31話 悪役令嬢、敵の攻撃がガチすぎてドン引きする
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花園の呪術において、基本的に凶器というものは考慮されていない。
何故なら花園の呪術とは、女性社交界においてのみ猛威を振るう呪術であるからだ。こんな令嬢に対してはこういう態度、あんな令嬢に対してはこんな対応を、と言った具合に構成されていて、そこに剣やナイフと言った凶器が入る余地はない。
だが、唯一例外がある。それは、毒だ。
「えっと、オーソドックスにトリカブト周りの解毒剤は用意しておいた方がいいわね。それから、蛇由来の神経毒なんかも。欲を言えばマンドラゴラがあるといいけど……。レイ次第ね」
一番いいのは、そもそも毒物を口にしないことだが。そこまで楽観的になれるほど、フランの人生は楽ではなかった。
――大抵の呪術では、凶器として活用される毒についての勉強も疎かにしてはならない。その一環で、幼少期からフランは食事に多種かつ微量の毒を混ぜ続けられていたという。
冗談ですよね? とフランが尋ねたら、父は黙ってフランがつまんでいたクッキーを、用意されていたハツカネズミに与えた。そのネズミはクッキーを齧るなり激しく痙攣を繰り返し、最後には背中から倒れて動かなくなった。
『ブルゴーニュ家は先祖代々毒殺されてきた家系だ。だからそれに屈さない肉体改造が必要だったんだよ』
父曰く、フランはもう大抵の毒の致死量を超えても、お腹の一つも壊さないらしい。勝手に人の体に何をしてくれてるのよ、という気持ちもあったが、この処置はブルゴーニュ家代々のもので、父も五歳の時には毒蛇に噛まれてケロリとしていたと聞いて諦めた。
そんな話はともかく、フランはカバンに十種類を超える解毒剤を詰め込んだ。ハルトヴィン殿下の言う通り、オルドジシュカが剣を振るってきたならロレッタに任せればいい。だがそれ以外は、フランがロレッタを守ってやらねばならないのだ。
その一環としての毒対策だったが、随分と手間がかかったというもの。
「本当に、世話の焼ける子よね」
そう呟くフランの口元には、しかし笑みがこぼれていた。それはロレッタへの印象の変化が理由としてあるだろう。
数日間接していれば、否が応でも相手のことを掴めるものだ。そして分かったのが、ロレッタは奇人変人ながらも思った以上に無邪気な人柄をしているという事。そういう相手を嫌い続けられるほど、フランも捻くれていない。奇人変人に変わりはないのだが。
――そう、この三日間は、まさにロレッタ漬けの三日間だったといえるだろう。
フランは先日のことを思い返して、苦笑交じりに嘆息した。ハルトヴィン殿下との取り決めを果たすために立てたフランの作戦。それとない遭遇を繰り返す中で、近日に迫った期末試験へ向けた勉強会の流れを作るという、無難な内容だったはずなのだが。
「まったくロレッタには驚かされてばかりね。あの子が存外に私に懐いているってことがはっきりしたのは収穫だったけれど」
本当に、うまく運んでよかった、と事の重大さのために冷や汗をかく思いだ。こうやって何となく気になる生徒に絡んでいき、自然に仲良くなるのは得意分野ではあったものの。
この三日間は、想定よりも難しかったように思う。まずオルドジシュカの警戒心がかなり強かったために。次にロレッタが“思った以上”であったために。
前者については予想していたことだったし、それを乗り越える策も用意していただけあって、順当に事は進んだ。ロレッタからフランへの好感度が高かったことも手伝っていたと思う。この三日間で、彼女は忠犬めいた動きでフランへと近寄ってきてくれた。
その意味で、ここ三日間でロレッタへの好感度がそれなりに上がってきているフランである。友人として接する分には素直ないい子じゃない、という評価に変わりつつある。からかうと飽きもせず恥ずかしがるのが何とも楽しいところ。
が、それとはまったく別のところでロレッタは規格外だった。そりゃあ先日までの騒動であれだけ苦労するわけよね、とフランは頭を抱えて溜息を吐いてしまう。
「ダーツの件といい、勉強会の件といい」
無能な味方は強力な敵よりも厄介だ、などという言葉があるが、ロレッタはその枠にすら収まっていない。
例えば、ダーツ場ではどうだったか。
二日目、三人で訪れたダーツ場で、ロレッタが少し席を話している間にオルドジシュカとダーツ勝負を行わないか、という取り決めがあった。
『フランソワーズ様、点数を競いませんか? 一位の人は、それ以外の人に何か命令できる、みたいな!』
この一言で、フランはオルドジシュカが本格的にフランを排除したがっているのが分かった。同時に、ピリつきだす場の雰囲気にも。小さな勝負だが、平和裏の政治戦ではこういった小さな勝負事はかなり大きな意味を持つ。
とはいえフランも呪術師。こういった遊戯の類は、戦争へ出向く兵士が如く厳しい訓練を課されている。幼い頃は、何度ダーツが理由で鞭を振るわれたか分からないほど。ポーカーなどは、今では負けるほうが難しい。
要するにダーツ場でのこの勝負は呪術戦の第一回が口火を切ったようなものだったのだ。しかしロレッタの帰りを待って、さぁ始めよう、となったところで、目算が狂った。
『――――――――そこです』
ロレッタの手から放たれたダーツは、寸分狂わず20点のトリプルリングへと吸い込まれていった。ダーツ盤のど真ん中にある50点ならば百発百中のフランでも、20点のトリプルリングはリスキーな選択といえる。
ダーツにおける一回の最高得点は、20点のトリプルリング――60点だ。それを毎度確実に得点するロレッタに、オルドジシュカも言葉を失うばかり。
つまりロレッタの圧勝に、フランとオルドジシュカの勝負が意味を喪失したのだ。
これだけではない。勉強会での一幕も同様だった。二回戦とばかり始まりかけていた問題集の点数比べでも、多少困難な問題をロレッタに振ったら一瞬で解かれてしまい、おじゃんになった。そもそもあの時に限っては、オルドジシュカがロレッタに白旗をすら振っていた。
「あれじゃあワタクシたちの勝負が児戯同然だわ」
呪術師にとって、遊技での勝負は戦争と本質を同じくしている。何故なら、それらの勝負事は全て決着後の勝者の発言力の向上につながるものだからだ。武力、知性、そして運。どんな分野であろうと、敗者は勝者の言葉にチカラを感じざるを得ないがために。
だからこそ、圧倒的なロレッタの前には、勝負もまた成立しない。
「天性の呪術師殺しよね、ロレッタ。……ほんと、どうしようかしら」
勝負が成立しないだけならばいいのだ。もともとフランの目的は、オルドジシュカと明確に敵対もせず、それでいてロレッタにも手出しさせないという生殺し状態を保つこと。その点で言えば、オルドジシュカからの排除計画をとん挫させる動きはありがたくもある。
だが、人間それで済むものではない、というのがフランの持論だ。
「呪術師にだって我慢の限界はあるもの。強硬策を使ってくるのも時間の問題」
「フラン様、用意が出来ました」
「ありがとう、レイ」
メイドのレイが机に置いた包みを開いて、フランは一つ頷き「よくここまで集めてくれたわ、大変だったでしょう」とねぎらう。
「いえ、これが私の役目ですので」
「それでもよ。ドラゴンの毒腺なんてワタクシ一人では調達できないわ」
頼もしい自らのメイドに、フランは賛辞を贈る。レイは「過分なお言葉でございます」と腰を折り、部屋から出ていった。それを見送り、フランはドラゴンの毒腺を多少のワクワク交じりに取り出す。
「あぁ、まったく見事ね。これさえあれば万能薬だって作れる。万が一でもロレッタを死なせることはないわ」
さて、とフランは伸びをして、作業に取り掛かった。それが数時間。気付けば定刻となっていて、フランは一息ついて出来た血清や解毒薬などをカゴに詰め込む。
「準備は完璧ね。じゃあ勉強会へと行こうかしら」
メイドのレイに籠を渡し、フランはロレッタとオルドジシュカの部屋へと足を運ぶ。今日勝負を仕掛けてくるとは限らない。だが近い内にしかけてくるはずだ。その為に出来る全てをする。それがフランの主義だった。
……それでもロレッタには手も足も出なかった過去のことは、忘れることにする。
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勉強会を開く習慣が三人の間に定着するまでは、オルドジシュカは行動を起こさなかった。
繰り返される和やかな茶会交じりの勉強会を、フランは最低限の警戒を手放さずに楽しんだ。ロレッタの指導が思った以上に分かりやすかったのもあって、今回の定期試験はかなりいい点が取れそうだ、と少し楽しみなほど。
そうやって何度も顔を合わせている内に知らせが入って、二人きりになれる場所に誘導すると、ロレッタは「フラン様。こちらが実家からの手紙です。お納めください」と便箋を差し出してきた。
「ありがとう。見せてもらえる?」
「どうぞ。ただその……一枚目はちょっとアレなので、飛ばしてください」
ロレッタが気まずそうな顔をするのが珍しく「なぁに? 恥ずかしいことでも書かれているの?」と悪戯心から目を通して後悔した。
『我が愛しの愛娘ロレッタへ。元気にしているかい? お父さんはお前が居なくて毎日泣き暮らしているよ。イジメられたりしていないだろうね? もしイジメられていたならすぐに言いなさい。魔怨の森ごと凍りつかせてやろ――――』
フラン、そこまで読んでそっと手紙を折りたたんだ。一枚目には、今のような文章がみっちり最初から最後まで綴られていて、ちょっとフランには読み切る自信がなかった。
「……なに、これ」
情報量の洪水にぎこちない動きでロレッタを見ると「その、何て言うか、私の父って私のこと大好きらしくって。まぁロレッタが可愛いのは分かりみしかないので一枚目までは限界化してもいいって許可出したら、一枚分ぎっちりそういうのを書くように」と。
「……そうなの」
常識がない分、溺愛されているのだろう、とは思っていた。だが、まさかここまで気色悪い恋文めいた内容だとはついぞ思わなかったフランである。しかも書いてある内容が物騒で震える。学校を凍りつかせるとか、冗談でもやめてほしい。
「二枚目からはまともですよ」
言われ、渋々と二枚目に目を通すと内容はだいぶマシになっていた。ロレッタに友人が出来たことを喜び、その上でロレッタが判断する限りは身分を公表してもいい、と記されている。
「つまり、ひとまずのお墨付きは出たわけね」
「はい! これであとは、フラン様に全て委ねることができます!」
ぴしっ、とロレッタが背筋を正すのを見て「あなたは令嬢と言うより軍人みたいよね」とフランは少し笑った。それから「じゃあオルドジシュカと合流して、勉強会と行きましょうか」と持ち掛ける。
昼下がり、珍しくロレッタ一人で会いに来たのを、人目の少ない階段の踊り場に誘導しての会話だった。
正直、今更ロレッタと関わっているのを隠すつもりはなかった。ヴァネッサあたりが突いてきそうな雰囲気はあったが、背に腹は代えられないという判断だ。しかしそれでもロレッタの家名はまだ極秘事項であるので、こういう対応を取ったという事になる。
「はい! どこまでもフラン様についていきます!」
「はいはい。いい加減あなたもワタクシに慣れなさいな」
「えっ、あっ、いやぁ、そのぉ」
「何よ気持ち悪いわね」
軽口をたたくと顔を真っ赤にしてもじもじするロレッタに、フランは容赦なしだ。気心知れたミツバチ相手でもここまでは言わないが、ロレッタの場合はむしろ喜ぶのでこんなもので良いのだろう、と考えている。
そうして話し合いを終えてロレッタとオルドジシュカの部屋に着くと、オルドジシュカがケーキを用意して待っていた。「これ、わたしからの差し入れです。どうぞ食べていってください」と今では柔和な笑みを見せてくれる。
……それがどこまで本心か、分かったものではないが。
「ええ、ありがたくいただくわ。ワタクシからもケーキを持ってきたから、一緒に食べましょう?」
差し出すと「わぁ! フランソワーズ様のケーキって美味しいんですよねぇ~。ありがとうございます!」とオルドジシュカは嬉しそうに受け取った。そして「じゃあ切り分けてきますね!」と調理台に駆けて行く。
「……JKの笑顔が眩しい……」
そしていつものごとく理解不能なロレッタの独り言である。誰もが羨む真っ白で艶やかな髪と、白磁のような曇りない肌を持つ彼女だが、こういう言動を聞くと羨ましい気持ちにならないのだから不思議というもの。
「じゃあ今のうちに勉強道具を広げておきましょうか」
部屋に入って机に教科書を広げ、ついでにケーキを一口、お先にいただくことにした。といっても、自分のではなくロレッタの皿からだ。「一口いただくわね」と手早くフォークで取っていく。「お茶目なフラン様きゃわわ……」とロレッタも文句はないようだ。
口に入れると、ベリーを主体としたケーキらしい、甘酸っぱい味が口内に広がった。オルドジシュカもなかなか良いのを見つけてくるじゃない、と思いながら、舌で味の深みを確かめる。甘みと酸味、そして隠し味のように潜んだ苦みと、僅かな痺れ。
……痺れ?
フラン、妙な点に気付いて、呑み込まず咀嚼を繰り返す。意識すると、確かに感じられる痺れがそこにあった。他の味の調和に隠されて見えにくいそれ。舌の上でピリリとする感じは、咀嚼を繰り返すごとに強くなる。
それは、実家で繰り返し出された懐かしき茶菓子の味よりも少し強い。
要するに、致死性の麻痺毒だ。
フラン、そっとハンカチを取り出して、毒のケーキを吐き出した。呑み込まずとも一般人なら口がしばらく使えなくなるような強い毒性である。しかも即効性。それをこれほど見事のケーキの中に隠してしまうというのだから、知恵の回る話だ。
「じゃあ私も一口」
ロレッタの言葉を聞いて、フラン、咄嗟に「そういえばクッキーも用意していたのよ。はい、あーん」と最近繰り返し行っていた餌付けの習慣で、ケーキからクッキーへとロレッタの口を誘導する。
フランが差し出すクッキーを、いつものようにロレッタは咥えて食べ始めた。危ないところだった……! とフランは心の震えを全身全霊で隠しながら思う。
そして気づくのだ。オルドジシュカがここで全て終わらせるつもりなのだと。