37話 王子二人、共闘
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あの魔物の大群を上手く捌いた後、ハルトは恐ろしいほど魔物と遭遇しない現状に恐れおののいていた。
「絶対何か待ってる絶対何か待ってる絶対何か待ってる」
ハルトは根本、何か問題がないとかえって不安になる性質の人間だ。ブリタニアに来たばかりの頃もそうだった。それが一か月と続いて流石に気を抜いたが、迷宮の中でまで警戒を緩めることは出来ない。
その為、ハルトは薬品をすぐに投げつけられるように“宝物庫”から腰の小物入れに移し、武器も一新していた。剣など帝国四聖剣に数えられる宝剣デュランダルである。持ち主と認められてはいないが、いずれふさわしい使い手を見つける約束で力を貸してもらっている。
「来るなら来い……! 一瞬でのしてやる」
ハルト、猜疑心の塊である。何も出ないのが逆に恐ろしいという心境のため、無数の魔物に終われていた時よりも追い込まれている。
まさにその瞬間だった、微かな音が背後から聞こえ、ハルトは振り向きざまに「伸びろデュランダル!」と命じながら宝剣を振るう。背後にはハルトの背を越すような、翼の生えた大蛇がいたが、剣先の伸びる変幻自在の居合には対応できない。
あっけなく大蛇は体の真ん中で二つに分断されたところ最後の気力を振り絞り、口からハルトに大量の液体をぶっかけて息絶えた。ハルトは体をビシャビシャにされ、だいぶげんなりする。
「……鉄臭。血か、この液体――いや違う! ヒリヒリする! クソ! 毒液かよ!」
要らねぇ最後っ屁しやがって、と思いながら、蛇の魔物が煤と化す前にその死体に飛び込んで、その血で毒液を流した。体を洗い流すような大量の水がない故の、苦肉の策だ。
お蔭で気分は最悪だが、こういった血に濡れた状態は迷宮内では悪くない。というのも、単純に水に濡れているのと同じで体が燃えにくくなるのだ。火を使う魔物は多い。体が炎上するくらいなら、血塗れのほうがマシというもの。
その為、我慢してそのまま進むことにした。血で消されてしまった松明をつけ直し、歩き出す。
しかしその先も魔物は怖いほどおらず、ハルトはびくびくしながら進むことになった。闇の中で息遣いの感じられたさきほどとは違い、何の気配もしない無音の空間はかえって気が狂いそうだ。
「ディーがやったのか……? いや、あいつはそこまで強くない。迷宮の魔物全部を殺して回るなんて、それこそ達人以上の人間じゃないと無理だ」
武力という点で人並み以上程度のディーでは、その領域に達するのは老年になってからだろう。ならば、別の存在がこの現状をもたらしている、と推理するのが妥当だ。
「ブリタニア王立学園内でこんなこと出来るのは、ロレッタからアルフィーくらいのもんだが……どっちもその動機がないからな」
片や王族、片や戦闘そのものにさして興味のない乙女である。可能性があるとしたらロレッタだろうか。友人関係のディーに誘われたらという想定ならありえなくはないが、それでも可能性としては低い。
「アルフィーは絶対ないしな。正直居られても困るが」
教官に言い訳が出来ない。お手柄からの生徒会入り計画もとん挫だろう。とはいえ、まさか居る訳もないのでそこは流石に安心のハルトだ。最悪の事態が想像以下だと思うと、少し気が楽になる。
「……じゃあ何だ? 迷宮の主がトチ狂って深層の魔物を殺して回ったとか」
過去に遭遇した事例である。あの主は強かったなぁと、思い出しても冷や汗が流れる。結局遅れてきた婚約者の一人が簡単にねじ伏せてしまったのだが。分類として英雄に属する人間とは絶対に敵対しないようにしよう、と肝に銘じた思い出だ。
「――って、それだとヤバくねぇか!? ディーじゃ手に負えねぇぞ!」
のんびりしている場合ではない。ハルトは“宝物庫”から手のひらサイズのツボを取り出して、熱心にこすり始める。
するとその中から、ぬっと煙が出てきた。それは次第にエキゾチックでアラビアな雰囲気の、紫の肌の少女の形を取る。壺の精霊。その小さな精霊が、不愛想に「なに」と尋ねてくる。
「悪い、この迷宮の最深層まで穴開けてくんね? 直下型の奴」
「疲れそうだからヤダ」
「いやいやいや、まぁまぁまぁ。そう言わず」
「……」
精霊は嫌そうな顔でハルトを見ている。ハルトは精霊を前に真剣に頭を下げていると、ため息が聞こえて手のひらサイズの少女精霊が言った。
「じゃ、名前ちょうだい。今は忙しいだろうからいいけど、今度呼び出すまでに考えておいて」
そや、と気のない掛け声と共に精霊が手を振り降ろすと、ハルトの眼前に大穴が開いた。見下ろすと気の遠くなるような高さで、何層か地面らしき石の断面が見える。
「じゃ、寝るから」
言い捨てて、壺の精霊は小さな壺の中に戻っていった。ハルトは礼も言いそびれて、壺の精霊が開けた穴とツボの間で視線を行ったり来たりさせる。
「……相変わらずヤベーな。しかし、名前かぁ~。どうしたもんかな。つーか精霊に名前ってあげていいんだっけ。帝学院の精霊学でやったようなやってないような」
精霊はよく分からないところに触れてはならない何かが眠っている場合が多く、扱いが難しいのだ。リンゴをちょうだいと言われて承諾したら、心臓を取られるような存在である。
ロレッタのフロストバードのように土地についている精霊ならば、そういったことはないのだが。その代わりその土地の生まれの人間以外に見向きもしないから、無いものねだりというもの。
「後で調べりゃいいか」
ハルトはグレイプニルの先端を地面に突き刺して、大穴に身を投じた。それから紐を伸ばして少しずつ下がっていく。大穴はだいたい学園の時計塔一つ分を下りたところで終わったようで、「こっぇえ~」とぼやきながら着地する。
そこに至ると、聞こえる音があった。剣戟の金属音。穴を下りている最中にも感じていたが、最下層で最も大きく感じられる。
しかもこの感じは――相手はかなりの実力者だ。
「ディーの仕掛けた攻撃が一つも通らない主って、この学校の人間で対応できるのそう居ないだろ! クソッ!」
無論ハルトにも対応できる相手ではない。が、婚約者の命を見捨てるという選択肢はない。ハルトは毒づきながら、音の根源まで走り出した。そして開いている大扉を躊躇なく潜る。
その先にあったのは、想像だにしない光景だった。
「は?」
まず見つけたのは予想通りディーの姿だった。だが、様子がおかしい。その体からは禍々しいオーラが立ち上り、その立ち回りも普段のディーとは比べ物にならないほどに鋭かった。
そして、それを受けるのはまさかのアルフィーである。ハルトは思った。
何でいるの? と。
「……――いやいやいや、待て待て。呆気にとられてる場合じゃねぇ!」
冷や汗をダラダラ流し、ハルトは目を白黒させつつも、ひとまず二人の間に飛び出した。
「グレイプニル! ディーを拘束しろ!」
右手に三本の長剣をまとめて掴み、長いカギ爪のように振るうディーを腕から拘束する。それから「アルフィー! 何があったんだこれ!」と現状を問うた。
「ハルト君! あのっ、この主の間に入ったらジシュカに変なオーラが飛び込んできてっ。それからジシュカがボクに」
「分かった! よく殺さないでくれた!」
言いながら、ハルトはグレイプニルを引く右手をそのままに、松明を投げ捨てた左手で腰から睡眠薬のガラスを取り出した。しかしその僅かな隙を突いて、ディーはハルトに肉薄しグレイプニルの拘束から外れる。
「クソッ! やりやがる!」
縮み戻るグレイプニルを袖の内にしまい、ハルトは剣に手を掛けた。宝剣デュランダル。変幻自在な剣に「刃を潰せ」と指示を出しながら、ディーの前にかざす。
そこに、アルフィーが駆け寄ってきた。だいぶ疲弊している様子で、ハルトの下にたどり着くなり地面に手をついてしまう。ハルトは「待たせたな、しばらくは任せろ」と言いながら、“宝物庫”から体力回復薬を投げ渡す。
「わ、わ、あ、ありがとう……。ごめん、ボク、満足に女の子の相手も務められないで……情けないよね」
「んなこた一言も言ってねぇだろ! それより、ディーはどんな戦い方をしてる? あの剣の持ち方からしていつものそれじゃねぇ」
「え、あ、えっと。ちょっと待って」
言いながら薬を一気飲みし、アルフィーはディーへと視線を向けた。ハルトもそれに倣い、ディーの様子を観察する。広い空間に二つの松明というか細い光源で、闇の中でぼんやり浮かび上がるディーの姿は掴みがたい。ハルトでは違う事しか分からない。
だが、アルフィーにははっきりと分かるようだ。
「四足獣。今のジシュカの戦い方はそれだね。辛うじて足で立ってるけど、かなり体勢が低い。多分ここの迷宮の主がそうだったんだと思う。それが悪魔付きみたくジシュカに取りついているんだ」
「なるほどな。むしろ普段のディーより俺にとっちゃやり易いかもしれねぇ。気を付けるべき点は?」
「右手の三属性の魔法剣をカギ爪みたいに使うのもそうだけど、それ以上に左手のパタかな。ハルト君は知ってるよね。あれを奥の手としてじゃなく、結構激しく使ってくるから」
「出たよ即死パタ。アレかすっただけで死ぬから気を付けろ」
「え、そんな怖い武器だったの?」
別名呪詛針である。ハルトの窮地をそれなりに救ってくれた武器だ。それが今ハルトに向かっているというのも、何と言うか自分らしくて嫌になる。
と、そこでディーは一歩後退し、闇の中に紛れてしまう。ハルトは舌を打って、耳を澄ませる。素早い足音は確かに人よりも獣のそれだ。たった数秒で、この広い主の壁を何周もしている。
「ハルト君ッ! 右!」
ハルトはアルフィーの指示に従って、デュランダルを振るった。だが勢いが思った以上に強く、そしてディーの剣が纏う火、冷気、電流が眼前で弾けたせいで力が緩み、のけぞるままに手放してしまう。
硬質な地面の上を、デュランダルが滑った。アルフィーが「取ってくる!」と走り出す。ハルトは一応腰から下げていた支給の剣を抜きながら「アルフィー! 気を付けろ!」と闇の中を駆けて行く足音に注意を喚起した。
アルフィーはデュランダルを掴みながら、空いた手で剣を振るった。鈍い金属音と共に、アルフィーの剣が半ばからへし折れる。揺れる松明の火に、パタが見え隠れした。「嘘だろ!」と叫びながら、ハルトも駆け出した。
「え、あ、ど、どうしよ」
「アルフィー! その剣使えるか! いや、使えろ、使わせろデュランダル! じゃなきゃお前のこと海に捨てんぞ!」
戸惑うアルフィーに、剣を罵倒するハルト。デュランダルはプライドの高い剣で、使い手と認めない限り余程根気よく交渉しないと重くて碌に持ち上がらない。
その気質は筋骨隆々の剛の者を好む。アルフィーとは真反対の性質だ。
だが、アルフィーは“軽々と”持ち上げた。
「――えっ、すごい掴み心地がい」
素早くアルフィーの手で翳されたそれが、的確にディーの襲撃を阻止した。再びの鈍い金属音。
だが、吹っ飛ばされたのはディーの方だ。
アルフィーの筋力による反発力ではなかった。ハルトは、デュランダルがアルフィーの意思を飛び越えて戦況を判断し、伸びて地面に突き刺さったのを見逃さなかった。防御という点においては、これで安定感が天と地ほど変わる。
アルフィーの「あれっ?」という間の抜けた声に対して、地面を転がるディーは止まらない。ちょうどハルトの方に来たので、受け止めて素早く睡眠薬を飲ませた。
しばらくハルトの腕の中でもがいていたが、すぐに大人しくなる。
「捕まえて見りゃあ、随分可愛い迷宮の主だな。ったく」
このまま本人も大人しくさせたいけどなぁと考えながら、ハルトはグレイプニルでディーを拘束し始める。そうして簀巻き同然になった彼女をアルフィーと共に見下ろしながら、一息ついた。
「おし。あとは迷宮の本体をディーから追い出して終わりだな」
魔物にのみ効く毒薬をのませると、ぐるぐる巻きのディーは芋虫のように跳ねた。そして苦しげに咳をし始めて、最後に大量の液体を吐き出す。それは次第に岩のように膨らみ始めて、魔石として固まった。ディーから立ち上る禍々しいオーラも消え失せる。
「討伐完了ってな」
ニッと笑ってアルフィーを見やると、キラキラとした目で震えていた。何だ、と思うと、一拍置いて大声を上げる。
「……すご―――――い! ボクにはどうしようもなかったのに。ハルト君が来たら一瞬で解決しちゃった!」
「いやいやいや、お前が居なきゃ俺だってどうしようもなかったって。俺一人じゃディーじゃ敵わないんだから」
「で、でも」
「あーあ―分かった。じゃあこうしよう」
どうしてもハルトの手柄にしたいらしいアルフィーに、ハルトは提案する。
「俺たち二人が揃ったから無事解決出来た。だから、俺たち二人の手柄だ。だろ?」
そういうと、アルフィーはしばらくまばたきしてから、少しはにかんで「は、ハルト君がそれでいいなら……」と言った。男が赤面すんな、と言う代わりに、ハルトは肩を竦める。
そこで、アルフィーはぽつりと口にした。
「ハルト君が兄さんだったなら、きっとボクは王になろうだなんて無理をする必要なかったのかな」
ハルトはその呟きを無視した。ハルトだって、皇帝になどなりたくない。だが、皇太子に任命された以上、二つに一つなのだ。つまり、皇帝になるか、死ぬか。失敗がそのまま自らの死に繋がるハルトであるが故に。
王族に生まれるとは、そう言う事なのだと思う。いやがおうにも大きな権利と重責に苛まれる。いっそまともな倫理観が壊れてしまえば、気楽な放蕩とあっさりした暗殺に身を任せられるのかもしれない。
他人には、どうしようもない問題なのだ。ただ血がゆえに、耐えて生き抜くことを宿命づけられている。
「さて、そろそろってところか」
ハルトはディーに蜃気楼のフードを掛け、背負いながら立ち上がった。それから、「アルフィー、聞こえるか?」と尋ねる。
「えっ、このたくさんの足音」
「狙い通りってところか。さて、じゃあ早いところ口裏を……」
と言いながら、そういえばこれってハルトの考える最悪の状況だったな、と思い出す。どうしてくれよう。と恨めしい目でアルフィーを見つめていると、背中からコソコソと助言が降ってきた。
「迷宮の主の魔術です、ハルト様」
ハッとして、ハルトは意訳し伝える。
「アルフィー、迷宮の主だ。アイツに惑わされてここまで誘われたって設定にしよう」
そこまで言うと状況を察して「それを、ハルト君が助けてくれたって事?」とつなぐ。ハルトはそれに頷いてから「ディーのことは秘密な」と言って見えないままにハルトの背に負ぶったディーの背中辺りを叩く。
「それと、後で詳しい事情……いや、これはいいか。想像がつく」
アルフィーの発言を、ハルトが勘違いしたと言ったところだろう。ハルトにはそのつもりのなかった適当なお願いが、婚約者の解釈で滅茶苦茶になって誤発注されることなど、さして珍しいことではなかったのだし。
そこでちょうど、大勢の貴族の子女、教官たちが武装して現れた。そして「アルフィー殿下! 無事でございますか! アレクトロも!」とこちらを照らしてくる。
「お、おい。何で迷宮の主がいないんだ? それにハルトのその傷……も、もしかして」
「お、おいおいおい……! 兄弟、お前がいつか凄まじいことをしてくれる奴だとは思っていたが、まさかそんな」
攻略組に大抜擢されたエルザ、ハロルドが、そしてそれにつられて他の面々もが血塗れのハルトを見て勘違いを始める。結果オーライか、と思いながら、「本当災難な一日だった」と肩を竦めながら、ハルトは思わせぶりに近寄っていった。




