表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/19

マウストゥマウス

 背広を着た大人達が、交差点が青になるのを待っている。皆一様に、浮かない顔つきをしている様に見える。今は朝の八時、出勤時間だ。夏だというのに、朝の風は少し冷たく感じる。街全体から、疲れと眠気が発散されている。浮かれろ、と言われても無理な話なのかもしれない。

 信号は中々青にならない。

 もちろん、世界が終わってしまった今となっては、交差点も、背広を着たサラリーマンの進軍も、すっかり消えうせた景色の為、やはりこれは夢なのだろうな、とは判った。それも、起きているにも関わらずに見えてしまう類の夢だ。

 しかし、あっさりと振り払ってしまうには、この夢は鮮明過ぎる。暫くは、眺めていよう。老人は、そう決めた。そう思った次の瞬間、信号が青になって、背広を着た大人達が一斉に歩み始める。

 ざん。と、大地が揺れるような音が聞こえた。靴底が、一斉にアスファルトを叩く音だ。

 老人も足を踏み出した。

 一歩足を踏み出した瞬間、全ての幻覚が消えた。信号は赤でも青でもない。当然点滅もしていない。何色も発さない信号は、「唄は終わりです」と嘆く詩人の様にも見える。

 周りには誰も居なかった。

 老人は、独り、歩く。

 ――この交差点を渡って、少し先のコンビニで、コーヒーを買って、右に曲がる。

 それは、十年前まで、老人の毎朝の日課だった。コンビニを曲がって直ぐ、汚れたテナントビルがある。今にも崩れ落ちそうな風体では有るが、それは、十年前から変わらない様に思えた。むしろ、その周りを囲い、威圧する王の様な貫禄すら持っていた立派なビルの方が、今や見る影も失っている。

 崩れ落ち、剥き出しの鉄骨は、グロテスクな死者のそれに似ている。

 老人はテナントビルの玄関口の前に立った。中を覗き込む。雨風に長く晒されていた所為で、少し黒ずんでいるが、それ以外は殆ど変わらない様に見えた。

「懐かしいな」

 思わず、独り言を言う。最近はすっかり、独り言が癖になった。「独り言が癖になってしまったよ」と話す相手すら、居ない。

「十年か」

 ここに訪れるのは、実に十年ぶりだった。どうして今更訪れようという気になったのか自分でも判らないが、オンボロテナントビルが世界の終わりにもめげずに、周りの倒壊したビルを尻目に、飄々と生き残っている姿に、少なからず感動を覚えた。

 玄関口を超えて、中に入る。静かなものだ。しかしそれも、十年前から何も変わらない。十年前もこの玄関口には、誰も居なかった。それから、エレベーターを探している自分に失笑する。エレベーター? 馬鹿な。

 階段を一段一段蹴る。二階の踊り場に、背広らしきボロを着ている白骨死体があった。胸に有るネームプレートに目をやる。「田崎」と書いてあった。

「君か」

 予想もしない再会に、驚く。同僚だ。同じ頃に入社し、同じだけ働き、同じ愚痴を言い合い、同じく会社の古株となった。友人、いや、恥ずかしながら、親友と呼んでも差し支えない様な関係だった。これも恥ずかしながら、若い頃は同じ女性を好きになった事もあった。更に言うならば、きっと同じ時期に会社を去るのだろうな。と思っていた。

 だが、実際には、定年退職までは行かなかった。後一歩だった。と老人は思う。定年退職を一ヶ月に迎えた時期に、世界の終わりは、唐突に始まった。

 クジラが落ちてきたのだ。




 マウストゥマウス編、スタートです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ