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「やっとまともに力が入れられるんだからなぁ!」
根元から引きちぎった先住民の右腕を放り捨て、リスキィが吼える。数秒前まで腕が生えていた箇所からは飴色の体液が噴出し、リスキィの全身を染める。先住民がリスキィの四肢を破壊するために両腕を硬直させる一瞬を狙い、逆にリスキィが先住民の両腕をクロスさせる形で引き抜いたのだ。先程の抵抗が全力だと判断していた先住民はその暴力的な牽引に対応出来ず、硬直させた筋肉すら利用されて右腕をもがれてしまった。
先住民が悲鳴を上げる。今までの悲鳴とは質の違う、より生命の危機に直結した死の拒絶。新しい腕を生やしなおそうとする気配は無い。それどころか足の拘束すら緩める始末だ。その隙を逃さず、リスキィはすぐさま先住民の左手を解放し先住民の束縛から脱出する。そのまま距離をとるのかと思えば、リスキィは依然として先住民の懐に留まったまま、右腕を大きく引き一撃を撃ち込む姿勢へ移行する。
「そのワガママボディミンチにしてやらぁ!」
ひび割れたコンクリートの上に放置されたルミネは、勝負が決しようとするその瞬間、先住民の中で何かのスイッチが作動したのを知覚した。諦めや覚悟などのような感情的なものではない。もっと物質的な、例えるなら爆弾の信管が起動状態に入ったような、そんな脅威が明確化した変化。そしてその変化は先住民の核となっている内部の生命反応が自身の体温を急激に上昇させるという形で現れる。
「やめて!」
ルミネの抑止に反応したリスキィは繰り出した拳に瞬時に静止の命令を送る。が、リスキィの拳が威力を失う前に飛び込んできたものがあった。
それは顔。先住民の先端に付いている不細工な顔面が、自ら飛び込んできたのだ。リスキィの拳と接触した先住民の頭部はその衝撃に震え、風船のように一瞬膨らんだかと思えば――爆発した。
「――――!」
攻撃を受けていると判断したリスキィがすぐさま拳を引くが、先住民の頭部に湛えられた体液が拳にこびりつき、瞬く間に粘性を得てそれを阻害する。
「なんだこれ――!」
動揺しつつも脳内では瞬時に状況を整理する。歪な頭部は疑似餌。お粗末なつくりだが、相手に知覚器官が集まっている、いわば弱点だと思わせることが出来れば造詣は問題ない。攻撃を受けたら爆発し、内部の粘性の高い液体を獲物の一部に付着させて拘束し、逃げられないようにする。
そう、この爆発自体に殺傷能力は無い。
なぜなら次の攻撃を確実に当てるための布石だから――!
そこに思考が至ったリスキィが防御行動をとるのと、今度は先住民の体全体が爆発するのは同時だった。頭のそれとは違う、強烈な熱波と高熱を孕んだ大量の体液がリスキィを呑み込む。
「あっっっっっっっち!」
温度は恐らく百度前後。即死はしないが衣服越しでも長時間触れ続ければ命に関わる温度だ。リスキィは反射的に逃げようともがくが、高温の体液も高い粘性を持つらしく、動けば動くほど粘液の海に溺れていく。爆発の前に顔を庇えたのが不幸中の幸いで、一掻きでなんとか呼吸と視界の確保が行えた。最も、それによって生まれた余裕で思考できたのは”飲み込むな”と”逃げろ”ぐらいのものだったが。
熱が意識を焼いていく。逃げろ。とにかく逃げなくてはならない。殺傷力こそ持つがこの粘液の目的はあくまで獲物の捕縛と弱体化。ならば必ず来る。獲物の体力を消耗させ思考を鈍らせた末に見せる、必中確殺の一撃が――。
透明度の低い薄緑の粘液の海を優雅に泳ぐ捕食者の姿を、確保した視界が捉えた。目を引くのは全長の半分以上を占める、誇大と言って良いほどに巨大は鋏状の顎。粘液を弾くための甲殻、自らの撒いた粘液の海を進むための六本の鰭。それは無慈悲なほどにゆっくりと進み、獲物たるリスキィの胴体を絶たんと顎を迫らせる。
「――――!」
とにかく脱出しようと必死に後退するが、粘性が高い以上低速で動いても粘液が伸びるだけで何も解決しない。ならばと床を蹴って一気に離れようとするも、粘液に勢いを殺されろくに距離も取れない。引き摺り下ろされるように着地し――ブーツの底が粘液を踏みバランスを崩す。
「くっそ!」
全身が粘液に沈むまでの間に吸えるだけの息を吸い目を瞑る。肌を露出させている顔面を高温が舐める。熱いを通り越し痛い。熱暴走しだす理性を抑え、一秒でも早くこの罠から抜け出すために床の僅かな凹凸に指をかけて這うように移動する。
一歩分の距離を稼いだところで、右足が何かに固定された。
小気味のいい刃鳴りが水中にも関わらず耳に届いたのは、激痛が聞かせた幻聴か。
「がっ!」
恐らくは中足部の辺りから先端を切断され、叫声が泡となって肺から逃げていく。隙をさらしたリスキィの口内を待ち構えていたかのように粘液が埋め尽くす。未だ百度近い粘液が繊細な細胞を刺すその衝撃はリスキィに更なる悲鳴を上げさせ、肺の中に僅かに残った酸素を追い出してしまう。体内から一切の空気が消失し、潰れた肺の痛みに胸元を掻き毟る。
正気を焼かれたリスキィにはもはや理性を維持する余裕すら失い。ただ闇の中で空気を求めて暴れるしか出来ない。摩擦を限りなく殺された粘液の海の中では一寸動くのもままならず、僅かに残った体力を消耗するのみだ。
だが、暴れ続ける。先住民を蹴りつけ止めの狙いを定めさせぬように、あらん限りの力を四肢に込める。すでに正常な思考など出来ない。切断された右足は赤墨を吸った筆のように粘液にでたらめな字を書き、痛覚はすでに焼ききれた。それでもここで死んでなるものかと、リスキィの闘争本能は自身が生命でなくなるまで抗うことを選んだのだ。
だがその底力も、ものの数秒で力尽きてしまった。最後の行動である振り回した右腕の力に引きずられ、体が数寸流れる。
指先が何かに触れた。床だと思ったがどうにも違うらしく、指の勢いに押されて僅かに動く。なんだかそれが少しだけ懐かしい気がしたので、それを死出の道連れにしようと握りこんだ。
瞼を貫いた閃光が、上映を始めようとした走馬灯を掻き消す。一瞬送れて波のように襲った圧倒的な熱量が全身を包む熱湯を弾き飛ばす。悲鳴の代わりに気管内の粘液が吐き出される。呼吸が出来ることを脳が理解するよりも早く肺が稼動を再開する。少し空気を取り込んでは肺内の粘液を吐き出し、徐々に本来のパフォーマンスを取り戻した肺は空気から酸素を奪い取り、血液にぶち込んで心臓へと送りつける。酸素がくべられ再び火を点した心臓は力強く鼓動し、酸素を全身の隅々にまで供給する。痙攣していた四肢は酸素によって自律を取り戻した。最後に脳を覆っていた霧が吹き飛ばされ、リスキィは急速に覚醒した。
「ぶあっちぃぃぃぃぃ!」
全身を包む熱量に飛び起きると、その原因となっていた上着とシャツを剥ぎ取り投げ捨てる。壁に激突した衣類は小気味のいい水音を立ててその位置に張り付いた。
「つっ!」
地面を踏んだ右足が訴えた激痛と赤く爛れた断面が、リスキィに自分が先程まで何をしていたのかを思い出させる。
「おい! 早くしろ! 逃げられても知らんぞー!」
足元で喚くサードデイを拾い上げ、リスキィは先程まで戦闘していた先住民を探す。そう遠くない位置に電光を反射しながら遠ざかる甲殻が一匹。水中での移動に特化した鰭では地上では逆に鈍重となる。這う様に必死に距離を取ろうとする先住民を尻目に、リスキィはサードデイの転送装置の子機となる銃弾を探す。比較的近くに落ちていたそれを拾い上げ、グリップからマガジンを取り出してその一発をセット、装填する。
「おう逃げんなよ」
必死に距離を稼ぐ先住民にその一発を撃ち込むと、リスキィは何もせずに先住民を見送った。
「えっちょっ何してんの!?」
「黙ってみとけ。ちょっとした実験だ。失敗でもあの速度なら追いつける」
先住民が角を曲がり姿が見えなくなった時点で転送を実行する。出力先であるサードデイ本体を右手に構え、リスキィは左拳を握り締めて左足を軸に大きく振りかぶる。そして無事転送に成功し、目の前に現れた先住民に全力の一撃を打ち込んだ。
リスキィの拳は先住民の外甲殻を粉々に粉砕し、その衝撃で内部の生命維持器官の大部分を破壊する。先住民は体液を撒き散らしながら吹き飛び、柱の一つに激突して四散し、自分の体でその場に花を一輪咲かせた。
先住民が完全に死亡したことを確認し、構えを解いたリスキィは糸が切れたかのようにその場に仰向けに倒れこんだ。背中の衝撃が右足を刺激し痛みを発するが、今はその鼓動に合わせた鈍痛すら愛おしかった。
「タマ取られるかと思った……」
空いている左手で股間の辺りを確認し、ベルトを緩めてチャックを開いた。
トランクスも粘液でべっとりと濡れているため通気性が良くなったとは言いがたいが、ジーンズに密閉されているよりはましだろう。
「おいどのタマの話してる」
「うっせぇな男の一物は熱に弱ぇんだよ」
その後リスキィはしばらく無言でコンクリートの冷たい感触を堪能したあと、徐に口を開いた。
「ルミネ」
「あん?」
「ありがとな。助けてくれたの、お前だろ」
恐らくあの粘液は熱可塑性、すなわち熱が加えられると溶け冷えると固まる性質だったのだろう。そのため通常時は外殻として本体を保護し、本体が発する高熱に反応すると溶けて周囲の敵を巻き込んで捕らえる役割を持っていた。
サードデイの基本構造はレールガン、すなわち電気を利用した銃だ。そして電気は抵抗のある物質に流れることによってジュール熱を生じさせる。今わの際でリスキィが触れた何かはサードデイで、握りこんだ際にトリガーを引いていた。ルミネはあらかじめ天井のコンクリートを転送しており、発射の際にわざと大量の電力を暴発させ、粘液を吹き飛ばしたのだろう。瞼を貫いたあの光は抵抗として利用したサードデイ自身の発光の可能性が高い。
あれだけの量の粘液を弾き飛ばすだけの電力をその小さな機体のどこに貯蔵しているのか、サードデイ自身を抵抗として利用して問題はなかったのかなど、疑問は尽きなかったが今はもうどうでもいい。
今はただ、この生と勝利の実感を噛み締めていたかった。
「またお前に借りを作っちまったな」
「負い目を感じているのならさっさと次の行動に移って欲しいのだけれど」
「血も涙もねぇ……」
「今は機械ですから」
「……あと二十分もしたらイガグリ達がやってくる。それまで寝かしてくれ。流石に……疲れた……」
「あっちょっおま、寝るだけよ!? 絶対起きてよ!? おーい!」
傍らで喚くルミネを尻目に、リスキィは勝利の心地よい余韻を味わっているうちに意識を失った。




