それぞれの殉愛 さゆり
「ここを出るぞ」
――絶望は突然襲い掛かる――。
いつの間に戻っていたのか、屋上で洗濯物を干していた私に敦也が後ろから声を掛けてくる。
あれ? 山に山菜とキノコを採りに行ったのではなかったのか?
いや、そんな事より……今、何て言った……?
動揺する私にはお構いなしに、敦也が続ける。
「お前を守れる身内か親友とか、好きな奴でも何でもいいから早く思い出せ。時間が無い」
「何で? 何言ってんの?」
「いいから早く思い出せっつってんだろ! 時間ねえんだよ!」
怒声が飛ぶ。怖い。怒っているのか? 何故だ?
「何で怒ってんの? わかんない」
私は堪えきれずに涙ぐむ。嫌われてしまったのか? 何故だ? 私が一体、何をした? 身に覚えがない。嫌だ、何で?
奥歯を噛み締め、下を向いた敦也が言葉を捻り出す。
「噛まれた……」
……何にだ? まさかそんな……どこにも感染者なんて……冗談のつもりか? こんな時に悪趣味な……いや、冗談であってくれ……頼む……。
突っ立ったまま下を向く敦也の肩が震え、嗚咽と共に大量の涙が溢れ出ている。
……まさかそんな……嘘だ……嫌だ……。
「俺はもう、お前と一緒に居られねえんだよ! 正気な内に送り届けるから、早く守ってくれる奴を思……」
何を言ってやがる。もう無理だ。敦也に縋り付き、唇を私のそれで塞ぐ。もう聞きたくない。少し黙れ。
敦也の愛は充分過ぎる程に私に降り注ぎ、私の中に充満し、もう自覚出来る程に溢れ出しているのだ。敦也が居ない生活なんて今更考えられるか。
ふざけるな……一緒に居させろ。居させてください……。お願………
敦也の唇が私のそれから逃れる様にスライドし、私の耳元で囁く。
優しい声だった……。
「うつるかもしれないだろ? やめろ……」
私の絶叫が山肌に反射し、その残響音が周囲の空気を揺らしながら空に吸い込まれていく。私の中で何かが弾け飛ぶ。絶望と言う名の心の暗闇に圧倒され、立っていられなくなる。
……何なのだ……。
敦也にとって、私は一体何なのだ? 私はそんなに頼りないのか? 必要ないのか? 困った時はお互い様なのだろう? なら今度は私が助けてやる番だ。いや、そんな貸し借りなんかどうでもいい。ただ好きな人の力になりたい――それだけだ。そもそも、まだ発症すると決まった訳ではない。治療方だってあるかもしれない。敦也自身が言っていた事ではないか。
本当は分かっているのだ。涙が止まらない。敦也の笑顔、料理する凛々しい横顔、少し困った顔で頷く仕草……様々な表情が脳裏を過る。私の慟哭が獣の咆哮の如く、こだまする。抱き付いたまま仰向けに倒れ込む私に引きづり倒され、覆い被さる様に敦也も倒れ込む。初めて感じる、敦也の重さ――。
敦也の下から見上げた空は雲一つない秋晴れだったが、いつまでも溢れ出る涙のせいでよく見えなかった。




