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21話 悪役令嬢、会議で凡人皇太子と絶望に満ちた顔を突き合わせる

♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣♧♣




 フランは授業終わり、ロレッタ騒動で貯め込んでいた授業課題のすべてを消化した達成感で、椅子にもたれてぼんやりしていた。


「……あとは、アレクトロといくらか話すだけでワタクシは自由の身……」


 ではないが。当分差し迫った何かがなくなるという意味では、束の間の休息を得られるといったところか。


「お疲れ様、フラン。先生もフランの必死な内職っぷりに戸惑ってたね」


 穏やかに話しかけてきたのはアルフィーだ。この授業は二人とも履修していたので、様子を見られていたという事だろう。少し恥ずかしい気もするが、アルフィーに今更、恥も何もない。


「あらかじめ言い含んでおいたもの。政というのはね、こういう手回しが肝要なのよ」


「流石フランだね。後ろ暗いことをやらせたら右に出る者なし」


「褒められてる気がしないのだけど?」


「からかってるからね」


 そう言って穏やかに笑うものだから、フランは「もう」と軽くアルフィーを叩きながら照れるしかない。


 ――四人で会議した時に突如として気絶してしまったアルフィーは、目覚めた後自らが問い詰められた内容を覚えていなかった。


 その時の場の雰囲気は、フランには体験したことのないものだった。触れてはならない禁忌に触れてしまった、という血の凍るような感覚。その場でハルトヴィン殿下が「これ以上は止めとこうぜ。妙なものが出てきたら敵わん」という言葉に、どれほど安堵したか。


 いずれ解明せざるを得ない点であることには、間違いがない。だが、心の準備のできていないあの瞬間だけは、触れないでおきたいという気持ちが勝った。そしてそんな臆病な心に支配される自分に、嫌気がさしたのが忘れられない。


 ハルトヴィン殿下との会議では、そんな情けなさへの克己も果たすつもりだ。


「これから、ハルト君とお茶会?」


 そんなフランの複雑な心境もつゆ知らず、アルフィーはこうやって笑っている。フランは「ええ、今後のことを色々とね」と頷く。


「その……ボクも行っちゃ」「ダメよ。アレクトロがそう指定したのだから」


 それに、フランもハルトヴィン殿下もアルフィーのことをいくらか議題にあげる以上、本人が居ては問題だ。


 余談だが、表向き身分の知られたくないハルトヴィン殿下のことを、フランは偽名の苗字で呼び捨てる。それも出来るだけ小声で。そうすれば、“ミツバチ”は察してこの事を周囲に漏らさないでくれる。


「じゃあ、行ってくるわね。あなた達も、また明日。いずれ近い内にお茶会しましょうね」


「はい! ごきげんようフランソワーズ様!」


「ええ、ごきげんよう」


 近くでチラチラと視線を送っていたミツバチやコマドリ達に挨拶して、フランは一人教室を出た。それから廊下ですれ違う令嬢たちと笑顔や挨拶を交わしながら、まっすぐサロンへと向かう。


「お帰りなさいませ、お嬢様。すでにアレクトロ様が客間にてお待ちです」


「ただいま、レイ。今すぐ向かうわ」


 サロン館の扉を開くと、すでに待機していたメイドのレイが恭しくフランに向かってお辞儀してきた。彼女にカバンを手渡し、いくつかの資料を受け取ってフランは足早に客間に向かう。


 そして、扉を前にして立ち止まった。フランは深呼吸して、下唇を少し噛みながら扉を開く。


「お待たせしました。フランソワーズ・アストヒク・ブルゴーニュです。先日ぶりですわ、ハルトヴィン殿下」


「……場を改めたからって、雰囲気固くしすぎじゃねぇか?」


 椅子に座って微妙な顔つきになるのハルトヴィン殿下。この方はどうやったって自分の身分がどれほどのものが理解しないわね、とフランは少々呆れてしまう。


「ハルトヴィン殿下が緩すぎるのです。ワタクシの対応は国際的にみても標準的なものですわ」


「また固いことを……。ブルゴーニュ嬢は俺の臣下でもないんだから、敬いなんか要らないぞ?」


「敬っていません。警戒しているのです」


「あ、そうですか……」


 ショボンとしてしまうハルトヴィン殿下。ロレッタほどではないが、この方もやり辛い、とフランは席に着き、資料を置きながら僅かに渋面になる。


「それで、今回の議題ですが」


「今回は二つ。まずアルフィーがぶっ倒れた件について俺なりにいくらか調査したから、その結果の共有。次に魔怨の森の結界の綻びに関する情報提供だ」


 後半の用件を耳にしたフラン、あ、束の間の休息すらないわねこれ、と直観して精神が数秒灰になる。


「……大丈夫か?」


「ええ、大丈夫です。問題は皆無です。どうぞ、続きをお願いします」


「お、おう……。じゃあ話すがよ」


 ハルトヴィン殿下は、軽く息を吐いた。それから、「アルフィーの件だが」と切り出す。


「あいつ、気絶する寸前で『契約』って言ってたろ? だから魔法絡みなんじゃねぇかと思って、俺なりに図書館で調べてたんだよ。そしたら、ドルイドの魔術には面白いものがあるって知ってな」


 ゲッシュ、とハルトヴィン殿下は口にする。やはり異国出身者の目から見てもこれに行きつくか。


「ケルトの神との約束事。約束を守る代わりに代価を得る。そう言うやり口がドルイドにはあるらしいな?」


「……ええ、ありますわ。かく言うワタクシも、数種のゲッシュを神に誓っていますもの」


「内容は?」


「生憎と、こういうのは他言無用なのが常識です。殿下といえどお教えすることは出来ません」


「なるほど。となると、ブリタニアにおいてはゲッシュってのはかなり重きを置かれる存在なわけだ」


 得心顔で頷くハルトヴィン殿下に、フランは首を振る。


「かなりの重き、ではありません。文字通り神との契約であるゲッシュは、“破れないか”、破れば神罰が下ります。つまりは、この国出身でドルイドに慣れ親しんでいる人間にとって、ゲッシュを破るのは“あり得ない”ということになりますわ」


 その意味で、アルフィーはきっと破れなかったのでしょうね。フランはそう言って、レイがそっと用意した紅茶に口をつける。


 それから、「これを」とフランはハルトヴィン殿下に資料を渡した。


「ゲッシュについて、メイドに調べさせた資料のまとめです。ケルト神話圏でないハルトヴィン殿下には、必需品でしょう」


「お、ありがたい。近い内に目を通させてもらう」


 というか、その感じを見るとブルゴーニュ嬢の考えと俺の考えは一致したらしいな? ハルトヴィン殿下が片眉を下げて剽軽そうに言うのを「ドルイドの魔法使いで思いつかない人間は居ませんわ。だからこそ、恐ろしさに竦んでしまったのですけれど」と返す。


「ま、仕方ないことか。背信者になって神から嫌われるなんて、想像するだに恐ろしいことだもんな」


「自国の研究機関の頂点に魔女を置いている人間の言葉とは思えませんわね」


「置いてるのは俺じゃなくて親父だ。『黎明の魔女』はほっとくと世の中の技術を勝手に数百年単位で進めやがるからな。今人工知能作ってんだってよ。人工知能って言って想像できるか?」


「やめてください。ワタクシはそういった科学的な話は出来ませんわ」


「俺にだって出来ねぇよ。黎明の魔女だけじゃなく、畏怖の世代の化け物どもは桁が違う」


 ハルトヴィン殿下は肩を竦め、紅茶を一啜り。『畏怖の世代』、ね。とフランは息を吐いた。かつての神魔大戦での立役者たちを指す言葉だ。現アレクサンドル大帝国皇帝を始めとして、『厄災の竜』『黎明の魔女』『無光の勇者』と人の皮を被った化け物が跳梁跋扈していた。


 ちなみに、ロレッタの父ことフロストバード辺境伯もその一人だ。ブリタニア=バロン王国連合唯一の『畏怖の世代』である。ロレッタ騒動が無事に終わって本当に良かった……! とフランは今更に手が震える。握る紅茶の水面がちゃぷちゃぷしている。


「ともかく、アルフィーのことはこれからも要調査ってところだな。少なくとも『強さを自覚しないこと』が契約内容に入るゲッシュのはずだ。今まで一番近くにいたブルゴーニュ嬢ですらこの件でやっと気付くくらいだから、易々とは頼れないだろうな」


 その言い草に、フランはカチンと来て言い返す。


「自国の王子に武力で頼ることなんてないわ。王族とは君主。臣下に命ずることで国が回るのが求めるべき姿よ。アルフィーに剣を振るう機会なんて与えないわ」


 ハッキリと言うと。ハルトヴィン殿下は面食らったように目をまばたきさせ、両手を上げて降参のポーズを取った。


「――あー、いや、すまん。そうだなその通りだ。俺の感覚がマヒしてたな。申し訳ない」


「……こちらこそ、敬語が外れてしまって申し訳ありませんでした。ついカッとなってしまいましたわ」


「いやいや、それは別にいいんだよ。つーか、身分が露見する危険を考えると普段から外して貰いたいとすら思ってる」


 その提案に、フランは口端を引き締めて微妙な顔になる。


「一応ワタクシは、学園での身分的秩序の維持に動いている人間なのですけれど」


「その、何だ。ひとまず聞けよ。次の議題の前置きとしてさ」


 どこか気まずさを感じさせるハルトヴィン殿下の表情に、フランは怪訝ながらも首肯する。


「何つーか、こうやって普段通りに話してもらいたいっていうのはさ、俺の婚約者を思い出したからなんだよな。知ってるだろ? 俺の、身の丈に合わない逸話」


「ええ、存じております――『十二星座の乙女たち』。『運命の寵児』ことハルトヴィン・ディエゴ・アレクサンドルと将来を誓い合った十二人の美姫たちのことを」


 この年で婚約者がいること自体は、皇族ならさして不思議ではない。皇太子に任命されている以上、それが複数いることも同様だ。だが、十二人は率直に言って類を見ない。それも、一人一人全員が何かしらの分野に秀でた高貴な血統の傑物だというのだから。


 本人は『身の丈に合わない』などと否定するが、凡人に天から与えられる幸福をとうに越しているのだ、ハルトヴィン殿下の逸話は。もはや、“それ自体が意味を持つほどに”。


 だが本人は、フランから言われたことが事実なのか否か、どこか疲れ果てた態度で苦笑する。


「……ああ、うん。そうかあいつら、そんなあだ名付けられてんだ、へぇ……。それで、話を戻すけどよ。そいつらは十二人もいればその中でやっぱり仲良しというか意気投合する面々が出てくるわけだ。で、何となくそのまとまりごとに方針が決まってくる」


 言いながら、ハルトヴィン殿下は指を三つ立てる。


「まず、俺が女の子と少しでも絡んだら、その嫉妬で俺に何かしらの攻撃を加えてくる面々」


「ちょっと待ってください」


「次に、俺が女の子と少しでも絡んだら、その嫉妬で女の子の方に攻撃を加える面々」


「もっと待ってください」


「最後に、俺を半分神格化して俺の意見を無視して問題ごとを運んできては、色んな人に迷惑を掛けながら最終的に俺の手柄に持っていく面々」


 フラン、絶句の後こう呟いた。


「災害……?」


「いや、うん。俺には手に負えない……勿体ない婚約者がその、居るんだよ」


「言い直しても手遅れじゃないかしら」


「そういう事言うなよ泣いちゃうぞ……」


 泣かれたら流石に困ってしまうわ、とフランは口を閉ざす。


「それでその……皇太子だなんて大っぴらに出来る機会なんてそうない訳でよ。例えばちょいとみんなで旅行って時になると、神格化してくる面々がもう面白いくらい口を滑らせる滑らせる。俺はそれが原因で巻き込まれた事件をきっかけに、全員問答無用で殿下呼びを止めさせた、なんて話がある訳だ」


「想像をはるかに超える理由がありましたのね」


「そうなんだ。で、ここから本題に入るんだが」


 そこでハルトヴィン殿下は立ち上がり、フランの横に立った。何、と僅かな警戒をした瞬間、彼は素早く動く。


 下に。


 額を地面にこすりつける勢いで、土下座していた。


「今回はッ! 身内がッ! 大変申し訳ありませんでした――――ッ!」


 フラン、再び言葉を失う。


 かける言葉がなかなか見つからず、酸欠の魚のように口をパクパクさせるしかない。空白の時間。自分から立ち上がってくれ、と願うが、立ち上がるどころか顔を上げもしない。それから、やっと空気を肺に送り込んで声を発した。


「や、や、やめっ、おやめください! アレクサンドル大帝国の皇太子殿下に土下座されたなんて、聞く人が聞けば殺されます!」


 辛うじて出てきた言葉は非常に切羽詰まっていた。だがその切実さが通じたのか、「す、すまん、そこまで考えが及ばなかった……」と立ち上がる。


「その、迂遠な形で脅迫しようなんて考えは全く無くてだな。ただただ、申し訳なさに頭が下がるというか、何というか」


「分かりました、分かりましたから、ひとまず座ってください。話はそれからです」


 厳しく告げると、ハルトヴィン殿下は神妙な表情で立ち上がり再着席。深呼吸してから、彼は話し始めた。


「単刀直入にいうと、結界の綻びを調査したら、結界自体にガタが来てるという事は全くなかった。つまり、何者かがブルゴーニュ嬢の命を狙って細工したことが確定した」


 フランは、ここまでの話の流れで続く言葉を察する。


「も、もしかして、その犯人が、ハルトヴィン殿下の婚約者の一人だと?」


「可能性はかなり高い。俺の噂が出どころ不明で下級貴族クラスで操作されてた痕跡があったんだろ? そういう事をする奴が、婚約者の中に心当たりがある」


「……それは、誰です」


 フランが意を決して問うと、殿下は首を振った。


「分からん。というか、絞り切れない。さっきも言った通り、俺への嫉妬で動き出す奴は十二人の内過半数を占める。でだ、ここから、ブルゴーニュ嬢に俺から提案したい」


 三度の深呼吸。ハルトヴィン殿下は、まっすぐにフランの目を見つめて言ってのけた。


「この件は、俺が何とかする。被害者は一人も出さない。だから、犯人が俺の婚約者で、無事確保したとき、その罪は俺に被せてほしいんだ」


「……」


 フランは、口を閉ざした。意図が読み切れない。献身と見るには殿下は婚約者の誰よりも身分が高い。人的価値が高い。献身とは、そう言うものではない。


「出来ません。罪は、犯した者が償う。それがこの国の法です」


 故に、ひとまず首を横に振った。フランは、拒絶の立場から出方を見ると決める。それに殿下は、前のめりになって答えた。


「元はといえば、俺が考え無しにブリタニアに来たのが事の発端だ。俺に出来る限りの追っ手の阻止はしたが、あいつらの性質を考えるなら想像のつかない事態じゃなかった」


「だから、罪は殿下にあると?」


「ああ、その通りだ」


 フランはハルトヴィン殿下の目を見る。罪悪感が、その瞳にどれだけ宿っているのかを見る。ない、とは言えない。ある。だが、全てではない。ならば。


 愛。疑うが、違う。“愛ではない”。ハルトヴィン殿下が婚約者たちに向ける感情は、愛ではない。


 フランは、目を細める。


「分かりました。どうせ十二星座の乙女たちを我が国で逮捕するのも骨の折れることです。大湖峡やフロストバード領を超えての引き渡しもそうは出来ませんし、被害者を出さないというのならお任せします」


「本当か!?」


 ハルトヴィン殿下は、目を見開いて大声で確かめてくる。だがそこに、嬉しさといったものはなかった。ただ安心している。フランは微笑み返した。


「ええ、『運命の寵児』たるあなたが言ったのですから、それを信用しないわけには行きません。無論破られたらそれ相応のモノは要求させていただきますが、その心配もないでしょう」


「ああ、もちろんだ。そのときは何なりと言ってく」「それで」


 フランは、ハルトヴィン殿下の言葉を遮るように確認を取る。


「これからは普段通りの話し言葉でいいと言ったわね、アレクトロ」


「お、おう。そうしてくれるとありがたい。ただでさえ迷惑かけてるしな」


「そう、ありがとう。最後に一つ言わせてもらっていいかしら」


「……何だ?」


 ハルトヴィン殿下に僅かな緊張が走る。フランはもう、嫌悪感を隠さずに言った。


「政略結婚の横行するこの時代、婚約者だから愛せなんて言わないわ。その責任を負おうとする姿勢は評価する。けれどワタクシ、婚約者のことを義務感でしか見ていない人は嫌いだわ」


 レイ、お客様がお帰りよ。言うと何処からともなく現れたメイドのレイが、ハルトヴィン殿下に「玄関までご案内します」とお辞儀をする。


 言ってしまった。そんな怯えに心が竦むが、態度には決して出さない。弱気は隙。つけこまれるだけのもの。花園の主ならば、堂々とかつ悠然としていなければならない。


 けれどフランの警戒とは裏腹に、ハルトヴィン殿下は激昂するようなことはなかった。


「歪なのは、重々承知だ」


 代わりに立ち上がりざま、ただ沈鬱な声色で口を開く。


「それでも、俺が救って、俺についてくる命だ。それを、見捨てられるもんかよ」


 彼はそう言い捨てて、レイについていった。客室の扉が閉ざされる。フランは彼らの気配が消えてから、重い重い溜息を吐いた。


 反応が、想定したものとは違っていた。愛でもなく、情欲でもなく、しかし単なる義務感と言うには重すぎる答えだった。


「言わないで良い事言っちゃったかしら。ワタクシも、まだ未熟ね」


 父にアルフィーのことを話した時、「フランはまだまだ恋に恋する少女だね」と言われたことを思い出す。今でもそうなのかしら、と後悔が一つ。


「っていうかさっきの話の流れだと、ワタクシもロレッタも十二星座の乙女たちの誰かに命を狙われかねないって事? あぁぁぁぁああもぉぉぉぉおおお、まずロレッタのサロン入りの根回しからしなくちゃいけないのにぃぃいいいいいい!」


 フランはこれからのことを考え、頭を抱える。それもこれもロレッタの所為よ、とフランは脳内で八つ当たりした。


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