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ラビットイヤー その3

 昼間は暑いくらいだったが、夜が来ると、辺りが急速に冷えはじめた。九月半ばの冷えこみとは思えない。クジラが落ちてきた日を境に、気象も少しずつ狂い始めている。そういう噂は聞いたことがあったが、あながち間違っているとは思えなかった。

 ワゴンの助手席で、羊は毛布に包る。膝にはウルカが乗っていて、そこだけが妙に温かい。

 隣、運転席では中路さんが寝息を立てていて、後部座席では羽羽が横になっている。

窓から外を眺めていた。誰にも話した事はないが、夜の闇の中、サっと横切る影を、何度か見たことがある。

 最初の夜にも出くわした、黒く、眼だけがぼんやりと赤い、人の影だ。どうやら、自分にしか見えていない、と気付いたのは、つい最近の事だ。羽羽とトランプをしている時だったか、黒い影がしれっと羽羽の後ろから忍びよってきて、それを忠告した所、「そんなのでびびると思ったのか、誰も居ないじゃん」と、肩を震わしているのを見て、気付いた。

 人と居る時はともかく、羊が一人で居ると、彼らは直接的な攻撃に出てくることも、あった。が、いつもウルカに一蹴されて、終わりだ。

 その脆さに、憐れみすら湧いてきて、ついでに、愛着も湧いてしまって、最近では彼らを眺めて過ごす夜すらあった。ゆらゆらと動く身体と、ぼんやりと光る眼は、見ていて飽きない。

 今日も、窓の外には彼らが居た。夜の闇に殆ど同化してしまっていて見えづらいが、赤い眼だけは嫌でも目立っている。ビルの玄関口辺りで、不良のようにたむろしているが、こちらに迫ってくる気配はない。

「何を見てるのさ」

 後ろから羽羽が声を掛けてきた。「幽霊」と冗談めかして言うと、「だから、そういうの止めてくれって」と非難の声が飛んできた。「苦手なんだってば」

「最近の流行りなのか、そこら辺に白骨が転がってるからな、幽霊くらいいてもおかしくない」言ってから、そうか、と気付いた。アイツらは、ようするに幽霊なのか、と。馬鹿らしいが、否定は出来ない。

「死んだ人間が全部幽霊になるなら、今頃凄い事になってるよ、地球」

「実際、結構凄い事になってる」それは、地球も含めてだが、羊が「幽霊」と称した彼らの数も含めての事だった。「大勢居るよ」と羽羽に教えてあげても良かったのだが、また非難される気がしたので止めておいた。

「静かだと思ったら、寝てなかったのか」代わりにそう聞いた。

「なんで静かだと、寝てない事になるのさ。逆じゃない?」

「お前は知らないかも知れないが、お前、いびきに、寝言にと、寝てる時は忙しそうなんだよ」

「アタシが寝言なんて言う訳ないじゃん。いびきなんて、ありえない」

「前なんて、歌を歌いだしたぞ」

「嘘でしょ」

「いぇすたで〜って。お前はジョンの奴が好きだな」

「本当?」

「それは嘘だけど。お前がうるさいのは本当だ」

「羊、アンタ、アタシ達が寝てる時なにやってんの? そういえば、寝顔を見た事がないんだけど」

「みんなが眠った後でちゃんと眠ってるよ」

「アンタはママか」

「いいから、寝ろよ。起きてる人間が居ると、俺は眠れないんだよ」

 それから、十分程度だろうか、後ろからチョッカイを掛けるかのような調子で、羽羽が次々に話しかけてきたが、その内に、声のトーンが落ちはじめ、言っていることも支離滅裂になり、最終的には寝言なのか、それとも起きているのか判らない調子になり、また、「いぇすたでぃ〜」と歌い始めた。

 羽羽の寝言を聞きながら、羊は漫然と外を眺める。膝元のウルカの尻尾が、ぱた、ぱた、と当たる。

 影が動いたのは、その時だった。波が引くかのような調子で、亡霊達が、闇に溶けて、消えた。代わり、とでも言うような調子で、新しい影が現れた。

 亡霊達とは違い、現実味のある影だ。しっかりとした輪郭に、存在感。誰だ、と思いながらも、不思議な事に、警戒心は抱かなかった。

 ウルカを連れて、外に出た。その頃には、「クジラ調査団のメンバー」が、夜中にこっそりと現れたのだ、と思いこんでいて、開口一番に、「遅いぞ」と声をかけてしまった。

「遅い?」と、聞き覚えのない声。とはいっても、メンバーの全員を把握している訳ではないので、それでも警戒はしなかった。ウルカも、敵意を見せていない。

「そうか、動かないと思ったら、そうか、誰かを待っていたのか。ん? クジラ調査団?」

 一人、語る。「なるほど、ホエールウォッチング、ですか」

「誰だ?」

 そこで羊は、ようやく、自分の勘違いに思い至る。「メンバーじゃないな」足元を見て、転がっている石の塊を見て、いざとなったらこれを武器にするか、後ろの二人を起こすべきか、それとも、ウルカをけしかけるべきか、と考える。

「やめてくださいよ。俺、武器は持ってないですから。その犬、ウルカって言うんですか、けしかけないでくださいよ」

 見透かしたかのような物言いで、男は言う。

「もし、その犬、ウルカちゃんが、襲ってきたら、俺は羊さんを殺しますよ。武器はないけど、それくらいなら、全然問題ないです。たぶん、その後で俺はウルカちゃんに殺されるでしょうか、言っちゃえば、それも問題じゃないです」

 たたみかけるように、言う。殺しますよ、と物騒な事を、軽々しく言う。

「後ろの二人も起こさないでください。せっかく、いい夢を見てるんだから」

「いい夢を見てるとか、お前が決めるなよ」

「いや、俺は、知ってるんです。二人は、いい夢を見てますよ。こんな世の中ですけど、夢は綺麗なものですよ。知ってましたか?」

 警戒心、というべきか、明らかな敵意が、身体の中から湧き上がってくるのが判った。嫌いな喋り方に、嫌いな呼吸の仕方に思えた。

「俺達に何か用か?」

 そう聞いた。同時に、失敗したな、と後悔の念が浮かぶ。どう考えても、まともな男ではない。物盗り目当ての強盗は減ったが、解放されたかのような殺人者は今の時代、うようよいる。もっと、てっとり早くやっておくべきだった。会話をする暇を与えるべきではなかった。

「達、というべきか、羊さん、アンタに用があったんですよ。二つ程。だからこうして、他の二人が寝るのを待っていたんですよ」

 果たして、男はそう言った。寝るのを待っていた、と男は言うが、この暗がりの中、車内の様子を見るのは至難の技に思える。というか、見える筈がない。羊の立ち位置から、男の輪郭を見るのさえ難しい。

「難しいけど、俺には出来るんですよ。知ってましたか、世の中には、意外と不思議なことってあるんです。俺は知ってました」

 クジラが落ちてくることだって、俺は知ってました。

 男はそう言った。

「俺は、兎と言います。どちらかと言えば、羊さんに近い人間ですけど、知ってましたか?」




 更新遅くて本当に申し訳ない。

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