30話 童貞美少女は気づかない
ロレッタは、どうすればフラン様がジシュカちゃんと仲良くなれるのかを考えていた。
「うーん、うう~ん……」
とある週末の昼下がり。ロレッタ、フラン様、ジシュカちゃんの三人での華々しい勉強会の控えた隙間時間のことだった。
先日フラン様がジシュカちゃん狙いだと判明してから、ずっと二人の仲をどう取り持とうか考えていた童貞である。だが、まったくと言っていいほどいい案が思いつかないのが現状だった。
マジで思いつかない。本気で何も浮かばない。
「ううう~~ん」
そもそもの話をすれば、女の子と順当に仲良くなれたことのない童貞には、端から無理な話だった。自分ですらできないのに、ましてや他人の仲を取り持つなど出来るわけもないのである。
恐らく、フラン様ならばロレッタが気を遣うまでもなくするりと懐に入って、ジシュカちゃんと仲良くなるとは思う。
だがそれでも、ロレッタはフラン様の役に立ちたかった。
もっと言うならフラン様とジシュカちゃんの百合もアリだなと思っていた。
「なりたい……! 百合専門の恋のキューピッドに……!」
童貞、美少女になっても上手いこと行かないので妙な拗れ方をしていた。
そう、童貞美少女ロレッタは、うまくいっていなかった。フラン様の注目はジシュカちゃんに向かっているし、ジシュカちゃんの日々の猛アタックはただただ困惑してしまい、童貞のチキンハートでは受け入れることが出来なかったのだ。
悩ましきは自らの魅力のベクトルと覚悟のなさである。ロレッタの美貌は、男相手なら瞬殺だが女性相手だと存外うまく働かない、と理解してきた童貞だ。
すっと取り出した手鏡越しにロレッタの美貌を眺める。こんなに可愛くて美しくてもう何か見ているだけで幸せになれる最高の愛らしさをしているのに、悲しいかな女性には響かないのである。あぁ本当ロレッタ可愛い。今日も綺麗だよ、と囁いて手鏡をしまう。
それに、悩みはそれだけではない。
「お風呂に一緒に入るジシュカちゃんの方を見るほどまでとは言わずとも、毎朝のブラッシングのお返しくらいできれば……」
童貞はヘタレオブヘタレなので、触れられるだけでもキャパオーバーを迎え、こちらから触れるなど考えられないほどなのだ。毎朝『わたしの髪も梳かしてよ~』と誘われるのだが、畏れ多くて顔真っ赤に断ってしまうほど。
これでジシュカちゃんが『気にしないで。ロレッタはすごい恥ずかしがりなだけって、わたし分かってるから』とフォローしてくれなければ、申し訳なさに頓死してしまうところだっただろう。
だからこそ、ここでロレッタは矜持を見せなければならないのである。
前世で培った百合豚の矜持を。
「あら、ロレッタ。待たせてしまったかしら」
麗しい声に顔を上げると、勉強会の前に少し話したい、と約束をしていたフラン様が来ていた。ロレッタはパァッと顔色を明るくして「まったく微塵も待ってません! 来たのは三十分前ですが!」と返した。
「そう、それはよかっ……ん?」
「それで、お話というのは?」
「……今三十分前に来たって言わなかった?」
「言ってませんよ?」
「あ、そう……大したことじゃないわ。あなたの実家からのお手紙に関してよ。すぐに終わるから、来てくれる?」
言いながら人気のない方向に歩いてい行くフラン様にちょっとドキドキするロレッタだったが、そう都合のいいことが起こる訳がないことは理解している。
言われた通りちょっとした用事だったので、ササっと済ませてジシュカちゃんの待つロレッタとの愛部屋へとフラン様を案内した。
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フラン様の登場に腰を折られてしまったが、ともあれロレッタの方針は決まった。
すなわち、百合豚キューピッドロレッタの爆誕である。
さて、ではどうすればいいのか、と考えながら「あーん」と言葉に従って口を開き、そして咀嚼する。
前世千人切りしたと自慢していた後輩に教えてもらったことだが、女性を落とすのに大事なのは雰囲気だという。つまり、言外のサインを確実に受け取って、口説き文句でメロメロにさせるという、童貞には想像もつかないフェーズがあるらしい。
だが、前世楽しんでいた百合作品でも確かにそういうシーンがあったような気がしないでもない。
そこに、二人を誘導する必要がある。
ロレッタとジシュカちゃんの部屋の中心、勉強道具とスイーツを並べた机を挟んでの勉強会での思案だった。
美少女たちがキャッキャウフフと戯れ合う勉強会。以前の童貞ならば、この場に混ざれるだけでも極楽に至るような気持だっただろう。だが、人間とは進み続けるもの。現状に対する満足をし続けられない悲しい生物。
なればロレッタは二人を観察し、その間に流れる雰囲気を甘いものになければならない。
して、その二人の今の雰囲気はといえば。
「そんな小姑みたいなことを言う前に、自分のことを振り返ってみたらどうかしら?」
「そっ、それはその、同室になった者同士のコミュニケーションってものです! 他意はありません!」
どういう事だろうか。少し目を離した隙に険悪ムードである。ロレッタは驚愕のあまり目を丸くして二人の間で視線を行き来させてしまう。
しかし美少女二人のケンカを仲裁できるほど、ロレッタは対女性コミュニケーション能力が高くない。「あわわわ」と慌てながら、ひとまず自分でも落ち着くために紅茶を手に取る。
「ロレッタ! わたしのケーキも食べてくれるよね?」
「はい?」
そのままの勢いで差し出されるケーキに、ロレッタはキューン! と激しいときめきを感じた。女の子にこんな事をして貰えるなんて……! と感涙しながら口を開いたタイミングで、フラン様に動きがあった。
「ロレッタ、後ろ失礼するわよ」
言うが早いかフラン様から少し強めに背中を押され、思わず手を滑らせてしまう童貞である。紅茶の入っていたカップを落としてしまい、その中身を勧められたケーキ、そしてジシュカちゃんにもかけてしまう。
「あっ、じ、ジシュカちゃん! ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
ロレッタは非常に申し訳ない思いで、ハンカチを取り出しながら立ち上がる。それからジシュカちゃんの服を拭こうとして、気づいた。
紅茶は、ジシュカちゃんの胸から下腹部にかけて服を濡らしていた。ジシュカちゃんはさして怒っていない様子で「もー、気を付けてよ?」と笑って許してくれるが、待ってほしい。むり。むりです。
童貞美少女ロレッタは、宇宙の果てに想いを馳せる。だが、現実は無情だ。「……ロレッタ? 拭いてくれないの?」とジシュカちゃんは催促してきて、思考がバグり始める。
だって、だって無理でしょ。童貞にこんなうら若きJKのおっぱ、もとい胸部からお腹にかけてを拭くなんて芸当は出来ないのだ。出来なかったから童貞のままで居るのだ。それが、あ、あばばばばばばばばば。
「あら、だいぶ濡れちゃってるじゃない。拭くなんて悠長なこと言ってないで、シャワーを浴びてきたら? こっちの処理はしておくから」
そんな窮地を救いだしてくれたのは、フラン様だった。ロレッタはフラン様を普段のように称賛したい気持ちと、人生初のちょっと恨めしい気持ちをブレンドさせた顔で見つめるしかない。
余談だが中世ヨーロッパ風の世界とか言ってシャワーがあるのすげぇ、と生まれたばかりの時に感動した童貞である。何でも帝国のすごい人が発明したとか。父に負けっぱなしの帝国を始めて尊敬した思い出だ。
「えっと……そう、ですね。そうします……」
迷いを滲ませつつも、ジシュカちゃんは結局フラン様の言葉に従って立ち上がった。向かう先はお風呂場だ。毎晩一緒に入る癖に、童貞がヘタレてジシュカちゃんの肌の端すら見ることのできていない、宿命の地である。
「さて、じゃあこのケーキはもう捨てて、と」
「あっ……」
ジシュカちゃん提供の紅茶に濡れてしまったケーキをフラン様に捨てられてしまい、心残りにロレッタは声を漏らす。だがフラン様はきびきびとした人なので、ロレッタが手を出すまでもなく全てのお片付けを済ませてしまった。
こういうときは碌に役に立たない童貞である。反省しきりだ。何か役に立てないだろうか、という気持ちでいっぱいになる。そこで、自らの中で響く声があった。
――そうだ、こんなときこそ仲を取り持たねば。
ロレッタは目を開く。そうだ、今までのようなキマシタワーを立てたいというような不純な感情ではなく、ただ二人のために仲を取り持つべきなのだ。和気あいあいとした雰囲気の中で、楽しい時間を過ごしてもらわねばならないのだ。
となれば、まずは細かな貢献からである。女性は男に比べて清潔感を気にするという話を聞いたことがある。となれば第一に手を付けるべきは決まりだろう。
ロレッタは立ち上がり、宣言する。
「お掃除をします!」
「ん? え? 何よどうしたの?」
フラン様に快適な思いをしてもらうためにも、ロレッタは机周りをグルグル回ってゴミや汚れを探し始める。だが、日ごろからジシュカちゃんがお掃除してくれているだけあって汚いことろが見当たらない。むむむ、とロレッタはへの字口。
ならば、奥の手を使うべきか。そう考え、凍える霊鳥を飛ばす。ロレッタの肩から飛び立った小さな青白い鳥は空気に溶けていき、僅かな時間の後チチッと鳴き声を上げた。
その方向に行くと、壁に何か変なシミが出来ているのに気づいた。変な形。と近寄ったロレッタ、首を傾げる。こんなもの今朝までなかったのに、と思いながら、凍える霊鳥によってサッと凍らせ、そのまま破壊した。
「よし、これで綺麗ですね」
ロレッタの凍える霊鳥には複数の使い方がある。その中でも有用なのが、凍らせた対象を脆くさせる、というものだ。これが中々使い勝手が良く、どうしても女性の筋肉量では壊しきれないものがあっても、何とかなってしまうのだ。
そんな訳で少しだけお掃除に貢献した、という満足感を抱きつつ、軽く壁を叩いてみる。すると何か空洞っぽい音がしたので、眉をひそめた。
「……んん? 何ですかこれ。うら若き乙女の園に……まさか監視カメラ!?」
盗撮撲滅! とロレッタは氷をまとった拳で壁を突き破った。すると、その先にあったのは見慣れぬ剣。
「……何故……?」「こっちの台詞よ。何をやっているのあなた……」
我に返って振り向くと、ドン引きした様子でロレッタを見つめるフラン様が。童貞はやらかし~、と脳内で嘆きながら「いや、その、違うんですよ」と弁解を始める。
「何かその、シミがあるじゃないですか。綺麗にするじゃないですか。それでポンポンってやったら空洞だったので、何か仕込まれてると思って突き破るじゃないですか。そしたらこれが……」
「っていうか、何よそれ」
フラン様の指摘に従い、ロレッタは剣を見た。剣……というか、刀のようだ。見つめて少し考え、答えを出した。
「分かんないですけど凍らせときましょう」
乙女の園に武器とかイランイラン。と凍える霊鳥で素早く氷漬けだ。とはいえ貴重なものだったらいけないので、破壊はしないまま。これでよし! とロレッタは頷き、刀を隅の方に立てかけておく。
「ふぅー、シャワー浴びてきたよ、ロレッタ。フランソワーズ様も、御目汚し失礼します」
「構わないわ。あなたたちの部屋だもの。ワタクシのことは気にせず、ゆっくりなさい」
もう夏なのもあってかなりラフな格好で出てきたジシュカちゃんに、童貞はドキドキだ。思わず頬を染めて、視線を明後日の方向へ向けてしまう。
しかしまだ役目は終わっていない。汚れを取って部屋をより清潔にした今、満を持してフラン様とジシュカちゃんの仲を取り持たねばならない。
「ろ、ロレッタ、それ……」
ジシュカちゃんが刀について何か言っているが、まぁ二人になった時改めて聞けばいいだろう。そんな事より、とラフなジシュカちゃんに向かい(あんまり見ないようにしつつ)「ジシュカちゃん!」と呼びかけた。
「え、な、何?」
「はい、あ、あああ、あーん!」
フラン様が持ってきたチョコレートケーキを一口とって、ジシュカちゃんへ差し出した。童貞、こんな大胆なことを! と顔から火が出る思いだが、まず隗より始めよ。仲の悪い二人にやらせるよりも、ロレッタからその流れを作らなければ始まらない。
「え、あ、うん。ありがと……」
キョトンとしてから、ジシュカちゃんはロレッタのあーんを受け入れてくれた。おずおずと反応を見ていると、察してくれたのか、飲み込んでから「まさかロレッタがあーんしてくれるとは思わなかった。いつも恥ずかしがってたから、嬉しいよ」と言ってくれる。天使。
ほっとロレッタは胸を撫でおろし、この流れならいけるだろう、と満を持して「じゃあ次はフラン様からジシュカちゃんですね!」と拳を握る。
「――――――え」
多少強張った声が返ってくるのは、恥ずかしがっているからか。だがこういうのは強引にでもやった後に親密な空気がついてくる、と千人切りの後輩が言っていた。
なので童貞美少女ロレッタは、「さぁ、一思いにやっちゃってください! それで晴れて仲良し三人組としてやっていきましょう!」と急かす。
しかしやはり恥ずかしいようで、ジシュカちゃんはなかなか動かなかった。フラン様は吐息の後、笑って「あなたの愛しのロレッタはこう言ってるわよ? ほら、ケーキを運んであげるから、口を大きく開けなさい?」とジシュカちゃんを促す。
「……それ、は」
ロレッタ、ん? と首を傾げる。ジシュカちゃんの反応が、流石に恥ずかしがっているのとは違うように感じたからだ。
「ジシュカちゃん、何か不都合でもありましたか?」
もしアレルギー的な何かがあったならやらかしである。そのためジシュカちゃんの目を見ながら確認すると、ジシュカちゃんは深呼吸の後目を瞑って食らいついた。
「ん、んん、美味しいね、ロレッタ」
「ですよね! 私もジシュカちゃんにあーんしてもらいたかったです!」
ジシュカちゃんは目を瞑ってモグモグと咀嚼している。味わって食べているのだろう。よかったよかった、と頷いたロレッタは、先ほどのお詫びと立ち上がり「ジシュカちゃんに紅茶のお代わり入れてあげますね」と移動する。
そこで上手く言った分気が抜けていたらしく、ジシュカちゃんの荷物に躓いて転んでしまう。と同時、ガラスが割れたようなパリンッという音と、中から染み出してくる液体である。
ロレッタ、流石に血の気が引く。
「……ろ、ロレッタ? 紅茶もいいんだけど、わたしのカバン取ってもらえる?」
しかもちょうど必要だった様子。申し訳なさの頂点に達するロレッタは、目を瞑るジシュカちゃんへと、震える手でカバンを渡した。
「ありがと、ん、あれ、何で湿って……」
「ご、ごめんなさい。本当に今日は失敗続きで……」
その言葉に何が起こったのか理解したのか、ジシュカちゃんは「えっ」と驚きに目を開けた。目が合ったので、ロレッタは思いっきり頭を下げる。
「今日は何か、本当にごめんなさいジシュカちゃん! 私、迷惑かけっぱなしで、どうやって謝ればいいか……!」
反応は無言。ああやはり怒っている、とただ首を垂れる思いでいながらも、ちょっと気になって頭を下げながらジシュカちゃんの様子を盗み見た。
ジシュカちゃんは、何故か頬を上気させてロレッタを見下ろしていた。それからハッとして「い、いいの! それよりロレッタ怪我無い?」と確認してくれる。ジシュカちゃん、本当に天使だったりしません?
「大丈夫です! あ! このかばんも弁償します!」
「う、ううん、平気、だ、よ……あ、あぅ」
「あ、あの、ジシュカちゃん?」
じわじわとロレッタを見ながら、ジシュカちゃんは顔の色を赤く赤く染めていく。それが頂点に達したところで、「ごめんわたし少し頭冷やしてくる!」と部屋を飛び出していってしまった。
「……や、やっぱり怒ってます、よね……」
ロレッタ、一生の不覚である。頭を抱えて重い溜息だ。
そこで、フラン様は言った。
「ロレッタ、あなたほど敵に回したくない相手もいないわね」
ロレッタ、キョトンとしてフラン様を見つめる。その表情に秘められるのは、とても複雑な感情だった。女ごころに疎い童貞では、とても読み切れないほどに。
「……えっと?」
「ま、安心なさい。後始末はワタクシが務めるから。じゃ、今日はここでお開きね」
フラン様は立ち上がり、荷物を持って部屋を出ていった。ロレッタはシンと静まり返る部屋に、その寂しさに崩れ落ち、しくしくと泣いた。
「私のミスでッ、私の桃源郷がぁ~~~~~~…………!」
悔しさにその身は震える。だが、これをバネにロレッタは進み続けなければならない。
百合豚キューピッドロレッタは、まだこの果てしないキマシタワー道を登り始めたばかりである。




