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最後の訪問


 さゆりは夜通し泣いていた様だったが、落ち着くまでそっとしておいてやる事にした。何でもいいから体を動かして気を紛らわせるのも一つの手なのかもしれぬが、無理に忘れようとする事でもないだろう。時間を掛けて向き合わせ、消化させてやる方が良いのではないか? そう思った。これが最善かどうかは分からない。が、どの道、俺ごときが救ってやれるものでもない。と言うより、人間誰しもが生きていれば経験する事だ。これは、さゆりだけの戦いだ。俺には俺のやる事、やってやれる事がある。

 我が家の周辺こそ以前と変わらない穏やかなものだったが、外の世界はやはり違っていた。家に籠るのが一番安全であろう事は重々承知しているが、そうも言ってはいられない。食糧の確保が急務であり、街に出ざるを得なかった。


 一日数本しか停まらない鉄道の駅と役所に郵便局、数える程しかない商店と閉店して久しいスナックーー過疎化が進んだ地域であり、街と言うにはあまりに大袈裟な規模のものであったが、人気のない山奥に一人で暮らす身の俺にとっては、最も身近で唯一と言っていい通いなれたコミュニティだった。事実最後に訪れていたのは、つい一昨日の事である。感染者や悪党と遭遇するかもしれない恐怖もあったが、買い物で何度も訪れ土地勘もあったためか、さゆりの実家を偵察しに行った昨日ほど大きいものではなかった。


 早いに越した事はない。山道を急いだ。街に着く直ぐ手前で車体を切り返し、鋭角的に左に折れ、緩やかな上り坂を駆け上がる。食糧調達のその前に、行く所がある。見慣れた瓦屋根の家の前で車から飛び降りると、引き戸に手を掛ける。キィッと軋む音が、いつもより大きく響いた。


「婆さん……」


 一昨日別れた時の格好のまま、いつも通り縁側に腰掛けた婆さんがそこにいた。俺の姿を認めたのか、口をパクパクと動かし微笑んだ気がしたが、生気のないこの感じーーそれはいつも通りではなかった。


 婆さんとは越して来たばかりの頃、買い物中に知り合った。やはり買い物中だった婆さんが足を痛め、車でここまで送ってやった事から親しくなり、色々な話しをした。野菜の育て方とか色々な事を教わった。一人息子を病気で早くに亡くし、天涯孤独だと聞かされたのは、最近の事だった。当初は用事がなくても週一位の割合で話しの相手をしていたが、近頃は半月に一回程の買い物のついでだけになっていた。嫌だった訳ではないーーむしろ話している時はそれなりに楽しかったのだが、やはり遠かったせいか、足を運ぶのが億劫になってしまっていた。


 この婆さんもまた、寂しかった筈であった。もっと会いに来てやれば良かった。もっと話しを聞いてやれば良かった。俺ごときでも喜んでくれていたのだ。何でもっと……。


「ごめんな……」


 昨日あんなに泣いたのに、涙という物は随分と沢山造られるものだな……。


「婆さん……また来るわ……」


 いつも通りの、別れの挨拶をする。返事はしてくれなかった。俺は外に出ると、いつも通りそっと静かに引き戸を閉める。この引き戸は古くなり、音を立てずに開け閉めするにはコツがいる。上手くなったと、婆さんが褒めてくれていたーー。


 車に乗り込んだが、直ぐには発進出来なかった。こんな状態で運転なんか出来ない。嗚咽が治まるまで、しばらく時間を潰さなければならなかった。





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