第1章 第1節 朝はコーヒーに限る
昨日夕方から今日に至るまで、日本はどよめいていた。
「いやー、意外な結果ですね」
「まさか彼が当選するなんて」
「いやいや。そんなことないですよ。そういう動きもありましたから」
「ですが……」
今朝からニュースでは選挙の報道で持ち切りだ。新聞の一面もこの話題で丸々使われている。見出しは「暴君再び降臨す?」と、なっていた。情報機関が曖昧な発言とは嘆かわしい。水瀬貫は、新聞を閉じ、メガネの下から目を押さえた。
「どいつもこいつも騒ぎすぎじゃねえか。たかが選挙の結果くらいに。度々あることじゃねえか」
佐竹直哉が水瀬の置いた新聞を拾い上げ、のぞき込みながら話しかける。それを水瀬は両肩を軽く上げるしぐさで答えた。
「まあ、今回は特別なんじゃない。なんて言ったって、当選者が当選者だからね」
左良井双葉は、二人の間に入ると「コーヒーはいる?」と、訊ねた。左良井の質問に水瀬は「お願いします」と、頭を下げ、佐竹は「愛してるよ、ハニー」と、ウインクを送った。二人の答えを聞いた左良井は、背中越しに手を振りながらキッチンルームへ消えていった。キッチンへ消えていく左良井の横顔を見た水瀬は「佐竹のコーヒーは来ないな」と、思った。
「おい、見ろよ。」
いつの間にか水瀬の隣に腰を下ろしていた佐竹が、水瀬の肩を叩きながら流されていたニュースを指さして笑っていた。
「見ろよ、水瀬。孝仁さんがテレビに映ってる」
佐竹の指の先には、大柄の警備員が腕を組んで立っていた。周りにも警備員はたくさんいるが、小野寺孝仁は、頭一つほど背が高く若干目立っていた。
「なんだ。脳筋、もとい小野寺さんか。今日は警備に入ってるんだっけ。担当地域はどこ?」
「水瀬。貴様、孝仁さんのことを今脳筋と言ったか。ふざけるなよ。孝仁さんは人情味あふれるとても男らしい方なんだぞ」
小野寺のこととなると佐竹はいつも熱くなる。なんでも、ここに来る前にお世話になったとか。隣で騒がしく喚いている佐竹をよそに、水瀬はニュースに意識を向ける。どうやら、小野寺は新総理の警護をするらしい。警備員の後ろには、黒塗りのリムジンが三台並んでいた。
「本庁ビルから国会までの護衛だそうよ」
両手に一つずつマグカップを握って、左良井がキッチンルームから帰ってきた。左良井は、水瀬たちの向かいのソファーに腰掛けると、右手に持っていたマグカップを水瀬の前に置き、もう片方のマグカップに口をつけた。水瀬は、礼を言ってからコーヒーを一口啜る。朝はコーヒーに限る。
「朝はコーヒーに限るよなー。で、俺のコーヒーは?」
「ないわよ」
即答だった。先ほどまで輝いていた佐竹の目から光が消えた。そんな、すがたを見た左良井と水瀬は顔を見合わせ、一泊おいて同時に笑い出した。お決まりのパターンだった。左良井が佐竹にちょっかいを出し、水瀬がそれに悪乗りする。佐竹もおちょくられていることを冗談だと分かって、いつも面白いリアクションを返す。最後はみんなで笑いあう。三人の定番のコント。
「酷いぜ、ハニー。俺のだけないなんて。毎朝コーヒー煎れてるの知ってるだろ」
そう言って、自分のコーヒーを煎れに行こうと佐竹は立ち上がった。その時だった。ニュースの映像から爆発音が響いたのは。