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メキシコ『アステカ武闘大会』潜入! ランキング売買の闇を追え!②


 メキシコシティで開催される、『アステカ武闘大会』。

 ハイレベルな格闘技が世界中の注目を集めるこの大会の裏で、ランキングを不正に売買した疑いのかかる剣士の出場と、それに伴う賭博や八百長が懸念されている。


 チーム・バンドーは賞金稼ぎ組合からの要請を受け、不正疑惑剣士達の視察のためにメキシコに飛んでいた。



 9月14日・9:00


「元気かジェシー、仕事ついでとはいえ、皆揃って応援に来てくれるとは嬉しいよ!」


 メキシコ到着から一夜明け、組合宿泊所を訪問したのはジェシーの兄ロビー。

 

 彼は5月にモデルから格闘家へ劇的な転身をしたばかりで、プロ戦績は1勝1敗。

 だが、プロ初勝利を挙げたのは7月で、当時のバンドー達は統一世界の運命を懸けた戦いの真っ最中だったのだ。


「兄さん、私も皆も元気です。初勝利のお祝いが出来なくてごめんなさい……」


 プロデビュー戦でチーム・ギネシュのトルガイに完敗し、ロビーがモデル時代に見せていた粗暴さは殆ど見られなくなった。(本編第30話参照)

 リンは祝いの言葉が遅れた事を謝罪したが、ロビーは気にする素振りもなく首を横に振っている。


「皆、気にしないでくれ。20歳の新人相手に、ようやく判定で得た勝利だ。初勝利は嬉しかったが、打撃型の俺としちゃあ失格さ」


 ロビーは初勝利の後で自身の課題を再確認し、所属するフランスのジェルマンジムにメキシコでの短期修業を直訴。

 メキシコのジムでそのポテンシャルを評価され、伝説的格闘家、カルロス・サルシードの現役復帰戦の相手に指名されたのだ。


「コイツはまだまだ荒削りだが、ディフェンスとスタミナを磨けば伸びる。寝技師のサルシードに組まれさえしなければ、瞬殺K.O.も夢じゃねえ」


 ロビーの隣にいる、小柄で褐色の男性。

 現地のトレーナー兼ガイド役とおぼしき彼は、モデル上がりの甘いルックスに似合わないロビーのラッシュスタイルに、相当惚れ込んでいるらしい。


「ロビーにはメキシコが合っていそうね。昨日ここに着いた時は早くヨーロッパに帰りたいと思ったけど、タコスの美味しさに負けたわ」


 売店からロビーの背中を追いかけてきたクレアは、すっかり本場のタコスに魅せられている。

 だが、彼女が昼食用に買い込んでいたタコスの香りは、今のロビーには刺激が強過ぎた。


「……おいおい、そんなもん見せないでくれよ! 昼の計量まで何も食えないんだぜ!」


 モデル経験が長く太りにくい体質だったロビーは、185㎝の身長に対して体重は77㎏の壁をなかなか超えられない。

 その反面、彼の該当するウェルター級(77.1kgリミット)ではモデルらしい長いリーチが武器となり、本人の性格も汲み取ってパワー重視の打撃スタイルが採用されている。


 しかしながら、エキシビションマッチは武闘大会トーナメントの様な無差別級ではない。

 サルシードの実績をリスペクトする形で、ロビーは短い準備期間の中、相手の階級であるスーパーライト級(74.8kgリミット)への減量を余儀なくされたのだ。


「……余りデカい声じゃ言えねえが、サルシードは長年の女遊びが祟って離婚の慰謝料を払うために現役復帰しただけなんだ。寝技は出せても試合勘が戻っていないのさ」


 サルシードにDV(ドメスティック・バイオレンス)の噂はないらしく、バンドーとシルバはひとまず胸を撫で下ろす。


 一方、トレーナーはロビーの勝利という下剋上を大いに期待していた。

 それはまた、彼自身が「サルシードを倒した若手を育てたトレーナー」という名声も求めているとみて間違いないだろう。


「メキシコの格闘技人気は半端じゃない。俺が勝とうが負けようが取材だらけなんだ。今日のうちに挨拶がしたくて、計量前に立ち寄る事にしたんだよ。明日は応援頼むぜ!」


「おう、任せとけ!」


 バンドーはチームを代表して、ロビーと固い握手を交わす。

 

 ロビーの手は、もう立派な格闘家のもの。

 モデル時代の様な艷やかな肌ではなくなったが、「戦う農業青年」バンドーにとって、この手は仲間の証だった。



 9月14日・14:00

 

 チーム・バンドーは昼食を終え、簡単な観光を兼ねておそるおそる街へと繰り出す。


 組合職員エルナンデスから「昼間のメキシコシティは意外と安全」、「世話になった人には少額でもチップを渡せ」という情報を得た彼等。

 最初に向かったのは、やはり大会会場である『メヒコアレーナ』だ。



「げげっ!? 何だよこの人混み。今日は計量と組み合わせ抽選だけなんじゃないの?」


 一同の度肝を抜いたのは、選手の出入り段階からアレーナに群がっているファンと報道陣。

 館内では恐らく、辛口の批評家筋がしたり顔で選手の仕上がりを議論しているに違いない。


「……ルチャ・リブレの聖地として、歴史と伝統のオーラを感じますね。でも、静かに観光するには流石に時期が悪過ぎですよ……」


 格闘家のはしくれとして、念願のメヒコアレーナ初対面となったシルバも、この騒然とした空気の前にはロマンが霞んでしまう。



 メヒコアレーナは収容人数15000以上を誇る巨大屋内競技場だが、『アステカ武闘大会』の格闘トーナメントはこのキャパを満員にする程の人気イベント。

 反面、剣術トーナメントと魔術トーナメントのスケールは小さく、災害後に隣接された収容人数2000のサブアレーナ開催となっている。

 

「モスクワやゾーリンゲンとは違って、アステカは個人戦だけなのね。ロビーとサルシードの試合はオープニングマッチだから、この試合だけ観てからサブアレーナに行っても、剣術トーナメント視察には十分間に合うわ」


 クレアが眺める公式プログラムには、32名参加の格闘トーナメントと16名参加の剣術トーナメント、同じく16名参加の魔術トーナメントの同日開催が記されている。

 1日目終了時点でベスト8まで絞り込むスケジュールは同じだが、格闘トーナメントの開始時間より1時間遅れて剣術トーナメントが始まり、魔術トーナメントは夕方開催だ。




「……だから、チップはさっきやっただろうが! あんまり調子に乗るんじゃねえぞ、ブッ飛ばされてえのか!?」


 アレーナ正門辺りから、何やら男の怒声が聞こえてくる。

 

 メヒコアレーナを訪れる様な観光客には、チンピラばりの格闘家くずれもそれなりにいるだろう。

 一同は無視して別の観光地を目指そうとしたが、耳を澄ますとこの声には聞き覚えがある。


「……この声、このデリカシーのなさ、ま、まさか……?」


 慌てて正門前に駆けつけた一同が見たものは、190㎝級の屈強な体格に派手なサングラス、そして冬以外の普段着はほぼタンクトップという、分かりやす過ぎるワイルド黒人剣士、ジェイムズ・ハドソン。

 チーム・HP(ハドソン・パク)の双頭リーダーとして、チーム・バンドーとも共同戦線を張る間柄だ。


「ハドソン久しぶり! 何があったのか知らないけど、お前が凄んだらガイドをいじめてる様にしか見えないぞ。チップくらい追加してあげなよ」


 ハドソンと現地ガイドの仲裁に入ったバンドー。

 相方の大人気(おとなげ)なさに苦笑いを浮かべていたもうひとりのリーダー、ソンジュン・パクは、チーム・バンドーの介入を心から喜んでいる。


「このガイド、道案内は500CPでいいって言っていたんだが、後から微妙に発音を変えて5000CPにしてきたのさ。まあ、ラテンじゃ良くある話だぜ」


 かつてのヨーロッパテコンドーチャンピオンとして、メキシコでもそれなりの知名度を持つパク。

 事態の収集が望める展開に安堵した彼は、滅多に出さない白い歯を見せて笑った。


「……おいパク、お前こんな綺麗な前歯あったのか?」


 ゾーリンゲン武闘大会で、パクはチーム・エスピノーザのトーレスに前歯を折られている。

 ハインツはパクの変化にいち早く気づき、パクもその問いに快く答える。


「ああ、少し金と時間がかかったが、高級インプラントをやらせてもらったよ。俺だって統一世界の危機を救った一員だ。万年タンクトップの誰かさんとは違って、見た目には気を使いたいのさ」


 「……けっ、自分の歯を折ったトーレスがアステカに出るってのに、お前は出ねえのか? 借りを返すどころか敵前逃亡だろ。コールの引退に華を添えようと思わないのかよ?」


 ハドソンとパクのどつき漫才の陰で、バンドーはガイドに追加のチップを支払っている。

 これから剣術トーナメントをひっそりと視察する身としては、周囲に悪いイメージを持たれる事は極力避けたかったのだ。


「……コールさんが引退する? 最新のランキングでは99位に復帰しているのに、このタイミングでは勿体ないですね」


 チーム・HPのドワイト・コールは、間もなく41歳になるベテラン剣士。

 引退の話が出ていても不思議ではない年齢だが、ゾーリンゲン武闘大会後はカリブ地域の悪党退治に貢献しており、任務の都合上70位以下に注目するシルバの目にはすぐとまっている。


「ウチのチームはただでさえコネリーが堅気に転職、グァンリョンが怪我のリハビリ中だ。もう俺達のコンセプトは古くなっちまって、メンバー補充もままならないのさ。そろそろ潮時かもな……」


 頭を掻きながら、チーム解散の可能性もちらつかせるパク。

 ハドソンは両腕を組みながら、相方の言葉に無言でうなずいていた。



 チーム・HPはアメリカ系のハドソンと朝鮮系のパクを中心に、2045年の大災害で故郷を失ったアメリカ、カナダ、南北朝鮮、そしてトリニダード・トバゴにルーツを持つメンバーで結成。

 かつては日系人のバンドーも候補に挙がっており、失われた国家の記憶と誇りを風化させないという信念を貫いている。(本編第18話参照)


 しかしながら、民族の移住から時は流れ、純粋な日系や朝鮮系など、チームのコンセプトに賛同する人間の数は減少中。

 また、ハドソンとパクを満足させるメンバーをチームの縛りで見つける事も難しく、彼等は方針転換を迫られていたのだ。

 


「トリニダード・トバゴは半分水没しちまったが、観測隊だけは残って調査を続けている。だが、その環境をいい事に、セコい悪党が船を浮かべて隠れてやがるのさ。コールは観測隊員兼、非常時の用心棒としてスカウトされたんだ。奴にとって誇れる仕事だろうよ。俺達に引き留める権利はねえ」


 元来、日系人メンバーを加えるまでのスポット参加だったコール。

 彼が観測隊の仕事を望んだという現実が、結果としてチーム・HPの信念を受け継いだ事となり、ハドソンとパクの思想的な役割は終わりを告げたのかも知れない。



「……って事は、あんた達も剣術トーナメント観るのね? 良かったらあたし達の仕事手伝わない? ギャラは7等分でいいから」


 クレアからの突然の提案に、バンドー達は目を丸くする。

 

 しかしよく考えると、対戦相手によってはコールにも賭博や八百長の誘いが持ち込まれる可能性はある。

 一刻も早く、不正の確定した剣士をまずひとり捕まえる事が、この任務の最優先事項なのだ。


「……確かに、見張りはひとりでも多い方がいいな。ハドソン、パク、よろしく頼むよ。武闘大会関係者がいなさそうな店で、コーヒーでも飲みながら話をしよう」


 バンドーはクレアの提案に乗り、一同を引き連れてメヒコアレーナを後にする。

 彼は通り道で『ヴィーガンカフェ』という店が開いていた事を記憶しており、動物性の食べ物を出さない所なら剣士や賭博元締めは立ち寄らない……そう踏んだのである。



「いらっしゃいま……ひいっ!?」


 『ヴィーガンカフェ』のウェイトレスは、見るからに肉肉しげなハドソンのタンクトップ姿に思わず悲鳴を上げていた。


「……あ、心配しないで下さい。コイツこんな見た目ですが、少食のヴィーガンなんです」


 ハドソンと一緒であるが故の修羅場経験値が半端ないパクは、咄嗟に口からでまかせをブチかまして不穏な空気を払拭。

 やがて彼等が有名な賞金稼ぎだと知れ渡り、入荷したばかりの高級豆がサービス価格で振る舞われる。


「美味しい! シナモンと砂糖入りなのに、この爽やかな酸味は初体験です!」


 パリジェンヌのリンも魅了する、メキシコ伝統の技法で淹れられたコーヒー。

 苦味の強いコーヒーを薄めてガブ飲み……そんな旧アメリカンスタイルに馴染んでいるハドソン以外は、このコーヒーに満足している様だ。


「……予想通り、女性客が多くて話がしやすいな。ハドソン、パク、ちょっとこれを見てくれ」


 武闘大会関係者らしき人間がいない事を確認し、バンドーは組合から渡された資料をテーブルに置く。




 アステカ武闘大会に参加する剣士の中で、ランキング売買が疑われている者は3名。

 チーム・バンドーは被疑者の名前が入った顔写真を渡されているが、組み合わせ抽選は計量後の夕方に行われるため、出来る事なら早朝には選手の控室を把握したい。


 

 ①ロドリゴ・コレーア……アルゼンチン出身、ランキングは72位。

 引退した75位の剣士からランキングを買い取った疑いがあり、更に『ラ・マシア』時代の仲間を警察に売る形でランキングを3つ上乗せして、調査の妨害にも余念がない。


 たが、かつての仲間からの復讐を恐れてラテンから高飛びを検討しているらしく、最近になって東南アジアの麻薬カルテルとの通信記録が残されていた。

 この立場の剣士がわざわざ武闘大会に参加するという事は、更なる資金調達のために違法賭博に手を染めている可能性が高いだろう。


 ②アレハンドロ・カイセード……コロンビア出身、ランキングは77位。

 引退した77位の剣士からランキングを買い取った疑いがあるが、当該剣士は消息不明である。


 そもそも彼は3ヶ月前までスイスで活動する剣士であり、高額報酬に惹かれて転職した『インテル・カルガ』では、実務をこなす前に母体の『ラ・マシア』が崩壊していた。

 全盛期にはランキング83位入りの実績があり、賭博や八百長に手を染めなくてもそれなりの結果を残せる可能性があるため、ランキングを売った側の剣士が見つからなければ容疑の立件は難しい。


 ③ラウール・モレノ……地元メキシコ出身、ランキングは80位。

 引退した80位の剣士からランキングを買い取った疑いがあるが、彼は運動能力が低く、加えて出生地がモンテレイ以北の居住禁止区域だったため、環境による喘息(ぜんそく)持ちという情報まである。

 

 『ラ・マシア』の敏腕会計士として稼いだ金をかき集め、取りあえず身の隠し場所に賞金稼ぎを選んだ彼。

 しかしながら剣士としての実績は皆無なだけに、初戦から八百長や違法賭博を行う可能性が極めて高い。




「……組合を通して司法取引出来るなら、まずカイセードを口説き落として、ランキング売買を明確な犯罪に定義するのが一番簡単そうだな」


 ハドソンの見立ては妥当だ。

 しかしながら、カイセードが『ラ・マシア』の正体を知らず、高報酬でラテン系の同胞の多い『インテル・カルガ』に転職するつもりだった場合、彼を責める訳にもいかないだろう。


「『ラ・マシア』の悪事に絡んでもいないのにマークされちまったこいつは、むしろ自分を被害者だと思っているんじゃないか? この武闘大会でそれなりに勝ち進めば、77位のランキングを不自然だと思う奴はいねえだろ。こいつにはランキング売買以外の余罪はなさそうだしな」


 ハインツはカイセードの犯行を、ブランクを認めたくない剣士としてのプライドから来る行動だと推測。

 これ以上の罪を重ねる可能性は低く、彼の視察の優先順位は低いと考えている。


「……よし、俺がカイセードと話をつけてやる。ジェイムズ・ハドソン様はランキング第24位だし、カイセードと同じ黒人剣士だからな。俺を門前払いする事はないだろう。バンドー、組合に俺達の協力を正式に伝えろ。もう少し詳しい情報が欲しい」


「俺はコールのセコンドとして控室に張り付く。賭博や八百長の誘いや、怪しい奴を見たらお前達に連絡するよ」


 外連味(けれんみ)たっぷりのハドソンはカイセードに接触し、パクはコールがトラブルに巻き込まれる事を防ぐため、彼に密着する事を決意。

 チーム・バンドーは、3人の被疑者の中で最も狡猾(こうかつ)な手口を見せているコレーアと、最も八百長に手を出しやすいと思われるモレノの視察に全力を注ぐ事になった。


 

 9月14日・17:00


「……そうか、初戦の相手はコールか。分かりやすくてむしろ好都合だよ、ご苦労だったな」


 メヒコアレーナ近隣のホテルに3日前から滞在していた、ラファエル・バスケス。

 違法賭博の元締め代理であり、業界のドン、レアンドロ・ゴメスの指示によってアステカ武闘大会の賭博を取り仕切っている彼は、今日もトレードマークの作業服姿に野球帽という出で立ちである。


「バスケスさん、コールって奴はかなり強そうです。本当に俺が稼げるチャンスがあるんですか……?」


 おどおどした態度でバスケスに問いかける男、ラウール・モレノは、『インテル・カルガ』の専属会計士として巧みに法を潜り抜け、その腕前を買われて『ラ・マシア』本体に栄転した幹部候補生。

 

 実質的なスポンサーだったフェリックス社の混乱を受け、警察からのガサ入れ直前に組織から脱出した彼だったが、自らの手を汚した経験は殆どない。

 武闘大会参加が不自然な程の貧相な体格ではないものの、持病の喘息により激しい運動は制限され、一見しただけでもランキング80位の剣士という肩書きが疑わしい雰囲気だった。


「……ラウール・モレノはメキシコ生まれだが、仕事の都合で長くスペインにいた。剣士になってアステカ武闘大会に参加するのが夢だったから、今回は体調不良を押して参加する……。俺がマスコミに届けた紹介文は以上だ」


 まさに海千山千、スポーツ賭博を知り尽くしたバスケスは、自身の流儀に他者を巻き込んで動揺を見せる様な小心者ではない。

 「体調不良」という禁句を、敢えて本人に言わせる演出を用いて対戦相手の怒りを買い、元来偽物の剣士であるモレノを完膚(かんぷ)なき敗退へと導くのである。


「凄い数のベットが集まってきたぜ。モレノ、お前は数字上ではコールよりランキングが上だが、お前の勝利に賭けている奴は今の所たった8%だよ。俺の客は本当に良く分かっているのさ」


 違法賭博の本部であるアルゼンチンから、不敵な笑みを浮かべるバスケスの携帯電話に殺到する転送メール。

 

 その数は、 さほど注目もされていないトーナメント1回戦の試合としては異常。

 実はこの試合は、地味なカードから大金を引き出すために違法賭博ならではの特別ルールが採用される、「ブロックバスター・マッチ」に指定されたのだ。


「……モレノ、残念だがお前がどんなイカサマを用いた所でコールには勝てない。武闘大会だから、目潰しや急所蹴りは反則負けになるしな。お前の仕事は自分の取り分を極限まで高める、最高の負けっぷりを演じて見せる事なんだよ」

 

 バスケスは門外不出の「ブロックバスター・マッチ」ルールの詳細を紙に書き出し、おおよそ考えられる限りの敗退パターンをモレノに突きつける。


「よく聞けよモレノ。お前が仮に死にもの狂いでコールに勝利したとして、ラッキーパンチレベルの出血沙汰か、ポイントを得た後にガードに徹する判定勝ちしか選択肢はないだろう。だが、そこは既に現時点で4%ずつベットが入っている」


 仮にベット率4%のままで本番を迎えた場合、的中時の配当額はかなりのものになるだろう。

 

 だが、これは違法賭博。

 バスケスら元締め側や、結果を選べるモレノ側は更なる利益を求める権利を所有しているのだ。


「……お前の敗退にベットした人間の大多数は、1ラウンドでの防具破損による完敗を支持している。まあ、まともにやり合えばこうなるよな」


 モレノにとって最も楽な展開である1ラウンドでの順当負けでは、余程の大金をベットしない限り配当金はお寒い限り。

 また、この結果では元締め側のバスケスも納得してはくれないだろう。


「次にベット率が高いのは、お前の試合放棄による敗退だ。奴等はお前が怖気(おじけ)づき、少しの接触でギブアップすると踏んでいるのさ。この結果が実現すればそれなりの配当が得られ、五体満足のまま無様に破れたお前を罵倒する事も出来るから、奴等にとっては楽しい時間になるだろう」


 この瞬間ばかりは、弱気なモレノの口元も引き締まる。

 事務方とはいえ長く犯罪に関与したプライドが、無抵抗な敗退や貧民からの批判を受け入れる訳にはいかなかったのだ。


「……他のベットには、1ラウンドを逃げ回って疲れ果てたお前が、2ラウンドで力尽きて敗北するという予想がそこそこの支持を集めているな。つまり、お前は常にランキングに不相応な、大した事のない剣士だと評価されている」


 バスケスは明らかに、モレノを焚きつけようとしていた。

 

 突然ランキング80位に現れた素性の知れない剣士……この現実の受け止め方はふたつにひとつ。

 ひとつは新進気鋭の実力派、もうひとつはただのイカサマ野郎。


 違法賭博に手を染める様な貧民達がどちらを想像するかは、火を見るより明らかである。


「モレノ、男を見せろ。全力で戦ったお前が1ラウンドで負傷し、ドクターストップで試合中止になるというシナリオには、まだひとつのベットも来ていないんだ。お前自身がここにベットすれば一攫千金、高飛び先でもまずまずの暮らしが送れるはずさ」


 ドクターストップのかかる負傷とはすなわち、すぐには止血出来ない額の裂傷や、立つ事の出来ない足の骨折などだろう。

 

 しかしながら、これらの負傷を意図的に、しかも安全に発生させるマッチコントロールは至難の業。

 モレノ自身の意識と集中力は勿論だが、対戦相手であるコールの技術と、そのフェアプレー精神にも流れを委ねなければならない。


「…………ゲホゲホッ!」

 

 暫しの沈黙が更なるプレッシャーを誘発し、モレノの持病である喘息が顔を覗かせる。

 

 だが、彼の心は決まっていた。

 違法賭博で少しでも金を稼ぎ、汚染された土地で生まれ育った貧困の記憶を消し去るため、空気の綺麗な地域に移住すると……。


 彼はこの武闘大会が終わればすぐに、ケイマン諸島へ高飛び。

 航空チケットは昨日押さえたばかりだったのだ。


「……俺を頼ってきたのはお前だからな。俺は稼ぐためのテクニックを全て教えた。幸せに高飛び出来るかどうかはお前次第だよ、モレノ」


 バスケスにとっては、賭博剣士として長く稼げる見込みもない虚弱なモレノの安否など、どうでもいい話。

 未だグレーな金融イメージが残るケイマン諸島では、モレノの『ラ・マシア』での経験が求められる可能性もあるだろう。


「……東南アジア分の計算もある。17日の朝まではメキシコに隠れていろよ」


 バスケスは含み笑いを見せながら席を立ち、今一度コールの戦いぶりを研究する。

 彼にはまだ、打つべき手が残されている様だった。




 9月15日・10:00

 

『アステカ武闘大会』初日。

 例年ならば、この時間帯は格闘トーナメント開幕に備えた座席やビールの確保で騒がしい。


 だが、今年はオープニングのエキシビションマッチを前にして、アレーナは熱気に満ちていながらもどこか整然とした雰囲気を漂わせていた。


「……普段の街の様子からだと、アレーナはもっとマナーが悪いと思っていたわ。どうやらメキシコの格闘技ファンにとって、サルシードってのは本当にリスペクトに値する格闘家だったのね」


 メキシコのオレンジジュースにも魅せられていたクレアは、試合前に紙コップの中身を一気飲み。

 そのまま拳で握り潰し、心身ともに準備は万端である。



 カルロス・サルシードはその卓越した寝技と、相手をおちょくる様なコミカルなパフォーマンスで一時代を築いた、メキシコのカリスマ。

 リングを降りれば誰にでもフランクなナイスガイで、唯一にして最大の欠点が女癖の悪さという、まさに男達の憧れの存在だった。



「……兄さんはだいぶ人間的に丸くなりましたけど、夢中になると冗談が通じなくなりますからね。挑発に乗らないで欲しいんですが……」

 

 寝技のダメージは打撃より軽いため、リンにとってこの試合は、仮にロビーが敗れたとしても不安は少ないものになるだろう。

 

 とは言うものの、ビッグチャンスに慌てて飛びついたロビーの寝技対策は、まだまだ未熟。

 兄のキャリアの成功を願う妹としては、サルシードが寝技を出す前に立ち技でダウンを奪い、そのポイントでロビーが逃げ切るシナリオを望みたい。


「最近、何処に行っても注目されちゃっていたから、こうして普通の客として扱ってもらえると、逆に嬉しいよね」


 一般客と同じ座席の、更に中央より後方に陣取るバンドーが漏らす率直な思い。

 

 チーム・バンドーは運営スタッフの目にとまり、その知名度と業界貢献度からリング前のVIPシートを提供されていた。

 しかしながら、組合から要請された視察という任務のために、中継用のテレビカメラに映らない後方座席に留まる事を許されたのである。



「……それでは、第27回アステカ武闘大会、オープニングのエキシビションマッチを行います! 赤コーナー、第15回、第16回アステカ武闘大会、格闘トーナメントチャンピオン、カルロス・サルシード!」


 会場を揺るがす大歓声に煽られ、サルシードは7年ぶりの晴れ舞台でも緊張する事なく、往年のコミカルなパフォーマンスを披露。

 彼の栄光は10年以上も昔の話だが、そもそも格闘トーナメントに参加出来る実績すら持たないロビーにとって、そのキャリアは多大なプレッシャーを与えるに違いない。


「……45歳にしては見事な肉体ですが、足の筋肉の衰えは隠せませんね……。ロビーが付け込むなら、出会い頭のローキックでしょう」


 双眼鏡片手にサルシードの肉体チェックに余念のないシルバは、流石に元軍人の格闘家といった分析を見せていた。


「青コーナー、フランス・ジェルマンジム所属、ロビー・リン!」


 昨日の朝、宿泊所を訪れていた現地のトレーナーとスタッフを引き連れて、ロビー陣営は静かにリングイン。


 サルシードに比べると、やはり世界的に無名なロビーへの拍手や声援は疎ら。

 しかしながら、その甘いルックスと格闘家らしからぬ均整の取れたプロポーションが、既に複数の若い女性のハートを掴んでいる様にも見える。


「両者ともに総合格闘家であるため、総合格闘技ルール、5分2ラウンド、延長ラウンドなしで試合を行います!」


 レフェリーによるルール読み上げの間、チーム・バンドーはこぞってロビーの表情に注目。

 両者のスタイルが対照的であるためか、過度の緊張もなく、どうやら普段の実力は発揮出来そうだ。


「ロビー、焦るなよ! 奴は寝技のエキスパートな上、ブランクも長い。序盤はタックルも少し仕掛けてくるだろうが、基本はリングに転がって攻撃をのらりくらりとかわし、お前が痺れを切らして覆い被さってくるのを待っているんだからな! 第1ラウンドは捨ててもいいんだ!」


 相手陣営に戦術が筒抜けになる程の大声で、口角泡を飛ばしながらロビーを激励するトレーナー。

 互いのプレースタイルとキャリアの差を考慮すれば、誰でもこの戦術を採用せざるを得ないだろう。


 サルシードが苦笑いを浮かべる一方、ロビーは自身のグローブを見つめるだけだった。


「ラウンド・ワン、ファイト!」



「ヒャッホー! この感覚、久しぶりだぜ!」


 試合開始早々、ダッシュでロビーに詰め寄るサルシード。

 

 45歳という年齢からしても、まさかハイペースの打撃戦を仕掛ける訳ではないだろう。

 ロビーは一瞬呆気に取られつつ、自身のガードを固めるより先に相手の隙を窺う挑戦者の姿勢は崩していない。


「ハアッ……!」


 ロビーより背が低く、肉体の衰えも否めないサルシードの飛び膝蹴りは相手の顔には届かず、胸の辺りを狙っている。

 下手に迎え撃てば腕を取られて寝技ヘ一直線……ロビーは冷静に横っ飛びを見せ、そのままサルシードがマットにスライディングする様子を目で追いかけた。


「さあ〜若いの、かかってきな!」


 赤ん坊が駄々をこねる様なポーズで仰向けになり、両足をバタつかせるサルシード。

 寝技のエキスパートならではの挑発手段には乗らない……そう誓っていたロビーだったが、サルシードの地元メキシコの大歓声が、予想以上に完全アウェーの雰囲気を作り出している。


「……なるほどな。サルシードにとって、ここメヒコアレーナは完全にホームグラウンド。観客はこの省エネな戦い方を非難しないどころか、会場全体がロビーにサルシードの(ふところ)へ飛び込めと煽っているんだ」


 ハインツの冷静な分析も、やがて大歓声に掻き消されてしまう。

 異様な雰囲気に飲まれかけたロビーに、トレーナーはシンプルにキックのジェスチャーを見せ続けていた。


「その手には乗らねえってか? まあ、まだまだ時間はあるからな!」


 流石は百戦錬磨のチャンピオン。

 一見して隙だらけな寝そべりだが、少しずつリングの中央に移動しながら、ロビーからの打撃ダメージを受け流せるスペースを確保している。


「ちっ……喰らいやがれ!」


 ロビーのローキックは、軸足の存在しないサルシードの下半身にはジャストミートせず、上半身攻撃にプランを変更するや否や、その重心の移動を読み切ったサルシードが体勢を入れ替えてしまう。


「おい若造! 豆でもつまもうとしてるのか?」


 観客席からロビーへ、メキシコではポピュラーな食材に引っかけたヤジが飛び、それに伴う嘲笑の声が彼の焦りを増幅させる。

 不用意に近づき過ぎたロビーの左足を注視していたサルシードは、一瞬の隙を突いて上体を起こし、タックルを仕掛けてきた。


「……くっ、そんな手にかかるかよ!」


 咄嗟に反応したロビーだったが、彼には持ち前の身体能力に加えて、モデル上がりの長い足がある。

 周囲の度肝を抜く垂直飛びを見せたロビーを、ただ呆然と眺めるサルシードの右足は、ガードもなくがら空きのまま。


「うおりゃあぁぁ!」


千載一遇のチャンスに叩き込まれる、ロビーのローキック。

 乾いた打撃音がアレーナにこだまし、サルシードの勝利を疑わない地元の観客を黙らせる。


「よっしゃあ! ロビーにポイントだ……あっ!?」


 思わずガッツポーズを取って叫んだバンドーは、近くにいる地元の中年男性に睨まれ、必要以上に小さくなってしまった。



「畜生……このガキが!」


 ロビーにポイントが入った瞬間、これまで穏やかだったサルシードの表情は一変。

 ダメージのない左足をマット上で回転させ、ロビーの足下を刈り取りにかかる。


「……おおっと、倒れてたまるか!」


 背中からマットに倒れそうになったロビーは、慌てて首を前に倒して中腰姿勢を維持。

 だが、そこには鬼の形相のサルシードが詰め寄っていた。


「ぐふっ……!」


 サルシードの右ストレートがロビーの顔面を直撃。

 右足のダメージで100%の力は出せていないサルシードだが、ロビーは若干の鼻血とともにマットヘ倒れ込む。


「ダウン! ワン、トゥー……」


 割れんばかりの歓声に包まれるメヒコアレーナ。

 皮肉にも、ロビーのローキックがサルシードの試合勘を呼び起こしてしまったのだ。


「……い、今のはダウンじゃねえ……スリップだ!」


「待てロビー、 奴が近くで狙ってる! レフェリーが奴を引き離すまで、カウント5まで倒れてろ!」


 大歓声はトレーナーの゙アドバイスを遠ざけ、ロビーはプライドから素早く立ち上がろうとする。

 だが、バランス感覚が戻る前の戦線復帰は危険極まりない。


「ファイト!」

 

 レフェリーの背後に隠れる様に、試合再開後に突然ロビーの前に姿を表すサルシード。

 完全にベテランの戦略にはめられてしまったロビーは、強烈なタックルから成すすべなくテイクダウンを奪われた。


「お前の気持ちは分かるぜ! 俺も若い頃はベテランに舐められるのが大嫌いだったからな! だがよ、ビッグになる奴と消えていく奴との差は、その時勝てるかどうかなんだよ!」


 マウント体勢を取ったサルシードの拳が、ロビーの端正な顔面へと振り降ろされる。

 

 当然ロビーも両手でガードはするものの、腕を取られてしまえば寝技へと一直線。

 両手の指をがっちりと組んだ状態でのガードは、寝技に持ち込まれる危険を回避出来ても、ボディーへの攻撃は防げない。


「……なかなかしぶとい野郎だ。まあ、戦いってのは相手を痛めつけるだけじゃねえからな」


 (てのひら)で顔を覆いながら兄の逆転を祈るリンを筆頭に、アレーナには興奮よりもある種の緊張が充満していた。

 サルシードはその空気を楽しむかの様に、意表を突いてロビーの両脇をくすぐり始める。


「……!?」


 苦悶とも笑いとも表現出来ない、複雑な感覚。

 思わず身体の力が抜けてしまったロビーの左腕を、遂にサルシードが掴んで伸ばす事に成功した。


「……しまった、くああっ……!」


 ロビーの左半身の下に隠れる様な体勢になったサルシードは、その段差も活かしながら相手の左腕を締め上げる。

 こうなるとロビーの長いリーチが逆に災いし、寝技からの脱出は難しい。

 

「早くタップしちまいな!」


「……くっ、ふざけんじゃねえ!」


 サルシードの勝利を確信したか、アレーナは再び大歓声に包まれる。

 チーム・バンドーはロビーの逆転勝利の可能性を探り、遂にリンが突破口を見出した。


「兄さん! 左足を……左足を踏んで!」


 最小限の言葉を振り絞るリン。

 その声は大歓声の間を潜り抜け、兄妹だけに通じるテレパシーの様にロビーへと到達する。


「くおおぉぉっ……!」


 一般の観客からは、ロビーがただ苦し紛れに左足で地団駄を踏んでいるだけに見えていた。

 しかしながらロビーの左足の下には、まだローキックのダメージが残っているサルシードの右足があったのだ。


「……んがっ!?」


 右足のダメージ部分を思い切り踏まれたサルシードは悶絶。

 僅かながらに緩んだ寝技から脱出するため、ロビーは怪我を恐れない強引さで、左腕を捻りながら引き抜いていく。


「やった! ロビーの手が抜けた!」


 バンドーの興奮は観客にも伝染し、根っからの格闘技好き連中はやがてロビーにも大声援を浴びせていた。

 

「お返しするぜ!」


 捻ってしまった左腕は使えなくとも、ロビーの利き腕は右腕。

 サルシードのガードも何のその、入れ替わりでマウント体勢になったロビーの重いパンチが、相手のボディーを直撃する。


「ぐふっ……!」


 年齢的な衰えもあり、現在のサルシードは決して打たれ強い格闘家とは言えない。

 強烈なボディーブローで両腕のガードは緩み、ロビーは右腕1本でも勝負出来る環境が整った。


「あああぁぁっ……!」


 無我夢中で、サルシードの顔面にパンチを振り降ろすロビー。

 兄の勝利を願いながらも、トラブルメーカーだった彼の過去からその凶暴性を正視出来ないリンの肩を、シルバはしっかりと抱いている。


「ストーップ! ストーップ!」


 カンカンカンカン……


 顔面パンチ3発目で戦意を喪失したサルシードを見かねたか、堪らずレフェリーも試合を終了。

 ファイトマネー稼ぎが目的のエキシビションマッチとは言え、サルシードのTKO負けはアレーナに衝撃とどよめきを与えた。


「1ラウンド3分02秒、勝者、ロビー・リン!!」


「……やった〜! ロビーが……勝った〜」


 お忍び視察だったはずのバンドーは、既に派手なリアクションで観客数名から顔を覚えられてしまっていた。

 最後の喜び爆発はささやかなものであり、安堵感から脱力してしまったリン以外は、バンドーをどつきながら喜びを分かち合っている。


「やるじゃねえか若いの! 最後のファイトマネーは入ったし、もう俺の時代じゃねえって事だな!」


「……サルシードさん、ありがとうございます!」


 試合が終わり、フランクなナイスガイに戻ったサルシード。

 ロビーは対戦相手に最大限のリスペクトを示し、サルシードの左腕を上げてリングから大観衆に頭を下げた。




「……ちょっと待って、あいつら何者!?」


 何やら異変に気づいたクレアが指差す先に見えるのは、興奮と熱狂の醒めやらぬリングを取り囲む、お揃いのジャケット姿をした10名程の男達。

 しかしながらロビーやサルシード、そしてセコンドに残る両陣営は怪訝(けげん)な表情を浮かべており、このパフォーマンスは仕事仲間からの祝福ではないのだろう。


「カルロス・サルシードさんとロビー・リンさんですね? 私達はメキシコシティ警察です。貴方達の試合には八百長と違法賭博の疑惑があると告発する、タレコミ電話がありました。よろしければ、署までお話をお聞かせに来ていただけませんか?」


 偶然マイクで拾った警官の声を合図に、一転して不穏な空気に包まれるアレーナ。

 だが、マイクから離れたロビーやサルシードの声までは拾われていない。 

 

「何だお前ら、歴史的瞬間に水を差しやがって!」

 

 ロビーのトレーナーをはじめ、両陣営の視線やジェスチャーは明らかに怒りを表現している。

 どうやら、彼等にとってこのガサ入れが身に覚えのない状況である事は間違いなさそうだ。


「ふざけんな! 俺は歳こそ取ったが、そこまで落ちぶれちゃいねえ!」


「今の試合に、談合や手加減の証拠があったって言うのかよ!?」


 試合直後でアドレナリンが残っているサルシードとロビーは、納得が行かない勢いのまま警官に掴みかかろうとする。

 両陣営のトレーナーは慌てて両者を引き止め、やむなく警官達の指示に従ってリングから退場する。


「く……詳しい事は後ほど運営から報告させていただきます。それではこの後、格闘トーナメント第1回戦を行いますので、準備が整うまで、皆様暫くお待ち下さい!」


 非常事態を受け、大会運営側も慌てて事実確認に奔走中。

 兄の事が気になって仕方がないリンだったが、アレーナの通路は混雑が続き、彼女の力だけではロビー達に近づけそうもなかった。


「リン、シルバ、警察署に行ってロビーについていてやれ! 俺達とハドソン達だけでも視察は出来る! バンドー、いいよな!」


「おう! ケンちゃん、リンを頼むよ!」


 ハインツの機転にバンドーが応え、警察署までの治安の不安解消は軍隊経験のあるシルバに一任される。


「皆さん、ありがとうございます!」


 シルバはリンの手を取り、チームメイトに一礼してロビー達を追いかけた。




「……ああ、バッチリだよベシーノ。お前からのタレコミでアレーナは大パニックだ。流石は俺の弟子だな。賭博前科者の言葉は警察に与える説得力が違うぜ」


 携帯電話片手に仁王立ちし、剣術トーナメントでの違法賭博に備えるラファエル・バスケス。

 配下に偽のタレコミを命じ、世間の注目と混乱を格闘トーナメントに集中させる事が、彼の狙いである。


 「念には念だ。これで俺達の仕事はやりやすくなったよ。騒ぎを起こしたお前の保釈金は、俺のポケットマネーで新品のバイクもつけて返してやるさ」


 バスケスとチーム・バンドーの距離は、決して遠く離れてはいない。

 だが、両者を遮る人混みの流れは厚く、バスケスはその姿を見られぬまま悠々と仕上げの一手、コールの控室へと歩みを進めていた。



  (続く)

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