26話 凡人皇太子、思わぬ再会に顔面蒼白で冷や汗をかく
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ハルトは魔法特進クラスでの授業を終え、クラスの友達連中と歓楽街に繰り出していた。
メンツはハルト含めて三人。まず毎回訓練でハルトに花を持たせてくれる、おてんば系女子のエルザ。もう一人は魔法詠唱訓練で雷の魔法一発でクリアした、ドヤ顔輝く太っちょハロルド。そしてハルトだ。
「いやぁしかし楽しみというものだな! 剣術訓練、魔法訓練が修了すれば、学園地下の迷宮に挑ませてもらえるんだろう?」
賑やかな大衆食堂、といった風情の学生食堂で、太っちょハロルドはエールを口につける。それに、おてんばエルザが相槌を打った。
「それだな! いつか王立騎士団に入団するときのために、早く魔物の相手に慣れておきたい! それで先輩方をあっと言わせてやるんだ! 今年の新入生はすごいぞってさ!」
「ああそうとも! 早く我が才能をご覧に入れたいものだ! そして我が鋭き雷にて魔物を焼き尽くし、陛下の近衛として登用され――いずれ領地を持つ貴族になる! それこそ我が悲願!」
そう猛々しく宣言するハロルドは、実は学内でも特殊な立ち位置にいる。
ブリタニア王立学園は基本的に貴族の人間しか入学できない。しかし、例外とはどこにでもあるもの。例えばハロルドの場合、一代限りの騎士の血族でも資格を認められれば入学することが出来る、という特例の下魔法特進クラスに入学したという。
では何故ハロルドの父が騎士に叙勲されたかと言えば――
「大商会の息子は強欲だな」
ハルトがハロルドをそうからかうと、太っちょハロルドはニッと笑う。
「そうとも兄弟! 我がアイロン&ゴールド商会は、領地を持ち、正式な貴族となり、いずれ大帝国のグリード商会をも呑み込む国境なき大商会となる!」
――と、言う事なのだった。ハルトもジュースに口を付けながら、ブリタニアの制度も中々面白いと感じる。つまりこのハロルドという少年は、経済という数十年前にやっと生まれた概念の土俵で、帝国お抱えのグリード商会とやりあうといっているのだ。
そういう人間にちゃんと自国最高峰の教育を与えるという判断が出来る、というのは理性的な国家である証拠だろう。ハルトは上機嫌でハロルドの語る夢を聞く。
「そのためにはまず領地を得ねばな! 兄弟には我が右腕として、今の冷静さのように、存分に力を振るってもらうぞ!」
しかしそんなハロルドの言葉に、エルザは眉根を寄せて猛抗議だ。
「何言ってんだハロルド! ハルトはアタシが騎士団長になるときの副団長になってもらうんだ! 商人になんかできるか!」
「エルザこそ何を言う! ハルトは武勇にも優れるが、それ以上に頭がキレる! そういった能力は商売向きだ! 兄弟は我が右腕にもらっていく!」
「うぐぐぐぐ!」
「むぎぎぎぎ!」
額を突き合わせながら、太っちょハロルドとおてんばエルザが睨み合った。ハルトは苦笑しながら「俺の意思はどこへやらってか」と肩を竦める。
この二人は魔法特進クラスでも、剣術、魔法の分野でそれぞれトップの生徒たちだ。その所為もあってか少々我の強い点も目立つが、それでも性根のまっすぐな、気のいい奴らでもある。
「それで、ハロルド。今日はドルイドの魔法のコツを教えてくれるんじゃなかったか?」
いがみ合う二人にその言葉を投げかけると、ピタと止まって「そうだぞ! アタシもそれを楽しみにしてんだからな!」とエルザは至近距離でのにらみ合いを止めて、ベンチに腰を落ち着けた。
「うむ、その話だったな。ではそうだな……どこから話そうか」
ハロルドは少し頭のてっぺんを掻いてから、このように話し出した。
「我が商会は主にブリタニアやバロンでの活動を主としているが、時と場合によってはアレクサンドル大帝国を始めとして諸外国にも通商に向かうことがある。その過程で諸外国の魔法をいくつか見る機会に預かったのだが、その時吾輩が気づいたのは、ドルイドは『耳』の魔法だという事だ」
「……耳?」
エルザは首を傾げながら自分の耳をつまんだ。それにハロルドが「うむ」と、もっともらしく頷く。
「帝国で主流のルーン文字。限られた人間の使う、ギリシャ神話由来の変身魔法、召喚魔法。世界にまたがり知識を収集して拡大する森の賢者の錬金術。神秘と異文化の中に隠された、ジパング諸島の陰陽術。これらと比べてドルイドの特徴といえるのは、詠唱だ」
だろうな、とハルトは思う。となると、ドルイドの耳に対して、ルーンはさしずめ『目』といったところか。
「ドルイドの魔法は、口伝を重んずる。魔法を文字にして記すことを許さない神との契約の下に、詠唱と信仰でもって魔法の奇跡は世に発現する。そこで重視されるのは詩歌的特徴だ。押韻、反復、掛詞。そういった要素が詠唱の完成度に絡んでくる」
「んん~? 難しい言い回しは止めてくれ! つまり、どういうことなんだ?」
エルザの困り顔に、ハロルドは苦笑して「つまり」と言った。
「ドルイドの魔法は、本質的に歌なんだ。例えばだな、歌は一番と二番で歌詞は違えど母音が同じだったりするのは分かるか? あれが押韻。もっと分かりやすいのは音が一致していながら意味が違う掛詞。ただこれらは難しいから、同じ言葉を繰り返す反復でもいい」
ハロルドがかつてしていた詠唱を思い出す。『風よ! 渦巻きて“巨大なる”暗雲となり、“巨大なる”音を轟かせ的を雷撃せよ!』。ここでは巨大なる、で反復が起こっている。
「……何つーか、随分ややこしいんだな」
その場で即興の歌を考え、それを謳いながら戦う、などルーン文字に慣れたハルトからすると難しすぎる。それにハロルドは「いやいや、諸外国に比べれば随分と楽なものだぞ?」と指を振って否定の構えだ。
「例えばルーン文字など、十全に使いこなすなら一万に近い数のルーン文字を覚える必要がある。しかも正しく発動するにはモノに刻み込まねばならないから、杖さえ奪われるような中では力を発揮するのは難しい」
あー、確かに、とハルトは宮廷魔法士たちに叩き込まれたルーン文字の書き取り練習を思い出す。毎度石に刻み込まされるから、腱鞘炎がすごいのだ。
だが、その分ともいうべきか、一度刻んでしまえばその武器は常にルーン文字の影響下にある。ドルイドと違って刻み直す必要もなく、武器はルーンの強化を纏い続けるのだ。
「その点ドルイドは歌い、リズムに乗って剣を振るい、窮地に至ろうとゲッシュ次第で逆転も有り得る。確かにルーンは準備次第で堅実に武力を高められるが、優れた個人が使うならばドルイド、と吾輩は考えている」
だが、ハロルドの言う事も納得できる話だった。ハルトは少し考えて、自分なりの解釈を述べる。
「つまり、ルーン文字は堅実、ドルイドは柔軟ってことか」
「そういう解釈も出来るな」
ハロルドがうんうん頷くのを受けて、ハルトは「なるほどなぁ」と感心しきりだ。確かに、どの魔法がどれだけ優れているなどという単純な理解より、それぞれにはそれぞれの優れた点がある、と考える方がずっと自然だし有用だ。
「ところで、ギリシャ神話由来の変身魔法とか召喚魔法ってどういうの何だ!? 人間って魔法で変身したり何か召喚できたりすんのか!?」
エルザの問いに「ああ、それはだな――」とハロルドが続けようとしたところで、ハルトは彼の背後を歩く二人に目を奪われた。
「わぁ、初めて来ましたこの食堂! 賑わってていいですね、ジシュカちゃん!」
「でしょ~? ロレッタ全然外食したことないっていうから、ぜひともって思って」
絶句である。ハルトは顔を真っ青にして、冷や汗を流し、硬直する。
「つまり、変身魔法は『肌』、召喚魔法は『舌』と解釈されるわけだな。少し奇妙に思えるかもしれんが、総じて並べるならこれらは感覚なのだ。分かりやすく言うと、五感だな」
「あぁ~、そういう事なの、か? ハルト? どこ見てるんだ?」
エルザにせっつかれて、「ドコモミテナイゾ」と首を振るハルト。一方ハロルドは無駄に高い察知能力を発揮して「おお! 何だあの美女たちは! あの二人を見ていたのか?」と楽しげに確認してくる。
「チガウヨ」
ハルト、必死に首を振るも、太っちょハロルドはそんなことを全く気にも留めない。「そこな美女二人! こっちに来たまえよ! 君たちにワインを奢ろう!」と大声で声をかけてしまう。おいお前マジ何やってんだふざけんな。こっち見ちゃっただろあの二人。
「いえ、結構で……ハルト、ハルトじゃないですか!」
「え、あれ、ロレッタの知り合い?」
「あそこの奥の人がそうです! ちょっと行きましょうジシュカちゃん!」
最初は氷の視線で切り捨てようとしていたくせに、ハルトが居るとなると途端ににんまりと笑みを浮かべて歩み寄ってくるロレッタ一行。ハルトはエルザの背を盾に顔を隠すが、「なに女の子の後ろに隠れてんですか顔出してください」と強制的に居直させられる。
「……ドウモ」
出来る限り顔を背けて、ハルトは言った。ちょっと声色も変えている。だが、ロレッタは知ったこっちゃないとばかり話しかけてくる。
「ええ、どうもハルト。数日ぶりですね。元気でしたか? 私はジシュカちゃん! と一緒でとっても楽しかったですよ? ああ! こちら、あなたが幻扱いしてくださったジシュカちゃんです。どうです? とってもかわいい子でしょう」
「……ソウダネ」
頷くと、黒髪に三日月の髪飾りをした少女がはにかんで笑った。そこでハロルドが「ずいぶんと仲がよろしいようだな。二人は親しいのか?」と快活にロレッタに尋ねる。
「私とハルトですか? 親しいって程じゃありませんが、ほどほどの仲ですかね。無視はしないくらいです」
「男で無視しないの、ロレッタにとってものすごく珍しい相手ってことじゃない! も~、教えてくれたっていいのに、何で今まで教えてくれなかったの?」
「えぇ!? いやいや違いますよそういうのじゃないです! 私とハルトは極めてフラットな関係です! ジシュカちゃんとの仲良しっぷりとは比べ物にならないくらいの、取るに足らない関係なんですからね!」
照れ隠しか何なのか、随分とこき下ろされるハルトだが正直それを気にすることが出来る精神状態じゃない。だがこうなったなら、必要最低限の情報は確保せねばならないだろう。そう思い、「その……」と切り出す。
「その子が、ロレッタと同じ部屋になったっていうジシュカちゃん、か?」
「はい。オルドジシュカちゃんです! とっても優しいんですよ!」
「オルドジシュカです。よろしくお願いしますね、ハルトさん」
挨拶され、ぎこちなくハルトは笑みと共に「どうも、ハルト、だ」と返す。そこで強引に割り込んだのは、エルザだった。
「エルザだ。アタシはハルトのクラスメイト。ハルト、この女誰だ? どこで仲良くなったんだ?」
じろ、と警戒する猫のような目で、エルザはロレッタを見た。ロレッタはいつもの人見知りを発揮したのか、「あっ、ど、どどどどど、どうもでしゅっ」とエルザにキョドりまくる。
「こいつはロレッタだ。まぁ何と言うか、ひと騒動あってちょっと仲良くなった奴、だな。詳しくは長くなるから、また今度だ」
「なるほど! 吾輩はハロルドだ! 級友たるハルトがお世話になっている。今後もよろしく頼もう」
いつもより二割増しくらいキメ顔で、太っちょハロルドはご挨拶。こいつも現金だなぁと思いつつ、「まぁその、そんなところだ。ロレッタの話す“ジシュカちゃん”が実在するのは分かったから、今日ところはここでお開きという事で……」と場を流しにかかる。
「え? ワイン奢ってくれるんじゃないんですか?」
「そうだぞ兄弟! せっかくこんな美女たちと話す機会に恵まれたのだ! 少しくらいその幸運のおすそ分けをしてくれたっていいだろう?」
それ幸運のおすそ分けじゃなくて俺のなけなしの幸運を吸い取ってる形になるんですが。
と直接的に言う訳にも行かず、ハルトは「ソウダネ……」と頷いてこの場を耐えるしかない。
そうとなると、それぞれが思い思いに動き始める。席に隙間を作り、選び、座り、そして注文を。一瞬にして合流する面々に、ハルトは何でこうなった……。と頭を抱えたい気持ちでいっぱいだった。




