14話 貧弱王子は強き皇太子に憧れる
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アルフィー=アシュタロテ=ブリタニアは授業を受け終えて、教室で一人、思い出し苦笑をしていた。
理由は先日のお茶会で、婚約者のフランが友人のロレッタに散々振り回されていたからだ。フランがロレッタのことを何やらよく思っていないのは漠然と感じていたが、まさか勘違いのために敵視し空回っているとは思わなかった。
「フランの場合は教えても聞かないからね」
あの後説得を試みるも、梨の礫でぶんぶん頑なに首を横に振る婚約者の姿を思い出す。昔に比べて随分しっかりしたのに、こういう頑固さは変わらないよね、など。
逆に泣きつかれ、ロレッタに先んじてハルト君を捕まえに行く約束をしてしまったのがロレッタ帰宅後の顛末である。フランが負けた方がロレッタに対する勘違いも解けていいのでは、とも思ったが、幼馴染婚約者の変わらない半ベソを見ると、いつも断れないのだ。
それに、万が一にもフランの抱える情報群が漏洩する危機を未然に防ぐ、という意図もないではない。ロレッタがそんな質問をするとも思えないが。
「催し自体は楽しそうだから、全然構わないんだけどね」
王家に施される帝王学によって、ブルゴーニュ公爵家の役割は理解させられている。ブリタニア王国最大の情報機関にして執政官として、代々王家を支えてきた一家であるというのは、口を酸っぱくして教えられた。
そんな家の第一子であるフランが勝者に情報を吐き出す、などと言ってしまったなら、アルフィーが勝たない訳にはいかないというもの。
「フランは頭がいいけど、テンパっちゃうのが愛嬌あるよね」
婚約者なのだから、自分がカバーしなければ。アルフィーはまだ、婚約の実感も湧いていないような未熟者だけれど。
さて、と立ち上がる。そこで、「まぁた一人寂しく訓練ですかぁ第二王子ぃ」と声をかけてくる人が居た。
「いや、違いましたね。確か男爵家の女の子と二人っきりで楽しくやってるんでしたっけ? ハハハハハ!」
「あ……ヨーデル君、どうかした?」
声の元に振り返ると、垢抜けた容姿をした男子生徒が立っていた。侯爵家の一人息子である、ヨーデルだ。彼は何かと孤立しがちなアルフィーに声をかけてくれる、いい人だ。
「何ですか? フランソワーズ様と結婚する前から、妾探しですか? いやぁいいご身分だなぁ。流石次期王の座を投げ出して遊び惚けているだけありますね」
……いい人、ということに、している。
「遊び惚けてなんか、ないよ。ボクだって良い王様になれるように頑張って」「無理ですよ! 無理! 第二王子のような貧弱な人には、ブリタニアは任せられません!」
言葉を上から叩き潰すように言われ、アルフィーは委縮してしまう。するとヨーデルはニヤァと口端を吊り上げて「ほら、これだけ言われても言い返せないじゃないですか」と嗤う。
「アルフィー殿下。そんな無理する必要ないじゃないですか。何しろ、聡明で優秀な、あなたのお兄様が居るんですから。ねぇ、違いますか?」
「に、兄さんは、確かに優秀な人だけど、民衆のことを何も考えて」
「はぁ!? 今、第一王子のことを侮辱しましたか? 第二! 王子の! あなたが!」
「……いや、その」
アルフィーは俯いてしまう。それに、ヨーデルは鼻で笑って言葉を続けようとした。だが、そこに割って入るものが一人。
「あら、侮辱しているのはどちらかしら?」
「……おや、フランソワーズ様ではないですか」
口こそ弧を描きながら、目つきは思い切り睨むような顔でフランが近づいてくる。それにヨーデルは、アルフィーには決して見せなかった警戒の色を表情ににじませた。
「いつもいつも飽きずによくやるわね。そんなに自分の首とお別れしたいのかしら?」
「おやおや何を仰います。私は事実を述べたまでですよ。それとも何か? あなたが、か弱いアルフィー殿下の代わりに私と対面しようと? ――いやぁ殿下が可哀想だなぁ。女に守られるなんて、男の矜持がズタズタというものではありませんか」
「あら、侯爵家ともあろうものが、ご存じないの? 王は自ら手を下さないのよ。ただ玉座にて、命令するだけ。そしてその命令を遂行することこそが、臣下の誉れではなくて? それにしてもあなたのお父様が気の毒ね。息子がそんなことも理解しない愚物だなんて」
「……チッ、女の癖に弁の立つ」
行くぞ、と言って、数人の男子生徒たちを連れてヨーデルは教室を出ていった。その背中が見えなくなるのを待って、フランは小声で言う。
「アルフィー、あなたはこういうのに向いていないのだから、早くワタクシに連絡をよこしなさい。あなたのクラスにもいくらかワタクシの“お友達”がいるからよかったけれど、時と場合によっては嫌味じゃすまないこともあるのよ?」
「は、はは……。そうだね。いつもありがとう、フラン」
アルフィーが礼を言うと、「いいのよ、ワタクシもあなたに助けられているから」と言って、近寄ってくる数人の女子生徒たちに「この事を教えてくれてありがとう。今度一緒にお話ししましょう?」と手を振った。それぞれが目を輝かせて頷き、去っていく。
「……」
すごいな、と思う。とても純粋に。フランは非力だが、それ以外の面で誰にも負けないほどの優位性を持っている。社交という点においては、この学校にフランの右に出るものはないだろう。それでも肉薄する者は居るのが恐ろしい話だが。
「さ、歩きながら少し話しましょう?」
先ほどヨーデルに向けたものとは全く違う、険の取れたふにゃりとした笑みをフランは向けてくる。そこでやっとアルフィーは緊張が解けて、「そうだね」と笑い返して歩き始めた。
「それでアルフィー、どう? ロレッタに先んじて、ハルト・アレクトロを見つけられそうかしら」
「うーん、ロレッタより早く見つけられるかどうかは分からないけど、今日中には見つかると思うよ」
アルフィーの言葉に、フランはどこか緊張の面持ちだ。どうしたのだろう、と顔を覗くと、アルフィーの顔を押しのけるようにしながら彼女は尋ねた。
「うぶ」
「……流石よね。ちなみに、その根拠は?」
アルフィーは顎に人差し指を当てて、少し考えてから説明する。
「そうだなぁ。昨日彼が逃げるときに偶然目があったんだけど、ロレッタに気付いたとき少し瞳孔が開いたんだ。だからこそロレッタと本当に知り合いなんだなって思ったんだけど、その上で数秒止まったんだよ。あの反応はロレッタに対する執着というか」
「あ、もういいわ。相変わらずすごい観察眼よね。ちなみにその推論で言うと、ハルト・アレクトロはどこに?」
「彼は逃げ方からも分かる通り、思いついたら躊躇わない人だからね。探し人のロレッタの本名を聞いた以上、ロレッタの情報を集めて今日中に訓練場に足を運ぶはずだよ。だから、探すまでもなくいつも通り過ごせばいいかなって思ってる」
「それ、ロレッタも同じようにして発見するんじゃないかしら」
「それは大丈夫だよ。ロレッタは多分今日寝不足で、ろくに集中出来ないまま適当に歓楽街の辺りをうろちょろしてると思うし。そこで運悪くハルト君と遭遇しちゃう可能性も否めないんだけどね」
「……何でロレッタは寝不足なのよ」
アルフィー、ロレッタがフランの思わせぶりな言い方に興奮して、勝負制定後ずっと悶々としていた、ということは口にできなかった。それを考え無しに教えてしまうのは、流石にロレッタが可哀想だ。
その点で言えば、ロレッタもすごいと思ってしまうアルフィーだ。誰かに恋をしたことのないアルフィーからしてみれば、同性の相手に恋焦がれて、しかもその成就のために行動できるなんて熱量には、ただただ圧倒されてしまう。
「……何だか、周りがすごい人ばかりで尻込みしちゃうな」
話をそらしがてら言うと、「また急に自信を無くすわね」と片方の眉を下げて、フランは続ける。
「アルフィー、あなたは王族なのだから、それだけで尊い存在なのよ。それでなくともその観察眼は類を見ないものだわ。ワタクシは、あなたに胸を張っていてほしい。あなただって十分すごい人なのよ」
フランはいつも、強い口調で励ましてくれる。だがそれは、いつだってアルフィーの胸に響かない。
「でもボクには、フランみたいなすごい社交能力はないし……」
「それがワタクシの役目だもの。あなたには必要のないものだわ。それでなくとも、ワタクシにだってどうにもならない政敵はいくらでもいる」
「何度も言うけど、ロレッタはフランの敵じゃないよ?」
「嘆かわしい話だわ。アルフィーでもロレッタの美貌には抗えないのね。悲しい男性のサガというものかしら」
「そんなんじゃないって!」
「はいはい、ふふ」
からかっているかのような笑みを少し零してから、「でもロレッタに限った話ではないのよ。ワタクシには敵が多いから」と寂しげに小声で漏らして、フランは長く息を吐いた。
「ま、いいわ。ともかく、その想定だと十中八九あなたが賭けに勝つってことよね?」
「いやぁ、勝負は時の運だから、分からないよ」
「あなたがそう言ったときは、ほぼ必ずあなたの都合よく事が運ぶことはよく知ってるわ。じゃあ後はうまいこと言いくるめて、ワタクシの下に連れてきてね」
悪戯っぽい微笑を浮かべて、フランは自然にアルフィーから離れていく。そのまま彼女は親しげに女生徒に話しかけ、談笑を始めた。ああいった行動の一つ一つがいずれフランの武器となることを知っている身としては、その徹底っぷりに驚くしかない。
「――さ、ボクも訓練場に向かわなくちゃ」
勝負があるとはいえ、その前の訓練を欠かすわけには行かない。いつものように森に入って、微力ながら魔物狩りをせねば。
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簡単に魔物狩りを済ませて訓練場に戻ると、案の定そこには注意深く周囲を見回すハルト君の姿があった。アルフィーはパァッと笑顔になって、ご機嫌で「ロレッタを探してるの?」と声をかける。
「ん、……うぉっ!? 何でこんなところにブリタニアの王子が」
「えへへ。きっとここに来るだろうなと思って、待ってたんだ」
ハルト君は奇妙そうな顔をしてアルフィーを見ている。その視線に、そうだ、用件を言わなければと気づいて、アルフィーは“剣を抜いた”。
「初めて見た時から、気になってました。是非ボクと一試合お願いします!」
「……何で?」
「お願いします!」
「会話通じねぇなおい」
「お覚悟!」
「嘘だろ!?」
両手でも少し重い剣を、ゆっくりと振るう。それを易々と避けながら、ハルト君は「お、おお……思った以上にへっぴり腰だな」と戸惑い半分安心半分と言った様子。
安心、とアルフィーは口端を引き締める。相手に、脅威とすら認識されない剣。そこに何の価値があるか。ただ勝てばいい剣なら油断を突くという発想もあろう。だが、アルフィーは王を目指しているのだ。
「お、覚、悟ぉ!」
腕の筋肉のないアルフィーは、剣を振るうにもあまりに速度が遅い。何拍かおいてなお、引きずるように、あるいはようやく持ち上げるように剣を振ることしかできない。
案の定、余裕をもってハルト君はアルフィーの貧弱な剣を避けた。一方アルフィーはへとへとになって、ぜぇぜぇと息を荒げ始める。
「おい。無理すんなよ。無理すんなよって言うか、その剣は体に合ってないだろ」
「無理、じゃないよ。ボクは、最低でもこれより重い剣を使えって言われてるんだ……!」
「その長剣だって、鍛えてない人間には十分負担だと思うが」
「ボクは、ずっと訓練を続けてる……! でも、ずっと、ずっと強くなれないままで……!」
アルフィーは歯を食いしばって、また一度剣を振る。
「君を見て、一目で凄いって思ったんだ。何で、あんな動きが出来たんだろうって。どんな訓練をしたら、そこまで至れるんだって……!」
「え、いや、あのくらいの動きは――いやまぁ、死ぬような思いを何度もして身に着けたもんではある、が」
ハルト君は、口を閉ざした。それから、睨むようにアルフィーを注視してくる。
「……お前、師匠は?」
「知らない、よ……! 名前すら教えて、もらえなかったんだ……ッ!」
二振り。ハルト君は最初から当たらないような間合いを保ちながら、アルフィーとの問答を重ねる。アルフィーの体力は限界に近い。少し剣を振っただけでこんなに疲弊してしまう自分が、情けなくて仕方ない。
「その動き、その師匠がやれって言ったのか」
「そう、だよ……! もう会えない師匠だけど、ずっと言いつけを、ッ、守って……ッ!」
攻撃は全て躱される。ハルト君は、「最後に、質問の方向性は変わるけどよ」と続けた。
「お前、“俺に戦闘の才能が全くない”っていう確信があって、さっきみたいに言ったのか?」
「……そんな失礼なこと、思えないよ……」
「――そうかよ。一つ助言するが、あんまいい子ちゃんの仮面ばっか被ってると、自分の本心も分からなくなるぜ」
ハルト君は疲れ切ったアルフィーに肉薄してきて、そのまま前蹴りを繰り出してきた。アルフィーにはそれに対応できるような体力は残っていない。だがそれでも、訓練は、裏切らなかった。
剣で、受け止める。彼の蹴りの勢いを利用して、回転する。反転。間合いの内に入ったハルト君に切りかかるのを――
「グレイプニル」
ハルト君の右袖の中から、赤い軌跡が走った。アルフィーの剣が止まる。見れば瞬時に真っ黒な紐がアルフィーの腕も剣も縛り上げて、これ以上ハルト君に近づかないように拘束されていた。
「ほどけ」
シュルッと音がして、アルフィーは解放される。そしてそのまま、地面に崩れた。剣を杖替わりにして、荒く息を吐く。それにハルト君は、手を差し伸べてきた。
「ほら、立てるか」
「ご、ごめ、ん……。ちょっと、無理、そう……」
「そうかい。じゃ、横失礼するぜ」
ドカッとハルト君はアルフィーに横に腰を下ろした。それからどこからともなく水の入った瓶を取り出して「飲むか?」と差し出してくる。
「……いい、の? っていうか、ぜぇ、どこからこれ」
「俺、実は『宝物庫』持ちなんだよ」
ハルト君は空中に手を伸ばし、そしてその周囲に波紋を広げながら指先を虚空の中に隠した。そこから手を引き抜きながら、「秘密な?」とニッと笑う。
「さっきの紐と言い、宝物庫といい、ハルト君、アーティファクト持ちすぎ、じゃない?」
「色々修羅場くぐってきたからな。その関係で一通りは持ってんだ。ほれ」
「あり、がとう」
アルフィーは瓶を受け取って、中の水を一気に飲み干した。それから「ぷはぁっ」と一息ついてから、汗をぬぐう。
「ふぅ、人心地ついたよ。本当、嫌になっちゃうなぁ。少し運動した後とはいえ、これだけで疲れちゃうなんて」
「適材適所って奴だろ。それで? まさか俺と一試合するためだけに待ち伏せた、なんて言わねぇよな?」
「あ、あはは。一試合してほしい、っていうのはこれでも結構大きな目的ではあったんだけどね」
アルフィーは照れ隠しに頭を掻いてから、「フランが君を連れてくるようにって。ロレッタのこととか、他にも色々と話を聞きたいんだって」と説明する。
それに、ハルト君は嫌な顔をする。
「えぇ~。あのいかにも権力の使い方心得てます、みたいな面したご令嬢だろ? 絶対トラブルの種になるから嫌だ」
「そんなこと言わないでよ。幼馴染のボクから言わせてもらえば、あんなに性根のまっすぐな子はいないよ?」
「そうは言うがなぁ……。つーか、ロレッタの何を聞きたいってんだよ。俺とあいつにさしたる接点はないぞ? 俺が一方的に話をしたいと思ってるだけで」
「うーん……」
ダメ? と首を傾げる。「ダメだな」とハルト君はからからと笑った。そう返されると、「仕方ないなぁ」とこちらも笑うしかない。
「じゃあ、そう伝えておくね。そうだ、それとは別に、今度また会って話せないかな。ボク、君と友達になりたいんだ」
「いいぜ。友達になりたいだなんて直球な言葉貰ったのは初めてだけど、悪い気はしないしな」
拳を差し出されて、アルフィーは首をひねった。ハルト君が「拳をぶつけ合うんだよ」と教えてくれたから、ロレッタとの挨拶みたいなものか、と納得し「えいっ」とぶつけた。「お前力ないなぁ」とからかわれるのが、何だか嬉しかった。




