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「物質転送装置? って今世界各国がこぞって研究開発中の?」
人体や物質を量子レベルまで分解し、通信または特定の送受信機間を移動させる輸送システム。燃料の枯渇問題が再浮上している現代においては、物質転送システムの構築普及が人類がもっとも解決に向けて尽力すべき課題とされている。
「でもそれってまだどこも完成させてないよね?」
物質転送装置をいち早く完成させた国が上界における事実上の覇者の座につくと言われている。
逆に言えばそんな代物が手のひらからかなり余るサイズで実用されているはずがないのだ。
「だが三メートル近く離れた場所で粉々だったこいつは、完成された状態で手元に戻ってきたぜ?」
リスキィは手の中のおもちゃを放り投げ、わざと乱暴に受け止める。おもちゃはプラスチックが擦れ合うがちゃりという音を立てたが、どこかが破損した様子はなかった。
「恐らくこんな要領でおまえの体も俺の体も修復してここから出力したんだろ」
「だからって、物質転送装置にそんな機能はないでしょうに」
リスキィは眉をゆがめて手をひらひらと振る。痛いところをつかれたのであんまり触れないでくれと言いたげな仕草だった。
「だから言ったろ。”超高性能の”物質転送装置だって」
「失笑」
理解できないからとりあえず自身の理解が間に合うカテゴリという名の箱にそれを無理矢理詰めこみ、超とつけた便利な言葉で装飾を施す。実際褒められた手法ではない。
だが理解を放棄してはなにも変わらない。ルミネの精神はこの銃に閉じこめられたままだしリスキィは国際指名手配犯としてこの地下街か牢獄で生涯を終えることになる。今はとにかく議論を前に進めなければならないのだ。
「・・・・・・物質を転送する装置なのはわかったけどさ、言ってしまえばそれだけでしょ? なのにどうして人体やおもちゃを修復できるの?」
「知らん」
「おい」
リスキィはどかりと音を立ててイスに身を落とすと肩をすくめた。
「詳しい仕組みは今は理解出来ねぇしどうでもいい。重要なのは俺の体とこのおもちゃが厳密には違う修復のされ方をしたってところだ。まずはこのおもちゃ」
リスキィはルミネが検分できるよう、おもちゃをデスクの上に置く。おもちゃは基本的な機構には問題ないようだが、手垢や埃などの汚れは随所に付着している。完全動作品ではあるが決して備品ではない。
「直りはしたが汚れはひどい。つまりおもちゃとして遊ばれていた時の状態を再現したってだけで、汚れなどの微細な部分にはノータッチだ。対して俺の体」
リスキィはシャツを捲り上げる。鍛え抜かれた腹筋と厚い胸板が現れた。端々に残るケロイド状の隆起や古傷が、彼が身を置いていた状況の過酷さを物語っていた。
「なに? 筋肉自慢? 確かにいい体だけど」
「俺が自分の体を物質転送したとき、俺は体内に弾丸が残っていた。弾数は恐らく三発。胴体に二発と肩に一発だ。だが今確認すると弾痕すらない。多分俺の体内に今弾丸はない」
仮に体内に弾丸が残っていた場合、肩の場合は下手をすれば関節の可動などに影響を与えるし、鉛中毒を起こして生命の危機に瀕していてもおかしくない。それがないと言うことはリスキィの体内から弾丸は全て取り除かれているということに他ならない。
「俺の体からは弾丸が無くなっていた。多分人体に本来はないものだからだろう。だがおもちゃに付いていた手垢はそのまま転送されてきた。なんでだ? 「完全な状態」で転送するなら、銃弾を全て俺の体から抜いたように、手垢もわざわざ転送する必要はなかったのに」
リスキィの体内に侵入し、命を脅かしていた銃弾とおもちゃに付着し劣化を引き起こす手垢。両者の違いは何だったのか。
「俺の答えは『優先度』。俺の体内の弾丸は人体の中には決してあってはならないものだ。だから取り除かれた。しかしおもちゃの手垢はすぐには影響を与えない。だから優先度は下げられ、取り除かれなかった。選別してたら処理にも時間がかかるしな。ここで一つ更に問題が浮かび上がる」
リスキィは人差し指を立てた。
「その優先度を決めているのは誰か? その答えがお前だ」
そして手首を曲げ、銃を指さす。
「え? あたし?」
突如として話を振られ、長い話に集中が途切れていたルミネは素っ頓狂な声を上げた。
「性格にはお前が盗んだ時点でその銃、サートデイの中に入っていた奴だ」
墜落する輸送鑑の操縦席で、瀕死の重傷を負っていたルミネに自分を撃つよう「取引」を持ちかけた、恐らくは現在のルミネの用にサードデイの中に入っている人格。
「そいつが周囲の状況からより適切な状態で転送されてきた物質を再構築するんだ。そして」
リスキィは立ち上がり、おもちゃを置いた地点を探り、そこに転がっていた一発の弾丸を拾い上げる。
「これが恐らく転送装置の子機。対象物にこれを撃ち込んで親機のサードデイへ転送する。自分自身を転送することは出来ないから弾はこうして残るけどな。
つまり、これは銃弾と銃器に物質転送装置の構造を組み込み、転送した物質を状況に合わせて再構成するAI。この二つを組み合わせた兵器ってことだよ」
「……つまりどういうことが出来るの?」
説明をうまく飲み込めない様子のルミネにリスキィは長く大きい溜息を一つ。
「まず弾切れってものがほぼ無くなる。レールガンの構造は乱暴に言えば電気で動かすスリングショットだ。その気になれば石でも銃弾に出来るってこと」
リスキィは再びサードデイを構え、今度は威力が強すぎて地中へ潜った銃弾から石を転送するよう命令する。青白い光は前回とはかなり控えめだった。恐らくは銃器内部に転送しているためだろう。光が収まってから画面を見ると、左側のメーターが一つ追加されていた。
「そして兵力の補填が短時間で行えること。これが何より大きい。人間ですらものの数秒で転送、再構築出来ちまうんだ。延長五体ならもっと簡単だろう。仮にこれが量産体制に入って軍全体に行き渡ってみろ? 破壊しても部品の紛失がない限りほぼ遅延なしで戦線復帰できる、文字通り不死の軍隊の出来上がりだ。バッテリーまではどうこうできそうにないが、制圧力は格段にあがる」
人類が先住民を駆逐しきれない理由がここにある。単体での戦力差が圧倒的である以上、人類は比較的戦力的損失の軽微な延長五体や自動操縦型の兵器に頼らざるを得ない。広域爆撃や核兵器などで一気呵成に攻めることも出来るのだが、惑星の寿命を大幅に削ることは人類も避けているからだ。
だがいくら電源は交換できるとはいえ、個々の稼働時間には限界がある。特に回収不能な地域で破損してしまえばそれは兵士が一人戦死したことと同義となる。地球上での戦争以上に物資に気を配る必要のある人類側は、これらの理由から攻めあぐねているのだ。
その懸念がなくなるということは。
「つまりこの世紀の大発明を上界に返しちまうと、人類の勝ちってことだ。あとはホットケーキを功労国が切り分ける作業。この銃を手に入れた国が次の人類史の覇者ってわけだ。大方、手柄を横取りしようとした国がお前に依頼して盗ませたんだろう」
そう言いつつ、頭の中では違うとすでに否定されている。輸送鑑は内部からの攻撃を受けていた。サードデイをどこか別の国ではなく、この下界に落としたかった人間がいるということだ。上日本国籍のショウゴ・キリムラが絡んでいる以上、この変態的な技術の結晶を発明したのは日本人だろう。下界に落として利益となる国はどこだ? いや、そもそもこんな重要機密の固まりを他国へ漏洩することを許すか? むしろ上日本内部で分裂が起きているんじゃないのか?
「……あ、あのさ」
黒幕についての推理に没頭しようとするリスキィをルミネは引き留める。
「この銃のことは大体わかったけどさ、私は? 私はどうなるの?」
恐らくは現在自分の置かれている状況が芳しくないということは察しているのだろう。機械音でもその揺らぎははっきりと聞き取れた。
「……多分、元々その銃に入っていたAIは、お前の体を再構築するときに、精神をまるまる入れ替えて乗っ取った」
確信はない。だが現在人間であると主張するルミネがサードデイの中に入っており、AIとルミネの肉体があの場に無かった以上、整合性はどうあれその結論にたどり着く。
「……やっ、ぱり……?」
「ついでにいうと」
残酷かもしれないが、隠しても仕方がないことなのでリスキィは考えられる情報を全て打ち明ける。
「肉体の転送と再構築を墜落中に行ったのなら、サードデイのAIは下界にいるとみて間違いない。下界から上界へは輸送鑑が唯一の移動手段だからな」
「…………」
「だがそのAIがどこまでものを知っているかは正直未知数だ。下手をすれば経口摂取の方法すら知らないかもしれねぇ」
下界は上界から常に監視されている。先住民である可能性が否定できない以上、上界の人類は下界の人影を発見し次第軍を派遣し掃討に当たる。ただ監視は以外と杜撰で、保護色などを活用すれば案外バレずに移動ができる。
加えて下界には動物はいないが草木は溢れているので栄養と水分の摂取は可能だ。だが元々食事をとる必要のないAIが上手く食事を行えるかは答えが出せない。失った血液までは転送できないだろうから、身体は予断を許さない状況なのだ。
「……それって、ひょっとしたらもう死んでるかもしれないってことだよね」
「……否定は出来ねぇな」
はぐらかしても逆効果なので正直に答える。
「……やだ」
すでに拒否反応を示していたが、伝えないのも残酷だろうと判断し、全て言ってしまうことにした。
「ついでに言うと、この状態で俺たちが捕まってしまった場合、お前が元に戻れる可能性は限りなくゼロに近くなる。下手したらルミネという人格は消去されるかもしれねぇ」
その言葉が引き金だった。
「やだやだやだやだやだやだぁ! いやだぁぁぁぁ!」
ルミネの張りつめていた糸が切れ、感情が決壊する。
「なんで! 何で私がこんな目に! ふざけんな! ×××××! ×××××!」
理不尽な運命へのあらん限りの抵抗と悪態。
「あああああああああああああああああああ!」
言葉にする余裕すら無くなると、ただただ叫ぶ。
「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!」
周波数が振り切れ鼓膜が悲鳴を上げても、リスキィは耳を塞がなかった。
「う・・・・・・くそぅ・・・・・・」
やがてそんな慟哭に意味などないと悟ってしまったのか、時折嗚咽を漏らすのみとなり、
「…………」
やがて完全に沈黙してしまった。
「…………」
リスキィはそんなルミネの一部始終を眺めながら、頭の片隅では冷静に冷酷に思考が展開されていた。
あれだけ感情の込められた一連の叫喚を聞いてしまった以上、ルミネが人間であることは疑いたくない。
問題はAIの方だ。的確な再構築を行えるほどの人工知能の作成というのは現代の科学技術を持ってしても不可能だ。運用していれば必ず計算外のイレギュラーな状況というのは発生する。人間と人工知能の決定的な違いは、経験則と想像という未知の状況に対してのアプローチの手段の有無だ。小型の物質転送装置を制作できるほどの科学者がAIにおいて手を抜くとは考えにくい。現にサードデイのAIは、使用者の肉体を奪って逃亡するというAIとしてあってはならない行動を起こした。そんなことをするのは人間しかいない。
そう、人間。
サードデイのAIというのも人間ではないのか?
今ルミネが閉じこめられているように、サードデイのAIも実在する人間と考えると、使用者の肉体を奪うという暴挙にも納得がいく。不本意でサードデイの中に入れられたのだ。だから他人の体を欲した。
そしてそんな非道徳的な作業を行える狂科学者が、上界にいる。
「……こりゃあ、想像以上に闇は深いかもしれねぇな」
輸送鑑爆破の件も併せて考えると頭がこんがらがりそうだった。
そんな陰鬱としてきた室内の空気を切り割くように、甲高い呼び出し音が響く。
叔父からの通信だった。
次で2章終了(予定)です。ラストは短いけど力尽きたのでこ↑こ↓で一旦区切ります。