24話 悪役令嬢たるもの敵対令嬢に嫌味を言われても気にしてはいけない
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喫茶店でフランは、一人の少女と向かい合っていた。
「それで? 用件ってなぁに?」
歓楽地区の中でも、物静かな一角に構えられた店。その店内を貸し切りにして、メイドを除いた二人っきりで令嬢たちは紅茶を口に運ぶ。
緑色の毛量の多い髪をリボンで結んで、肩口から体の前面に流しているのが特徴の少女だった。名を、ミリアム・ベルベット・スコットランド。フランの生家であるブルゴーニュ家と肩を並べる、スコットランド公爵家の次女だ。
「端的に言うなら、近況報告よ。ロレッタ・コールドマンは、ワタクシのサロンに加入することになったわ。それを、この口から誤解のないよう伝えておく必要があると思ったの」
「まぁ! フラン、あなたアルフィーのこと諦めたの?」
「そんな訳ないでしょう。アルフィーはワタクシのかけがえのない婚約者よ? ロレッタの件は、内々に解決した上でそういう決断を下すに足る理由があったのよ」
へぇえ、と訝しげにこちらを見てくるミリアムだ。おっとりした話し方の癖に、こう言った話題では抜け目のなさがある。直接言う事は決してないが、フランが認める厄介な女第三位である。ちなみに一位はロレッタ。
フランと対等な社交的実権を持つ、今の学園の権力者の一人だった。立場は穏健派に位置している。物事の解決は卑劣でも穏便に、をモットーとするフランとも、苛烈でもふさわしい裁きを、を信条とするもう一人とも道を同じくしない人物。
年こそフランよりも一つ上だったが、呼び出せばこうやって話を聞いてくれる分、御しやすいと言えば御しやすい相手だった。逆に言えば、釘を刺さなければ予想もつかない動きを取ってきかねない、ということでもあったが。
「ということは、その理由というのをお聞かせ願えるのよね? 楽しみだわ。どんな奇想天外な話が飛び出すのかしら」
「あなたのそういう煽り癖、いつになっても治らないわね」
「性分ですもの。それに相手から売られた喧嘩を買う分には、わたくしが悪いと判断されることはそうないのだし」
全く性格の悪い、とフランは溜息を吐きたくなる。とはいえ、今回の話はミリアムのお眼鏡にかなうだろう。
紅茶に一口つけながら、フランは告げる。
「ロレッタ・コールドマンの姓は偽りのモノだったのよ。本物の家名は、フロストバード。それだけで納得は行くでしょう?」
「……まぁ。驚いたわ、いえ、本当に」
流石のミリアムもそれ以上は言葉が続かなかったようで、ポカンとした表情でフランを見つめてくる。それから、一度頷いて言った。
「王の隠し子、他国の王族、なんて噂はあったけれど、まさか氷壁のお姫様だったなんて。無下にできない訳ね」
お姫様、ミリアムが表現するのは、それだけフロストバード領が特殊な立ち位置であることの証左だ。実質的な国防を一手に務める名家ながら、立地が北端であるがために情報があまりに少ない。中央貴族からすれば、自国の一部と言うよりも恩のある他国に近いのだ。
「でも、その永久凍土のお嬢様はアルフィー王子にご執心だったんじゃないの? 諦めたのでなければ、どうしたのよ」
「あくまで親友としての感情なんですって。それでも仲が良すぎると思ったけど、ロレッタの家名公表までは会うのを我慢してくれるって約束してくれたわ。今は厄介ごとがないように、シータに託したところ」
「あの子もつくづく苦労人よねぇ。フランソワーズほどじゃないけれど」
「本当に助けられてるわ。シータだけじゃなく、みんなにね」
「ふふ、あなたのそういういい子ちゃんなところ、わたくし大っ嫌い♡」
くすくす可笑しげに肩を揺らしながら、ミリアムは言う。何で三大公爵令嬢には、自分含め悪人しかいないのだろう、などと考えるフランだ。
ミリアムは、メイドにお代わりさせた紅茶に、角砂糖を三粒入れながら尋ねてくる。
「それで、これからどうするの? あなたのことだから手は打っているんでしょうけれど」
「ひとまず、生徒間での反感とロレッタの上級貴族クラスへの編入から対処を始めているところね。両方が解決して初めて、ワタクシの心に平穏が戻るってところかしら」
ハルトヴィン殿下の婚約者問題は、彼自身が解決すると言った以上、フランはノータッチだ。協力を求められれば話は別だが、そうならないことを切に願っている。
「ふぅん。うまくいくと思う?」
「余計な邪魔が入りなければ、といったところかしら。だから余計な邪魔の一つになりかねないあなたに、こうやって釘を刺しに来たのよ」
隠すことなくそう言うと、ひどく嬉しそうにミリアムは笑う。
「うっふふ! なるほどね。となると、ヴァネッサにもこの話は通しておくの?」
「まさか。彼女に話したら、ロレッタを自陣に組み込むために動くでしょう? ワタクシとしてはあの子を活用するつもりはないけれど、自分が追い込まれるために使われるのだけはご免だもの」
「あはは、犬猿の仲だものねぇあなたたち。わたくしがフランソワーズなら、ロレッタ・フロストバードを上手く使ってヴァネッサを潰してしまうけれど」
「ヴァネッサは嫌いだけれど、必要な人間だもの。ワタクシが問題児に注意に行って、するりと逃れたらミリアムが懐柔に向かい、それでもだめならヴァネッサが捻り潰す。ワタクシはあんな真似できないわ」
一度やって、不向きだと確信したのをよく覚えている。要は、適材適所ということだ。フランはやれても驚かすくらい。キツめのこの容姿では、ミリアムのように甘やかし手懐けるのも向いていないだろう。
「今のブリタニア王立学園における三大公爵令嬢は、一人とっても替えがきかないのよ。ワタクシはそのことを良く弁えてるつもり。だからミリアムも、そうやって他人事みたく煽らないでほしいわね」
「あら、怒られちゃった。そうねぇ、ならこの辺りでお開きとしましょうか。最後に確認だけれど、フランソワーズからの要求は、『手出しをするな』『ロレッタのことはヴァネッサ含め生徒会陣営に漏らすな』って解釈で良いかしら」
「ええ、問題ないわ」
「そ、じゃあアフタヌーンティーはご馳走様。美味しかったわ」
ミリアムは立ち上がり、緑の髪の束を揺らして店を出ていった。「レイ」と呼ぶと、メイドのレイが厨房の方から現れる。
「後片付けの方よろしくね。ワタクシは、これから学園長との手続きに向かうから」
「畏まりました。ご夕食の方はいかがなさいますか?」
「出来るだけミツバチととりたいけれど……都合は付けられる?」
「サロン付きのメイドたちに連絡を取っておきます。時間はいつも通り、夕方六時半で」
「ええ、お願い」
フランは言って、店を後にした。通った扉が背後で閉まり、カランカランと音を立てる。今日も忙しいわね、と速足を学園長の部屋へ向けようとしたその時、目の前に現れる影があった。
背の低いフランからは、見上げるようなその影。誰のものかを理解して、うげ、とフランは顔をしかめる。
「あら、これはこれは。ブルゴーニュ公爵家のフランソワーズ様じゃありませんの」
「……ヴァネッサ」
噂をすれば影とは、よく言ったものね。とフランは心中で独り言ちる。そこに立っていたのは、先ほど話題にあげたばかりの人物。三大公爵令嬢の中でも最も苛烈な処置を取る“慈悲なき淑女”ことヴァネッサ・エヴリーヌ・ミッドランだった。
目立つ長身に、輝かんばかりの金髪縦ロール。黒であしらったリボンを前髪の上に着けている姿は、狙いすぎで、実に面白いくらい狙いを打ち抜いていた。
ロレッタほどではないが、それでもエルフの血の恩恵を一身に受けた美貌である。そんな彼女が、芝居がかった様子で肩を竦めて見せるのは、慣れていなければ戸惑うに違いない。
「嫌だわ、そんな睨むような目で幼馴染のアタクシを見るなんて。悲しくなってきちゃうじゃないの」
「よくもまぁ、そこまで心にもないことをペラペラと喋れるものよね。毎度のことながら、感心してしまうわ」
出会って数秒という短時間に、二人は皮肉を交換する。いつも通りの挨拶のようなものだ。お互いの得意分野が完全に一致しているが故の、瞬間的に限界ぎりぎりまで張り詰める緊張感。
出会うたびに負けられない戦いが起こるのだから、やっていられない。
「あなたが出てきた店、さっきミリアムが出ていったわよね? 水臭いじゃない、三大公爵令嬢が集まるなら混ぜてほしいところだわ。それとも、アタクシには聞かせられない話だったかしら? ねぇ、フランソワーズ」
遠く、緑髪のミリアムが歩き去っていった方向に目をやりながら、ヴァネッサは探りを入れてくる。それが図星なのだから嫌なものだ。
とはいえ、フランも腹芸はお手の物。表情一つ動かさず、軽やかに返して見せる。
「あなたも可哀想な人ね、ヴァネッサ。きっと人の行動一つ一つに裏があると勘繰らないと死んでしまう病気なのよ。いい医者を知っているから、紹介状を書いてあげましょうか?」
「……ふふ、いつも通り、うまく隠すわね。けれど無駄よ、無駄。ねぇ……ふふ」
一歩ずつ、ヴァネッサは距離を詰めてくる。フランは後ずさることも、ことさらに警戒することもない。泰然と、値踏みするように眺めてやるだけだ。
「フランソワーズ、あなたが受け持っているロレッタ・コールドマンの一件、いつ解決するのかしら?」
切り込むような迫力を持った問い。フランは、鼻で笑って返す。
「ほとんど解決したところよ。言ってなかったかしら?」
「なら、最近活発に動いているあなたのサロンは、一体何をやっているのかしらね? アタクシの見立てでは、婚約者絡みだからって意地を張って受け持ったはいいけれど、持て余して火消しに奔走している、といったところだったのだけど」
触れる寸前、というくらいの距離までヴァネッサは接近し、頭一つも高いところから威圧的に見下ろしてくる。彼女の長い指がフランの顎先を撫で、顔を持ち上げた。
「泣き虫フランソワーズちゃんは、心の中で今どんな顔をしているのかしらね?」
フランは、直視する。その、小動物を甚振る楽しさを覚えた、キツネめいた顔を。嗜虐心に細められた目を。弧を描き意地悪く笑う口を。
そして、手を振るう。
パシィンッ、と乾いた音が鳴った。頬を打たれたヴァネッサは、よろけて数歩離れたところで左頬を赤くしている。フランは手のひらに走った痛みを反対の手で撫でながら、毅然と告げた。
「失礼したわ。淑女の顔に許可なく触れるなんてあまりに無礼な真似だったから、思わず平手で対応してしまったの」
「――ふ、ふふ、ふはは。何だ、本当に何もないのね。残念。あなた、困ってるときにイジメると楽しいから、チャンスだと思っていたのに」
数日前なら狼狽えたかもしれないけれどね、とフランは思いながらも「その嗜虐趣味、いい加減直したらどう? あなたのような人が第一王子の婚約者なんて、ワタクシ恐ろしくってブリタニアの未来を憂いてしまうわ」と苦言を呈する。
「ああ、いいのよ。王子殿下はアタクシのこの性格を含めて愛すると仰ったわ。運命を見通す魔眼を持ったエセルバート様がそう言うのよ? アタクシこそが、相応しいの。分かる?」
言われ、フランは口端を難しくしながら想起する。ブリタニア第一王子エセルバート殿下。運命を見通す魔眼を持っているとされ、彼が見出した人物は驚くほど優れた者ばかりであると。
その反面なのか、本人はどこか投げやりでいる、というのがフランの評価だった。ある意味では王の器だ。だが、フランはアルフィーをこそ玉座に着けたいと思う。この辺りは、フランの個人的な意見だろう。
ともかく、油断ならない人物である、というのには変わらない。王族である以上主同然だが、派閥的な話をすれば敵でもあった。そして、ヴァネッサはエセルバート殿下が見出したたった一人の婚約者だ。
その意味では認めている――と思っていた矢先に、ヴァネッサはフランにこう言った。
「だから、あなたにとやかく言われる筋合いはないのよ、おチビちゃん」
カチンときて、フラン言い返す。
「そう、それは良かったわね。にしても、あなたと第一王子は本当にお似合いね。特にあなたのその高すぎる背丈なんか、第一王子が長身でなかったら不敬に値するほどだったわ」
「……。でしょう? あなたもアルフィーととってもお似合いよ。あなたじゃなければアルフィーは、きっと結婚式で可哀想な目に遭ったでしょうから」
アルフィーの小さな背丈を馬鹿にされ、フランは自分への侮辱以上に腹を立てた。青筋を立てながら、皮肉をさらに利かせていく。
「それに、その冗談みたいに大きなリボンも、身長に合わせたんでしょう? 子供心を忘れないって素敵だわ。ワタクシにはもう子供っぽくて付ける勇気がないもの」
「あら。アタクシなんかより、よっぽど大きなリボンが似合いそうな体型してるじゃない、フランソワーズは。もっと自信持ってほしいわ。そうだ! 今度プレゼントしてあげましょうか? 真っ赤でおっきな、可愛ーいリボンを」
言いあいながら、お互いに至近距離で睨み合う。しかしこれを繰り返したところで決着など突かないだろう。ふん、と鼻を鳴らして、フランは仕切り直した。
「ま、そういう訳だから、余計な手出しは無用よ、このメルヘンデカ女。分かったらさっさとそこを退いてもらえるかしら。ワタクシにはまだやることがあるのよ」
「それはそれは、働き者で何よりね、お子ちゃまドチビちゃん。ではここでさようなら。辛いことがあっても泣いちゃダメよ?」
最後にもう直接の悪口をぶつけ合って、フランとヴァネッサはすれ違った。その際奴はフランに肩をぶつけてきたので、体格に劣るフランは被害甚大だ。痛いし危うくコケかけた。
「……いつか吠え面かかせてやるわ」
肩を押さえながら大きく舌打ちをして、フランは歩き去る。切り替えなければ。淑女たるもの、顔には常に笑みを貼り付けているべきなのだから。