黒狼
―――人は正義を抱く。
然し、その正義は相対する正義を前にすれば、悪へと変貌する。
それは互いが互いを悪と見なし、互いが互いに正義を翳す。
未来か過去か、歪んだ世界の果ても、また。
『――各員に通達。悪の組織、反異能血盟隊は間も無く崩壊する。最後の一撃を加えるのは諸君達である。正義を貫いて見せよ、さすれば更なる栄誉が与えられるだろう』
灰色のヘルメット、その内側に取り付けられた通信機より聞こえてくる低い男の声。その言葉はこの戦いに間も無く終わりが来ると伝えている。
この世界には、異能力と呼ばれる現実では有り得ないような特殊な力が目覚めた。勿論、人によって差はあって目覚めない者もまた存在する。我々のような異能力を持つ者達は『進む人<ガーベラーズ>』と呼ばれていて、この世界にいてはまさに正義を冠する名とも言える。
対し、そんな異能力を否定する組織、反異能血盟隊と呼ばれる者達が世界各地で抵抗してきていた。異能力は危険であり、制限すべきものであると謳い―――時代遅れの兵器を持ち出して、戦争の無かった国の中でさえ血みどろの争いを引き起こした。だが、彼らの戦い方では異能力には到底及ぶ事はなく、結果として――日本国内では最後の拠点となった都心の地下深くにある三層のフロアを持った場所へと『進む人』の同盟組織にして悪を討つ者達が、とどめを刺すべく乗り込んだ。
既に二つのフロアは制圧した。一気に異能を用いて焼き払わないのは、拠点として役立つ可能性が大いにある為である。我々はその場にいる自分達以外の人間を全て排除せよと命じられ、最下層へ至っている。
「二層までは沢山兵隊が居たのに…三層は静かですね」
「二層までで全ての戦力使い切っちまったんじゃねえか? 或いは隠し通路があってそっから逃げ出したとか」
「逃げられるのは勘弁してほしいなあ…スコアが減っちまうし、何より反乱分子を生かしたって言われて何されるかわからん」
後方に続く数名の、同じヘルメットを被った『進む人』らが常に終わったものとでも言うかのように語っている。
気持ちは、わからなくはなかった。何せ、敵の心臓部まで足を踏み込み、主力部隊であろう者達は上層で壊滅。最下層に残っているのが如何ほどの存在にせよ、恐れるに足らない。油断の一つや二つ、してしまうだろう。
「…でもせめて声量は落として頂きたい。生き残りが居るにしろ居ないにしろ、厄介事を増やされるのは困ります」
「へいへい、成績優秀さんは言う事が違うねえ」
と、こうして私が注意したところで聞く耳を持たない。
まあ、仕事さえしてくれればそれでいい、と思いはするのだが――終わったら司令の報告にでも全部入れてしまおうかと思う程度には腹立たしくもあり。
逆に言えば彼ら同様、そんな能天気な事を戦場の最深部で考えている辺り自身も毒されてしまっている気がして、溜息一つで説教を終えた。
暫く我々の足音だけが響き続けていて、地下深くの通路を歩き続ける。照明が延々と道を照らしているが、扉はどこも開かれたまま、内側に人の姿は見当たらず、半分程度進んだところで、三方向の分かれ道に当る。
「A班は俺と右側。C班は左。B班は優等生とまとめて直進しろ、いいな」
先頭を歩いていた隊長格の、金色の兜を被った人物が指示を出せば、すっかり慣れ切った様子で各々緩い返事を返して散っていく。
これはもう戦場の光景ではない、学生の自由探索染みてきている。緊張感の欠片も無い、気を張っている私が馬鹿を見ているようではないか。
そう思いながらもB班たる我々は通路を真っ直ぐ進み、奥へ奥へと向かい―――。
「ん、ちょっと待て。前方!」
不意に誰かが声を挙げる。私は目を凝らして正面を見遣ると―――。
「―――――」
赤い双眼を持つ、黒髪をツインテールに結び、靡かせながら立ち尽くす褐色肌の少女が一人、立っていた。薄汚れた黒茶のマントで膝丈まで隠し、赤茶のブーツを履いている。表情は無機質で、感情が宿っているようには見えないが、
「……ここには囚われてる仲間が居るって話はないもんなあ。つまり、生き残りってわけだ…へへ」
私達を押し退けて、やや体系の大きな一人が前に踏み出した。通路は横に広いため、それで視界が妨げられる事はないが、彼の笑い方が嫌なものを想像させる。
「おい、どうする気だ」
「はぁ? 折角の生き残りが女のガキだ。どうするもこうするも――色々できるだろォ?」
私の問いに対しどこか粘つくような声色を発する彼に嘆息を零す。
指示には、『どのような手段を用いても殺せ』である。捕虜も何もない、ただ殺害する事を前提の指示が告げられている。そこに女子供は関係ない、全てを抹殺せよという指示だ。――最終的に、死にさえすれば良いという、最悪の命令だ。
「大人しくしてろよ。そうしたら多少は楽にこ」
「………、おい?」
不意に言葉が途切れ、少女に現在の位置から半分以上近付いたところで、時間でも止まったかのように彼が微動だにしなくなった。何事かと私が問い掛けても、彼は動く気配が無く―――代わりに。、その横から少女が歩み出て、真っ直ぐ此方へと向かってくるのだ。
―――いつの間にやら血濡れた白い刃をマントの下から覗かせながら。
「………おい、まさか」
瞬間。少女の後方で巨体が崩れ落ち、その場所に赤い血溜まりが広がっていくのを見て、全員意識が引き戻された。
「か、か、構えろ―――」
そんな私の声よりも早く、正面の少女が駆け出して、突撃してくる。いや、突撃し、終わっている。
私は咄嗟に身を捻っていた。
故、白い閃光に触れる事はなく、眼前を通り過ぎ、
「ぎ」「おご」
後続の二人が能力を用いて武器を取り出そうと右手を側面に向けていた結果。二本の白い剣が適格に彼らの喉元を貫き、大きく背を仰け反らせ、ともすれば少女は素早く剣を引き抜いて二名は抵抗する間もなく仰向けに転倒。腕を構えたまま二度と動く事はなかった。
「―――壁よ!!」
「ッ」
咄嗟に私は『武器』ではなく『防壁』を呼ぶ。すると半透明の分厚い空気膜が正面に展開され、目にも留まらない速度で放たれた白刃が膜によって止められ、此方の喉元に届く事はなかった。
なかったが、しかし。
「はぁっ!」
「く、『盾<シールド>』!」
追撃の二本目が空気の膜を薙ぎ払うようにして破壊し、そのまま鋭い突きが私の喉元目掛け放たれ、鈍い金属音と共にその刃を阻止。
咄嗟に身構えた右腕には小さな丸盾が出現していて、彼女の攻撃を拒んだ。
踏み込み、押し返し、
「ぜいっ!」
「っ!!」
蹴りを放つが、彼女の体は弾かれたように後退し避けて見せた。
だが私もこれで終わるつもりはないと姿勢を落して左手に武器を―――
「―――――ぁ」
出さず目を庇う。
瞬間何かが爆ぜる音と共に耳鳴りと視界が白に埋め尽くされるのを感じ、必死に後方へと跳んだ。
気配も何も感じられない、閃光弾というものだろうか。
前方に空気壁を何重にも展開するがあまりに我武者羅でどう攻撃を受けているのかも想像できない、最悪な状況へと陥った。
しかし、己の体に傷がつく事がないまま、視界はやがて、白を失い晴れて―――
「………な、に?」
少女の姿は、どこにもなかった。
残っているのは仲間の亡骸のみ。皆兜を被っているから表情は伺えないが、死の間際にどんな表情をしていたかなど、想像したくはない。
「正面からでは分が悪いと思ってくれたのか…? くそ、しかし今更逃げ場など―――」
ありはしない。そう言おうと思って、通信機に突如悲鳴が聞こえてくる。
『こ、こちらC班! 敵の生き残りと交戦中…なんなんだこいつ、生身の人間なんじゃないのか!?ひっ、やめ、こっちに来るな―――ぎあ』
通信が途切れた。C班は先程の別動隊の一つ。どうやら接敵したようだが、まさか生き残りが他にも居たのだろうか。然し戦況はあまりよくない様子、一先ずは其方に向かうべく駆け出した―――。
だがその直後にもう一つ、通信が入る。
『………こち、ら…A、班…。敵、戦力は……一…しか、し…あまりに、素早く、強力…同じ、異能力者の、可能性が…ある……A班は、かい、め………』
途切れ途切れの声も、何か物を落す音と共に喪失した。既にA班は襲撃に遭った上でもう壊滅しているという。
まさか、あの一瞬の移動時間で二つの班を殲滅したというのだろうか。だとしたら彼女は一体何者だというのか。
「おい、……おい、こちらB班『赤狐<あかきつね>』!C班無事か、応答してくれ!」
『………』
自身の右耳に手を宛て声を荒げる。しかしスイッチ操作で呼び出しを行っても一向に応答が返る気配がない。まさか本当に全滅したというのか、こんな短時間で。
だが不意に通信にノイズが走り、私は慌てて通信に応答すべくスイッチ操作で受信に切り替え―――。
『―――先程の生き残りの方ですね。今晩は』
「………」
目を見開き、硬直する。
その通信を行ってきているのは、先程の少女の声だ。
『あなたの御仲間はもう居ません。悪い狼が、全て食べてしまいました。残念無念』
無機質な声色だ。しかし、言葉はまるで煽るような、真面目さを感じられない其れ。もう勝ち目はない―――先程まで自分達が突付けていた筈の言葉が、自分の首元に当てられているような不快感。
『―――ですが、あなたは食べません。全員食べてしまうと、伝達係りが居なくなってしまいますので』
少女は淡々と語る。感情の籠らない声色で、己を生かしたまま通信を送るなどという真似をしている理由を、告げる。
『これは最期の宣戦布告。反異能力血盟隊は全滅してしまたので、その遺志を継ぎ―――私、『黒狼<くろおおかみ>』があなた方に、最期の勝負を挑ませて頂きます。…『進む者』こそが悪であると、証明するには、それしかないみたいですから』
一方的に告げられ、通信は途切れる。通路の分かれ目を前に立ち尽くす私の前を、高速で駆け抜ける存在と。
目が、合った。
「――――――」「――――――!!」
武器を構えようとするも、一瞬振り返った『黒狼』は微かに視線を此方に向けただけで視線を正面へと戻し、視界から消えた。
私は咄嗟にその後を追うが、彼女はまるで幻であったかのようにその姿を喪失させていた。
「………彼らの灯はまだ生きていた、と。それも、ただ一人だけ…たった一人で、私達を?」
戦慄。恐怖のような――しかして、鳥肌が立つような高揚感が、私の中にはあった。
「―――いいだろう『黒狼』とやら! 『優等生』などと言われた私を出し抜いた貴様は……私の手で断罪してやる!」
宣言する。
「お前は、私は殺してやるッ!!」
始まりと終わり、それは二つの正義のぶつかり合いから起こされたもの。
戦いは早期に決着すると思われていた、だがそうはならなかった。
ただ一人、産み落とされた黒い獣を前に、私達は絶えない苦戦を強いられる。
幾度も、幾度も戦い、ぶつかり合って、削られる―――かつて彼らが味わっていたかのような状況を、味合わらせられ続ける。
そんな全ての始まりが、今この時の戦いからであったなどとこの時の私は、知る由もなかった。