15話 凡人皇太子、童貞美少女に嫌な顔をされる
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さて、これからの身の振り方を、ハルトは考えねばならないだろう。
第二王子がわざわざ現れるくらいなのだから、悪徳公爵なるヤバ気なブリタニア貴族の娘を、流石に警戒せねばならない段階になってきたように思う。
「つーか自国の王子を顎で使うって何だよ、権力ヤバすぎだろ」
アルフィー(呼び捨て要求された)の一件以来、徹底して授業後の直帰を行うようになったハルトだ。それでもしばしば高貴そうなご令嬢から妙な目を向けられることが多くなったからには、まだまだ諦めてはいない、という認識が正しいだろう。
「しかし……何てことだよ。まさか亡命先の大国が貴族の専横下にあるとは」
この学園の勢力図は、言ってしまえば実際の貴族社会の縮図に近い。そんな中であれだけ幅をきかせている人物となれば、その厄介さも知れようというもの。
対策を打たねばなるまい。ハルトは自室にて、そのように決意した。
「おし、そうなれば色々と考えないとな。まずは情報の整理だ。表向き俺を呼び出そうとしてた理由が……何だったか」
いきなり躓く。招待状貰っておけばよかったか、と後悔しながらも、唸りつつ考える。
「何か、ロレッタに関わる何かだった気がするんだよなぁ。それ以上の情報は……あったか? なかった気がする」
ハルトは、自分が知るロレッタの情報について考える。コールドマン、という話だったが、初めて出会ったのはフロストバード領だ。帝国の脅威・序列二位に名を刻む辺境伯家、フロストバード辺境伯の治める永久凍土。そこで無関係な人間が普通に過ごせるわけがない。
遠縁の親戚か何かか、という風に推測を立てる。帝国の脅威番付の一位が魔王軍となっている中での、二位であるフロストバード家の直系ではないだろう。帝国では魔王の次に恐れられるような人間が、その、あそこまで可憐な娘を育てられると思えない。
「他には何かあったか……」
一応絡まれたところを自分で何とかしていた、のは覚えているが。あの後にハルトは貴族のバカ息子に対して忘却のルーンを刻んだため、証拠隠滅は完璧である。万が一にも弱みにはならないように立ち回った。その辺りは、暗殺者騒ぎで逆転を狙ったときの経験だ。
「考えれば考えるほど分からなくなってくるな」
一体全体ロレッタの何を知りたいというのだろう。どれもさしたる情報とは思えないし、とハルトは首をひねる。あとは強いて言えば偽名だが、ハルトは用心のためよく使うし、常識の範囲内だろう。
そういや偽名の数そろそろ百に近いな、と“宝物庫”から偽名メモ帳を取り出して確認する。
「ハルト・アレクトロ、ブリタニア王立学園での名前。頻繁に使われるものとして、かなり本名に似せた。表向きブリタニア王国の伯爵家次男。魔法特進クラス在籍」
伯爵家かー、とちょっと思い出す。地位としては貴族の中でもど真ん中だ。目立たないために吐いた、人生何度目かも分からない嘘。アルフィーへの忠告を思い出す。
「いい子ちゃんの仮面被ってると、自分の本心も、か」
ハルトは生き残りたいがために、幾度となく嘘をついてきた。最初はきっと罪悪感の合ったそれが、気づけば当たり前になっていた。今じゃ、ハルトはトラブルに巻き込まれたくない、死ぬような目に遭いたくない、以外の欲求が分からないほどだ。
「この一か月、天国だったもんな。暗殺者も、命を落としかねないトラブルもなかった……。そろそろ、俺も自分のやりたいことを見つけるべきなのかもな」
口に出して言って、我ながらハッとしてしまう。
「そうだ。もう当たり前に嘘を吐いたり、何かを偽ったりするのは止めて、自由に――」
そこで、気づく。
「偽る?」
ハルトは自分の考えに没頭する。偽る。誰が。最初はロレッタが偽っていて、その秘密をあのご令嬢が暴こうとしているのかと思った。だが、その限りではないと改めて考える。
それは、もう一つの可能性。つまり、ハルトの証言を偽りの材料にしようとしている、という悪徳公爵の名に恥じない、下卑た考え。
「……有り得る」
有り得る話だ。むしろ、そのくらいのことをしてのける厚かましさがなければ、王子を顎で使うような権力も、悪徳公爵などという名を冠しながら罰を受けていない状況も構築しえない。
しかし何故、と思考を深める。ロレッタの弱みなり醜聞なりを偽って作り上げるとなると、目的は排除だろう。ならば、何故排除する必要があるのか。
「……ロレッタが邪魔だから。じゃあ、何で邪魔になるのかっつったら……!」
ハルトは、思い出す。次期皇帝として皇太子に任命されたときの、腹違いの兄弟たちの憎悪のこもった目を。そしてそれから連続して起こった、あの暗殺騒ぎを。
人が人を邪魔と思うのは、その存在でもって不利益を被るからだ。では、悪徳公爵の娘の不利益とは何か? ナンパを自力で退けるようなロレッタの性格に照らし合わせて考えれば、自ずと分かろうというものだ。
「ロレッタが、何かを告発しようとしている。そして、その前にあのご令嬢はロレッタを学園から追放しようとしている」
見えた、と思った。それから、すべきことも分かった。カーッと息を吐きながら、ハルトは頭を掻いた。
「こりゃ、一仕事になるかもな」
やれやれ、と口癖のように言う。だが、ロレッタのためと思えばさして嫌でもない自分が、ハルトは何だか誇らしかった。
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ハルトが立てた計画はこうだ。
放課後一番に下級貴族クラスに赴き、素早くロレッタを確保して事情を聞く。ロレッタの抱える告発情報を共有した後、ハルトの有する独自のコネで学園長を訪ねる。
ひとまず簡単な手順としてはこうなる。懸念材料としては、頑固なロレッタが素直に事情を話すかどうか。ハルトがブルゴーニュ嬢に確保されてはならないので、初動は早ければ早いほどいいこと。そして、ロレッタの有する情報が告発に十分値すものであるかどうかだ。
立場ある人間の告発というものは非常な困難を極める。ハルトだって、暗殺者騒ぎで腹違いのオッサン兄上たちを告発した時、中々信じてもらえなくて大変だったのだ。すなわち、周囲の忖度でもって立場ある人間は守られている。
ハルトの経験上、そういった状況では忖度包囲網をいかにして潜り抜けるか、あるいは強力な証拠でもって突き抜けるかが成功か否かのカギだったのだ。
要は、ちょっとした状況証拠では権力者の告発は成功しない。動かぬ証拠があるか、もしくは聞き入れる耳を持って、事実を精査してくれる人間が要るのだ。
「今のところは学園長を頼みにするしかないけど、何処まで頼っていいもんかも分からないしなぁ」
呟き嘆息して、壁の端からちらと教室の様子を確認する。窓越しに見た限り、授業のおわりまで、もう少しかかりそうだ。
――カリキュラムをいくつか都合し早々にクラスの訓練を済ませてきたハルトは、ロレッタのいる下級貴族クラスの廊下の端で授業の終わりを待っていた。
はぁ、と再びの溜息を落とす。待ち遠しさと時間がもっとあればという思いが同時にせめぎ合っている。何だこの妙な緊張は、と思案しながら、ハルトは再び教室の様子を覗いた。
それから、思わず吐息を漏らしてしまう。たった一人、教室の後ろ端で静かにノートを取るロレッタの姿は、いつ見ても孤高の姫めいた美しさを湛えていた。
「……何なら皇帝だって発覚した直後のクソ親父並みに話しかけづらいんだが」
どうしたもんかなぁ、と頭を掻く。そのタイミングで教師が終業の礼をとった。うげ、とハルトは顔をしかめる。とうとうこの時が来てしまった。
一気ににぎやかになった教室から、ぞろぞろと生徒たちが歩み出てくる。その様子は平民に比べれば品があるが、どこか姦しさが取れない。いい意味で下級貴族なのだろうな、と思う。上級貴族たちは、異物を見たとき排除か黙殺のいずれかの反応しか示さないだろう。
制服の装飾が異なる所為か、ちらちらと見られる感覚に耐えながら、ハルトは群衆の合間を縫って教室に足を踏み入れた。まっすぐロレッタへと近づいていくごとに、注目が集まっていくのが分かる。彼女の美貌は、それほどのものだ。
「――よう」
意図した以上にぶっきらぼうな掛け声になってしまった、という後悔。それに、ロレッタは見向きもせず眉をひそめた。ハルトはごくりと唾を飲み下す。
「お前に、話があってきた。ロレッタ・コールドマン」
「そうですか、私にはありま――」
凍えるような冷徹な視線が、ハルトを捉える。ハルトは、その冷淡な態度に拒絶を予見し、
「――すん」
どっちだ。
奇妙な返答にハルトは奇妙な顔をすると、ロレッタはさらに奇妙な顔をしてハルトの顔面を眺めた。先ほどまでの、触れれば凍り付きそうな視線はどこへやら。ひどく表情豊かに疑問の顔をしながら指をさしてくる。
「……ハルト・アレクトロさんですか?」
「ああ。ちょっといいか?」
「もちろんですとも! さぁさぁちょっとついて来てくださいね! ゆっくり話せる場所へ行きましょう!」
「えっ、かつてないほど愛想がいい」
素早くハルトの手を取って、ロレッタは鼻息荒く教室を出ていった。その途中、ぶつかりそうになった下級貴族の子女たちは全員ロレッタを避けて道を作る。上級貴族でもこうはいかないのでは、とちょっと感心してしまう。
そうやって廊下を連れられながら、ハルトは疑問を投げかけた。
「その、何つーか前と態度が全然違うのな」
「はい? ああ、ロレッタに近づく悪い虫にはとことん冷たい態度を取るよう心掛けてるので」ロレッタってお前じゃなかったっけ? 娘の話する父親か何か?
「じゃ、今の俺は虫じゃないってことか?」
「いえ虫ですけど」虫なんかい。「でも虫に用事があれば虫にだって触れるでしょう?」
「……お前の地元には、寒くて虫の一匹も居なさそうだったけどな」
ぴた、とロレッタの足が止まる。ものすごい嫌そうな顔で睨まれたので、ハルトは「覚えてるのは俺だけかよ。俺は命を救われたってのに」と返す。
「え? あ、……あぁ! そういえばあなた冬の街道で雪に埋まってた人じゃないですか!」
「ようやく思い出してくれたか……」
一つ溜息を落とす。これで多少は話になるだろう。と考えつつ、周囲を見回した。
すでに下級貴族クラスの並ぶ廊下を通り抜けたここは、いい具合に人気のない階段の踊り場だった。ここから一つ階層を上がると、上級貴族クラスが並んでいる。ちなみに魔法特進クラスは別棟だ。
「この辺りでいいんじゃないか?」
「え? 何でですか?」
「いや、いい具合に人気も少ないし……」
「……」
ロレッタ、ハルトの手を離し、一歩の間合いを取って見つめてくる。おかしいな、これから密談交わすつもりだったのに、戦闘でも始まりそうな雰囲気だぞ?
「何故、人気が少ない方がいいと……?」
「え、いや、聞かれたらマズイだろこういうのは」
「聞かれたらまずいようなこと話すんですか!?」
何だ何だ、今ロレッタの頭の中で何が起こってる。
「……脅迫ですか?」
「待て、落ち着け。誰も脅迫なんかしようとしてない。一旦深呼吸しよう。な?」
「深呼吸させて何を吸わせるつもりなんですか! 薄い本でこっちはそう言うの全部予習済みなんですよ!」
何だよ薄い本。こちとら勉強で読まされた分厚い革装丁の本しか知らねぇよ。
ひとまずハルト自身が深呼吸して、どうしたもんかと頭を掻き、一思案する。するとロレッタは警戒さえ解かないものの、臨戦態勢は崩してくれたようだった。
ハルトは、逆に考えよう、とロレッタに問いかけてみる。
「つーか、俺がここで止めなければお前は俺をどこに連れていくつもりだったんだ?」
「え? フラン様のところですけど……」
「……」
ハルト、ロレッタから一歩距離を取っていつでも逃げ出せるように準備する。
「いやいやいや、待ってくださいよ。何で私が警戒されるんですか」
「今お前のことが分からなくなった」
「何ですかその別れを切り出すときの彼氏みたいな言い方」
カレシって何だろうか。ロレッタはちょいちょいよく分からないことを言い出すのが厄介だな。
そんな訳で、凡人を自称する皇太子はロレッタの行動を推察しにかかる。
もしかして、全て自分の勘違いだったのだろうか。そう吟味し、いや、そんな訳はないと断じる。あのブルゴーニュ嬢は、確かにハルトにロレッタの弱みを探りに来ていた。それだけは確かなことだ。
となれば、選択肢は二つ。ロレッタがブルゴーニュ嬢の策略に気付いてもいないアホなのか、あるいは気づいていながらそれを悟られないために徹底して惚けているのか。
「何をジロジロ見てるんですか。ロレッタを見るときはもっと幸せそうな顔をしてください」
「……」
アホかもしれない。そんな危惧にハルトは冷や汗を一筋たらしながら、一つ質問を投げかけた。
「なぁ、ロレッタ。この学園って、何のためにあると思う?」
「はい? 何ですかその質問」
「いいから答えてくれ。この辺りに人が居ないのは確認済みだ」
「それ何の前置きですか……」
ハルトの真剣な顔に、ロレッタは面倒そうな溜息を漏らした。ロレッタが本当のアホなら、教育の場などと分かり切ったことを言うだろう。だが、本質を理解できる人間ならば――
「社交場ですよね、ここは。教育機関以上に、貴族同士の交流の場でしょう。教育内容もさして難しいことはしていませんし、授業が終わるのも早すぎます」
――後者だ。ハルトは確信する。ロレッタはブルゴーニュ嬢の策略に気づいていながら、学園社交の主たる彼女に隠れて牙を研いでいるのだ。
「了解だ。お前の事情は分かった」
怪訝な顔をするロレッタに、こいつも中々の演技派だな、とハルトは一つ感心する。となると、素直にロレッタに従った方がすんなり行くかもしれない。
そう考え「じゃ、引き続きエスコート頼むぜ」と手を差し出すと「態度が女慣れしてそうなので嫌です」と拒否られた。
「……」
「……」
えぇ……?
差し出した手の行き場を無くして、ハルトは躊躇いがちに下していく。今まで経験したことのないタイプの困惑である。でもいつものは命の危機が伴うので、この方がマシと言えばマシなのだか……ううむ。
「二人とも何やってるの?」
葛藤に難しい顔をしていると、アルフィーが顔を出した。「「あ、アルフィー」」と声が重なり、ロレッタは嫌そうな顔で見つめてくる。傷つくんだがその反応。
「私はハルト・アレクトロさんを確保したので、フラン様の下へ連行しようとしているところです」連行って。
ロレッタの話を聞いて、アルフィーは「ふ~ん?」と小首を傾げる。それからそっと近寄ってきて、ハルトに耳打ちした。
「……ハルト君、ボクの時は首を横に振ってたけど」
ハルト、苦い顔で弁明する。
「俺にも色々と考えがあってな。お前が悪いんじゃないのを前置きするが、ちょいとロレッタに付き合ってブルゴーニュ嬢と顔合わせしようかと」
ロレッタ、アルフィーからそれぞれジト目で見られて、凡人代表は両手を上げて降参のポーズをしつつ弁解だ。この二人は王侯貴族の中でも特に容姿が整っているからか、こういうとき言い返せない。
「そっか。ボクとしてはちょっと複雑なところだけど、しょうがないね」
寂し気にアルフィーは笑う。それでほっと胸をなでおろした瞬間、彼は続けた。
「でもこの階段を上がったそのまま会いに行くのはやめておいた方がいいかも」
「……何でですか?」
ロレッタの問いに、アルフィーは肩を竦めて苦笑する。
「フラン、君たちが揃って走ってるのをすでに聞いてたみたいで、対策打っちゃってるから」