好奇の視線の先には
作者は決して障害者の方々を差別する気はありません。
しかし、この小説を読む上で嫌悪感を与える可能性があります。無理だと思った方はすぐにブラウザバックすることをおすすめします。
登場人物
障害者:羽田 正俊
友人 :高橋 聡
桜も散り、木にぶら下がっている青々とした葉がざわざわと騒ぐ季節。空には薄く雲が漂っていて、上に昇った太陽がそろそろ暑く感じられる程度に快晴だった。僅かに暑い日差しの中、道の端を並んで進むのが羽田正俊と高橋聡。聡は車椅子に座った正俊を押すようにして、談笑しながらゆっくりと歩いている。
二人は午前中に入っていた大学の講義を消化し、昼食を取るために学外のテラスへ来ていた。テラスの周りには、昼休憩に入ったスーツ姿の社会人や友人と遊びに来ていたであろう女性、近場のカフェでお茶を飲むおばさまなどが点在しながら賑わっていた。
正俊は聡に車椅子を押してもらいながらテラスの机のそばまで行くと、そこで二人は昼食を広げる。正俊はコンビニのサンドイッチ、聡は自宅から作ってきた弁当を出して、話をしながら昼の時間を楽しんだ。
「いただきます」
二人は声をそろえて挨拶をする。そこまでして聡は箸がまだ鞄の中に入ったままだったこと気がついた。聡は正俊に声をかけると鞄の中に手を突っ込む。そして中から箸を取り出そうと手を出したとき、肘がぶつかって弁当箱が重力に従って地面へとぶちまけられる。
「うわあ!」
聡が振り返ったときには、弁当は見るも無残な姿で地面に横たわっていた。聡は一瞬の出来事に固まっていたが、すぐにはっと意識を取り戻すと、散らかった中身と弁当箱を回収しはじめた。いそいそと拾う聡。正俊は手伝うこともできずに、椅子に座ったままそんな聡を見ていた。
その時、気にしないようにしていた視線が突き刺さるのを感じてしまう。
「ねえ、あの人……」
「しょうがないよ、車椅子なんだから」
小さな声でつぶやいただろう声はしっかりと正俊の耳に届いてしまった。正俊は落ち込んだ表情でうつむくと、好奇な目を向けられることに耐えるようにその時間をやり過ごした。
しばらくして、聡が散らかった弁当を回収し終えると、困ったような笑顔を浮かべて顔を上げる。
「あーあ、やっちったー……ってどうした、正俊? 浮かない顔して」
聡は俯いたままの正俊に声をかけた。聡には開けたサンドイッチにも手を付けず、ただ静かにしている正俊がいかにも落ち込んでいるように見えてしかたがなかった。正俊は聡の問いかけにゆっくりと、しかし確実に答える。
「俺は、別に変なわけじゃないのに」
聡はその言葉を聞いて、周りに意識を向ける。周りの人たちはいつの間にか正俊に好奇や哀れみの視線を送っていた。
きっとこれは無意識なんだろうな。聡はそう思って正俊の言葉を待った。周りの人が正俊を見てしまうのも無理はない。だって、車椅子の人間に触れる機会なんてそうあるものでもないのだから。
正俊と聡が出会ったのは、大学受験のときだった。最後の科目の試験が始まる少し前、廊下の端でペンを落として慌てている正俊を聡が見つけたのが初めて顔を合わせたときだった。
その時、正俊が慌てているにも関わらず、周りの受験者は自分のことで精一杯だったのか正俊のことを無視して受験会場へと足を進めていた。ペンを拾えず困っている正俊も、今声をかけることはできないだろうと口をつぐみ、必死に腕を伸ばしていた。だがそう簡単に届くはずもなく。正俊が途方にくれているとき声をかけたのが聡だった。
「はい」
ペンを拾い上げ正俊に手渡した聡は、なんとも言えない表情で足早にその場から立ち去った。正俊は礼も言えずに去っていく聡を見送る。しかし、すぐに試験の時間だと気づいて試験会場へ急いだ。
試験も終わり、人の賑わうロビーの端でぼーっと座っていた正俊は不意に聡の姿を見つけた。
「あ、さっきの」
お礼を言えていなかった事を思い出し、正俊は聡のもとへ足を運んだ。正俊が近づくと聡は驚いたように目を開く。いつもの反応にまたかと呆れたように心のなかで溜息をつくと、一言お礼を言った。
「さっきは、その、ありがとう」
「いや、別に」
短い会話の後、特に話すこともなくなった二人の間に静かな時間が流れた。聞こえてくるのは試験が終わって、ホッとしたような周りの受験者の声だけ。しばらく続いたその間に正俊はいたたまれなくなって、声をかけてその場を去ろうとした。
「じゃ、」
「あのさ」
しかし、声をかけようとした正俊の言葉を遮るように、聡は声をかける。声が重なり聡は驚いたように口をふさぐと、申し訳なく思ったのか聡は言葉を中断して謝った。
「あっごめん。なにかいいかけた?」
「いや、別にたいしたことじゃない。続きどうぞ」
聡は一息置いて、それなら、と言葉を続ける。
「あのさ、別に馬鹿にしてるわけじゃないんだけど、その、車椅子ってやっぱ大変じゃない?」
正俊は聡の言葉に苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたが、いつもどおり、慣れたように返事をする。
「いや、慣れればそうでもない。まあ、大変なときもあるけど。さっきみたいなやつとか」
「そうなんだ」
聡は納得したように頷く。この返事をしたのは何度目だろう。チラチラと自分を見てくる聡に嫌気が差し、思わずといったように正俊は聡に言った。
「それ、やめてほしい」
「え?」
「ちらちらこっち見てくるやつ。俺、別にかわいそうとか思われたくないから。さっきも言ったけど、そんなに困るようなこともないし、あんたと対して変わんないから」
そこまで言って、しまったというように正俊は眉をひそめて視線をそらした。そして呟く。
「ごめん、言い過ぎた」
しかし、聡から言葉は返ってこなかった。息を噛み殺すような声が聞こえてきて正俊が思わず聡へ視線を向けると、聡は笑いをこらえているかのように腹をかかえていた。
「ふっ、いや、ごめん。ははっ」
こらえきれず笑いだした聡に正俊は困惑の表情を浮かべる。聡はしばらく笑っていたが、なんとか止まったのか、顔を赤くして一度咳をすると笑顔で正俊に話しかけた。
「いや、ごめんな。そうだよな、俺達と変わんないよな」
どこか納得したように話しかける聡の態度は先ほどまでとは違う。
「ああ」
と正俊は返事をすることしかできなかった。
「今言われて気づいたよ。車椅子の人だから何かしてあげないととか、障害について触れちゃいけないとか、そんなこともなさそうだ。はっきり言ってくれてありがとな。初対面でそこまで言われたのは、初めてだけど、ふふっ」
また笑いだした聡に正俊はむっとした表情をする。聡はその表情を見て、やっぱり変わらないとしみじみと感じた。
「じゃあさ、聞いてもいい?」
「なんだよ」
「なんで車椅子なの? 足悪い?」
直球で聞いてくる人間は珍しい。大抵は申し訳なさそうにとか、その話題を避けるようにするのに、正俊なら大丈夫だと感じた聡の対応の変化は早かった。
正俊は、若干驚きつつも聡の言葉に答える。
「ああ、下半身麻痺だな」
「いつから?」
「中学上がったときに。だからもう慣れたよ」
「そっか」
その後も何度か会話を続ける二人。いつの間にか話は盛り上がって、一区切り着くころには周りの人もまばらになり、そろそろ帰ろうかという流れになっていた。二人は荷物を持つと出入り口へと向かう。その時、聡は正俊の後ろへ回って車椅子を押そうと手をかけた。
「押してくよ」
「いいよ、別に」
「でもさ、やってもらった方が楽だろ?」
「そうだけど……」
「じゃあ、やる」
聡は力を入れて車椅子を押すと扉へ向かった。
「結構重いのな」
「人が乗ってるからな、ごめん」
申し訳なさそうに声をかける正俊に対して、聡は笑顔で話しかける。
「ここは、ありがとうって言ってもらったほうが嬉しい」
「え、あ、ありがとう」
慣れない返事に顔をうつむかせる正俊に聡は満足気に頷いた。そしてひとつ気づく。名前を聞いていなかった、と。
「そういえば、名前聞いてない。俺は高橋聡。お前は?」
「羽田正俊」
「正俊な。合格したら、これからもよろしくな」
「ああ、聡」
その後二人は受験した大学に見事合格。入学してから顔を合わせて喜んだ。
それから二年間、共に過ごしてきた二人の関係は親しい友人。なんでもズケズケと言ってくる正俊と人と会話をすることが好きな聡の間には障害の文字はなくなっていた。
「好奇な視線とか、ほんと、やめてほしい」
そうつぶやいた正俊に、聡はあっけらかんと言った。
「何いってんの?」
聡の言葉に正俊は不満げな表情を露わにする。別におかしな事は言っていない。聡ならその気持ちをわかってくれていると思っていた。言外にそう伝えているように思える。しかし、聡はその意味を知ってか知らずか何気なく言葉を続けた。
「好奇の目はしかたないさ」
正俊は嫌そうに聡の言葉に反論する。
「お前も俺のこと変だ、可笑しい、かわいそうだって思ってんのかよ」
「そんなわけ無いだろ」
「じゃあ、どういう意味だよ。好奇の目は俺が物珍しいってことだろ」
「そう、珍しいんだ。だからしかたないだろ。車椅子なんてめったに見るもんじゃない」
「でも」
そう言う正俊に、聡はサンドイッチを指差した。とにかく食べながら話そうぜ。そう伝えているように思える。正俊は渋々とサンドイッチを口にふくむと、聡は一度頷いて言葉を続けた。
「俺もな、哀れみの目を向けてくるようなやつにはそういうこと言っていいと思う。『俺をかわいそうな目で見るな』ってな」
正俊は咀嚼したサンドイッチを飲み込むと、不満げな様子で聡に問いかける。
「何が違うんだよ」
「まったく違うさ。いいか? 障害者は珍しいんだ。ふつうに歩いている人の中で障害を持っているとわかる人は数えられるくらいだろ?」
「だからって!」
「まあ、聞けよ。そんなに人数が少ない人に好奇な目を向けるのは当たり前だ。だって今まで目にしたことがないんだからな。でもさ、それはこうとも考えられないか?」
友人は近くのカフェでパソコンをいじっている美人な女性を指差した。自然と正俊の視線もそちらに動く。その女性はすっとした顔立ちで、化粧もうまくのっており結構な美人だといえる人だった。
「おまえ、あの人のことどう思う?」
「どうって美人だなーっと」
「まあ、あれくらいの美人はたまに見かけるよな。じゃあ、あの人よりもさらに美人な人がそっちにいるぜ」
聡は指を正俊の後ろの方へ指差した。
「え、どこ」
正俊は思わず振り返る。今の人よりさらに美人だと言われて、男が興味を示さない訳がない。しかし、指差した方向には、さまざまな人が行き交ってはいるものの、特に美人だと思える人はいなかった。
「おい、聡。一体どこに」
「それと一緒」
「は?」
聡は楽しげにそう言うと傍に置いていたお茶を一口飲んで言った。
「お前にとってあの人以上の美人は珍しい。だから見たいと思った、違うか?」
「いや、違わないけど」
「それは好奇の目と何一つ変わらないよな?」
「あ……」
正俊は何かに気づいたように声を漏らす。聡はそんな正俊の目を見てさっきまでとは違い真面目な表情で話しかけた。
「そうだよ。珍しいものには誰だって好奇の目を向ける。巨乳の女の人だって、高身長イケメンの男の人だって、そこにいれば好奇の目を向けられるんだ」
そこまで言って、最後に、
「まあ、障害を持っている人に可哀想な視線を向けるななんて、本人が落ち込んでたら無理だろうぜ」
と付け足した。正俊はその言葉を聞いて、深く溜息をつくと、笑みをこぼしながら食べかけのサンドイッチに口をつける。そして、何度かかんで飲み込むと聡に声をかけた。
「だから、好奇の目と哀れみの目は違うか。聡にしては言うじゃねーか」
「ああ。だから俺は哀れみの目は違うと思ってるぞ。それは好奇の目なんかの比じゃないくらい差別的なものだからな。俺もそんな視線は嫌いだ」
「初めて会ったときにしてたお前には言われたくないな」
正俊が茶化すようにそう言うと、聡はわざとらしく頭を抱えて机に伏した。
「あのときについては、本当ごめんって!」
「いいよ、別に。もう気にしてないからさ」
正俊が笑って返すと聡はふてくされたようにお茶に口をつける。
「それに正俊に哀れみの目を向けるやつはわかってねーよ。コイツはどこにいくにしても、喜々として俺をこき使ってくるんだぜ? そんなやつが哀れなわけあるか」
「はいはい。いつもありがとうな、聡」
正俊がクスリと笑うと、さっきまでとは違い二人の間には温かい雰囲気が流れた。聡はその姿を見て安心したように笑うと人差し指を立てて言った。
「お前はさ、哀れみの目を向けてくるやつに言ってやればいいんだよ。『俺は哀れなんかじゃない、どちらかと言えば今弁当を落としたこいつのほうがよっぽど哀れだ。なんてったって、昼飯が食えないんだからな!』ってさ」
聡が言い終わったタイミングで狙ったかのように聡の腹がぐーとなった。恥ずかしそうに腹を抑える聡に正俊は自分のサンドイッチの半分を分け渡す。
「ほら、食いたいならそういえよ」
「別に欲しかったわけじゃないんだけど。まあ、ありがと」
聡は正俊から受け取るとサンドイッチを頬張る。正俊は目の前で口を動かす聡を見ながら声を発した。
「お前が言いたいことはなんとなくわかった。だからといって、好奇の目を向けられることには慣れないけどな」
「ま、わかってくれればいいんだよ。落ち込んでるのは正俊らしくない」
「そっか」
太陽の日差しが眩しい。そろそろ午後の講義も始まる時間だ。二人は何事もなかったかのように、様々な視線の行き交う中を大学へ戻るために歩き出した。
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