35話 童顔王子、迷宮攻略の朝に潜り込む
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アルフィーは日の出前、魔法特進クラスの迷宮攻めが始まる数時間前に、冒険装備を整えて迷宮の入り口に立っていた。
「ここに来るのは久しぶりだなぁ」
かつては師匠と共によく訪れたものだった。師匠は厳しくて、あらゆる状況での戦いを叩き込まれたのは良い思い出だ。
足を踏み入れる。闇がアルフィーを包んだが、松明といったものは掲げない。音さえあれば、アルフィーにとっては十分だからだ。
息遣いと殺気があれば、アルフィーは反応できる。
「来たね」
背後から近寄ってくる呼吸は、ゴブリンのそれだろう。風きりの鋭い音は剣のそれか。嫌だなぁと思いながら、受ける。
威力が弱く、アルフィーは反撃に移れない。だが、ゴブリンはそれで調子に乗ったのかケヒケヒと意地汚い笑い声を上げながら何度も切りかかってきた。
一度、二度、三度、四度。「やっとだよ」と呟いて、全ての攻撃を回転の中に巻き込んで反撃する。
ゴブリンの首を刎ねる手応え。アルフィーは溜息を吐く。
「ゴブリン一体なんていう弱い魔獣にすらこれだけ苦労するんだもん、ボクはやっぱり弱いなぁ」
と、そこで気づく。周囲に満ち満ちる魔獣たちの群れの気配。十を超えるゴブリンや、粘っこい音を出すスライム、硬質な音のスケルトンたち。
アルフィーは得心いったように声を上げる。
「そっか。今日は君たちにとって、迷宮の主が復活するお祭りみたいなものだもんね。そりゃ一杯集まる訳だ」
魔獣たちはこぞって跳びかかってきた。アルフィーは眉を垂れさせて、剣を軽く構えながら「えーっと」と弱々しい声で言う。
「ごめんね? お祭りに水を差すようなことしちゃって」
無数の攻撃を受け、アルフィーは目にも留まらぬ速度で回った。その剣は敵の足を落とし、手を役立たずにし、血煙を上げて魔獣の一匹一匹を解体していく。
十を数えない内に、アルフィーの周囲には煤けた煙と魔石が散らばった。軽くむせて咳き込みながら、アルフィーは魔石を拾い集めた。
「ボクが迷宮に入ったのは、ハルト君に見つかる寸前にバレるくらいがちょうどいいからね。部屋の書置きが見つかる前に発見されるような痕跡は、出来るだけなくしておかないと」
それに、魔石は魔力源になる。アルフィーは魔力を使うとへとへとになってしまうので、その防止としてはかなり有用だ。
魔石を拾い終えて周囲の音を確認すると、息遣いの色合いが変わっていた。つまり、獲物を狙うそれではなく、怯え隠れるものという訳だ。
「見逃してくれるのはありがたいね。出来るだけ早く、迷宮の主のところに行かなきゃならないから」
苦笑しながら、アルフィーは目を凝らして転がっている石を探した。それを壁に投げつけ、反響する音を聞く。迷宮というものは主の勃興に応じて形を変えるものだ。かつての姿とは違う形になっているだろう。
「あ、階段結構近いね。やった」
嬉しくなって軽い足取りで進み、見つけた階段を下りていく。この迷宮は大体三十階ほどの深さだが、この調子で進めれば魔法特進クラスとは遭遇せずに最深層へとたどり着けるだろう。
そんなことを繰り返して、アルフィーは大体二十階層まで潜っていく。この辺りから森の魔獣ほどではないがやり易くなってきて、アルフィーはご満悦だ。敵の数も少ないし、だいぶ歩きやすくなってくる。
しかし、進みながら妙に気になる点が増えていた。違和感が大きくなってきて、アルフィーは周囲の警戒を十分にした上で準備していた簡易たいまつを摩擦で点灯する。
そしてその場にしゃがみこみ、目を凝らした。
「……やっぱりだ」
アルフィーは長い髪の毛を拾い上げて呟いた。確認し次第松明を消す。闇が空間に満ちる。その中で、アルフィーは考えた。
迷宮は、主が復活する予定日の前後では封鎖される。これは人為的なものでなく、迷宮の仕組み上のものだ。主が十分敵に立ち向かうだけの力を蓄えるための時間稼ぎである、と言われている。
だからアルフィーはこうして朝のかなり早い時間に出発した。他の誰にも潜っていない迷宮を進む必要があったからだ。
だが、目論見は外れてしまったらしい。
「先客がいるみたいだね。少し、警戒しないと」
耳を澄ませる。息を殺してじっと集中していると、遠く、この先の道で戦う音が聞こえた。アルフィーは少し考え、頷く。
「行ってみよう。まず相手を確認しないことにはね」
アルフィーは速足で進みだした。すると、周囲で魔獣たちの走り去っていく足音が響く。
この低階層においては、もうアルフィーに挑みかかる魔獣はいないようだった。
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戦いの音を聞きながら、アルフィーは考え込んでいた。
響くのは剣戟と魔法の爆ぜる音だ。魔法剣士、と考える。ブリタニアの魔法使いは最終的にそこに至るのが普通だが、いくらか様子が違うのだ。
理由の最も大きな点として、詠唱が聞こえない、というものがある。
ブリタニアのドルイドは、絶えず詠唱内容を歌に乗せて戦う。戦闘のリズムの中に言霊を乗せ、神の耳に届けるべく声高々に謳い上げる。そうすることで神が力を貸し与え給い、魔法を行使できるのだ。
だが、この戦闘からは詠唱がないのにも関わらず魔法の音がする。となれば、この発想に至るのは自然というものだろう。
「ドルイドじゃないね、これ」
魔法らしい魔法ではある以上、ハルト君が使っていたルーン文字の可能性が高い。つまり、帝国の人間だ。アルフィーは裏で巡りゆく様々な策謀の存在を感じながら足を進め、そしてたどり着いた。
狭い入り口の先を見る。広い空間を、爆ぜる魔法が光源となって照らしている。その中心に、黒い長髪を振り乱す少女の姿があった。髪につける三日月の髪飾りが印象的だ。
戦いぶりは、見事の一言だった。三本左腰に下げた短い直剣のうち一つと、左手につけたパタ――手甲から剣が生えたような武器――を振るい、果敢にサンダーバードと戦っている。
面白いのが、事ある後に右手の剣を変えて使う点だ。振るう直剣の三本それぞれに魔法が込められているのか、炎、氷、雷がそれぞれの直剣の表面に走っている。それらを素早く使い分けることで、火の噴射での移動、氷弾の射出、雷撃の相殺を行っていた。
そして、常に奥手に控えられるパタだ。手甲から伸びる直剣という、珍しい武器。あの運用を見る限り、きっとあのパタが一撃でも入れば勝敗は決する。
「……けど、危ないね」
サンダーバードは文字通り雷を操る鳥の魔獣だ。飛び回り、鳴き声で空間を震わせ、一方的に雷を落としてくる。少女に出来るのは、氷弾での牽制くらいのものだ。他の魔法は全て回避、防御に使われる程度で、碌な攻撃手段にならない。
「……」
アルフィーは拾い集めていた魔石の一つを取り出して、自らの剣にこすりつけながら詠唱を始めた。雷よ、からいつもの口上へ移る。
「我が身を焼け、裂け、断て。我はその力を奪い、遣い、原初の勇者が如く振るわん」
――我が身滅びるまで。そう詠唱を終えると、僅かに剣がほの明るく輝いた。逆に魔石は光と魔力を失って、ただの石になる。その石を捨てつつ、アルフィーは少女の様子を見た。
劣勢。無理はない。サンダーバードは、かつては精霊だったと言われる魔獣だ。ともすればフロストバードのような地位を築いていたかもしれない存在。その怨念が迷宮の中で形を成した強敵である。
アルフィーでさえ、魔石がなければ戦うのを躊躇しただろう。魔力不足の体力切れで負けるかもしれない。アルフィーには未知の方法で無残に殺されるかもしれない。そうなればこの国が、ブリタニアが揺らぐことになる。
だからこそ、アルフィーはその場の全員の虚を突く形で飛び出した。
サンダーバードが雷撃を放った瞬間だった。そして少女が、判断を誤って氷弾の剣を抜いた刹那だった。アルフィーはその真ん中に飛び出して雷撃を剣で受けて回転し、少女から放たれた氷弾を剣の平たい面で打った。
ロレッタがこの場に居れば、ホームラ~~~~~~~ン! とでも叫んだことだろう。
サンダーバードの雷を纏った氷の弾丸が、翻ってサンダーバードの中心を穿った。そして、雷を伴って爆ぜる。過去は精霊だったかもしれないが、現在のサンダーバードは魔獣だ。人間に本能的な敵意を持っただけの生物だ。
故に、サンダーバードには生体的機構がある。自らが操る雷で自分が焼かれないような肌や羽を持っている。
もっと言うなら、自分を感電させないために持ち合わせているのが、肌と羽しかない。
「ごめんね。君は強いから、内側から君自身の雷で焼くしかなかったんだ」
肌を突き破った氷から炸裂した電流に内臓を貫かれ、サンダーバードは地面に落下した。同時、魔法という光源を失って部屋中が闇に埋め尽くされる。だが、それを少女は許さなかった。炎の魔法が込められた剣を抜き、部屋を照らす。
「誰ですかあなたは! 何故こんなところ、に……」
言いながら言葉尻が萎んでいく。アルフィーは王族である。そして他国からこのブリタニア王立学園に忍び込むような輩が、通学する王族の顔を覚えていない訳もない。
だから、アルフィーは泰然と問い返す。
「それはこちらの台詞かな。君は誰? 何のために迷宮に忍び込んだの? ブリタニア第二王子、アルフィー・アシュタロテ・ブリタニアの名の下に、答えてもらうよ」
剣を翳す。少女が強張った面持ちで冷や汗をかく。アルフィーは少女に対し強い態度で圧力を掛けながら、ふと冷静になって気づいた。
先ほどのサンダーバードの雷撃で、剣に掛けた魔法は消費されている。
なので、魔法や未知の方法で攻撃されると、一撃までは対処できても、とても疲れてしまう。
……アレ? 助けたせいで窮地に陥っちゃったかもしれない。アルフィーは状況の危うさを理解して、自らの失策を嘆く。とはいえ、目の前で失われそうな人命を見過ごせる訳もないのだが。
睨み合う事数秒。高まる緊張の中で、剣を先に降ろしたのは少女だった。
「……助けてくださった恩があるにもかかわらず、無礼な口をきいてしまって申し訳ありませんでした、アルフィー第二王子殿下。わたしの名前はオルドジシュカ。オルドジシュカ・シャッテンブラウトと申します」
オルドジシュカ、とアルフィーは口の中で少女の名を反芻する。ブリタニア風の名付け方ではない。帝国の主流とも違うが、この数百年の歴史の中で帝国に征服された国の、女王の名前がこんな風だったはずだ。
「君、ハルト君の、ハルトヴィン殿下の関係者?」
「ッ――ご存知でしたか」
ハルトヴィン殿下の婚約者の一人を務めております、とオルドジシュカは説明する。なるほど、とアルフィーは一つ納得だ。どうやって忍び込んだのかは分からないが、恐らく亡命したハルト君を追いかけてついてきたのだろう。
「ハルト君とはもう会った?」
「はいっ! ハルト様が元気なご様子で、わたし本当に安心して……」
そこまで喜びの表情で言ってから、逡巡と共に口をつぐむオルドジシュカ。恥ずかしげに「申し訳ありません。命を救われて、少し気が緩んでいるようです」と首を垂れる。
「ううん、気にしないで良いよ」
好かれてるんだなぁ、とちょっと微笑ましい気持ちになる。事実、ハルト君は魅力的な人だ。誰もが彼を見て凡人だと感じ、彼自身もそう信じているのに、その前提でありえないことを起こす。
その様はある種運命に抗う姿のようで、見ていて勇気づけられるのだ。例えば凡人なのに達人めいた身のこなしをする点とかが、不釣り合いで、だからこそその人生を思わせられる。
「素敵な人だもんね。ボクも君の立場なら、会えて本当にほっとしたと思うよ」
そう言うと、オルドジシュカは表情を柔らかくした。それから、「ありがとうございます。こう言っては何ですが、ハルト様をお褒めいただく機会って少ないので、とても嬉しいです」と口端を緩ませて言う。
「それで、改めて質問するけど、オルドジシュカは何でこんな時にこんなところに?」
「ハルト様のためです」
即答を受け、「な、なるほど」と頷くしかない。するとオルドジシュカも少し言い切りに問題があったと自覚したらしく、「その、今日は迷宮攻略でハルト様が潜ると耳にしましたので、影ながらお手伝いを、と考えまして」と答える。
それにアルフィー、「ボクと同じじゃないか!」と驚き半分、喜び半分に表情を崩す。
「……そうなのですか?」
「うん! その、事情があってハルト君、今手柄か欲しい状況なんだよ。だから迷宮の主を倒せばそれに見合うかなって思って、こっそり忍び込んだんだ」
「わたしと全く同じじゃないですか!」
わー! と二人して思わぬ偶然に諸手を上げる。それから一気に意気投合し始めた。
とりあえず迷宮の奥に進もうか、と歩き始めながらも、お互い自分の知らないハルト君の話を語り合う。もう完全に迷宮の中とは思えないほどに、明るい雰囲気で盛り上がる二人だった。