13話 悪役令嬢、恋敵にマウント合戦で負ける
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先手を打った、という実感があった。
フランは第一目標、「ロレッタの弱みを握ろうとしたことをバレずに、先ほどの騒動につい説明する」を難なく達成し、後は適当なところで話を終えるだけ、と紅茶を口に運ぶ。
事態は何もかも順調だった。ロレッタの頬の赤らみを見る限り、先ほど仕込んだウィスキーで酔っているのは確実だし、この期に及んで何を言うこともないだろう。酔って口を滑らせるのを期待したが、口数が減るだけでも十分有益だ。
そんな時、アルフィーがロレッタに話を振った。
「ロレッタ、君はどう思う?」
「ふぇっ、わわ、私ですか?」
ロレッタは、自分に話が回ってくるとは思っていなかったのか、多少慌てた様子で返事をした。へぇ、とフランは思う。もしかすれば、ここでトドメをさせるかもしれない。
「そうね。あなたのコールドマン男爵家は、寄り親がフロストバード辺境伯でしょう? なら、アレクサンドル大帝国についても、ワタクシたちよりもよほど身近なのではなくて?」
アルフィーの援護をする形でフランも尋ねてみる。フランの追加情報を聞いて、アルフィーは関心顔だ。優しいアルフィーだから変なことを言っても許すだろうが、ロレッタが酔いからの失言に自責の念を抱く可能性もある。
「そっ、そう、そうですね、私は……」
――とフランは、ロレッタを侮っていた。それを自覚したのは、彼女の口元に、余裕めいた色を多分に含んだ笑みが宿っていたことに気付いた瞬間だった。
「あ、私、実は彼と一度話したことがあるので、連れてきましょうか?」
「え?」
フラン、一瞬何を言っているのか分からなかった。ポカン、と口を開く。それから、マズイ! と凍り付いた。アルフィーが嬉しげに笑顔を浮かべる。
「え! それ本当!?」
「はい、もちろんです。でゅふっ、ふ、フラン様もどうですか?」
「え、と、い、いいえ? そ、そこまでロレッタの手を煩わせるわけには行かないわ」
フランは冷や汗をダラダラ流しながら首を振った。それはダメだ。それだけはマズイ。ロレッタが連れてきて、ロレッタの弱みに繋がるようなことを聞き出せるわけがない。そんなのもう、フランにとっての詰みのようなものだ。
が、ロレッタ、ここぞとばかりに押してくる。
「な、何をおっしゃいます! 私はフラン様のためなら粉骨砕身! 明日にでもフラン様の目の前にその皇太子とやらを連れてきてみせます!」
「待って、お願い、待って」
「あ! それならボクも行きたいな! 是非ハルト君とお話してみたい!」
「アルフィーまで話を複雑化させるのやめて」
フラン、軽いパニックである。このままでは国防の要の娘ロレッタ、王子のアルフィーが伴って帝国の皇太子を確保しに行くことになる。そんなのロレッタの弱みどころではない。次代のブリタニア王国とアレクサンドル大帝国の関係性を決定づける会談のようなものだ。
それが、こんなところで起こっていいわけがない。いずれ必要になるだろうが、今は時期尚早にも程がある。とフランは目をグルグルさせた。正直まだ十五歳の少女には、大国二つの将来など規模感が大きすぎて掴めない。
そこで、フランは気づいた。この困惑こそが、ロレッタの策略なのではないか、と。
「……なんて事」
アルフィーとわーきゃーはしゃぐ、この知性の伺えない女を見る。奴は馬鹿な振りをして、全てを理解して振る舞っているのではないか。己の秘密を掴ませないために、こんな風に物事を大きくしているのではないか。
だが、まだだ。まだ負けたわけじゃない。とフランは深呼吸をする。例えフロストバード家の人間だろうと、だからこそ、帝国の皇太子を易々と連れてこられるとは限らない。もしかしたらブラフの可能性もあるし――もし真実だったとしても、それを事実で無くすことも不可能ではない。
「――分かった、いいわ。ロレッタ、あなたがそのつもりなら」
フランのその言葉に、ロレッタはこちらを見た。いいだろう。フランは、認める。かつてこれほどまで立ち回りで上を行かれたことはなかった。その意味で、ロレッタはフランにとって人生でも初めての好敵手となりうる。
フランは震える手を机の下に隠し、努めて獰猛に笑った。負けない。気弱な心にそんな言葉を刻み、フランは己が正義を示すべくロレッタへと口を開く。
「任せてもいいかしら。ハルトヴィン・ディエゴ・アレクサンドル皇太子殿下をワタクシの元へ連れてくるという、とても大切な役割を」
これを最終決戦としましょう。言外にそんな意思を込めて、フランは宣戦布告する。
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来たぁ! と童貞美少女は頭の中で喝采を上げた。正直何処で接触したものか分からないが、まぁ何とかなるだろう。童貞はこういうタスク消化型の任務は大得意である。他企業からの邪魔立てなど数知れなかったが、その全てを何度打ち払ったか分からないほどだ。
これで喜んでもらえる、お近づきになれる……! と輝かしい展望にドキドキワクワクである。うまくいけば……ゲヘヘ、と童貞はじゅるりと唾を飲み込んだ。
にしても本当にこの迫力ある美少女スマイル好き。とフラン様を見つめては呆けてしまう童貞である。油断すると目覚めてしまいそうになるからたまらない。
「はい、お任せください!」
「それで、期限はいつになるかしら?」
フラン様の問いに、童貞美少女は考える。納期かぁ。どうしよっかな。
「一週間ほどいただけますか?」
「あら、申し訳ないのだけれど、ワタクシも結構忙しくてね。時間が取れるのは今日から三日間の間だけなのだけれど、構わないかしら」
三日かぁ、と思う。男の大企業上役辺りが言ったらキレ散らかして帰るのだが、フラン様なので十分許容範囲である。そう言えば前世でも美人キャリアウーマンの取引先で圧かけられたことあったなぁ。あの時も何かもう条件が増えるたびに気持ち良かった覚えがある。
「分かりました。では三日以内にお連れします」
「ッ!? ……素晴らしい答えね。でも、出来なかったらどうするのかしら」
前世のキャリアウーマンのセリフがよぎる。あの時もこんな風なこと言われてゾクゾクした。童貞はちょっとMっ気があるのかもしれないと自分を疑った思い出だ。
だが、こういう時の返しを一任されて、ただで転ぶロレッタではない。
「どのようにしていただいても構いません。何なら、フラン様の奴隷のように扱っていただいても結構です」
むしろご褒美、という感情はあくまで隠して言うと、流石にフラン様もびっくりしたご様子で「そ、そう? いえ、そこまでは求めないけれど、分かったわ」と頷いてくれる。これわざと失敗する選択肢出てきたな?
そして童貞は黙り、続くフラン様の言葉を待った。だがこれ以上の圧を掛けるつもりはないらしく、「では、そうね」と考えるそぶりを見せたので、童貞美少女ロレッタはギラリと目を輝かせ口を開いた。
「ちなみになのですが、信賞必罰。罰が用意されている以上、褒美の方も期待してよろしいですよね?」
「!?」
よもやこちらから言われると思っていなかったらしく、フラン様は肩を跳ねさせて目を白黒させる。ヤバい超かわいい、とロレッタは心中で表情をとろけさせる。実はSも行けるクチな童貞だ。オールラウンダーである。
「その方がやる気が出るというものです。フラン様は寛大で素晴らしい方ですから、自発的に褒美の話をしてくださるに違いないと考えていましたが、欲に負けて私から言い出してしまいました」
話題が少々商談チックな流れだからこそできる、限界童貞の攻め気交渉。しかしやはりフラン様はおおらかで肝の据わった人だから、「そうね、ふふ。でも自分から言い出してしまうなんて、本当はいけないことなのよ?」と茶目っ気たっぷりに許してくれる。愛してる。
「そうねぇ、何がいいかしら」
愛らしくもやはり美しく小首をかしげて、フラン様は考える。ああ、やっぱりもうこの人しかいません。とロレッタは自らの恋心に確信を深めた。
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フランは努めて平然とした態度を取りながら、荒れ狂う感情の中で戦慄していた。何という傲慢、何という強欲。実際の身分が辺境伯とはいえ、表向き男爵家とは思えないほどの欲張りな要求である。
恐ろしい、とフランは机の下のお手々がものすごい勢いで震えるのを必死に押さえつけている。何故か? その理由は、ロレッタの言葉を意訳するとはっきり分かる。
『どれほどの困難、罰を用意しようとどうせ私が勝つのですから、それよりも何かプレゼントをお持ちになって待っていてくださいます?』
本性を現したわね、とフランは畏怖さえ込められた目でロレッタを見てしまう。彼女は朗らかな笑みをこちらに返すが、その完璧ぶりには凍えるほどの冷たさを感じてしまうほどだ。
しかし、考えてみれば今更か、と生唾を飲み下した。元々アルフィーの恋人の座を狙うような輩である。王子の恋人、という座がどれほど貴族間の地位に影響するかなど、熟知していることだろう。ここで“ご褒美”を要求するという事は、そういうことだ。
――いいでしょう。最終決戦に相応しいわ。勝てば総取り、負ければ破滅。なんて分かりやすいのかしら。
フランは覚悟を決め、一番の切り札に手を出した。
「そうね。じゃあ……勝者には、ワタクシから教えられる物事全てを教えましょう。これでも学園は長いから、何でも教えてあげられるとは思うわよ?」
その言葉に、アルフィーが目を丸くしてこちらを見る。それから小声で「そ、それ大丈夫なの?」と聞いてきた。アルフィーは、フランが身分的秩序を保つべく様々な方面で奔走して、知ってはならない類の情報をかき集めていることを知っている。
事実、フランはそのつもりで言ったのだ。
「ええ、いいのよアルフィー。そのくらいじゃないと、お互いやる気が起きないってものよ。ねぇロレッタ?」
「な、何でも、ですか? 本当に? 色々聞いちゃってもいいんですか?」
「ええ、もちろんよ。ワタクシが知る全てを、知りたいでしょう?」
「は、はい! もちろんです!」
ここまでロレッタ・フロストバードという難物が食いついたことが、かつてあっただろうか。それだけ、フランが今までため込んできた様々な貴族たちの弱み、秘密、醜聞と言った情報群には価値があるのだ。やろうと思えば、一瞬で令嬢たちのすべてを従えられるほどに。
だが、易々と明け渡すつもりはない。これは、勝算を十分に抱えた上で行う一つの賭け。フランは己の人脈と策謀に、そしてロレッタはいまだ底知れない何かに。
――さぁ、掛かって来なさい、ロレッタ・フロストバード。アルフィーの恋人の座を、ひいては学内におけるカーストトップの座を狙わんとするのなら。
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ロレッタは興奮で鼻血を吹き出しそうだった。フラン様が知る全てって何だろうか。えっちな質問もしていいんだろうか。深みのある笑みが誘っているようにしか見えないんだけど気のせいじゃないんじゃなかろうか、と。
余談だが、三日という納期達成のための考えを全く持っていない童貞である。明日から取り掛かればどうにかるでしょ、という安直な考えで動いている。