17話 悪役令嬢、凡人皇太子の圧に負け魔の森に足を突っ込む
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結局一足先に階下に降りていったロレッタは、フランを発見できなかったらしい。
「あわわわ、あわわわわわわ、どどど、どうしましょう。あわわわわわ」
絵に描いたような慌てっぷりでグルグルその場を回る様は、昔に下町の家で飼っていた馬鹿犬のようだ。あいつもこうやってグルグル自分の尻尾を追い回していた。
ロレッタは馬鹿な真似がうまいなぁと思いつつ、「んで、どうする」と質問を投げかけてみる。
「……探すしか、ないですよね」
「え、おう」
微妙に嫌な予感を抱きつつ頷くと、アルフィーが「ある程度当たりを付けて探さないとね」と情報を付け足して賛同する。
「フランが行きそうな場所となると多少の想定は出来るんだけど……うーん、フランも結構頭がいいからなぁ。チェスとか勝てた記憶ないし」
「裏をかかれるってことか?」
「必ずしもそうとは限らないけどね。見つけてほしいならボクが分かるところに行くし。でも、その辺りはボクの得意分野じゃないから、少し自信がないんだ」
なるほど、と頷いたのはロレッタだ。すっかり落ち着いた様子で、「ではありきたりな提案ではありますが」と提案してくる。
「アルフィーがフラン様の行きそうな場所を大まかに三つピックアップして、それぞれに一人ずつ向かいませんか? 三手に分かれれば、単純に見つかる可能性が三倍になります」
「え、嫌だが」
ハルト、油断してポロっと本音が零れる。
そして案の定二人が動揺と懐疑心の込められた視線が向けられた。
「あー、えっと、だな。その、俺はブルゴーニュ嬢とはまったく面識がないし、一人で探して出会えたとしても、ちょっと処理に困るというか、だな」
冷や汗をかきつつ弁解をする。ロレッタは「あー、そうですかなるほど」と一応の納得はして見せたものの、何故か一番に納得してくれそうなアルフィーが冷めた目でハルトを見つめ続けている。
「……アルフィー、俺の説明で何か納得できなかったか?」
「ハルト君、アーティファクトいっぱい持ってたよね」
「え、おう。持ってるが」
「通信機能のあるアーティファクトって、結構出土数多いと思うんだけど、持ってない?」
「……まぁ」
持っているかと言えば、持ってる。しかもけっこうたくさん。例のごとく暗殺騒ぎや他の諸々で蓄積したのが。
「直接話したりする必要はないから、見つけたらこっそりそれで教えてくれない? そうすればボクらが駆け付けるから。もちろん逆もしかりだけど」
「サシで話す必要はない、と?」
「うん。ハルト君にボクからそれ以上は求めないよ。この条件ならどうかな」
「……」
それでも嫌な予感は拭えないのだが……まぁ、ここまで譲歩されて頷かないのなら、最初から関わるなというところか。
「わかった、それでいい。じゃあ、俺たちはどこで探せばいい?」
「そうだなぁ。候補としては、一番行きそうだけどある程度通い慣れてないと迷うだけの街、それより可能性は下がるけど探しやすい校舎内、で、多分一番可能性の低い代わりに隠れるところのほとんどない森の近くかな」
無論のこと可能性が一番低い選択肢を選ぶ予定では居たのだが、“あの森”の近く、か。
結界の類は当然なされているだろうが、生理的な点で嫌な気持ちは拭えない。いつもなら絶対に選ばない選択肢だ。
が、それを避けた結果遭遇しては堪ったものではない。苦々しい顔で「森……の近くでいいか」というと、二人は不思議そうな顔をしつつ了承する。何で不思議な顔されたのか、ハルトにもよく分からない。
「では、私は街には詳しくないので校舎に行きますね」
「じゃあボクは街に」
それぞれの探す場所の合意を取ってから、ハルトは“宝物庫”から通信機能を持つ指輪を三つ取り出した。「結構高いもんだから扱いには気を付けてな」と忠告した上で、それぞれ一つずつ手渡す。
「これに向けて喋ればいいんですか?」
「ああ、指輪の向こうに声を届ける気持ちさえあれば勝手につながる。あとは話すだけだ」
「へぇ~、無線みたいですね。じゃあ、いったん別れましょうか」
単語レベルの謎が多いロレッタの言葉に男二人は頷いて、三人それぞれ別々の方向に散らばっていく。森の近くといえば、ロレッタを訪ねに行ってアルフィーと遭遇したあの訓練場だが。
「あそこから適当に歩いてりゃいいか」
どうせ見つける気もない捜索である。ぼちぼち歩いてお茶を濁せばいいと考えていた。
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あの憎き恋敵ロレッタが、ハルトヴィン殿下だけに留まらずアルフィーと共に窓から顔を出したのを見た時、フランはもう負けていたのかもしれない。
「うっぐ、ひぐ、うぇえ……」
ガン泣きで建物の隅にしゃがみこんで泣く様は、もう恥も外聞もない。敗北宣言までの時間稼ぎにすぎないと分かっていながら、フランは一人泣きじゃくっていた。
「……アルフィー……」
えぐえぐとしゃくり上げながら、フランは婚約者の名を呼ぶ。アルフィーに悪意がないのは分かっていた。だが、それでもあの場でロレッタの仲間のように顔を出してほしくなかった。
「結局、ワタクシが一人空回っていただけなのかしら……」
フランはアルフィーを信じている。それは人柄という点でもそうだし、単純な人を見る目というのでもそうだ。そのアルフィーがロレッタは無害というのだから、それを信じていればこんな傷つくことにはならなかったのかもしれない。
「――それでも、何であっちに居るのよバカぁ……! せめてワタクシの隣にいてよぉ……!」
だが、荒ぶる感情がそれを許さなかった。それは恋心にも似た温かい感情で、だからこそ鎌首をもたげる仄暗い嫉妬心だ。
そのためやり切れなさにジタバタしつつ、フランは落ち着くために一人で小さく縮こまる。短く指定した期限とはいえ、今日もまた夕方に差し掛かったばかりだし、明日も丸々残っている。今日逃げ延びたとしても、といったところ。
つまり今の時間は、自らの敗北を飲み込むための一人きりで居たい時間だった。
深くため息を一つ落とす。とっさの判断だったが、誰かが寄ってくる気配はない。当然だ。アルフィーが追ってくることを想定した上で、見つからないような場所を選んだのだから。
「アルフィーは人も物もよく見ているけれど、駆け引きは苦手だものね」
というよりは、自分のことや自分がどう見られているかに疎い、といったところか。だから観察眼が鋭くても、そんなアルフィーのことを加味したうえで判断されるフランの考えまでは読めない。
故に、フランはここを選んだのだ。余程のことがない限り人の来ない、それでいてアルフィーも想定していないだろう、アルフィーとロレッタの訓練場を。
「灯台下暗し、なんて。いつもあなたは詰めが甘いのよ、アルフィー……」
アルフィーはあの後自分を探してくれるだろうか、と考えて、探してほしいのに見つかりたくないなんて贅沢ね、と涙目の自分を嘲る。けれど、アルフィーは自分を探さないだろう。彼はどこか泰然としていて、個人に執着せず、その様はやはり王族なのだ。
逆に追ってくる可能性が高いのは、ハルトヴィン殿下を連れたロレッタだろうか。とはいえ、ロレッタはフランの逃げる先に当たりを付けることも出来ないだろう。来るはずがない。しかし、唯一懸念すべき点が一つ。
それはすなわち、未知数であるハルトヴィン殿下。『運命の寵児』とあだ名される、アレクサンドル大帝国の皇太子だろう。
「あ」
そんなことを考えていたら人の声が聞こえ、フランはとっさに顔を上げる。そこにはまさに、危惧していた通りのハルトヴィン殿下の姿が――
「―――キャァアアアアアアアアアアアア!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああ!?」
フランはある意味一番会いたくなかった相手に遭遇して、這うように彼から距離を取った。そして慌てながらも、いつも懐に入れてあった短杖を手に牽制する。
「ちっ、近づかないでくださいまし! ワタクシは上級貴族クラスの人間ですけれど、最低限の魔法は修めています! それ以上近づけば後悔するわよ!」
「えっ、何だ何だ、何でそこまで警戒されてんだ」
フランは自分が何をしているのか分からないまま、荒い息と共に「動かないで!」と警告する。要するに威嚇である。感情を落ち着けようとしているときに強い刺激を受けて、暴走状態になってしまったのだ。
「と、とにかく落ち着けって。深呼吸しようぜ、な? 俺はお前に危害を加えない。つーか普通に会いたくなかった」
「じゃあ何でここに居るんですのよ!? どうせロレッタ・フロストバードの計略によるものでしょう!? ワタクシを追い込んで、アルフィーさえ奪おうとして……ッ! この泥棒猫!」
「え? は!? いやいやいや! ここにロレッタは居ないし、そもそもフロストバードって何だよ。まさかあいつがフロストバード家なんてこと言わないよな?」
「それ以外に何があるって言うんですのよ! そうよ! そもそもロレッタがブリタニアの国防の要の生まれでさえなければ、こんな事にはならなかったのよ! だからワタクシはあの子が不幸にならないように立ち回りながらアルフィーから遠ざけようと……!」
フラン、そこで今までため込んできたものが爆発する。
「あの子はもう、あの子はもう! 友達をけしかけてもよく分からない理屈で避けるし! 身分を隠してる所為でワタクシのサロンにも囲えないし! アルフィーに近づいてる所為で有力令嬢たちからも睨まれてるし! 守りながら引き離さなきゃならないって何!? 何なのよ本当に! っていうかアルフィーはワタクシの婚約者なんだから手を出さないでよ! ワタクシだって嫉妬の一つ二つするの! それをあの子は! あの子は!」
「……マジか。あのフロストバード家から、あんな美しい娘が。つーか、それで言うとロレッタはアルフィーのことが好きなのか?」
そこまで言って、ハルトヴィン殿下はハッとして首を振る。
「あいや、違う。これ自体は重要じゃなくてだな。つまりその、ロレッタが結局色んな騒動の原因だと?」
その呑気な認識に、フランは怒りを爆発させる。
「そうよ! それでもうあの子の弱みを握って強制的にアルフィーから遠ざけるしかないから、あなたから話を聞きたかったの! なのにハルトヴィン殿下も会わない、逃げる、アルフィーから頼んでも断るで! ロレッタが入学して以来何にも上手くいかないのよ!」
そこまで言って、フランは我に返る。目の前の相手がアレクサンドル大帝国の皇太子であると知っている、という情報は、こんなところで容易に口にしていい内容ではない。事実、見てみろ。ここまでは多少同情的だったハルトヴィン殿下の目の色が、明らかに変わって。
「……お前、それ、何処で知った」
一歩、踏み出してくる。フランは怯えを抱えながら、一歩後ずさるしかなかった。感情的になりすぎた、と血の気の引く思いをする。
「何で、知ってやがる。何で俺を調べた。何で俺がロレッタの弱みについて関わってると思った」
「あ、ち、違。ワタクシは、偶然」
「偶然で知れる情報じゃねぇのは、お前自身が一番分かってんだろうが。言え、吐け。さもなきゃ――」
素直に白状すればいいのに、竦む心が舌の滑りを硬直させる。弱い心が恐怖に足を下がらせ、その分だけハルトヴィン殿下は一歩進んで距離を詰めてくる。
フランはただ、訳も分からず突き出した身近な自分の杖にすがるしかない。
「来ないで。来ないでください。違うんです。ワタクシは、悪意があってあなたを調べたんじゃなくて」
「なら、言えるだろうが。逃げるな。お前がいくら下がろうったって、結界が」
詰め寄ってくる今代最も注目される英雄に、フランはさらに一歩後ろに運び。
「何で」
ハルトヴィン殿下の表情から、険しい色が消える。それにフランはまばたきし少々の安心感を抱き。
「何で、結界が綻んでる?」
下げた足を、“地面に降ろした”。
「―――――――――――え?」
その瞬間、何もかもが切り替わった。周囲の景色は一瞬にして深い森に包まれ、直接日光の届かぬ闇がフランを覆い尽くす。耳をつんざくような獣たちの咆哮が周囲で響き渡り、気温が、フランの体温が、急激に下がる。
「……うそ」
フランは、ショックを受け止めきれないまま、呟く。
「ワタクシ、魔怨の森に足を踏み入れたの……?」