2話 美少女になって少女漫画的展開に遭ってもメンタル童貞だから何にも面白くない
馬車が、揺れていた。
長い長い退屈な旅路。だが、窓から見える景色は華々しい。馬車道を囲む緑豊かな草原に、ふと目を落とせばひらひらと色合い様々な蝶が舞っている。燦燦と降り注ぐ日光のすがすがしさが、馬車の窓から真っ白な少女を彩っていた。
「……今日は、いい天気ですね」
「ええ、お嬢様によくお似合いの快晴でございます。あと数刻もしない内に、ブリタニア王立学園に到着いたしますよ」
「ふふ、楽しみです。お友達、いっぱいできますでしょうか」
「もちろんでございます。お嬢様はとてもお優しく聡明で、お美しい方ですから、誰もがこぞってお嬢様と仲よくしたいと考えますよ」
処女雪のような真っ白な長髪を腰のあたりまでに延ばした白磁の肌を持った少女は「ありがとうございます」とお淑やかに笑った。その返事に、御者は満足したように背中越しに頷いて、手綱を繰って馬をもう少しだけ急がせる。
童貞、転生より十五年の月日が経っていた。
ここに至るまで十五年、十五年である。童貞美少女は、ここまで長かった……、と感慨深さに目を細める。
何故か。
故郷に、親しくなれる余地のある同年代の少女が一人たりともいなかったためである。
経緯を説明しよう。童貞はブリタニア=バロン王国連合という世界の西端に位置する国の、もっとも寒い地域に生まれた。
名を、ロレッタ・フロストバード。王国連合における北端の辺境伯家の長女にして末っ子だ。
上には三人の兄がいて、姉や妹の類はいなかった。また非常に寒い地方だったので貴族である童貞美少女ことロレッタは、外に出て友達を作るという事も、逆にお友達が遊びに来る、という事もほぼなかった。
結果出来上がるのはむさくるしい兄たちとの蜜月である。ペッ。
とはいえ対男に関しては前世から百戦錬磨(ホモ的な意味合いはない)のロレッタだ。男女差を全く感じさせないコミュニケーション能力を発揮し、彼らから勉強を教わったり、武術、精霊術を指南されたり、女性に対するロマンを分かち合ったうえでマナーを習得したりとまぁまぁ楽しく過ごせてはいた。
だが、童貞美少女ロレッタ。自身が美しいとしても周りに女の一人もいないので飢える飢える。
「本当に、楽しみです……」
淑やかな言葉と共に表現される奥ゆかしい所作は、兄たちと喧々諤々の議論を交わしたのちマナー講師との血と涙の滲むような訓練で身に着けた、童貞を殺す清楚さそのものである。事実御者もちらとロレッタを見ては溜息を吐くほど。
この清楚さでもって初日には友達を一人ゲット。一か月以内に親友を得て、一年以内に女の子の恋人を作ってやろうとロレッタは燃えている。
♥♡♥♡♥♡♥♡♥ハート♥♡♥♡♥♡♥♡♥
―――さて。ではそんなロレッタが一体全体どこへ向かおうとしているのかと言えば、御者の説明した通りブリタニア王立学園だ。
貴族の法として、幼少期はさておき成人済みの十五歳以上の子女は、かならず王立学園にて教育を受けることが義務づけられている。
現代日本的な観念で言えば、大学にあたる機関なのだろう。年頃的には高校生だが、そこは異世界の教育水準の低さとして受け止めるべき点だとロレッタは考えている。
つまり、教育とは名ばかりの社交場だ。貴族なんてものは首都に屋敷を持っているようなインテリを除けば、家庭教師に最低限の教養とその領地に必要なそれこれを教わっておけば問題はない。その上で呼び寄せる、ということは単純に貴族同士を交流させ、結束力を高めるのが制度のもっとも大きな狙いだろう。
要するに、モラトリアムだ。もっというなら盛り場。同性異性問わずに仲良くなぁれ、仲よくして未来の国を運営してね。そういうことだろう。やっぱり大学だ。
(いいでしょう。仲良くしてあげようじゃありませんか――女の子とね! ふふふふふふ)
質素な馬車に揺られながら、ロレッタは下卑た笑みを漏らす。そんな姿さえ窓越しに映る姿は愛らしくも悪だくみする美少女と言った風情になるのだから、本当に得だ。
「今日もロレッタは顔がいい……」
うっとりしながら童貞は、窓に映る美少女に今日も賛美を。処女雪をそのまま擬人化したような妖精めいた容姿は、何時間見ていても飽きない。実際ここまでの道のりは自分の顔を延々と見つめていたロレッタである。
「お嬢様、もうじきブリタニア王立学園でございます」
そうこうしていると、とうとう到着らしく「はい、ここまでの長い道のり、大変ご苦労様でした」と美少女は静かに謝辞を述べる。
「いえいえ、当然の役目でございますよ。それでなんですが、お嬢様。旦那様の言いつけはお覚えですか?」
「はい? ……えぇ、もちろん覚えておりますよ」
寸前まで忘れていたが、そこそこ優秀な脳の持ち主なロレッタはすぐに思い出せた。
「辺境伯家の身分は隠せ、ということでしたね」
「その通りでございます。このフロストバード家の家訓は、巡り巡ってお嬢様の身を守ることになるでしょう。努々、お忘れなきよう……」
「ふふ、心配のし過ぎというものです。でも、田舎貴族とバレてお友達が少なくなるのは好ましくないですからね。頑張ってシティガールを目指しますよ」
「してぃ……? ええ、非常に大切なことです。特にフロストバード家の名は出してはいけません。集まる人間も、より質が悪くなることでしょうから」
ロレッタ。ふむん? と首を傾げる。ご実家の政治的事情はよく分からないロレッタだ。もしかしたら悪名高かったりするのかもしれない。
「分かりました。それで、私は対外的にはロレッタ……」
「コールドマン、の姓を名乗ってください。フロストバード家傘下の男爵家の中でも、地方都市に最も近い立地に領を持つ名です」
「ああ、あのおじいさま男爵の家名ですね。優しいおじいさまでした」
ロレッタ・コールドマン、ということらしい。正直どういった意味があるのかは分からなかったが、大人しく従っておこう。
そんな会話を終えたところで、馬車の揺れが変わった。窓の外を覗き見れば、馬車道がレンガで塗装され始めている。すると、と行く先を見つめると、絢爛な門が目に映った。
「あれが」
平原はとうに過ぎ、深い森をまっすぐに貫く街道。その最奥に構えられた白き門は、不思議の国の入口にさえ映る。実際、貴族の集まるこの学園はほとんど街のような規模を誇るとか。旅行感覚ではないが、純粋に楽しみな点の一つだ。
「ええ、あれがブリタニア王立学園でございます。これよりお嬢様がお通いになる、貴族の園ですよ」
御者の返答に、思わず息を吐いてしまう。この先に同年代の――つまりうら若き少女たちが居る訳だ。ロレッタは緊張に膝頭あたりのスカートをぎゅっと握り、震える。
これから、この先で、ロレッタは女の子と友達になる。
お友達になれれば、いずれ親友にもなれる。
運が良ければ、こ、こここ、恋人にも……!
「私、頑張りますよ」
「ええ、不安もあることでしょうが、お嬢様なら大丈夫ですよ」
武者震いに熱を上げるロレッタに対し、御者は穏やかに勇気づけつつ、門のところで手続きを済ませ、スムーズに女子寮前まで馬車を運転した。ロレッタは馬車の扉が開くのに応じて下車する。
「ではお元気で。そうそう、旦那様やお兄様方が心配なさるので、定期的に手紙を書くように、と仰せつかっております。こちらも出来るだけ、忘れないようにしてあげてくださいね」
「はい、御者さんもお元気で」
御者は帽子を上げて笑顔での礼をし、そのまま馬車を繰って走り去っていく。その姿を目で追って、見えなくなってからロレッタは周囲を見渡した。
深呼吸し、ほぐれる表情で感想を一つ。
「異国情緒~」
白い石造りの建物や、煙突、石畳の一つとっても堪らない。故郷のフロストバード領など永久凍土だったので何なら氷の建物すらあったくらいだ。アレはアレで面白かったが、正直寒いし普通に住むような環境じゃない。
「お友達の前にこの暖かさですね。荷物を置いたらお散歩にでも出かけましょう」
荷物を抱え女子寮に入る。すると寮母さんらしき人が居たので、荷物を預けて(超緊張した。いずれこの人とも仲良くなりたい)部屋番号とその鍵だけ受け取って外に出る。
「さて、お散歩としゃれ込みましょう」
窓に映り込むロレッタの姿を見て童貞はにっこり。暖かい気候で軽やかに過ごすロレッタを見てみたい、という欲望の赴くまま、お散歩だ。
散歩ロードは窓が多い往来を狙って適当にうろちょろと。鏡に映るロレッタ可愛い本当可愛い妖精さんもっとかわいい姿を見せておくれ、と童貞が脳内トリップをキメながら飛んだり跳ねたりして適当に散歩していたら何か裏路地に入っていた。
「やぁ、愛らしいお嬢さん。ちょっと俺とお茶しないか?」
そんでもってテンプレみたいなチャラ男に絡まれていた。
童貞美少女ロレッタはその文言にまず首を傾げ、それから窓を見て暗がりのロレッタ可愛い、と思う。それからチャラ男に向き直り、ハッと気づいて童貞は窓のロレッタに指をさした。
「……?」
「……え? うん、いやだから、お嬢さん自身だろう?」
「え……?」
ロレッタはキョロキョロして誰か別の人に声をかけているのではと疑う。チャラ男は童貞美少女の反応に「えぇ……?」と困惑を示してから、「ああ」と納得したような声を漏らした。
「お嬢さん、アレか。田舎から出てきたんだろう。それで可愛いだののともてはやされることも少なかったんだ。いやぁ、こんなにかわいい子のことが分からないなんて、周りの奴らは目がなかったようだね」
「ん? え? ……おぉ!?」
童貞、そこでやっと自分自身がロレッタだという事を思い出し、左手を右手の拳でポンと叩いて納得のジェスチャー。それから事態を理解してドン引いた。
「……マジですか。え、いや、流石にちょっと想定してなかったんですが」
「ん? まぁまぁ。ほんの少しで良いんだ。ちょっと男一人で入るには難しい雰囲気の喫茶店があってね。それにほら、俺はこれでも侯爵家の人間で学園も長いから、君の困りごととか不安とか、聞いてあげられると思うんだ」
ロレッタ、侯爵家ってどの程度偉いんだっけ、と脳内に図を描く。まぁまぁ偉そうな気もするが、ロレッタとて辺境伯家の人間である。そこで、今は男爵家の娘っていう身分なのか、と思い出した。ちなみに男爵は領地持ちでは最下位にあたる。
正直困ってもないし、女の子がいないと入れないような店とかあんま興味ないので断っておこう。
「えぇと、申し訳ありません。私男爵家と貴族でも低い身分ですので侯爵家という立派な身分の方のお手を煩わせるわけには……」
「なら、俺の言う事には逆らえないよね?」
「んぇ?」
目の前のチャラ男貴族からの圧が強くなってくる。何だこいつ腹パンキメて逃げるか? と拳を握ったところで、声がかかった。
「おい、身分にモノを言わせて強引にってのは違うんじゃねぇか」
「……何だ貴様」
チャラ男がさらに圧を利かせてロレッタの背後を睨みつける。ロレッタも振り向くと、そこには特徴が薄いながらも整った顔立ちをした男が。
「……」
何かこの展開見たことあるな、と童貞は首を傾げた。既視感、という奴である。
「おうおう、横やり入れられたからって随分不機嫌そうにしちゃってよ。身分を盾に迫るような男は、こういうところで底が知れるよな。あんま無様晒す前に消えとけよ」
「貴様……! 侮辱しているのか?」
何かイケメンどもが軽くディスのジャブを交わしている中、童貞美少女は前世の記憶を浚っていた。
童貞は前世から、女子に少しでもモテるため、あらゆる努力をしてきた。取っつきやすいところでは少女漫画を手に取り、挙句の果てには胡散臭い情報商材にウン十万と金を叩いてきたものだ。その最中で、確かこんなシーンがあったような――
そこで気づく。
ロレッタ、よくある「チャラ男に絡まれた美少女をイケメンが助ける」展開の美少女枠に収まっていることを。
「は?」
童貞、半ギレである。このままでは愛しい愛しいロレッタがこの二人の男のどちらかとフラグが立つことになる。
「だから、貴様も何もあるかってんだよ。その子断ってただろうが、男ならそこで引き下がれよみっともない」
「俺のやり方に口を出すなんて随分と度胸があるな。貴様、家名は? これでまさかその辺の子爵家や男爵家だなんて言わないだろうな」
フラグ、フラグである。童貞が前世血反吐を吐くような思いをしてなお建てられなかったフラグである。それを、ああ、それを、この、このイケメン若造どもは易々と、易々と!
「……だから、身分のことを持ち出すなってんだよ。お前本当に侯爵家の人間か? 品位が知れるぜ」
「何をッ! 貴様、それ以上愚弄するならば許してはおけんぞ!」
それも、何だ? 普通の女の子相手でも許せないというのに、あまつさえ世界一の美少女であるロレッタに? 童貞だけのこの超絶美少女を、このクズ共は横から掻っ攫おうと?
「おい、何剣に手をかけてやがる。こんなところで抜くつもりか? それじゃあ下町のゴロツキと何も変わらねぇぞ」
「―――ッ! よもや俺を下郎扱いする無礼者が居ようとはな……! いいだろう、その首ここで落として、無礼打ちとさせてもら」
ぶちころ。
童貞美少女ロレッタは全ギレに、拍手を大きく打った。その唐突さに激突寸前だった若造たちはびくりとし、ロレッタに目を向ける。なので童貞美少女はまず助けに入った方を力強く指さし、にっごりと笑った。
「要りません」
「……は?」
「ですから、要りませんと言いました。あなたの助けなど必要ありません。即刻この場を立ち去ってください」
「なっ」
「ふっ、ははははは! これは無様だな! まったく、これだから礼儀のなってない下賤は……。コホン。さて、では行こうかお嬢さん。せっかく俺を選んでくれたんだ、是非ここは奢らせてもらうよ」
いい気になるチャラ男が、ロレッタに手を差し伸べてくる。なので童貞はその手をがっちり掴み、これまた威圧的に笑いかけた。
チチッ、と鳥が鳴く。青みがかった白色の小鳥が。ロレッタを守護する凍える霊鳥が。
「おや、君の手はとても冷たいね。俺が暖め、て……い、ぎ」
チャラ男の様子の変化に、助けに入った方の影の薄い若造が妙な顔をした。ロレッタは異変に勘づきながらも理解の及んでいないチャラ男に言って聞かせる。
「あなたもです。要りません。侯爵が何だか正直よく分かんないですし、寮生活で困ったらあなたのようなむさくるしい男なんかじゃなく、可愛い女の子を頼ります」
「さ、さむ、なん、い……!」
チャラ男の顔から血の気が失われつつあるのを見て、ロレッタは手を離した。チャラ男は力なく後ずさって尻餅をつき、歯の根をガチガチと鳴らしながら、「な、なに、なにを、したぁっ」と惨めったらしく叫ぶ。
だからロレッタは、小首を傾げてお淑やかな笑みを浮かべつつ、思い切り片足で地面を踏み鳴らした。
パキッ、と凍り付く音が裏路地に響く。地面に描かれるは巨大な氷の結晶模様だ。精巧、広範囲、そしてその場にいるだけで体温の奪われる感覚に、若造二人はどんな人物にちょっかいをかけ、そして無用な心配をしたのか理解した。
「ちょっとした魔法です。私、こう見えて魔法特進クラス入学生ですので、このくらいは軽いものなんですよ」
嘘である。今使ったのは精霊術だし、精霊術を使えることが実家の発覚に繋がると言い聞かされているため、ロレッタが入学するのは普通の下級貴族クラスだ。
「なっ、貴様! 魔法を私闘で使えば罰則が下ることくらい知らないとは言わせんぞ! それもはるか上の爵位の人間になど……! 退学では済まされない。死刑! お前は死刑だ!」
「うるせーな、お前もう寝とけよ」
影の薄い方の若造が、チャラ男に近づいて頭に一発蹴りを入れた。するとあっさりチャラ男は気絶し、不格好にその場に崩れた。
「……まだ居たんですか」
「何だよ挨拶だな。別に恩を売ったつもりはねぇよ。元々そんなつもりなかったにしろ、自力で解決して見せられちゃあな」
にっ、と若造が笑いかけてくるのを、童貞美少女は冷ややかな目で迎えた。どうせこいつもこうやって親しげに近づいて、ロレッタに手を出そうとするクソ野郎に決まっている。ロレッタに手を出していいのは、今は見ぬ未来の女の子の恋人だけだ。許せない。
「俺はハルト、ハルトヴィ……あー、ハルトでいい。俺も魔法特進クラスでな。そのよしみで後始末は任せとけ。ま、よろしくだ」
「それはそれは。よろしくお願いしますね、私はナサニエル・フロストです。どうぞお見知りおきを」
ひとまず握手を交わす。それから「では私、これから用事がありますので」と足早に裏路地を去る。そのつっけんどんな態度に、影の薄い若造は「さっぱりしてんな」と笑った。こいつ一々ムーブがイケメンで嫌い。
そんなこんなで鏡越しのロレッタがただただ可愛いこと以外にいいことのない一日が終わった、と感じながら、ロレッタは女子寮に歩いていく。
ちなみに「ナサニエル」とは、森の賢者なる研究機関に就職してった二番目の兄の名前だ。この学校で調べても何もわかるまい。ざまぁ。