術を使いこなす武闘派美少女だ。
要するに筋肉が違った。
「……っ! ……?」
力を籠められるのが分かる。ヴァネッサちゃんが結構強めに髪を引っ張ってくるが、ロレッタの背筋相手では、普通の令嬢の膂力は手も足も出ないのが悲しいかな現実である。しかも不可解そうに首を傾げる始末。何この子萌えキャラ? 可愛い。
童貞美少女は圧の強い系女性には犬のように従順に接するが、一方でポンコツ相手にはちょっと足元を見たくなるタイプだ。可愛さを限界まで引き出すマエストラである。
故に、ロレッタはあえてヴァネッサちゃんの意図を掴みかねる、といった具合ににっこりと無垢な微笑みを放った。ヴァネッサちゃんは、沈黙と共に手を引く。
「えっと……撫でていただいたのでしょうか? ありがとうございます」
「えっ、ええ、とても繊細で美しい髪をしていたから、羨ましくて触れてしまったの。不躾でごめんなさいね」
「いえいえ」
言いながら、ロレッタ、ふむんと目の前のヴァネッサちゃんについて考え始める。ビンタ嬢を思わせる登場だったが、彼女とは違って警告というより制裁の色合いが強い雰囲気だ。ぶちのめして追い出そう、くらいの雰囲気だったのは、流石に分かるというもの。
だが、最近はアルフィーともほぼ会えていないのが実情だ。私他に何かやっちゃいました? と童貞美少女は頭にはてなマークを浮かべている。
そこで「ロレッタ!」とフラン様の声が聞こえた。「フラン様!」とロレッタは満面の笑みで振り返る。