さようなら、私-2-
パトラ=クリエックは、泣いていた。
涙は枯れ、喉も枯れ、ただ嗚咽だけが口から発せられるのみになってしまった。
(あのね、パトラ...もしお姉ちゃんが居なくなっても一人で生きていける...?)
姉のクレオが昨日そんなことをパトラに尋ねた。パトラはそんなことを考えることすら恐れた。クレオのいない自分は何も出来ない。
パトラは姉のクレオに全幅の信頼を置いていた。
そんなクレオが先ほど、一瞬の内に姿を眩ませた。
(もしかしたら、扉の向こうに吸い込まれたのかも)
時の祭壇で扉を開いた者が扉の向こう側に引き寄せられるなんて話は聞いたことがなかった。
だけど、実際にクレオは消えてしまったのだ。何度呼んだって返事はない。
パトラはその場にへたり込んで泣き喚いた。
双子だから、分かる。嫌でも、感じ取れてしまう。クレオはもうこの世にいないのだということを。
パトラのことを置いて消えてしまったのだ。...2年前と同じように。
2年前のあの日。パトラの目の前で命を落としたように見えたクレオは、3日後にケロッとした様子で、パトラの前に帰って来た。
"びっくりした?"
クレオがそう言ってケラケラ笑うのを見て、とても腹を立てたのを覚えている。
"もうすごく心配したんだから"とパトラが泣きながら膨れるのを見て、クレオはよしよしと頭を撫でてくれた。
-その手がひどく冷たかったを覚えている。
お師匠様の作ってくれた薬が命を繋いでくれたとクレオは語ったけれど、詳しいことは話してくれなかった。
そして、その日からクレオは食べ物を口にしなくなった。
パトラはそんなクレオの異変を見て見ぬ振りをしてきた。
クレオは、夜、私を寝かしつけるとじっと眠った振りをする。
-きっと眠ることが出来ないのだろう。
クレオは、私がふざけて抱き着くのを咎めるようになった。
-きっと心臓の音がしないのを怪しまれないように。
クレオは、ひどい怪我をしているのに、全く気が付かなかった。
-きっと痛みの感覚がないのだろう。
クレオはパトラに"それ"を気づかれたことを察すると、ひどく悲しそうな顔を浮かべるのだった。
パトラは鈍い妹だから、そんな姉の異変に気付かない。
そんな"出来損ないの妹"として振舞おうとしてきた。
姉が悲しまなくていいように。
パトラは思った。
でも、もしかしたら今までの自分は間違えていたのではないのだろうか、と。
パトラはただ怖かっただけなのだ。
クレオが、パトラの知っているクレオではないということが。
クレオが、パトラの前からいずれ居なくなってしまうことが。
パトラがクレオに対して、あの時しっかりと向き合っていれば、こんな結果にはならなかったのではないか。
そして、 --クレオが既に死んでいること-- を打ち明けてくれさえいれば、
二人でこうならない結果に向かうことが出来たのではないか、と。
パトラが頼りになる妹なら、クレオはきっとあの日に何があったかを打ち明けてくれていたはずだ。
しかしパトラが頼りないばかりに、クレオはその秘密を自分の中に抱えることになったのだ。
ここ、"時の祭壇"に訪れたのもそういう経緯があったからだった。
パトラは、先週ふと立ち寄った古本屋で偶然見つけた本に、"陰陽の扉"というものがあるのを知った。
時の祭壇にあると言われるその扉は8000年前に一度開いたきり、その解呪の困難さから誰も開くことが叶わないとされる。
しかし、その開き方を知って驚いた。パトラとクレオなら開くことが出来そうなのだ。
むしろパトラとクレオ以外には開けないと言っても過言ではない。
-パトラはこれを天啓だと思った。
-"時の祭壇"にある7つの扉を開放せしものは、刻の支配者として君臨することが出来る-
そういう言い伝えがあった。
(もしかしたら、門を一つ解放してお願いすれば、あの日より前に戻してもらえるかもしれない)
そしたら、姉と私はあの日、あの洞窟に行かなければいい。そうすれば、クレオは以前のクレオのまま生きていくことが出来る。
その頃のクレオは様子がおかしかった。パトラを連れてあちらこちらに旅をするのを辞めたかと思うと、自室に籠りきりになってしまった。
日に日に消衰していくクレオの姿を見かねたパトラは、初めて自分からダンジョン攻略への誘いをクレオに持ちかけることにした。
場所は勿論"時の祭壇"だ。
昨日そのことを意を決して伝えた時、クレオは目を見開いて驚いたかと思うと、何がおかしいのか声を上げて笑い出した。
パトラはそんなクレオを見て、少し怯えた。
姉は"あぁ、遂にそう来たのね"と天を仰いで呟いた。
そしてクレオはしばらく考え込んだ後に、"いいわよ。行きましょう"といつもの調子で言った。
その日は久しぶりに二人で食卓を囲んだ。二人で沢山の思い出話に花を咲かせた。
クレオはその日、パトラはが見る限り2年ぶりに食べ物を口に運んでいた。
二人で飲めやしないのにお酒を飲んで、べろべろになってケラケラと笑いあった。
夜、パトラはベッドで横になりながら、トイレに籠りっきりになってしまったクレオを心配した。
(やっぱり食べられるわけじゃなかったんだ。)
パトラはそんなことを思った。
ガチャリとパトラの部屋の扉が開いたので、パトラは咄嗟に眠った振りをした。
クレオはパトラのベッドに入ると、パトラの頭を優しく撫でた。
以前はクレオのベッドに潜り込んで一緒に寝たりしていたが、クレオが籠りがちになってからは別々に眠ることが多くなった。
パトラは懐かしくって、とても今が幸せに思えた。
「あのね、パトラ...もしお姉ちゃんが居なくなっても一人で生きていける...?」
クレオの哀しそうな声が背中越しに聞こえた。
パトラは胸を締め付けられるような息苦しさを覚えた。
クレオはパトラをギュッと抱きしめる。
「無理だよね...だって、私が無理なんだもん。」
「パトラのいない世界なんて、私は無理。」
「だから、明日は...私頑張るから...絶対...頑張るから...」
そう言うとクレオはパトラを手放し、ベッドから降りると、部屋を出て行った。
その後、パトラは一睡もできなかった。
パトラはこのとき、クレオが明日居なくなってしまうかもしれないことを悟った。
(どうかお願いします。神様だろうが誰だっていい。どうかクレオを連れて行かないで)
パトラはベッドの上で祈り続けた。
さようなら、私-2- -終-