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英雄ホエール

「高橋さんはどうだった?」

 (とき)(ひさ)は、なるたけ軽い調子でそう聞いた。手元の白球を、少し上に向けて、精一杯力加減をして、なだらかな孤を描くように、投げる。白球は、十メートル程度先に居る、姉がキャッチした。

「死んでた。しかも、知らない女と」と、姉が、力強く投げ返してきた。

 ばん、と快音を響かせ、ボールはミットに収まった。手が痛い。「マジで?」と聞き返した。「そんな人には見えなかったけどなぁ」

 クジラが落ちてきてから、三日後。

 奇跡的に生還を果たし、しかも、奇跡的に姉と再会を果たしたが、それからどうすればいいのか検討もつかずに、ふらふらと彷徨っていた矢先だった。

 近所でも有名なホテル街の、一角。うらびれた駐車場の片隅に、高橋さんの車を発見した。助手席には、女物のバッグと思わしきものが置き去りにされていて、それが意味する事は、考えなくても判った。

 単身、半壊したホテルに飛び込む姉を見送り、時久は一人で駐車場の壁に白球を投げていた。


「死後三日って所かな」姉は、一見平然としているようにも見えた。「終末を、ホテルで浮気中に迎える男が馬鹿なのか、そんな男に惚れた私が馬鹿なのか」

 白球が飛んできて、それをキャッチする。

「まぁそう腐るなよ、姉ちゃん。姉ちゃんくらい美人なら、いい男なんて、放っておいたって近寄ってくるって」

 言いながら、白球を投げた。今度は力強く。

「実際、そんな気分でもないけどね」

 そこで、キャッチボールの流れが止まった。姉が座り込み、それから空を見た。「あれは何?」と、視線の遥か先には、空を泳ぐ、何者かがいる。

「たぶん、クジラ」

 時久はそう答えた。

「クジラ?」

「クジラに似てない? フォルムといい、あの、ゆっくりとした動きといい。クジラだって、あれは」

「ちょっと無理があるけど」

「クジラじゃなかったら、なんなのさ」

「宇宙人じゃない? じゃなかったから、あれだ、軍の秘密兵器とか、そんなん」

「そっちのほうが、ずっと無理があるじゃないのさ。なんだよ、秘密兵器って、あんなの、どうやって秘密にするんだよ」

「まぁ、あれだね。私達が議論したって、無駄だってことだね」

「そうそう、そんなことより、ヘイ、ボール、カモン」キャッチボールの中断が不満で、そう声を上げた。

「時久、能天気過ぎ」白球が返ってきた。姉も、白球も、渋々、といった、そんな雰囲気だ。「よく、そんなに能天気でいられるね」

「俺は馬鹿だからさ。どうしてクジラが落ちてきただとか、明日からどうなるかだとか、全然判らないんだ。心配なんて、頭の良い人の仕事だよ」半分は本心だが、半分は嘘だ。時久はこっそりと思う。俺が馬鹿なのは事実だが、不安が無い筈がない。ぐっと、拳に入れ、それから白球を投げた。「考える前に、ボールを投げて、スイングをして、走りたい」

 姉はそこで、不意に、悲しげな表情になった。俯き、肩を震わせている。鮮やかな花が、不意に萎れるような、そんな印象を受けた。

「試合、残念だったね」

「何が?」

「折角、レギュラーになれたのに、いきなり世界が終わるなんて、酷過ぎるよね」

 世界の終わり、と、野球部のレギュラー、では、スケールが違い過ぎるが、それでも、残念だったのは事実だったので、「うん」と答えた。「仕方がないこともあるね。野球じゃ、世界の終わりには立ち向かえないってことだね」

「馬鹿クジラ」

「え?」

「馬鹿クジラ、せめて、あと一日遅れて落ちてこいっての」空を睨む眼は、本当に力強かった。「そうすりゃ、時久も試合に出れたのに」と、白球を投げ返してきた。

 的外れとしか言えない、そんな一言だったが。その言葉は余りに鮮烈だった。容易く胸の奥まで侵入してきて、爆発する。「そうだね」と爆笑してしまった。「そうすりゃ、俺もホームランとかばんばん打っちゃってさ」


 ヒーローになっていたさ。

 白球を、全力で投げる。白球は、若者の悪戯描きに汚された壁に当たり、お世辞にも快音とは言えない、ごん、という鈍い音を上げて、それから緩慢とした動作で戻ってくる。

 あれ? と思った。姉ちゃん? と辺りを探したが、直ぐに、幻想だった事に気付いた。日差しの暑さのせいなのか、それとも、鬱屈した精神のせいなのか、最近は、こういった幻覚、幻想、夢を見ることが多い。くそったれ、と呟きながら、白球をもう一度投げた。

 世界が終わってから、十年が経っている。

 姉ちゃんも死んだ。

 少しずつ、大切なものが消えて行って、そろそろ俺も死のうかな、とばかり考える鬱屈した精神を宥ようと、白球を壁に当て続ける。フォームも意識もせず、ただ、がむしゃらに投げた。壁を壊そうとしているのか、白球を投げたいのか、自分でも判らなかった。

「もし、そこのお兄さん」

 突然、そう声を掛けられて、振り向いた。そして、ぎょっとした。

 亡霊のように、肌の白い何者かが立っている。

 髪は、透明に近い白で、眼だけが血のように赤い。背が低く、細身の、男なのか、女なのか判断の付かない、そんな何者か、だ。立っているだけで汗を掻くほど暑いというのに、長袖を着ていて、日傘を差している。「怪しい」が服を着ているような、そんな印象を受けた。

 足元には、黒い犬がいる。「わん」と吠えた。





 二章目です。

 正確には、章ごとの時間軸を滅茶苦茶にする予定なので、何章、という概念はないのですが、とにかく二つ目のお話です。


 英雄ホエール編、スタートです。

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