ラビットイヤー
「すとーかぁ?」「ストーカー?」「すとーかー?」「わん」中路と羊と羽羽とウルカの声が、綺麗に重なった。ウルカを除き、全員が眉間にシワを寄せている。
「ストーカーってのは、あれか、あの、愛の最終形態の奴か」羊は、自分の記憶を引っくり返し、そう言う。「まだ、絶滅していないのか」
「絶滅って、アンタ、一々大袈裟だねぇ。ストーカーってのは、しつこいのがウリだから、世界が滅びたくらいじゃ死なないんじゃないかな。たぶん、最期に残るのは、ゴッキーとストーカーだよ」
満さんは、ふくよかな身体を揺らし、楽しそうに笑った。「笑っちゃうのがさ、アタシ、ここ十年でこんなに太ったのに、その子、そのストーカー、またアタシのことを追いまわしてくれるってさ」
「そんな、嬉しそうに言われても……」中路さんは心配そうだった。「大丈夫なのか?」
「大丈夫大丈夫。危害を加えられたことはないしさ。十年前も、盗撮と、盗聴はされたけど、手を出してくるようなことはなかったし。話してみると、結構紳士的な子だし、実は結構格好良いし」
「紳士でストーカーというのは、矛盾じゃないのか」そう、疑問をぶつけてみる。「女性を追いまわすような奴が、紳士的と呼べるのか」
「十九世紀の紳士は、処刑を楽しんだらしいよ」幼子を撫でるような声で、満さんは言う。「処刑に比べれば、ストーキングなんて可愛いもんじゃないか。たしなみみたいなモンだよ」
「その、十年も前のストーカーが、またストーキングを再開したの?」
「そうそう。道端で、ばったりと会ってさ。『やっぱり生きていてくれましたか』ってさ。それで、『また、貴方をストーキングします』なんて宣言までしてくれちゃって。凄いでしょ」
「いや、怖いって、なぁ?」と、羽羽は羊の横顔を伺う。「なぁ?」と同意を求めてきた。
「怖いな」羊は、ぼんやりと言う。「今も、どこかで見てるって事はないだろうな」そう口に出して、寒気を覚えた。
周囲をきょろきょろと見渡す。それらしい影は、見えない。
「ダメダメ、あの子、プロだから。そう簡単には見つからないって」からからと笑う満さんは、余裕たっぷりだった。「前なんて、知らない内に、ベッドの下に居たんだから。気付かないまま一か月近く過ごしちゃったよ」
「うわぁ」引いた。「凄いな、愛されてる」
「でしょ。でさ、羊、アンタ、恨まれてるよ」
「恨まれ?」絶句する他ない。「なぜ?」
「ほら、こないだ、マッサージしてくれたじゃない。肩の。それを見られたみたいでさ、『あの男は誰ですか』だって。険しい眼だったねぇ。普段は、そんなこと言う子じゃないんだけど、アンタだけは特別扱いみたい」
「肩のマッサージって、それだけで? それだけで、恨まれてる? 整体士はどうなる。それに、俺だけじゃないし。なぁ、羽羽」
「こっち見んな。アタシまで恨まれる」
「まぁ、注意だけはしておいた方がいいかも。それだけ、呼び止めて悪いね」
「それだけってなぁ」
羊がスクランブル交差点で眼を覚ましてから、二か月が経っていた。言い方を変えれば、朝方、犬に顔を舐められること、およそ六十回になる。
風化を続ける世界での生活にも、慣れた。
記憶は相変わらず戻らないが、それで困る事もなければ、気になる事もないので、羊はふらふらとクジラを追いながら毎日を過ごす。