表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

メキシコ『アステカ武闘大会』潜入! ランキング売買の闇を追え!④


 『第27回アステカ武闘大会』剣術トーナメント1回戦第3試合、ラウール・モレノ VS ドワイト・コール。

 ランキング売買疑惑に加えて違法賭博の疑いがかけられているモレノは、無気力な展開の中から突如として不可解な自滅行為を見せ、結果として負傷によるドクターストップで敗退した。


 チーム・バンドーはこの結果を、レアケースでの決着による分配金増額狙いと判断。

 バンドーとシルバはラテン系の悪党になりすまし、メキシコ違法賭博の大物バスケスの名を用いてモレノに接触を試みる。


 

 9月15日・13:30


「モレノの出血は病院に行くレベルじゃねえ。もたもたしてるとすぐに逃げられちまうぜ!」


 モレノとコンタクトを取るのは、ラテン系の悪党に変装したバンドーとシルバ。

 しかしながら、モレノの控え室に誰よりも急いでいたのはハインツだった。


「組合の情報網から、モレノの滞在ホテルが分かったわ。エルナンデスが警察を呼んで先回りしてくれる事になったから安心よ!」


「サンキュークレア! モレノめ……。剣術を、剣士を、何もかも舐めていやがるあいつだけは許せねえ!」


 ハインツは、いつになく怒りを露にしている。

 

 

 現在剣士ランキング第1位をキープするハインツだが、第2位のメナハム・フェリックスはフェリックス社の重要参考人として警察に拘束されている。

 彼がランキングを争える環境にないため、ハインツの首位の座も暫定的なものだった。

 

 更にその経緯も、当時ランキング第1位だったロシア人剣士ユスティン・キリチェンコがハインツに敗れ、クーデターを起こした軍部強硬派の配下であった自身のキャリアを恥じた結果によるもの。

 キリチェンコはハインツのランキング昇格を認めた直後、喉元を掻き切って自殺している。(本編第80話参照)


(キリチェンコは死んだ……。たが、そいつは自己保身のためじゃねえ。仲間のボロニンもイグナショフも失い、自分だけが悪党の元用心棒として生き長らえるのを拒んだんだよ。剣士ってのはよ、半端な気持ちであちこちに立ち回るもんじゃねえんだ……!)


 ハインツの内なる声は、剣士を一攫千金のギャンブルと捉えるモレノの様な人間にとって、笑い話に聞こえるに違いない。

 

 だが、ボロニンはパートナーのライザを守ろうとし、イグナショフも自身に勝利したメナハムを津波の危機から遠ざけて、ともに命を落としたのだ。

 キリチェンコが守るべきものがプライドしかなかったのであれば、誰が彼の決断を否定出来ようか。



「モレノさん、いるんだろ? 俺はバンドロス、大事な話があるんだ。時間は取らせねえ、開けてくれよ」


 モレノの控え室をノックする、サングラスとアロハシャツで変装したバンドー。

 中からは慌ただしく物音が響いており、モレノが急いで荷物をまとめているであろう事は明白だ。


「……何だ? 俺には急ぎの用があるんだよ。話なら後からホテルに電話しな。内容次第じゃ聞いてやってもいい」


 予想通り、モレノは馴染みのない人間の声には耳を貸そうとしない。

 話し手を交代したシルバは、軍隊で学んだ中南米のアクセントを盛り込み、ラテン系の悪党が隠語として持ち込むスペイン語を交えながら、モレノをおびき出そうと試みる。


「俺はロドリゲス、バスケスさんからの伝言だ。さっきの勝負の額についてなんだが、ベシーノが警察(サツ)にパクられちまってここに来れなくなったのさ。俺達はベシーノの友達(ダチ)だよ、あらかた集計が出たから伝えに来たぜ」

 

 ベシーノが警察に拘束されているのは事実であり、シルバはロビーに付き添った事でその場に立ち会っている。

 ふたりがベシーノの詳細を知っている人間だと理解したモレノは、控え室の覗き穴から改めてバンドー達の姿を確認した。


「……こっち側の人間みたいだな。よし、いいぜ。中で話を聞こう、だが3分だけだぞ」


 バンドーとシルバは、サングラスで隠した東洋系の瞳以外はラテン系に近いルックス。

 ガタイはいいが、慌ただしい変装で決してスマートとは言えないシャツの着こなしも、作業着姿のバスケス人脈としてはプラスに作用している。


 バンドーは後方で待機するハインツとクレアに目配せし、早々に招き入れられたシルバに次いで、わざとゆっくり時間をかけて控え室に向かう。


「早く入れ、鍵を閉めろ!」


 モレノの催促に逆らい、バンドーはドアを全開放。

 ハインツとクレアも強引に控え室に押しかけ、シルバはその腕力を活かしてモレノを背後から羽交い締めにした。



「……!? 何だてめえら! サツか?」


 明らかにヨーロッパ系の白人であるハインツとクレアを目の当たりにし、自分がハメられたと気づくモレノ。

 だが、警察に怯えているその姿は、チーム・バンドーの尋問をむしろやりやすくしている。


「やっぱりやましい所があるんだな。俺達はチーム・バンドー。賞金稼ぎ組合からの要請で、剣士ランキング売買の不正を調査しているのさ!」


 ランキング売買という言葉を耳にした瞬間、モレノの眉間にしわが寄る。

 バンドーは一気呵成とばかりに語気を強め、相手を押さえつける様に椅子に座らせた。

 

 「あんたがランキングの不正をしていなければ、手荒な振る舞いは謝罪するよ。でも、さっきの不自然な戦い方と、バスケスやベシーノに反応する所からして、違法賭博はやっているよな? どのみち警察沙汰になるぜ!」


「……けっ、ふざけやがって……あたたっ!?」


 モレノは右手をテーブルの引き出しに伸ばし、何やら秘密兵器を出そうとしている。

 しかし、引き出しは既に開けられており、ハインツによって閉められた引き出しに指を挟まれたモレノの表情が歪む。


「こいつは何だ? まさか大事なおもちゃを抱いていないと眠れない様な歳じゃねえよな?」


 トイレの紙ナプキンを失敬していたハインツは、指紋をつける事なくモレノの拳銃を奪っている。

 統一世界では、軍隊と警察関係者以外は銃の所持を禁じられているだけに、この時点でモレノは既に犯罪者だった。


「おっと、窓から逃げようなんて考えるなよ。俺に殴られるより痛い目に遭うかも知れねえぜ!」


 バンドーを力ずくで振り払おうとするモレノを見て、ハインツは窓の外に見える人影を指差す。

 そこには、風魔法を準備してモレノを押し戻そうとするリンの姿。


「賭博の集計は、後からホテルで確認するつもりだったんでしょ? 結局、自分が上手く芝居出来ていたかどうか気になっていたのよね。八百長だから」


 クレアからのひと言に、モレノは無言でうつむくことしか出来ない。

 

 改めて手袋を装着したチーム・バンドーは、バスケスからの連絡があり得るモレノの携帯電話を押収。

 芋づる式の悪党逮捕に意欲を見せ、彼を護衛する様に非常口からひっそりと警察署へ連行した。


 しかしながら、敵もさるもの。

 

 モレノは試合終了から1時間以内にアレーナを脱出し、バスケスに連絡を入れる段取り。

 それが出来なかった場合、モレノを乗せた航空機がケイマン諸島に到着するまで、バスケスからは一切コンタクトをしないというルールを互いに取り決めていたのである。


「モレノは警察とエルナンデスに預けて、今日のトーナメントが終わってからゆっくり話を聞けばいいさ。俺達はカイセードとコレーアの試合をチェックしよう」


「オッケー!」


 あっさりモレノを拘束出来たチーム・バンドーだったが、コレーアはかなり狡猾な悪党。

 ハドソンが説得に成功したカイセードも、戦いぶりを見るまではまだ信用しきれないため、両者の監視には気が抜けない。



 9月15日・14:30


「……自分とジェシーさんが協会と運営に訊いてみた所、左手首にドクロのタトゥーがある男はやはりコレーアの対戦相手、アルバロ・マガジャネスでした。普段は長髪をターバンの中に隠し、手首にはリストバンドをしているみたいで、運営が保管している宣材写真の不採用カットから判明したんです」

 

「剣士の時は長髪やタトゥーを隠し、コレーアの控え室を訪問する時はわざわざ暑い中、革ジャンを着てポケットに手を入れていました。マガジャネスもかなり怪しいですよね……」


 シルバとリンがマガジャネスの情報を話しているこの状況は、実はカイセードの試合の真っ最中。

 腰痛持ちに加えて数ヶ月のブランクがあるカイセードは、久々の実戦で試合勘を取り戻せず、明らかに格下である若手剣士を攻め切れずにいたのである。


「何だ何だ!? さっきのモレノといい、今回の大会はランキングのいい奴がからっきしじゃねえか! 相手から金でも貰ったのかよ?」


 マナーの悪い一部観客からのヤジに、カイセードは堪らず客席を睨みつける。

 ステージ最前列で彼のセコンド役に名乗りを上げたハドソンは、両手を下に降ろすジェスチャーを見せながらカイセードを必死に落ち着かせていた。



「ラウンド・トゥー、ファイト!」


 カイセードの対戦相手であるマックス・リーンハルトは、冷徹な雰囲気を持つオーストリアの若手成長株。

 両者はこの試合が初顔合わせだが、カイセードのホームグラウンドであるスイスとオーストリアが近い事から、リーンハルト側がある程度の情報を仕入れていた可能性はある。


「チッ、ガードばかり固めやがって……。ストレスの溜まる奴だぜ!」


 カイセードは黒人ならではの瞬発力で相手に斬りかかり、再び瞬発力を活かして素早く後退する、いわゆる「ヒット&アウェイ型」の剣士。

 しかしながら、そのスタイル故にリスクの伴う連続攻撃には消極的であり、ガードを固めながらカイセードのタイミングをことごとく外すリーンハルトの涼し気な表情が、まるで自分のスタミナ切れを待っている様に映っていた。


「カイセード、下手に完勝を狙うな! 試合終了までに1ポイントリードしてりゃあいいんだ。相手にも目立ったポイントは入ってねえ!」


 自分自身では絶対に納得しないであろう地道な戦い方を、敢えてカイセードに薦めるハドソン。

 そこに気づいている事もあり、カイセードも戦い方を改めようとはしない。


「相手には殆ど動きがねえ、つまり、1発でも喰らわせれば俺の勝ちだろ!」


 勝利を焦るカイセードの第1歩が乱れ、体幹がやや右側にぶれたその瞬間、相手は素早く剣の持ち手を入れ替える。

 そのままカイセードの右肘の防具を軽いスウィングで叩き割り、リーンハルトは労せずして1ポイントを手に入れた。


「……くそっ!」


 自暴自棄気味な試合展開を嘆くカイセードは、剣を空振りさせながら天を仰いで絶叫。

 そしてその横では、自身の戦略の正しさを確信したリーンハルトが不敵な笑みを浮かべている。


(……ヨーロッパは競争相手が多い。ランキング入りへの最短距離は、情報源の限られる他地域での武闘大会で、直接ランカーに勝利する事だ)


 ランキングの不正売買に手を染める事もなく、相性のいいプレースタイルのランカーに目をつけ、同じ武闘大会に乗り込む。

 新世代の剣士らしく時間と労力の削減に成功したと思わせるリーンハルトだったが、対戦相手のカイセードのランキングが正当なものではないという現実には気づいていなかった。


「……やれやれ、こうなっちまったらリスクを背負って相手の(ふところ)に飛び込むしかねえが、冷静さを失いかけている今のカイセードが逆転するのはキツいな」


 ハインツはアステカ武闘大会の剣士レベルにやや失望気味たが、ハドソンの献身が報われる事を願って試合から目を逸らす事はない。

 

 カイセードがいい所なく敗れたとしても、それが実力という結論である。

 だが、不正ランキング問題にリーンハルトまでが巻き込まれた場合、カイセードのランキングと信用の回復は難しくなるだろう。

 

 ハドソンは無意識のうちに語気を強め、カイセードに最後のアドバイスを送った。 


「自分の戦い方は捨てろ! あんたが見てきたフレイの戦い方を使うんだ! 目の前の相手はリーンハルトじゃねえ、あんた自身だと思え!」


 八方塞がりだった戦局に、一筋の光。

 これまで積み重ねてきたフレイとのスパーリング風景が、カイセードの脳裏に蘇る。


「……そうか! 我慢比べだ!」


 カイセードはガードを固めたままリーンハルトに駆け寄り、剣の届くギリギリの距離で急停止。

 ステージの中央に、ガードを固めて重心を下げた剣士がふたり向き合うという、異様な光景が出没する形となった。


「……おいコラ、やる気あんのかよ!?」


 観客のフラストレーションが高まり、剣士としてのプライドが試される不気味な沈黙が続く。

 やがてブーイングが聞こえ始めても、リーンハルトは意に介せずガードを固めている。


(……慌てる事はない、俺はチャレンジャーの立場で、既にポイントも獲得している。このブーイングはランカーのカイセードに向けられているだけだ)


 第2ラウンドも3分に突入。

 

 あと2分逃げ切れば、準々決勝進出と念願のランキングTOP100入りが見えてくる。

 リーンハルトが重心を更に後退させたその瞬間、カイセードは全体重を浴びせる様な攻撃を真っ正面から仕掛けてきた。


「そんなに受け身だと、ひっくり返っちまうぜ!」


 これまでの彼とは異なり、ガードを固めて一旦退避する行動は取らない。

 ここでリーンハルトからカウンター攻撃を受けたら、今度こそ完全敗北の捨て身技である。


「何を今更……正気を失ったか!?」


 カイセードをパワーで突き放せば、そのままバランスを崩して丸腰になる。

 リーンハルトとしては願ってもいないタイミングで、とどめの一撃から「美しい勝者」になれるチャンスが巡って来たのだ。


「……いいだろう。もっとも、ひっくり返るのは貴様だがな!」


 直線的な攻撃に集中するカイセードを、ただ押し返しても無駄に時間がかかってしまう。

 リーンハルトはガードと受け身をキープしながらも、自身の剣を手前に引き寄せてカイセードを更なる前傾姿勢へと導く、そのはずだったが……。


「疲れちまったな、ひと休みだ」


「なっ……!?」


 リーンハルトの上半身が後ろに硬直したその瞬間、カイセードはなんとフロアに尻餅をつき、フェンシングの要領で相手の膝にある防具を貫く。

 想定外の事態に呆気に取られたリーンハルトの膝を確認し、レフェリーはカイセードのポイントを指先で示していた。


「おい、何が起きたんだ!? ボーッとしちまいやがって」


 観客席からは戦況が理解出来ないが、形勢逆転を喰らったリーンハルト怒りの剣が振り降ろされる寸前、カイセードは持ち前の瞬発力でフロアから撤退し、ヒット&アウェイのタイミングが初めて相手と噛み合う。


「……俺はバカだったよ、話にならねえ! 兄貴のランキングを守るだとか、それ以前の未熟者だ!」


 全力の攻撃がフロアに激突した衝撃により、リーンハルトは思わず痺れた両手を剣から離してしまう。

 その両手の合間を抜け、カイセードの剣先はリーンハルトの胸の防具に突き刺さった。


「ストーップ! リーンハルト選手の胸の防具が破壊された事により、この試合、カイセード選手の一本勝ちです! 2ラウンド3分51秒、 勝者、アレハンドロ・カイセード!」


 暫しの沈黙の後、割れんばかりの大歓声。

 その現象は、ラウンド終盤のスローVTRにカイセードの技術と瞬発力が凝縮されていたからである。


「カイセードも伊達にキャリアを重ねていないな! でも、順当に結果を出しちゃうとランキングが上がって、不正が許されちゃう事にならないか?」


 ハドソンが悪党ではないと信じたカイセードの実力は認めつつも、何処か釈然としないバンドー。

 しかしながら、そこはカイセード自身が誰よりも痛感した様子だ。


「こんな勝ち方じゃ、モヤモヤが収まらない……。今の俺に、このランキングは相応しくないんだろうな。ハドソン、俺は組合と警察にこの過程を報告する事にしたよ。俺はイチから出直し、ランキング不正の゙容疑者は全員道連れにしてやるさ」

 

 声援を受けながら観客席に降りてきたカイセードは、勝利の恩人であるハドソンとハグを交わしながら耳打ちし、ハドソンも親指を立ててそれに応える。

 両者の会話は周囲に聞こえる事はなかったが、カイセードの決断によりランキング売買が明確な犯罪と定義され、モレノとコレーアを追い詰める土台が遂に整ったと言えるだろう。



 9月15日・15:30


「それではこれより、第27回アステカ武闘大会剣術トーナメント1回戦第7試合を行います。赤コーナー、ロドリゴ・コレーア!」


 モレノとカイセードで消化不良気味な試合が続き、観客が持っていた今大会におけるランカー剣士への期待はすっかり薄れてしまっていた。

 だがコレーアは、既に八百長の根回し十分とばかりに活発なウォームアップを見せており、その堂々とした態度である種の大物感を演出する事には成功している。

 

「青コーナー、アルバロ・マガジャネス!」


 ランキング入りこそしていないものの、生まれ故郷のウルグアイ、そして出稼ぎ先のスペインではそこそこに名の知れた存在のマガジャネス。

 ターバンとリストバンドで長髪とタトゥーを隠すスタンスからも、ビジネスとプライベートはしっかり分ける職業剣士とみていいだろう。


「コレーアの動きは流石にモレノよりハッタリが効いているが、マガジャネスのフットワークはちゃんとキレがあるな。実力はありそうなのに、八百長に関わろうとしたなら残念な奴だよ……」


 ハインツは伏し目がちにステージを見つめながら、マガジャネスへの失望を隠そうとしない。

 

 武器やドラッグの密輸に関与してきた『ラ・マシア』出身のコレーアに八百長を依頼され、その見返りが革ジャンのポケットに収まるレベルのものであるなら、それは金ではないだろう。

 マフィア組織との戦いを積み重ねているチーム・バンドーには分かっていた。


 マガジャネスがコレーアから得たものは、恐らく数回分のドラッグに過ぎないのだと…。


「ラウンド・ワン、ファイト!」


「yo pide(たのむぜ)!」


 試合開始と同時にコレーアから放たれた言葉。

 それは英語が共通語になっている統一世界で、高齢者や日陰者以外は余り使わないスペイン語。

 

 だが、軍隊であらゆる言語を叩き込まれたシルバの耳には、このひと言がコレーアとマガジャネスとの間に八百長が成立している証拠として記録されていた。


「そおりゃっ……!」


 『ラ・マシア』でも武闘派であった事を匂わせる、コレーアのパワフルな剣捌き。

 

 とは言うものの、やはり未経験者の一夜漬け。

 そのスウィングには腰が入っておらず、スタミナに任せてマガジャネスに連続攻撃を加えているだけである事が、バンドーやクレアにも理解出来た。


「流石はランキング72位だな! 全くスタミナが落ちねえ、マガジャネスが防戦一方だぜ!」


 既に酒も入った一部観客の目には、コレーアはランキング通りの実力派剣士に映っているらしい。

 マガジャネスのフットワークはいささかの疲れも見せていなかったが、格闘家と言っても通用しそうなコレーアの上半身から繰り出される攻撃は、やはりそれなりに効いているのだろうか。



「……そろそろだな!」


 観客席まで届く事はなかったが、何やらコレーアの合図とともにマガジャネスの膝が折れ、その隙を突いたコレーアの一撃は相手の肩の防具にヒットする。

 レフェリーのジェスチャーにより、コレーアに1ポイントが与えられた様子だ。


「ヒューヒュー! テンポがいいじゃねえか! やっぱり剣術トーナメントはこうでなくちゃな!」


 目前の試合に一喜一憂する大歓声でごまかされそうになるものの、チーム・バンドーはコレーアとマガジャネスの表情に神経を集中。

 コレーアは歓声に隠れて何やら笑顔で呟き、それを受けたマガジャネスの口元は屈辱に歪んでいる。


「……このふたりの関係……やっぱり何かあるわね。あと1分くらいの間に、コレーアの決め技があれば八百長確実よ」


 クレアの言う通り、八百長が行われている事はほぼ間違いない。

 仮にコレーアに実力があったとしても、剣術素人の彼が実戦中にここまで落ち着いた笑顔にはなれないからだ。


「だらしなさ過ぎないか!? もっと粘りを見せてもいいんだぜ!」


 コレーアはドラッグ欲しさに八百長を受け入れたマガジャネスをリスペクトするどころか、明らかに見下しにかかっている。

 もっとも、この言葉だけではレフェリーも八百長を見抜く事は難しいだろう。


「……くそっ、大人しくしてりゃあつけ上がりやがってよ……。我慢できねえ、喰らいやがれ!」


 負け犬の演技に耐えきれなくなったのか、マガジャネスは怒りの一変、攻撃に転じる。

 コレーアのガードの上から剣を連打するだけだが、そもそも自力が違うためにコレーアにはかなり効いていた。


 カンカンカンカン……


「第1ラウンド終了です。1分間のインターバルを挟み、第2ラウンドを開催致します」


 本来ならば、第1ラウンドで決着するはずだったのだろう。

 マガジャネスの想定外の抵抗にコレーアは怒りを露にし、両者のヒートアップに観客はエキサイトしている。


(まずいな、コレーアが何かやらかしたのか……!? 払い戻し額が大幅に狂うぞ)


 サブアレーナ最後列から双眼鏡で試合を見守っていた、違法賭博組織の幹部バスケス。

 

 コレーアはバスケスの配下であるベシーノから、最終手段であるドラッグはちらつかせるなという、買収に関する注意を受けているはずだった。

 しかしながらコレーアが自腹を渋り、安易にドラッグの現物でマガジャネスを買収してしまっていた場合、相手の行動はドラッグ込みで予測出来ないものになるだろう。



「……畜生、ぶっ殺してやるからな!」


 マガジャネスがコレーアの顧客だった時代からの、積年の恨み。

 彼はレフェリーの目をはばかる事もなく、胸の防具の裏に隠していたドラッグの小袋を取り出し、一気に服用した。


「なっ……!? 試合中のドーピングは厳罰行為だ! マガジャネス、減点どころじゃ済まないぞ!」


「うるせえっ!」


 まさか試合中に選手が違法ドラッグを服用するとは思わず、単純なドーピング疑惑でマガジャネスに詰め寄るレフェリー。

 だが、ドラッグの作用でテンションが高まっているマガジャネスは忠告に耳を貸さず、その場でレフェリーを全力パンチで叩きのめす。


「おい何だよ!? アイツまともじゃねえぜ!」


 前代未聞の光景にパニック状態となったアレーナに於いて、マガジャネスは第2ラウンド開始のゴングも待たずにコレーアに突進していく。

 事の重大さを直感したバンドー、シルバ、ハドソン、パクの4名は、丸腰にもかかわらず無意識のうちにステージへと駆け出していた。


「死ねっ……!」


「や、やめ……ぎゃああぁっ!」


 ドラッグの効力か、第1ラウンドとは別人の様な跳躍力を見せるマガジャネス。

 そのままコレーアに飛びかかり、頭上から振り降ろされた剣は相手の顔面こそはずれたものの、左肩を防具ごと激しく斬りつけている。


「マズい! 奴は本気でコレーアを殺るつもりだ!」


 一般客として大会に潜入したため、ハインツ、クレア、そしてリンもバンドーやハドソン達と同様、剣や防具を着用していなかった。

 

 とは言え、この状況を黙って見ている訳にはいかない。

 捕物帖は格闘が本業のシルバやパクに任せるとして、彼らのフォローのために慌ててステージに集合する。


「畜生、裏切りやがったな……てめえこそ死ね!」


 左肩からの出血を押さえながら、コレーアは左手に持ち替えた剣でマガジャネスの右太ももを突き刺した。


「へっ、痛くも痒くもねえぜ! とどめに心臓をひと突きだな!」


 マガジャネスが服用したのは、恐らくコカインの様なアッパー系のドラッグ。

 

 これらが効いている間はテンションが高まるだけでなく、外傷による痛みを感じなくなる。

 自身の右太ももから鮮血が流れ出ているにもかかわらず、コレーア惨殺へのモチベーションをみなぎらせたその笑顔は、アレーナ全体を凍りつかせた。


「コラお前らぁ! 喧嘩はムショの中でやんな!」


 コレーア絶対絶命のピンチに、どうにか間に合ったハドソンとパク。

 ふたりはマガジャネスの剣を蹴落とし、左右の肩を抱えて動きを止めようと試みる。


「おおっと、動くなよ。多分元凶はお前の方なんだろ!?」


 バンドーとシルバは肩を痛めたコレーアを難なく押さえつけたものの、ドラッグの効力で火事場の馬鹿力を手にしたマガジャネスはハドソンを振り払い、パクの顔面に左フックを喰らわせた。


「……がはっ……!?」


「パク!?」


 つい最近インプラントを施したばかりの前歯は辛くも外れたが、下顎にダメージを受けたパクはそのままフロアに撃沈。

 だが、ハドソンやバンドーは殴られたパクの心配よりも、怒りでブチギレした彼にボコられるマガジャネスの心配をせざるを得ない。


「……てめえ……くそがああぁっ!!」


 朝鮮系格闘家のパクは、普段はユーモアのある常識人である。

 しかしながら、相手から先にダメージを喰らうと凶暴な野獣ファイターに豹変し、自らが勝利するまでその怒りは収まらないのだ。(本編第80話等参照)


「ぐおおぉっ……!」


 元テコンドーチャンピオン、パクの全力前蹴りをまともに喰らったマガジャネスは、みぞおちを押えたまま倒れ込む。

 

 ハドソンは手慣れた手つきで相棒を制止し、リンは高濃度酸素による回復魔法を用いながら、クレアと応急処置で連携。

 ハインツはステージに散らばる剣を回収した後、バンドー達と協力してコレーアとマガジャネスの拘束に成功した。



「……両者とも命に別状はないでしょうが、少し出血が気になります。救急車を呼んで下さい。こんなアクシデントは前代未聞ですし、今日の剣術トーナメントは中断しては如何でしょう?」


 現状を冷静に判断した上で、シルバはレフェリーを通じて運営の決断を促す。

 

 だが、メキシコの風土か、それとも镸い歴史と伝統が邪魔をしているのか。

 大会運営側にシルバの助言を受け入れる雰囲気はなく、複数の運営スタッフがハインツの周りに集まってきた。


「皆様のお陰で、コレーア選手もマガジャネス選手も軽傷で済みました。ありがとうございます! 本来ならばここでトーナメントを中断すべきなのでしょうが、我々は観客と選手に不利益を与えぬよう、アステカの名にかけて今日の残り1試合を続行します。そして……ハインツさん、よろしければ両者のリザーバーとして、明日からの準々決勝に参戦していただけませんか?」


「何だって!? 俺に出ろって言うのかよ!?」


 余りに突然のオファーに、混乱を隠せないハインツ。

 

 剣術ランキング第1位の彼がサプライズ参戦すれば、確かに大会は盛り上がるだろう。

 また、圧倒的実力者が途中参戦する事により、前々から準備されているとおぼしき違法賭博も中止に追い込めるに違いない。


 しかしながら、この大会で優勝したとして、ハインツ個人には賞金以外の見返りはなく、経験値という点でもそれ程の収穫はない。

 1日の猶予があるならば、この大会に相応しい剣士はむしろ他にいた。


 7月の決戦で魔力を失い、年末のモスクワ武闘大会に備えて剣術を磨く必要に迫られている男、バンドーである。


「……全く、あんたらの執念はどうかしてるぜ。だが、俺達の中でこの大会への参戦がプラスになるのは俺じゃなく、バンドーだな。おいバンドー、モレノやコレーアは俺達に任せて、明日からトーナメントに参戦しねえか?」


「えっ? 俺がいきなり明日から!?」


 現在ランキング第45位のバンドーは、アステカ剣術トーナメントのレベルを考慮すれば十分優勝候補と言っていい。

 だが、僅かひと晩のコンディション調整で最大3試合というスケジュールはスタミナ的に厳しく、もし敗退した場合はランキングを下げてしまう。


 当然、彼が申し出を断っても責められる事はないはずだ。


「……う〜ん、よし、やってみるよ! もしランキングが少し落ちたとしても、後から取り戻せばいいからな!」


 バンドーの決意表明をレフェリーのピンマイクが偶然拾い、アレーナは大歓声に包まれる。

 どうやらラテンの観客には、スマートなルックスのハインツやクレアより親近感のあるバンドーの方が人気者らしい。


「そう来なくっちゃ! 武闘大会個人タイトルなんて、そうそう取るチャンスはねえぜ!」

 

 バンドーはハインツに背中を叩かれ、組合からの任務も無事に遂行出来そうな安心感から全身に活力がみなぎる。

 やがて救急車が到着し、警察と組合のエルナンデスに連絡を入れたチーム・バンドーは一緒に病院へ、ハドソンとパクはカイセードを連れてモレノの待つ警察署へと向かった。



「……ゴメスさん、申し訳ありません。コレーアがやらかしまして、マガジャネスとの試合は無効になってしまいました。流石に無効試合となると、客に返金しないと事が収まりません。モレノからの連絡もまだありませんし、今回の仕事は失敗と言わざるを得ません……」


 アルゼンチンにいる違法賭博組織の代表、レアンドロ・ゴメスに現状を報告するバスケス。

 コレーアの慢心によるミスとはいえ、トップに失敗を報告する時の表情は流石に険しく、海千山千のバスケスであってもその額には冷や汗が滲んでいる。


「バスケス、そうしょげるな。今回は実力の伴わない捨て駒みたいな剣士達だ。モレノから連絡がないという事は、奴に下手な送金をすれば俺達にアシがつく恐れがある。バスケス、モレノの取り分はお前にくれてやる。お前はその金で、ほとぼりが冷めるまでメキシコを出て静かにしていろ。次のチャンスで俺に借りを返せばいい。分かったな」


 ゴメスからの恩赦を受け、バスケスは携帯電話を片手にエアお辞儀を繰り返す。

 彼をここまで恐縮させるオーラを放つゴメスを逮捕出来るのは、一体いつになるのだろうか……。



 9月15日・16:30


 第27回アステカ武闘大会も、格闘トーナメント、剣術トーナメントともにベスト8が出揃う。

 

 格闘トーナメントでは優勝候補のJED(ジェッド)トーレスや、地元メキシコ期待の星パウロ・ロサーノ、チーム・ギネシュのメンバーで、シルバやロビーとも交友を深めているトルガイ・ケリモルが勝ち残り決定。

 そして剣術トーナメントにもコールとカイセード、リザーバー参戦決定のバンドーが名を連ねていた。




「……だから、俺は無罪だよ! そもそも俺がスペインに出稼ぎに来た時に、こいつが疲労回復の薬と嘘をついて俺にコカインを売りやがったんだ!」


 怪我の影響も見せず、マガジャネスとコレーアは病室でも互いを罵り合っている。

 

 確かにコレーアは狡猾な悪事を働きそうな男だが、賞金稼ぎの剣士をやっているマガジャネスが、小袋に入った白い粉……すなわち違法ドラッグを知らなかったというのは、流石に辻褄(つじつま)が合わない。

 この両者は、同じレベルのずる賢い人間と考えていいだろう。


「……ランキング売買にドラッグの密売、加えて昔の仲間を売るなんて……。コレーア、一度ムショに入ったらお前の周りは敵だらけになるぞ。有罪が確定すれば、5年は出られないな……」


 メキシコシティ警察のカンポス巡査長は、そこそこ気合の入った悪党の逮捕に、何故か残念そうな素振りを見せている。

 賄賂を受け取って気心を加えられるレベルの軽犯罪ではないだけに、低賃金の重労働が増えてうんざりしているに違いない。


「ムショなんて怖くねえ。俺は生まれた時から親に虐待されてたんだ。ヤクを売ってようやく自分の人生が始まったのさ。ランキングだって、カミンスキーにヤクを売って手に入れたんだからな。今更地獄みてえな地元に収監されるくらいなら、メキシコで暴れてここのムショでゆっくりするさ!」


 全く迷いのないコレーアの言葉と眼差しは、既に釈放後の身の振り方まで考えているのだろう。

 数多の犯罪者の弁解を聞いてきたチーム・バンドーだったが、彼らの殆どは逃げられない不幸を背負っていたのだ。


「コレーア、バスケスやゴメスの事を話せよ。あんたもモレノも、違法賭博と八百長に関わっていたのはもう明白だ。組織を壊滅させる事が出来れば、少しは恩赦があるかも知れないぜ?」


 チーム・バンドーにとっても、このままトカゲの尻尾切りというシナリオは見たくない。

 バンドーはコレーアに詰め寄り、司法取引の可能性を見出したカンポス巡査長は、不謹慎にも口元に笑みを浮かべている。


「……さあな、そんなもんは知らねえ。俺だってまだ、命は惜しいからな」


 バスケスやゴメスが直接手を下さなくとも、メキシコにはベシーノをはじめとする配下が無数に存在している。

 今のコレーアから、これ以上の情報を引き出す事は難しかった。

 


 9月15日・18:00


「……結局、ここからは警察任せか。何だかスッキリしない解決だな」


 すっかり陽も暮れ、ハドソン達と合流したチーム・バンドーは夕食でメキシコ名物探しの真っ最中。

 メキシコシティの空気にも馴染み、武闘大会を通して注目を集めた彼等は、徐々に周囲からフレンドリーな対応をされる様になっている。


「まあそう言うな、モレノとコレーアの罪状は固まったし、カイセードは明日も武闘大会に出られる。あいつが優勝出来た場合に限り、今のランキング適用も許される事になったから、決して悪い結果じゃねえ」


 まるでカイセードが優勝する事を望んでいる様な雰囲気のハドソン。

 順調に行けばカイセードと準決勝で戦う事になるバンドーは、すかさずハドソンに釘を刺した。


「自信をつけたカイセードは確かに強敵だけど、そう簡単にランキング77位を許す訳には行かないぜ。勝つのは俺だからな!」


 バンドーは既にトーナメントモードにメンタルを切り替え、自身の思惑通りに事が進んでいるハインツもご満悦である。


「報酬アップを条件に、組合からはモレノが犯行に及んだ背景と、カイセードの兄貴分であるフレイの追跡調査も依頼された。シルバとリンはバンドーの応援、ハドソンとパクはコールとカイセードの応援をよろしく頼む。調査は俺とクレアで行ってくるから、剣術トーナメントのタイトルを知らない奴に渡すんじゃねえぞ!」


「おう、任せとけ!」


 気合も新たに、明日に備える一行。

 シルバはバンドーの試合が準々決勝第4試合である事を確認すると、隣のリンと何やら話し合いを始めていた。


 「チーム・ギネシュのトルガイさんと、元チーム・エスピノーザのトーレスさんが明日の第2試合で対戦します。バンドーさんの試合には間に合わせますから、ここだけ格闘トーナメントを観に行かせて下さい」


 珍しい事に、リンも格闘トーナメントの試合を観たがっているらしい。

 トルガイはシルバやリンの兄ロビーと縁があり、対するトーレスも、チーム・バンドーとは敵対しながらも不思議な縁のある、何処か無視出来ない男なのである。


「トーレスか……俺も観ておきたい試合だが、生憎コールの試合と重なっちまうからな。この美しいインプラントを奴に見せつけてやりたいよ」


 かつてトーレスに前歯を折られたパクは、マガジャネスの左フックにもびくともしない自慢のインプラントをシルバ達にも見せびらかそうとしたが、ハドソンにヘッドロックをかけられてあえなく断念した。

 



 その頃、組合職員のエルナンデスのもとに一本の電話連絡が入っている。

 

 電話の主はドイツのデュッセルドルフ市役所で、職探しの情報を訪ねに来た元剣士のファビアン・フレイが、2週間前を最後に連絡が取れなくなっていた。

 そして今日の朝方、ライン川から彼の携帯電話が発見されたという情報である。


 まだ100%裏が取たとは言えない情報だったため、組合の判断によりアステカ武闘大会終了まで、カイセードにこの情報は伏せられていた。



  (続く)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ