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1話 童貞、死んだから美少女になる

 気が付くと目の前に神秘的な女性がいた。


 虹めいて淡く色合いを変える長い髪。異常に整った顔立ち。美しい、という言葉すら足りないその容姿は、自然と人間でないことを見たものに悟らせるそれだ。


「初めまして。突然ですが、あなたは死んでしまいました。ですがあなたは運がいい。あなたさえよければ、転生させてあげましょう」


 心臓がバクバクと音を鳴らす。あり得ない事態に、自らが動揺していると理解していながら、落ち着くことができない。


「……あの、大丈夫ですか? よく居るんですよ、死に間際の記憶がフラッシュバックしてしまう人。ひとまず、安心してください。ここは安全な場所ですよ」


 女性が前かがみになって、こちらをうかがってくる。


「だ、だだ、大丈夫です! あ、あの、可愛いですね!」


「ん?」


 沈黙が下りた。何か、何かまずいことを言っただろうか。緊張で頭が回っていない。顔が熱い、と思った。全身が強張って、自由に動かせない。


「……あー、理解した。ちょっと交代しますねー」


「あっ……」


 神秘的な女性は空間に溶けるようにして消えてしまった。それからやっと心臓の音が静かになってきて、周囲を見渡す余裕が出てくる。


 といっても、何もなかった。ただ白い空間ばかりが広がっている。唯一自分が座っているイスはあったが、それだけだ。


「それだけとは失礼だな。俺のことは無視なのかい?」


 上からピエロがのぞき込んできたのでビビった。


「うおっ、驚かさないでくださいよ。っていうかここどこですか? 拉致ですか?」


「一応さっきから見てたけど何だその落ち着きっぷり」


 改めて前に現れたピエロの姿に、眉を顰める。異様な格好だ。ピエロ、と評したのは仮面といかにもピエロらしい帽子をかぶっていたからだったが、その服装はビジネススーツだ。どこからどう見てもただの不審者にしか思えない。


 これは拉致だろう。こんな白ばかりの場所がありうるのかは分からないが、ひとまず会話を続けながら、脱出の糸口を見つけていくべきだ。


「私は常日頃からこんなものです。それよりも、質問に答えていただけますか」


「……面白いなこいつ。おい、今回は大当たりかもしれないぞ」


「あ、やっぱり~?」


「アッアッアッ」


 先ほどの女性が現れ、また頭が沸騰しそうになる。それを見て、「あ、ごめん私居るとやっぱり会話にならなそうだから引っ込むね~」と消えていってしまう。


「……あぁ……」


「お前すごいな。結構年いってそうなのに挙動がもろ童貞のそれというか」


「何ですかあなた失礼ですね」


 キレますよ、とまでは口にしないが。


「さて。では改めて説明だ。お前はつい先ほど事故死した。自覚はあるか?」


「じ、事故死? 何を言って……」


 抗議しようとして、不意に脳裏に映像がよぎった。迫りくるトラックに、急激に回転する視界。そして必死に声をかけてくれる道端の女性。可愛かったなぁ。少しばかり年上だったが、まぁ自分の母親の年齢までなら全然イケる。あの女性は恐らく57くらいだったか。


「どんだけガッツいてるんだお前は」


「は? ふざけないでください。私なんかを相手にしてくれる女性ですよ? その時点で心が天使のそれでしょうが年なんか関係ないじゃないですか」


 そこまで言って、口をつぐんだ。顔が強張るのを感じる。睨みつけながら、尋ねた。


「あなた、私の心を」


「読んだよ。こう見えてこの空間の支配権は握ってるからな。お前の考えは駄々漏、おっと暴れるな」


 立ち上がって襲い掛かろうとしたのが、見えない力に拘束され動けなくなる。「まぁ落ち着けよ。『笑わないピエロ』は他人に害を加えない」という言葉を聞いて、ピエロの仮面に表情がないことを気づく。


「何なんですか、一体。私は事故死して、あなたたち奇天烈な格好してる連中は異様な力を持ってて——もしかして、今流行りの異世界転生、なんて言わないでしょうね」


「開始直後にウチの嫁が言ってただろ」


「は? 嫁? おいお前ふざけんな! あんな美女がお前! お前お前お前お前お前!」


「キレ方面白いな。それで、お前のお察しの通りだ、ラッキー童貞。「誰がラッキー童貞ですか」我々は事故死した人間をランダムに選び、適当なチートを渡してウチの世界に勧誘している。お前さえよければウチの世界にきて、好きなように生きてくれていい。もちろん断ってくれても構わん。以上」


「以上、って」


 ラッキー童貞は口をもにょもにょさせて、語調を尻すぼみさせていく。この話をそのまま受け止めるなら、相手方は純粋なる厚意で勧誘してくれている、ということになる。


 だが、そんなことが信じられるものか。


「信じる信じないは勝手だ。どうせお前が断っても、こっちは特に困らない。お前は事故死のまま。こっちは次の転生者候補を見つけて、適当に勧誘するだけだ。とはいっても、断ってほしくない、とも思ってる」


「それは、何故」


「お前が抜群に面白いからだ」


 ずい、とピエロは顔を近づけてくる。仮面の無表情が、『面白い』の説得力を壊滅的にしていることには気づかないのだろうか。


「ふむ。じゃあそうだな、決断までに、三つ質問していいぜ。あんまり長くしていても面倒くさいだけだから、簡潔にな」


「あなたがたは何なんですか? 神とか?」


「神じゃない。人間、とは言い難いな。出自は人間で、今は地球ではない異世界を管理している。次」


「あなたがたが管理している異世界について説明してください。文明レベル、信仰、魔法とかそういうのも」


「さっき流行りのって言ってたろ? そのまんまだ。一部は地球原産の神話とブレンドされてたり、今までの転生者にいじられててたりするがな」


 ということは、中世ヨーロッパ風、といったところだろうか。この分だと魔法くらいは存在しそうだ。そうなると、それなりに危険な地域もある。……まぁ、この辺りは地域にもよるだろう。


「最後に、そのチートってのはどのくらいのものまで貰えるんですか?」


「お前の望むすべてを与えよう――とはいかないが、要望は極力叶える。だが、キーポイントだけは押さえていてほしい。押さえられていない場合は、こっちでいじくる必要があるからな。テコ入れは、俺たちのセンスが物をいうからあまりしたくないんだ」


「キーポイントって何ですか」


「ハイ質問コーナー終了~。つー訳で、どうする? 転生か、それとも死か」


「……」


 腹立つなこのピエロ。


「転生で」


「お、そりゃ喜ばしいな。決め手は?」


「言いたくないです」


 絶対言わない。考えもしない。深層心理で処理する。だがこれだけは譲れない。


「童貞捨てずに死にたくないんだな、分かる分かる」


「クソがぁああああああああああああああああああ!」


 このピエロふざけんなよマジで! クソッ! 転生先で神に届くような力を得たらまずこいつを殺しに行ってやる!


「そういうなよ。んじゃチートはどうする? 『イケメンになる』とかにするか? 似たようなチートを持ってった奴なら過去にいたぞ。何故かドラゴンになってたが」


「意味不明な事例を出すのやめてください。というかイケメンは嫌です」


「そりゃまた何で」


「だってイケメンは屑しかいないじゃないですか」


「……やべぇこいつ。童貞こじらせすぎだろ」


 声音から心底引いてるのが分かる。うるさい、自覚はあるんだチクショウめ。


 けど仕方ないだろ。本当はイケメンが悪い奴ばっかりじゃないことだって分かってるんだ。でも認められないだろ。あいつらは顔だけでモテてるって思わないと、生きていけないだろ。死んでるけど。クソ、何が悪いんだ。どうやったら女性に好きになってもらえるんだ。俺の味方をしてくれるのなんてそれこそ母親くらいしか。


「あーあー分かった分かった。黙って負のオーラを放つくらいなら、そのコンプレックスをどうにかするチートを選ぶために時間を割こうぜ。はい。じゃあイケメンチートは無し。それならオーソドックスに強さアピールで魅力をあげてくか?」


「筋トレとフェンシングならやってました。ちょっとした大会でチャンピオンまで行ったけどモテなかったから、強さアピールに意味がないのは知ってます」


「えっ、お、おう。じゃあ頭いいアピールとか」


「一応国内最高学府卒ですよ。モテませんが」


「そ、それなら金」


「不自由したことはないし、女性に対する金払いは糸目をつけたことがないです。女性のことは何よりも大事にしました。大会二連覇を掛けた試合も放り投げて、欲しいといったものはブランド物だろうが宝石だろうが必ず捧げ、なのに……うぅ、何で、何でなんですか」


 走馬灯のように、脳裏に苦い記憶が甦る。


「高校で応援してくれたマネージャーも、大学で同じサークルだったギャルも、会社を立ち上げて高給で雇った秘書も、あれだけ努力して、あれだけ尽くしたのに、私を捨てました。私に振り向いてくれるのはゲームキャラだけ。でも何千万と溶かしPの世界ランキングに載っても、この胸の痛みは癒されなかった……」


「……お前何でモテないの?」


「私が一番知りたいですよ! 割と高スペックじゃないですか!? 昔で言う三高は完璧です! 高学歴高収入高身長! 身長は人並みを少し超えるくらいですが、鍛えてたから見栄え自体は悪くない! 性格面に関しても男友達にはチヤホヤされるし、先輩には可愛がられ、後輩にだって慕われてる! でもモテない! 本当に、本当に、モテ、ない……」


「呪われてんじゃね?」


「お祓いしたからそれはないです」


「お祓いまで済ませたのか……」


 どうすれば良いのだろう。童貞はただ悩みに悩む。あらゆる努力をし、その努力で成功をおさめたが故に、それが女性に対しての魅力にならないことを知っている。やはり、やはり顔なのか? でもブサイクなのに異様にモテる友達もいる。ならば、童貞はどうすればいい。


「結局、チートに何を選ぶんだ? 何も与えずに放り出しても生きていけそうだっていうのは把握したけど、正直哀れすぎて何かを与えないとこっちも消化不良だ」


 ピエロが回答を催促してくる。童貞は意気消沈し、何処を目指せばいいのか分からない。


 そんな時、不意に童貞の中に妙案がよぎった。


「……になりたい」


「何だって?」


「美少女になりたい」


「……んっ?」


 ピエロは声色だけで疑問を呈した。童貞は顔をあげ、絞り出すように答える。


「私を、私だけを愛してくれる美少女が欲しかったんです。でも、人生経験上、そんな人は存在しない。ですが、思ったんです。そういえば、私は、私だけは私を裏切らなかったなって。私自身は努力のために辛い思いをしても、どんなに苦しくても、期待に応えてくれました。モテだけはしなかったけど、それ以外の結果ならついてきました」


「はい」


 童貞の言葉の圧力にピエロは何故か敬語だ。


「なら、私が美少女になればいい。だって、私だけは私自身の期待を裏切らない。いつまでもついて来てくれる。そうでしょう?」


「そう、ですね。はい。うん。うん……うん?」


「何だよおかしいかよふざけんなよチクショウ! じゃあ俺はいったい何を望めば幸せになれるんだ! 死んでも俺はッ! 所詮ッ! 俗物でッ! 女性と添い遂げる形でしか真の幸せを手に入れることは出来ないんだよ! でもモテないから! じゃあ、美少女になるしかッ!」


「はい! はい! そうですね! うん、そうだその通りだ! 『笑わないピエロ』もその気持ちはよーくわかる! じゃあそうだな! もうそんじょそこらの美少女とはわけが違う、飛び切りの、絶世の美少女になろう! な! だからちょっと落ち着こうぜ!」


 泣き崩れ慟哭する童貞を、ピエロは困惑と共に慰める。それを受けてぶるぶると震えながら「私に優しいのは男だけです……いっそホモになれれば……」と恐ろしいつぶやきを童貞は漏らした。


「じゃあ、創造主の補佐、『笑わないピエロ』の名のもとに、お前はその時代において最も美しい少女として転生する。それ以外の能力は、転生前が有能っぽいから何とかしてくれ。脳はスペックも記憶もいじらず、若返らせるだけにとどめておく」


 言いながら、笑わないピエロは童貞の前に鏡のようなものを空間に構成した。そこに映る童貞の姿はどこかあやふやさを帯び始め、次第に色彩や輪郭を変容させていく。


 そして、固まった。


「どうだ? これがウチの世界に生まれうる、世界で一番の美少女だ。まぁ無論個人の好みってのがあるから、一等美しい美少女の中でもお前が一番気に入るだろう“可能性”を選び抜いた」


 ピエロは語る。だが、もはやそんな戯言は童貞の耳には届いていない。ただ童貞は、鏡の中の像をじっくり見やるためにのみ、震える全身で近づいた。


 世界一の美少女? 一番気に入る可能性? そんなものでは表現しえない。ピエロの言葉は、この姿を現すのにあまりにも陳腐すぎる。


 ――そこにいたのは小さな女神、あるいは妖精の女王だった。白銀の髪を豊かに伸ばしたその様は、視界一面の処女雪の美しさをそのまま擬人化させたようだ。


 ぽかん、と驚きに小さな口を開けるその様子まで愛らしい。あわあわと動揺を抱えながら、少女は鏡の奥から近づいてくる。あまりの感動に流れ出た涙が、鏡の向こうでは真実の輝きを放ち白磁の肌を伝い落ちる。


 聞いてない。


 ここまでの美少女だなんて、聞いてない。


 童貞は歓喜すら追いつかないほど驚いていた。このピエロが言うチートなど、たかが知れているだろうと油断していた。


 天使という言葉さえ生ぬるいとは、考えていなかった。


「……可愛い」


 ぼそ、と童貞は言った。その呟きすら、カナリアのような愛らしい声となって耳に届いた。


「可愛い」


「だろ? お気に召したようで何よりだ。正直泣き出すほどだとは思わなかったが」


「可愛い……!」


「ん? おい、大丈夫か? 声聞こえてるか?」


 すこしずつ、童貞は美少女が自分のものであると理解し始める。それに比例して手が震え、雪のような肌がリンゴのように赤く色づき始めた。


「可愛い、可愛いよ」


 美少女が熱っぽい視線で童貞を見つめている。こんな美しい少女が自分だけを見つめているのだと、何があっても自分を裏切らないのだと思うと、全身が熱くなる。


「お、おい。待て待て待て。冷静になれ。自分自身だぞ。お前がそいつになるってことだぞ。大丈夫か? 理解できてるか?」


「ああ、可愛い、可愛いよ、可愛いよ! あ、ああ、あああ、あああああ!」


 そして、童貞はガンギマった。


 絶叫をあげて、鏡に抱き着いた。熱烈なキスを交わし、頬ずりをする。これだけしても美少女は童貞を拒否しない。それどころかとろけた表情でこちらを見つめてきていた。美少女も童貞を愛しているというのか?


「ええ、愛しています。―――――様」


 童貞の名を呼び、美少女は年に似合わない色っぽい微笑みを浮かべる。それを演じているのが自分だというのに、童貞は感涙を止められない。「俺も愛してるよぉおおおおおおおお!」と叫んで鏡を激しく抱きしめる。


「やべぇ! こいつやべぇ! おい! もういいこいつこのまま送りつけよう! 見てて面白いが同じ空間に居たくない!」


「あはははは! 今回の転生者くん……ちゃんになるのかな? ともかく個性的でいい感じ! じゃあ転生させちゃうね!」


 また鏡面に映る美少女の像が曖昧になり始める。それに、童貞は即座に振り返った。「ひっ」とピエロが肩をすくませる。その動きに反応して童貞は飛びかかろうとしたが、すでに童貞の体は形を失い始めていた。


「あっぶねー……。ま、これで今回のセッティングは完了だな。面白いもん見せてくれよ」


「うんうん。期待してるからね、転生者ちゃん! あなたの新しき人生に幸あれかし!」


「自然発生する予定の他三人の主人公にもよろしくな~」


 部屋中の白が脈動する。視界がぼやけて解け始める。童貞は意識が朦朧とするのを感じながら、胎動の闇に落ちていった。


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