ラビットイヤー その6
「近くに川があるんです、そこなんてどうですか」と、予め言われていたものの、本当に、川辺に連れてこられるとは思っていなかった。
河川敷を超え、川辺に立つ。砂利を踏む感触があった。周囲の全ての音を、流れる川が吸収したのかような静けさだ。
少し離れた所に、車がぽつん、と寂しげに置いてある。いかにも、『走り方は忘れましたよ」と言わんばかりの、くたびれた風貌だ。
ウサギが、その車に腰を掛けた。ふー、と辛そうに息を吐く。「これ、俺の家です。格好いいでしょ。子供の頃から、車の中って、なんか落ち付いたんですよね」
いつの間にか、ウサギの口調は、最初に会った時と戻っていた。不格好な敬語だ。
「くたびれた車だな」
「嘘でも、格好いいって言ってくださいよ」
どうせ、お前に嘘は通じないじゃないか。『テレパシー』を信じるべきか、馬鹿らしいと一蹴するべきか、それはまだ迷ってはいたが、どの道、嘘は通じない気がしていた。
「川が氾濫したら、流されるぞ、これ」
「川に飲み込まれて死ぬなら、本望です。刺されて死ぬよりずっといい。海まで流してもらえると、あの世で泣いて喜びます」
「お前が死んだら、川に流してやろうか」
親切のつもりで言ったが、ウサギは顔を歪めた。「縁起でもない」と口を曲げる。「死ぬとか言わないでくださいよ」
「でも、お前は死ぬ。もう避けられない。お前も、自分で言っていたことだ」
溜息。というよりも、力無い、気の抜けたひゅう、という呼吸音が聞こえた。笑ったのか、それとも、呆れたのか、別の感情なのか。その辺りの判別の付きづらい、複雑な表情をこちらに見せ、それから後ろを向く。
車のドアに手をかけた。鍵が掛かっている訳ではないのか、呆気なく、車が開く。
川が、月明かりを反射している所為なのか、ウサギの傷がハッキリと見えた。傷、というべきか、血溜まりというべきか。
ウサギが車の中に、半身を入れた。その光景を黙って見守る他ない。
「俺の宝物、あげますよ。その為に呼んだんです」
「持ってきてくれればよかったのに」
「言ったでしょ、最初は刺すつもりで近づいたんですって。予定が変わったんです」
そう言うウサギの手には、奇妙な、白亜の石のようなものがあった。反射する月明かりの中で、それだけが、光を放たない。無骨で、鈍い印象がある。
「クジラの歯の、カケラです」
ウサギは、そう言った。その瞬間、予期せぬタイミングで、美しい絵を眼前に差し出されたかのような衝撃が身体を走った。背筋が、総毛立つ。
「小さい奴ですけどね。と言っても、本物のクジラくらいはあったかな。その時、歯が欠ける瞬間もきっちり見ましたよ」
ウサギが手を伸ばしてきた。クジラの歯を受け取る。想像していたより、ずっと軽かった。
「本当に貰っていいのか?」
「アンタ達、仮にもクジラ調査団を名乗ってるんですから、眺めてばかりいないで、もうちょっと本格的にやったらどうですか。あのクジラが何者か、知るべきじゃないですか」
「適当に、がウチのモットーらしい」
ウサギは、車に背を預け、そのまま滑るように座った。「ふー」と息を吐く。「喋るのもしんどくなってきた」
聞きたいことは山のようにあったが、これ以上喋らせるのも気が引けた。
「俺を刺した奴なんですけど」
そんな状況にも関わらず、ウサギは尚も言った。「アイツも多分、俺と同じです」
「同じ?」
「特別な人間です。心が読めませんでした。だから、簡単に近づかれたんですよ。まぁ、会うようなことがあったら、気をつけてください」
クジラの話はともかく、その、特別な人間の話は、どこまで信じていいものか迷う。
ふと、中路さんの言葉を思い出した。「実は以前、超能力者に会ったことがあるんだ」みんな、どの程度まで本気で言っているのだろうか。
それから、一分もしない内だった。静かになったな、と思っていると、いつの間にかウサギは目を閉じていて、その目が開く気配はなかった。
いや。
気配、どころではない。
瞬きの合間に、ウサギの死体は白骨になっていた。唖然とする。養分という養分を、全て捧げたかのような変化だった。不思議なことに、白骨がその場にあること自体には、違和感がない。まるで、何年前から、その場にいたかのような自然さだ。
俺は何と話しをしていた? 羊は自問する。
眩暈がした。ウサギの話を、どこまで信じていいものか、改めて迷う。思えば、最初から支離滅裂で、それは夢独特の支離滅裂さに近かった。
幽霊とでも話をしていたのか。
ただ、自らの手には、クジラの歯だけが残っている。手触りは本物としか思えなく、それがまた、戸惑いの原因ともなった。
ウルカが心配そうに、こちらの顔を見上げていた。頭を撫で、「俺は大丈夫だ」とだけ告げる。
それから、ウサギの白骨を引きずり、川に流した。
たぶん、どこか適当な所で岩か何かに引っ掛かり、海までは辿りつけないだろう。ただ、そこまでは知ったことではない。
帰り道が心配だったが、意外な程あっさり、仲間の元へ戻ることは出来た。
ウルカのお陰だ。冗談半分で、「帰り道は覚えているか?」と尋ねてみると、『よしきた』と言わんばかりにウルカが尻尾を振り、先導した。
途中、高校なのか、中学校なのか、その判別はつかないが、広いグラウンドを所有した学校跡を見つけた。まるで、今でも誰かが整理しているのかのように、状態はいい。
疑いながらもウルカに付いて行くと、そのうちに見憶えのあるワゴン車を見つけ、安堵する。
既に、『クジラ調査団』の面々は揃っているらしく、賑わっている。見たことのない顔も、知った顔もあった。
「どこ行ってたのさ」真っ先に声を掛けてきたのは、羽羽だった。「アンタの無遊癖はなんなの。何かの病気じゃない?」
「ウルカの散歩だ」この言い訳は、便利だった。
それから、周囲を見る。「揃ったのか」
「そうそう、いま、野球の話で盛り上がってた所」
「野球?」
「アンタ、野球とかやったことある?」
「ルールすら知らない」どんなスポーツなのか、頭の片隅に残っているが、細かいルールまでは出てこなかった。
「嘘でしょ」
「忘れたのかもしれない」
「まぁ、いいや。アタシが教えるし。で、明日は試合だから」
「練習もなく、いきなり本番か」
「たんなる、遊びだから、そんなに気負うこともないけど、でも、負けたくないよね」
「相手は?」
「この辺の草野球チームみたい。クジラ調査団総出で、力を合わせて、打ち負かしてやろうって訳」
正直な所、余り気乗りはしなかったが、力を合わせて、という件が気に入った。ふと、ウサギの言葉を思い出していた。
「野球で誰かが救えるかな」
「は?」
「なんでもない。とりあえず、ルールを教えてくれ。何点取れば勝ちなんだ?」
暖かくなってきましたね。




