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25話 悪役令嬢は不穏な情報を得てもビビってはならない

 日が、落ち始めていた。


 学園長が目の前で書類を精査する中で、フランはソファに深く腰を落ち着けながら、窓から落ち行く太陽を眺めていた。この学園長室のある時計塔は、ブリタニア王立学園の中で最も高い位置にある。


 ここからは、街も、森も、空も一望出来た。そして、全てを真っ赤に染め上げる落日も。


「最近、日が長くなってきたわね」


「そうでございますな、フランソワーズ様」


 顔の下半分を真っ白でもわもわしたひげで覆った学園長は、書類に目を通しながら続ける。


「春も終わり、夏が訪れる。全く恐ろしいことです。短くなった夜はそれだけに濃く、濃密な闇を産み落とす。故に強大な魔のモノは、大抵夏に生まれますのじゃ。聞けば神魔大戦で名をはせた魔王も、生まれは夏だったとか……」


 出来ましたぞ、と学園長は顔を上げた。書類の束をまとめて、机でトントンと整え始める。


「これで、ロレッタ・フロストバードの上級貴族クラスへの編入は、フランソワーズ様の任意に行えますぞ。いやはや、お若いのに目覚ましい働き。あっぱれと言わせていただきます。ほっほっほ」


「本当よ。ワタクシも偶には休みたいものだわ。やっと中等部からの問題児たちがこぞって帝国に消えていったっていうのに、ロレッタは一人で問題児たち全員分の苦労を生み出してくれるんだもの。本当に厄介ったら」


「特にフランソワーズ様とは相性が悪そうでございますからな。アルフィー殿下より少し話を聞きましたが、良くも悪くも貴族らしい人柄とは言えないそうで」


 反応を窺うように、学園長はひげを撫でつけながら剽軽な目でフランを見てくる。フランから返せるのは、ため息ばかりだ。


「出会ったばかりの頃に、偽名を使うような狡猾な貴族だと目星をつけたのが大きな間違いだったのよね。あれは芸術家とか、演出家とか、表現者の思考回路の持ち主。要は奇人変人よ。率直に言って、関わりたくないわ」


「しかし、関わらざるを得ない、と」


「そう、関わらざるを得ないの。この貴族の園で放し飼いするには、ロレッタは大きすぎる。花園の呪術に則って名付けるなら、番犬ね。首輪をつけていなければ、花畑を走り回って荒らし、コマドリを食い散らし、ミツバチを叩き落とすことでしょう」


「ほっほっほ! もう一端の呪術師でございますな、フランソワーズ様は」


 書類の束をまとめて渡され、フランはさっと目を通す。頷いて、「編入の手続きはこんなものかしら」と傍に立っていたメイドのレイに手渡した。


「これで、この老骨の役目は終わりですかな?」


「いいえ、あとはいくらか聞いておきたいことがあるわ」


「それはそれは。フランソワーズ様に詰問されるなど、恐ろしくて震えてしまいますぞ」


 心にもないことを、と思う。この好々爺とした学園長は、狡猾な公爵令嬢たちとも一味違い、ひどく老獪だ。聞けば神魔大戦よりさらにさらに上の時代、勇者と魔女の恋物語なんていう御伽噺の時代から生きているらしい。


 こうも長く生きていれば、もはや自らの地位の向上など人生の楽しみとは思っていないだろう。その意味では、安心できる。老い先短い身で、誰かの恨みを買おうなんて思わないだろうから。


「聞かせてもらうわ。一つに、何でワタクシにハルトヴィン殿下の情報を素早く明け渡したのか。二つに、ロレッタとハルトヴィン殿下以外に、不正な入学生はいないのか」


「そうですな……」と学園長は、吟味するかのように視線を斜め上に持っていきながら、しきりにひげを撫でつけている。癖なのだろう。それから彼は、「ふむ」と当たりを付けて話し始める。


「では答えさせていただきます。一つ目の質問への答えとしては、この老骨にとってハルトヴィン殿下よりもフランソワーズ様の方が、優先順位が高いためでございますな。もっというなら、ブリタニアで生きていく以上ブルゴーニュ家を敵に回すのは得策とは言えません」


「賢いのね。では二つ目は?」


「居ません、とは言えませんな。この老骨は長い生涯をかけても英雄の領域には指一本届かなかった凡人です。そして真の傑物とは、凡人の全力の警戒をして、節穴と断ずるもの」


「要は、あなたは把握していないしその予兆も感じていないけれど、約束は出来ない、ということかしら」


「その通りですな。常人は当然、その道の人間も易々とは通さない自信がありますが、傑物までも締め出せると考えるほど、この老骨は傲慢ではありませぬ」


「分かったわ。なら、十二星座の乙女たちがこの学園に紛れ込んでいたとしても、不思議ではないと、あなたの主張はそういうことね?」


 確認にその言葉を用いると、「ほう、十二星座というと、ハルトヴィン殿下の……」と得心いったように学園長はひげを撫でつける。


「そうでございますな。傑物ぞろいの美姫たちならば、誰が紛れ込んでいてもおかしくはない。まったく、そう考えるとこの世の生き辛いことよ。英雄、傑物、そしてそれらすら軽々と追い越していく化け物ども……。凡人のことなど、この世界は顧みもしない」


 首を振りながら、重い溜息を吐く学園長だ。時代の生き証人がこういうと、重みが違う。


「そう。ではお疲れ様。手続きと貴重な話をありがとう。ワタクシはここで失礼させてもらうわ」


「ええ。フランソワーズ様も、どうかこれからも頑張ってくだされ。ですが、ほどほどに休みを取るのも大切ですぞ。頑張り通しでは、人は折れてしまいます故……」


「折れないように、ね。この件が片付いたらちょうど長期休暇でしょうし、アルフィーとバカンスでも計画しておくわ」


 立ち上がり、フランは「レイ、行くわよ」と声をかけて退室した。長い螺旋階段を下りながら、これからの予定を確認する。


「夕食に来られそうなのは誰になりそうかしら」


「シータ様を始めとしたいつものお三方は間違いないと、御付きのメイドより承っております。他には今年から上級クラスに入ったミツバチ候補のご令嬢が一人ということでした」


「ああ、あの子ね。伯爵家の」


 名前は何だったか、と考えながら、フランはメイドのレイを連れて時計塔を下りていった。無論貧弱なフランがやっと地階まで下りた時、ヘロヘロだったのは言うまでもない。




♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧




 四人の令嬢たちと合流し、歓楽街の中でも予約の中々取れないレストランにて、フラン含めた五人は談笑していた。


「それで彼ったら可笑しいんですよ。『これは僕が悪いんじゃない。自分はもう限界だって主張しなかった、この椅子が悪いんだ』って」


 新参の侯爵家の娘の語る、友人の男子が腰かけるなり椅子が壊れた話に、フランを始めとした四人は声を上げて笑う。


「まったく愉快ね、あなたのお友達は」


「はい! そうなんですよ。全く困ってしまいます」


 ほどほどのところで話題をさっと切り上げる様子に、フランはシータへと目配せをした。シータは小さく頷いて、現状彼女がミツバチに相応しい言動をしている、とフランの判断を後押ししてくれる。


「じゃあそろそろ料理の方も落ち着いてきたことだし、本題の方に入りましょうか」


 フランが言うと、四人は一様に頷いた。「シータ」と名を呼ぶと「では現状の報告をさせていただきます」と彼女は答える。


「拡散した二十の噂話の内、現在残っているのは五種類となっております。ロレッタが元平民である、王族の庶子である、他国のやんごとなき身分である、といった三つが主流となっている中、残る非主流の噂の一つとしてフロストバード家説を確認しております」


「結果は上々、と解釈してもいいようね。反感自体の方はどう?」


「だいぶ低下しているように思います。理由としては、アルフィー殿下とロレッタの逢瀬を期待して覗きに行った男子たちが、アルフィー殿下の訓練光景しか見られなかったと嘆いていた、という話が回ってきたのを受けてのものでしょうか」


「接触を控えさせて良かったわ。肝心のロレッタの様子はどうなの?」


「オルドジシュカからの報告では、良好な関係を築けている、とのことでした。一応あなたも確認したんですのよね、バーバラ」


 シータに話を振られ、ロレッタにバケツの令嬢呼ばわりされていたバーバラ・ケツィーが頷いた。


「下級貴族クラスの制服を取り寄せて抜き打ちで様子を確認しに行きましたが、報告以上に仲がいいように見えました。一見して親友のように振る舞っていたように思います」


「ロレッタも気が合う相手には一瞬で打ち解けるわね……。そう、報告ありがとう」


 ロレッタもちゃんと管理すれば意外に扱いやすいのでは、と思い始めたフランだ。学園長との話で何となく例えた“番犬”だったが、実にロレッタの本質を現しているかもしれない。


「なら、総合的に見て結果は上々、といったところかしらね。あとは、ロレッタに何か目立つ功績があればいいかしら。身分の証明がてら、精霊術を使うような」


 上級クラスの面々は言ってしまえば政治家の血族で、軍事の知識に触れることは多いが武術レベルとなると少ない。その中で大規模な奇跡を使う者が居たなら、好感を抱かずにはいられまい。


「まるでロレッタの大好きな演出ですわね」


 シータのしたり顔での言葉に、フランは一瞬キョトンとしたから「まったくだわ。ワタクシも影響を受けているのかしら」と笑ってしまった。


 先ほどとはまた違った、和やかな雰囲気での笑い声。それは、やっとフランたちの間でもロレッタを受け入れる心の準備が出来た証左か。


 しかしそこで、横やりを入れる者が居た。


「……あの、申し訳ないんですが、彼女にそこまでの時間を割く価値はあるのでしょうか」


 言ったのは、新参の侯爵令嬢だ。その言葉に、フランと三人娘は僅かばかり戸惑う。


「それは――どういう意図があっての言葉かしら」


 努めて冷静に、彼女の言葉を促す。「はい」と受けてから少し考え、彼女は話し始めた。


「その、彼女の生まれた辺境伯が重要なのは分かります。その戦闘能力が高いのも、直接見たわけではありませんが、きっとちょっとした冒険者と同等の力を有しているのだろう、とは理解できます」


 ロレッタがちょっとした冒険者の領域にとどまっているなら、人間は魔界へと侵入して、魔族を駆逐しきっていることだろう。いったい何を聞いていたのよこの子、とフランは呆れながらも、続く言葉を待つ。


「ですが、ここまでの苦労をして上級クラスへと迎え入れる準備に奔走する必要が、私には理解できません。見ましたか? 先日の挨拶での、彼女のリボン。生徒会派閥の筆頭、ヴァネッサ様を思わせる黒いリボンでした。あの場でのあの選択は、そういう意図があるように見えてなりません」


「……申し訳ありません、フランソワーズ様。私、少しお花摘みに行きたいと思います。あなたも一緒に行きません?」


「えっ、いやその、まだ話の途中で」


「そうね。ではここで一旦話を区切りましょう。行ってらっしゃい、二人とも」


 今までほとんど口を開かなかった、ロレッタからは名無しの令嬢扱いされていたナナリー・シガレットに連れられ、新参の令嬢は席を外した。彼女らの姿が見えなくなってから、残る三人は話し始める。


「どう思う? あの子」とフラン。


「フランソワーズ様直属にするには、不適格かと存じますわ」とシータ。


「私もそう思います。邪推にしても下手に信憑性を持たせて来るのが、少々……」とバーバラ。


「そう、ね。やはり再分類は必要だとワタクシも感じたわ。とはいえ身分が高く、おしゃべりで、妙な信憑性を含ませて物事を考える、という要素を一人で併せ持つのは、貴重な人的資源ではあるわ」


 言うなれば、頭に綺麗な花の咲いたコマドリといったところか。ミツバチにはなれないが、それ以外では使い勝手がいい。


「最重要会議を行う茶会への参加メンバーからのみ外してちょうだい。わざわざサロンから除名して波風を立てることはないでしょう」


「分かりましたわ。そのように手配しておきます」


 シータがそのように頷いたところで、フランは一つ溜息を吐く。


「それにしても……何だか少し前の自分を見ているようで辛いわ」


「ロレッタの本性を最初から見抜ける人なんて、それこそアルフィー殿下くらいのものですわ……」


「そうです。油断ならない魔性の女だと、最初は誰もが勘違いします」


 シータ、バーバラからこぞってフォローを受け、「そう、そうよね……」と言いつつもげんなりしてしまう。そこで二人が返ってきたので、ウェイターにデザートの用意を頼みつつ、話題を〆にかかった。


「ひとまず、今回の件はここまでとさせてもらうわ。みんな、協力ありがとうね。差し当たって他に何か言っておきたいことはあるかしら」


「あ、あの、フランソワーズ様。その、先ほどの私の話は……」


 新参の令嬢がそういうので、フランはあくまで温和に微笑んで答える。


「ええ、十分考慮に入れておくわ。それで、他に何かあるかしら」


 恐らく何もないだろう、という想定の下尋ね返すと、「でしたら……」と彼女は口を開いた。つくづくコマドリね、と自分の再分類に、フランは確信を深める。


「先ほど話題に挙がったオルドジシュカ、でしたか。彼女の姿を、以前生徒会室の近くで見た、という噂を聞いたことがあります」


「……それ、本当?」


「はい。ロレッタさんを連れてのこと、という訳ではありませんが、そのように耳にしております」


 フランは口元に手を運び、この場では考えきれない、と判断して「ありがとう、とても重要な情報だったわ」と礼を言う。


「では、今日はお開きとしましょう。最後に甘いデザートに舌鼓を打って、ね」


 にっこりと笑みを全員に向けると、それぞれから屈託のない微笑が返ってくる。ひとまずこの瞬間は全員の心が一つになったので、今日のところは良しとするフランだった。


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