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ヨーロッパヒグマ VS ツッパリ (笑) ジョニーの店 ③


 9月5日・15:00


 モルベッロに潜伏していた熊が、西陽も沈まぬうちに進路をトレントへと合わせた。

 その理由は当初、2年前に腹部に傷を負わせたジョニーへの復讐とも考えられていたが、特殊部隊のガンボア隊長から伝えられた自然保護団体、『グローバル・フェアネス』の不正疑惑が事態を複雑にしている。




「こちらアグネス。ゾーラ市長、ベラルディ代表と合流しました! 現在、熊の進路予想に該当する住民の避難を進めています。チーム・バンドーはトレント境界線付近にトラックを停車し、侵入前に熊を捕獲して下さい!」


「こちらメグミ。アグネス、了解しました! トラックはもうすぐ現地に到着します!」


 通信役として役所に派遣されたアニマルポリスの新人、アグネスを残し、一同は熊の捕獲を目指して臨戦態勢に入っている。

 とはいえ麻酔弾の効果など、予想外のトラブルがない限り、優れたメンバーと最新機器を揃えたミッションに失敗はないと思われていた。




「……いました! 思ったより近くまで来ています!」


 風魔法を準備する都合上、広範囲を見回していたリン。

 

 彼女が発見した熊は四つん這いの状態で、全力疾走とまではいかないものの、小走りでトレント方向に進路を進めている。 

 向こうからもこのトラックは見えているはずだが、まっすぐに前を見つめるその険しい表情から、熊も障害物には怯まない固い決意を持っているのだろう。


「山道に入り過ぎるとトラックが使えない。メグミさんとシンディを残して降りるぞ!」


「了解! 皆、気をつけて」


 バンドーの合図にメグミが応え、パーティーの7名はトラックから降りて熊の迎撃準備を整える。

 まずはリンの風魔法からだ。


「正面に熊を捉えました。まずは速度を緩める程度の風を送ります、はああぁぁっ……!」


 リンの瞳は蒼白く光を放ち、強めの向かい風を熊に送り込む。

 ベラルディから要請された足への着弾は、まずは熊の上体を起こさなければ実現しない。


「グオッ……」


 熊は風圧に煽られる事を良しとせず、地面に伏せる様に更に重心を低くして耐えている。

 流石のリンも、熊を吹き飛ばす程の風魔法は心身への負担が大きく、そうやすやすとは使えないだろう。


「……リン、もう少し頑張って。今あいつの正面に炎を飛ばしてみせるから」


 クレアはリンを励ましながら、手にしたライターの火に全神経を集中させて感情を高める。

 火炎魔法で火を前方に飛ばせば、風魔法の風圧が熊ものけぞる大きな炎を作り出してくれるはずだ。


「ちょっとだけ熱いけど、ぶつけないからね……あぁぁっ!」


 感情の高まりとともに大きく両眼を見開いたクレアの火炎魔法は、リンの風魔法アシストもあって熊の1メートル手前で炸裂。

 目前に瞬間的な光と熱が押し寄せたに過ぎないが、熊にとってその恐怖は遺伝子レベルに刻まれたものである。


「ガハアァァッ……!」


 激しい恐怖と怒りに駆られ、流石の熊も直立姿勢で一同を威嚇する。

 その迫力は、人間相手では百戦錬磨と言えるチーム・バンドーも足がすくんでしまう程だ。


 だが同時に、両足がはっきりと目視可能な今が千載一遇の狙撃チャンス。


「クレアさん、ありがとうございます………せいっ!」


 かつては軍人として数多の修羅場を潜り抜けてきたシルバは至って冷静に、熊の右足付け根寄りに麻酔弾を着実に撃ち込む。

 ベラルディも文句のつけようがない、完璧なる狙撃だ。


「ガアアァァッ……」


 痛みか、それとも麻酔の効果か。

 熊は再び四つん這いになり、目に見えて動きが鈍り始めている。


「ケンちゃん、やった! 一発必中だ!」


「大型動物の場合、再び動き出す事があるわ! まだ近づかないで!」


 早くも大喜びのバンドーを、アニマルポリスのターニャが制止する。

 彼女は小さな麻酔銃を片手に、非常時の追撃に備えていた。



 あれから、時間にして数分。


 重苦しい空気の中、熊の動きは少なくなってはいたものの、未だ瞳は開いたまま。

 アグネスを通じて役所に詳細を報告したメグミだが、微かな動きを見せている熊の手足が止まるまで、トラックによる収監作業に入る訳にはいかない。


「……西陽が眩しくなってきやがった。少し近づかないと様子が分からねえな……うおっと!?」


 痺れを切らして熊に接近しようとしたハインツが、突如としてのけぞる。

 それまで小休止をしていた熊が、活力を取り戻したのだ。


「……そんな馬鹿な!? 麻酔弾は確かに命中したはず。熊の年齢と薬量からして、復活するとは信じ難いですが……?」


「シルバ君、離れて! 今度は左足にもう1発撃ち込むわ!」


 ターニャはシルバ程射撃は達者ではないが、それでもアニマルポリスいちの実力。

 効果の薄い小動物用の麻酔弾が、熊の左足首の上へ確かに着弾する。


「……グフッ……!」


 並の大型動物なら確実に深い眠りに入るはずの状態で、なおも前進を続ける熊。

 これ以上の麻酔弾追加は熊の命に関わるレベルだけに、勝手な行動は取れない。


「皆、トラックに戻って! 熊の通り道を空けて、背後から追跡します!」


 アグネスを通じて役所に対応を求めたメグミは、大きなジェスチャーでパーティーをトラックに呼び戻す。

 ベラルディの判断では、いずれ熊の意識は朦朧(もうろう)となり、仮にトレント入りしても人間を襲う力はなくなるという認識らしい。


「こちらシルバ、現在背後から追跡中ですが、熊の動きに目立った衰えはありません。このままトレントに入れば何らかの損害が出る可能性が高いです。緊急時の追加狙撃の許可をお願いします!」


 シルバ必死の訴えも虚しく、ベラルディとゾーラ市長からの許可は得られない。

 境界線周辺の住民の避難は完了しているが、この熊には明確な目的地がある様に思えた。



 9月5日・16:00


「……!? ファティのアニキ、入り口が開くぜ! この工事現場に隠れよう!」


「でかしたぞアントワン!」


 ジョニーの店から逃走したスリ稼業コンビ、ファティとアントワン。

 

 彼等はバンドーへの身勝手な復讐を誓ったものの、ジョニーのパンを盗む事には失敗。

 所持金を減らさずに空腹を満たすため、トレントの街で窃盗を働きながら隠れ場所を探している。


「『グローバル・フェアネス』? 名前からして貿易商社か……。シャッターが閉まってるし、休業で中には入れそうにねえな」


 

 ファティ達が逃げ込んだのは、役所から程近い場所にある『グローバル・フェアネス』トレント本部の敷地。

 現在、第2倉庫増設の名目で建設工事が行われており、関係者以外は休日の立ち入りが禁止されているはずだった。

 

「現場入り口を閉め忘れるなんて、間抜けな業者だ。何かいただける物はあるかな……おや?」


 第1倉庫はオートロックで完全に施錠され、アナログ施錠解除が出来るファティの特技は通用しない。

 だが、建設中と言われているはずの第2倉庫には薄明かりがついており、特に作業音も聞こえてこない。


「……? 何だ、人がいるじゃねえか。モヤシみてえな若い奴がふたりだけだな……。特に工事中にも見えねえし、奴等を黙らせて今夜はここに泊まるとしよう。アントワン、こっちに来い!」


 大きさからして、第2倉庫は2階建てに見える。

 しかしながら、1階は特に何もなく、簡易な仕事机と椅子があるだけで、ふたりいる職員らしき若者も、まるで寝起きのパジャマ姿を思わせる貧相な出で立ちだった。


「アニキ、見るからに弱そうな奴等だな。ちゃんと飯喰ってるのかよ? これならチョロいぜ」


 アントワンは自分達の飯の心配ではなく、『グローバル・フェアネス』の若手職員の飯を心配している。

 やはり彼は、悪党として生きられるタマではない。


「すみません宅配便です!『グローバル・フェアネス』様へのお届けは、こちらでよろしいでしょうか?」


 身分を装い、倉庫のドアをノックするファティ。

 ふたりの職員は長身だが痩せており、度の強そうな眼鏡姿も相まって全くの非力に見える。


「どちら様からの荷物でしょうか……わわっ!?」


 ドアを開けた瞬間、職員はファティとアントワンに襲われてしまう。

 元来肉弾戦に縁のないタイプだけに、得体の知れない恐怖で無抵抗になってしまった様子だ。


「……何だ、抵抗しないのか。だらしねえな」


 自身の悪行を棚に上げて拍子抜け。

 呆れ顔のファティは机に置かれた文具箱から粘着テープを取り出し、職員の口と手足の自由を奪う。

 

 眼鏡姿の青年は粘着テープを引きちぎろうともしないだけに、貧相な体格だけでなく実際の体調も良くないのだろうか。


「あんたらに恨みはねえんだ、今夜だけ大人しくしといてくれ。トイレには行かせてやるから」


 職員が騒がない様に、アントワンはふたりの肩を叩いて身の安全を保証する。

 一方ファティは、分厚いカーペットの様なもので隠されていた2階への階段を見つけていた。


「……何だか甘い匂いがするぞ。上に食い物があるんだな」


「うぐっ……! んん〜!」


 それまで全く覇気のなかった職員が、ファティの言葉に激しい抵抗を見せている。

 どうやら2階には、『グローバル・フェアネス』関係者以外に見られてはいけないものがあるに違いない。



「……うっ! こいつは……?」


 甘い香りに誘われて倉庫の2階に上がったファティが見たものは、ラベルのない瓶に小分けされた大量のハチミツ。

 色付きのポリ袋に包まれた養蜂道具は洗いたてで、部屋に染み付いたハチミツの香りは、2~3日前までこの倉庫で作業が行われていた事を物語っている。


「アントワン、2階はハチミツ倉庫だ! 何本かいただいてもバレなさそうだぞ!」


「アニキ、マジかよ!? あんたらハチミツ輸出業者だったのか〜!」


 基本的に無学で荒れた生活をしてきたファティとアントワンは、『グローバル・フェアネス』の正体や養蜂業のライセンスなどに詳しくはない。

 手足と口の自由を奪われた職員だったが、下手に頭の切れる泥棒に捕まらなかった事に、少々場違いな安堵感を覚えていた。



「……!? 誰かいるのか!?」


 背後に人の気配を感じ、後ろの窓を振り返るアントワン。

 

「……誰もいねえじゃねえか。それよりアントワン、冷蔵庫に食パンが少し入っていた。折角だからトーストにハチミツ塗って頂こうぜ!」


 人の姿を確認出来なかったファティは早速間食とでも言わんばかりに、2階からハチミツをひと瓶持って来ている。

 

「寒さも凌げるし、テレビもあってご機嫌だな! ここはイタリアだからカルチョが観れるんじゃないか?」


 テレビのボリュームを目一杯上げ、有料チャンネルのサッカー観戦に熱中するファティ。

 

 それにしても、極秘事項を見張る職員に与えられるものが僅かなパンと有料テレビだけとは、にわかに信じ難い。

 ベラルディの小綺麗な身なりからは想像出来ないが、『グローバル・フェアネス』は末端の職員にとって、相当に劣悪な環境であると言わざるを得ないだろう。


「……おかしいなぁ……アニキ、俺は確かに誰かを見たんだぜ……」


 アントワンの察知した気配に、間違いはなかった。

 ベラルディと口論の末に『グローバル・フェアネス』を辞職した整備士のヴァルガが、倉庫の職員に別れの挨拶を告げに行くタイミングだったのだ。


「……何だあの男達は!? さっさと辞めるつもりだったが、後輩を見捨てる訳にはいかない……。アントニオに助けを求めるべきか……いや、彼ならあの男達を勝手にハチミツ盗難の犯人に仕立て上げて逃げてしまうだろう。私はどうすればいいんだ……!」


 工事標識に身を隠しながら、ヴァルガが思考を巡らせていたその瞬間、非常事態を知らせる街頭放送が彼の耳に流れてくる。


【トレント市民の皆様、トレント市民の皆様、こちらは市長のゾーラです。先程熊に関して避難勧告を出しましたが、間もなく市内に侵入する見込みとなってしまいました! 賞金稼ぎが熊を捕獲するまで、建物の外に出ないよう、お願い申し上げます!】


 ヴァルガは意を決して、熊を捕獲した後に倉庫の職員を救出してもらえるよう、バンドー達との合流を試みる。

 一方、テレビを大ボリュームでつけているファティ達に、熊の接近を知らせる街頭放送は聞こえていなかった。



 9月5日・16:30


「こちらメグミ、今熊がトレント市内に入りました! 動きはかなりスローになりましたが、何やら目的地が決まっていると思われる程に、まっすぐ歩みを止めません。このまま行けば役所の駐車場裏を通り抜け、鉄条網で覆われた工事現場に追い詰める事が出来そうです!」


 西陽もすっかり沈み、薄暗くなってきたトレント周辺。

 そんな中、もはや表情も判別出来ない巨大な黒い物体となった熊が、ただならぬ精神力で遂に市内へと侵入する。

 

 だが、流石に意識は朦朧とした様子で、今にも眠りこけそうな低速歩行になっている。

 このまま進めば、鉄条網が張られた工事現場の袋小路に追い詰める事が可能であり、一同の緊張感も僅かに緩んでいた。


「こちらアグネス。メグミ先輩、その工事現場は『グローバル・フェアネス』本部の敷地です。万が一熊が敷地内に侵入する様であれば、職員の安全第一で殺処分もやむを得ないとの事です!」


 市政側からアグネスに伝えられた言葉には、明らかにベラルディと『グローバル・フェアネス』の保身が優先されている。

 

 違法なハチミツビジネスの証拠を掴まれる訳にはいかない……。

 これが彼等の本音であるならば、ゾーラ市長とベラルディは完全にグルであり、近い将来のイタリア脱出を考えているに違いない。


「バンドーさん、あの工事現場は『グローバル・フェアネス』の本部の敷地だそうです。ベラルディは中を捜索されたくないみたいで、熊の殺処分を遠回しに要求してきました! 貴方ならどうします!?」


「何だって!? あの野郎、遂に本性を現しやがったな!」


 市政側の身勝手な決断に、トラックの中は一時騒然とする。

 いち早く怒りを露にするハインツとは対照的に、冷静な微笑みでメグミと向き合うバンドー。


 自身がアニマルポリスであるという誇りを胸に、メグミは未来の伴侶に決断を迫っている。

 元来動物好きなバンドーが、彼女のこの期待を裏切るなどあり得ない。

 

「考えられる最高の展開だよ! 皆、熊は絶対生きたまま捕獲するぞ! 何なら熊が自力で鉄条網を乗り越えられるかどうか、力を貸したい気分だ!」


「バンドーリーダー、了解しました!」


 通信機を壊しかねない程の、巨大な団結の声。

 アグネスは慌てて通信機のスピーカーを(てのひら)で塞ぎ、一同がベストを尽くしていると市政側に弁明した。


「……とは言うものの、ベラルディもこちらに乗り込んで来る可能性がありますからね。熊を狙撃する素振りだけは見せておきましょう!」


 シルバは機転を利かせ、ハンティング用のライフルを構えてトラックから降りる。

 だが、そのライフルに弾丸は入っていない。



「おい、ちょっと待ってくれ! 敷地の奥の倉庫に仲間が閉じ込められているんだ! 怪しいふたりの男に手足を縛られている。熊が第一なのは分かるが、仲間も助けてくれないか!」


 熊の進路を避けてシルバに泣きついてきたのは、『グローバル・フェアネス』の機械整備士ヴァルガ。

 熊はこのハプニングを幸いとばかりに鉄条網を引きちぎり、ゆっくりと敷地内へ歩みを進めようとしていた。


「あなた、先代の代表と一緒にいた整備士さんね? あたしはマーガレット・クレア、覚えてる?」


「……クレア財団のお嬢さん? 貴女の様なお方が、賞金稼ぎに……?」


 突然の再会に、ヴァルガは言葉を失う。

 だが、クレアが幼い頃の面影を多分に残していた事と、周囲が笑顔でヴァルガを迎えていた事で、彼は自分の望みが受け入れられたと確信が持てている。



「皆、怪我はねえか!? 俺が熊を引き付けてやるから、その隙にさっさと眠らせな!」


 ベラルディとヴァルガの駆け引きに加えて、ジョニーまでが危険を顧みず現場に詰めかける。

 彼の性格的に、バンドー達もこの展開を予想してはいたが、正直丸腰のジョニーは現場では邪魔なだけだと思われていた。


「整備士さん、怪しいふたりの男って、小柄な黒人と背の高い白人のコンビだった?」


 バンドーからの質問に慌ててうなずくヴァルガ。

 この瞬間、バンドーとジョニーには何やら悪知恵が浮かんだ様子である。


「ガアアァッ……!」


 最後の気力を振り絞り、熊は倉庫へ向けて歩き続ける。

 故郷のハチミツを奪われた恨みが、トレントにある倉庫まで彼を導いたのだ。


「そろそろ熊の体力は限界ですが、倉庫で暴れられては本末転倒です。メグミさん、麻酔銃を貸して下さい。熊を殺さずに捕獲するには、弱めの麻酔弾追加が限界ですからね!」


 ターニャの麻酔銃は既に使用済みで、シンディはトラックと檻の扱いで手が離せない。

 シルバは冷静な状況判断で、メグミから借り受けた麻酔銃片手に熊を追跡する。


「ケンちゃん、俺達も行くよ!」


 バンドー、ハインツ、そしてラバッツァは剣を構え、シルバを援護するために同行した。


「……頼む、これで眠ってくれ!」


 最優先事項はあくまで、熊の動きを止める事。

 シルバは既に神経が麻痺していると思われる足ではなく、熊の真横から古傷の腹部への着弾に成功した。


 「……フォアアァ……」


 遂に力尽き、前転する様な勢いで大地に崩れ落ちる熊。

 その勢いのまま倉庫に激突したものの、幸い壁が少し凹んだだけで、土台が崩壊する事はない。


「どわわああぁっ! 何だ!? 地震かよ!?」


 生まれてこの方経験した事もない衝撃に、ファティとアントワンは激しく狼狽している。

 

 外は既に暗くなっているものの、衝撃の原因は確かめなければならない。

 ふたりはおそるおそる倉庫から飛び出し、裏側の壁に転がっている黒い毛むくじゃらの物体に近づいた。


「この黒くて毛むくじゃらの服……バンドーか!? おもしれえ、飛んで火に入る夏の虫とはこの事だな!」


 暗さで黒い毛の判別がつかず、ファティは呑気にもバンドーが着ていた熊の様な上着を回想。

 彼はそのまま熊の上から覆い被さり、ここぞとばかりに背中へパンチを連発する。

 

「……ま、マズいわよこれは……!?」


 ヴァルガと並んで顔面蒼白になるクレア。

 仮にここで熊が目覚めた場合、ファティは恐らく骨まで美味しくしゃぶられてしまうだろう。


「グオッ……!」


「……ひいぃ! こいつバンドーじゃねえよ! 助けてくれ!」


 恐怖の余り腰が抜けてしまったウザ過ぎる人間にひと吠えし、熊は再び眠りに就く。

 

 今度の眠りは深そうだ。

 ようやく訪れた捕獲のチャンスに、シンディの巧みなメカさばきが冴え渡っていた。



「全く、生きた心地がしねえな。おらよっ……!」


 腕力のある男性陣が熊を起こさない様に足首を持ち上げ、シンディが傾けた檻のベルトコンベアに熊の身体の一部を固定。

 元来動物嫌いなハインツは、熊の目覚めに怯えながら渋々力仕事に手を貸している。

 

 ファティとアントワンはジョニーの手で粘着テープに縛られ、女性陣はヴァルガの手引きで倉庫の中を撮影。

 ベラルディが押しかける前に、無許可でのハチミツビジネスの確固たる証拠を押さえた。


「ラベルなしのハチミツも、ヨーロッパ以外の闇ルートに流すための偽装ね。ベラルディの血縁を探れば、ブラジルやアルゼンチン辺りに買い手がいるはずだわ」


 クレアは財団での経験値をもとに、イタリア系移民の多い南米ルートに疑いを持っている。


「アントニオを増長させたのは私の責任だよ。山に忍び込んだ人間も、ライセンスなしでハチミツを精製した人間も知っている。彼等を道連れに、私も罪を償うさ」


 悪事に目を瞑り、隠居まで逃げ切る事も出来たはずだが、ヴァルガは先代への義理なのか、自ら小悪党の一味として出頭する覚悟を決めている。

 だがその一方で、劣悪な環境に甘んじても自然保護に情熱を傾けていた若い職員には恩赦を望んでいた。


「……彼等みたいな若い人間は、子どもみたいに純粋な気持ちでここに来ているんだ。社会に馴染めず、人間を好きになれなかった経験が、自然を守ろうとする情熱を生んでいるのかも知れないが……それを否定したくはないね」




「熊を捕獲してくれて、誠にありがとうございます! さあ、ここからは我々の仕事です。ヘリで熊を山に返還し、皆様はお引き取り下さい! 報酬はすぐに入金しますよ」


 すっかり暗くなった現場に、ベラルディは大慌てで駆けつける。

 その隣にはゾーラ市長とふたりの警官らしき姿があるが、恐らく市政側の息がかかっている汚職警官に違いない。


「……アントニオ、ひと足遅かったな。私達の違法行為はもう隠せない。君や市長の罪は軽いかも知れないが、いい薬にはなる。他の地域で悪さが出来なくなるだろうからな」


 晴れやかな表情を浮かべるヴァルガの姿に、背筋を凍らせるベラルディ。

 チーム・バンドーとアニマルポリス、そしてラバッツァは横一列に並び、壮観な人間の鎖となって市政側を牽制した。


「ベラルディさん、俺達は危なく騙される所でしたよ。これまで市政でやれた事をわざわざ俺達に頼んだのは、『グローバル・フェアネス』とゾーラ市長にとって都合の悪い事を表に出さないためだったんですね。でも、俺達は特殊部隊から悪い噂を聞いていました。証拠が揃った今、貴方達に勝ち目はありませんよ」


 バンドーは努めてゆっくりと、丁寧な言葉で市政側に語りかける。

 

 彼等は百戦錬磨の賞金稼ぎだ。

 本性を現した悪党が何をするかは、容易に想像がつく。

 大柄なシルバの陰に隠れる様にして、リンは既に風魔法を準備していた。


「……なるほど、全てお見通しだったという訳ですね……ゾーラ市長!」


「やむを得んな……やれ!」


 ふたりのアイコンタクトを受けて、警官コンビは拳銃を構える。


「ジェシーさん、銃口に横から風を!」


「はい!」


 元軍人のシルバがすかさず目をつけたのは、拳銃の銃口に取り付けられたサイレンサー。

 

 小さな街で銃声を目立たせる訳にはいかない。

 悪党が意識する消音対策のサイレンサーは銃身を拡大するため、左右からの予期せぬ衝撃には弱かった。


「はああぁぁっ……!」


 叫び声とシームレスに放たれるリンの風魔法は、暗くなった空を照らす蒼白い閃光とともに猛スピードの螺旋を描く。


「うわっ……!」


 警官は為す術なく拳銃を吹き飛ばされ、ベラルディとゾーラ市長は突風で地面に身体を叩きつけられた。


「手錠をよこしな! 今は俺様が警察官だ!」


 アドレナリン全開でテンションの高まるジョニーは、喧嘩殺法と粘着テープで悪党を一網打尽。

 バンドー達も捕物帖に加わったが、ほぼジョニーの独壇場である。


 一方でアニマルポリスのメグミは、頼れる「本物の警察」に事の詳細を知らせていた。


「アントニオ、観念しろ。私達は正しい事をしているつもりだったが、名ばかりの自然保護がいつの間にか、社会に適応出来ない人間の言い訳になっていたんだよ」


 ヴァルガの言葉を耳にし、バンドーはファティ達に視線を向ける。

 

 今回の件で、彼等は流石にスリよりは重い罪に問われるだろう。

 しかしながら、いずれまた釈放され職業訓練から逃げ回る人生の繰り返しでは、彼等に未来はない。



「皆さ〜ん! 早く熊さんを山に返さないと、暴れて運べなくなっちゃいますよぉ〜!」


 シンディの間延びした声は周囲の緊張感を和らげるものの、今が一刻を争う事態に変わりはなかった。

 シルバは慌ててトラックに乗り込み、駐車場のヘリコプターを目指す。


「おいてめえら、熊と一緒に山に運ばれるか、オレの店で修行するか、どっちかを選びやがれ!」


「選びやがれ〜!」

 

 この期に及んで、ジョニーはまだファティ達の勧誘を続けている。

 しかも今回は、もうひとつの選択肢が極めて絶望的な条件であるため、バンドーも参戦して嬉しそうなダブル太字スマイルで押しまくっていた。


「アニキ、そろそろ堅気になってもいいよ。俺もう疲れちゃったよ……」


「熊と一緒なんて冗談じゃねえ! ……分かったよ、お前の店で修行してやるよ!」


 お騒がせのスリ稼業コンビも、究極の選択を前にして遂に諦めの境地に到達。


「やったぜ!」 

 

 苦し紛れの口約束に過ぎないのは確かだが、ファティ達も今更フランスには戻れない。

 ジョニーとバンドーはどちらからでもなく、自然に喜びのハイタッチを交わしていた。



「ヘリコプターにはあとひとり乗れます。リンさん、一緒に来て下さい〜」


 一時は駐車場に向かったと思われていたトラックは、シルバのパートナーを迎えるために戻ってきた。

 現在の関係性からリンがシルバの隣に座るのはごく自然だが、シルバ本人はひとりで熊の移送を引き受けるつもりだったはず。


「……シンディさん、自分はひとりで熊を返しますよ。あれだけの重さがある動物を吊り上げるとなると、かなりヘリが揺れます。この環境に慣れている自分だけでやるのがベストです」


 少々困惑気味のシルバだが、かつてはテルアビブでテロリストに拉致されたシンディを救出した縁があり、彼女が自分に好意的である事は知っていた。

 だが、そんな彼女が敢えてリンとの共同作業を求めているという背景には、何か重要なポイントがあるに違いない。


「熊さんがオーストリアからイタリアに降りてきた理由は、山道がフェリックスの人工地震で壊されたからなんです。熊さんが快適に暮らせる場所に降ろした後に、リンさんの魔法で草木や石を集めてバリケードを作れませんか? それが出来ればもう、イタリアに戻って来る事はないと思うんですよ〜」


 シンディの口調はいつもと変わらないが、その提案からは熊と故郷イタリアを想う気持ちが溢れている。

 バンドーが魔法を失い、フクちゃんも神界に帰った今、風魔法を使えるのはリンしかいないのだ。


「分かりました、私が行きます!」


 元々シルバを心配していたリンは、ふたつ返事でシンディの依頼を快諾。

 3人と熊を乗せたトラックが再び動き出す頃、メグミからの通報で駆けつけたトレント警察が悪党を連行し、バンドー達は証人として同行する。



「よし、檻は繋ぎました!」


「シンディさん、檻を開けるリモコンのスイッチはここなんですね?」


 熊が眠る檻に登ってチェーンを繋ぐ役割は、流石にシルバしか出来ない。

 一方でリンは檻から熊を出す時、或いは熊が檻から出なかった時、檻をヘリから切り離す手順を確認していた。

 

「ふぅ〜、これで準備は完了しましたね……」


 まだ麻酔は効いており、熊は先程までの凶暴さが嘘の様に安らかな寝息を立てている。

 シンディはその様子に安堵すると、リンと向き合い笑顔でふたりを見送る。


「……リンさん、シルバ中尉をよろしくお願いします!」


 シンディが敢えて「中尉」の称号を用いたのは、彼女にとって命の恩人であるシルバがヒーローだったから。

 リンはその言葉の意味を胸に受け止め、無言だが深く、果てしなく深く青い海の様な想いでうなずいていた。



 9月5日・21:00


 ヴァルガの証言から容疑者が特定され、改めてベラルディとゾーラ市長の癒着が立証。

 ベラルディのワンマンぶりには『グローバル・フェアネス』の職員達も嫌気が差していたらしく、違法行為に関わった者は全員罪を認め、揃ってベラルディからの指示であった事を訴えている。


 ヨーロッパの自然保護団体は多数あるだけに、『グローバル・フェアネス』の存続は難しく、ベラルディの仲間がいると考えられている南米での再起も厳しいだろう。


 ゾーラ市長の失脚も免れない所だが、任期中は副市長を立てた市政運営が可能。

 しかしながら、元々僅差の勝利を重ねてきた『環境保守党』が、次の選挙で勝利する事は難しい。


 むしろこの反動で、税収を支えていた転入組のセレブを軒並み排除する様な、「極右勢力」の台頭が懸念される。

 だが、結局はトレント市民の選択に全てが委ねられているのだ。




「いや〜良かったな! 今回はシルバとリンに頼りっぱなしで、報酬を均等に分けるのが申し訳ねえよ!」


 遅い夕食を取るために、ジョニーの厚意で臨時オープンした『ジョニーズ・ベーカリー』に集まった一同。

 ハインツはこの旅初めてのビール片手にご機嫌である。


「……確かに大変でしたね。移送中に熊が目を覚ましちゃって、かなりヘリが揺れましたよねジェシーさん?」


「そうそう、バリケードを作る作業も魔力の消耗が激しくて、報酬を増やしてもらう権利はありますよ!」


「……おおっと、そこはいつもの様に謙遜してくれよ!」


 普段は殆ど酒を口にしないリンにもビールが入り、いつもとは違うリアクションに慌てるハインツ。

 そんな彼を見て、店内には笑い声が絶えなかった。


「ジョニーとタイジンガーは、パン以外の料理も上手いのね。食費はちゃんとあたし達が持つから、じゃんじゃん料理運んできて!」


 クレアもイタリアワインを堪能し、正規の報酬に加えて警察からの褒賞金も得た懐事情にご満悦である。


「俺としちゃあ、この店の存続に希望が出来た事が大きいな。奴等は根性がなさそうだから更生は苦労するだろうが、お前達のお陰で事が上手く運んだよ。感謝してるぜ!」


 ファティとアントワンの処遇に関しては、特殊部隊とバイヨンヌ刑務所の協力もあり、罰金刑で借金を負わせた後に『ジョニーズ・ベーカリー』で修行するプランが、正式な職業訓練として採用される予定。

 ジョニーの下で働く事はふたりにとって災難かも知れないが、彼は初対面のイメージよりはずっと優しい男だった。


 ……いや、彼を見続けて感覚が麻痺しているだけかも知れないが……。



「ジョニーさん達もヴァルガさん達も、そして多分……ファティとアントワンも、何処かで罪を償おうとするから、チャンスが回って来るんだよな」


 まだ10代のラバッツァを除いて、パーティーの中でただひとり酒に口をつけていなかったバンドー。

 彼は料理を楽しみながらも、今回の仕事の総括をしようとしている。


「……例えばヴァルガさんなら、全部ベラルディのせいにして引退出来たはずだけど、そんな自分を許さなかった。『グローバル・フェアネス』には、10年後にベラルディみたいになりたいから我慢して働いていた……そんな奴も多分、いたと思う。でも、ヴァルガさんの姿を見て考え方が変わったんだ」


「……そうだな。ファティ達と違って、ベラルディやゾーラ市長は悪から手を引けないレベルになっていた。巨大なワルにはいつも逃げられるが、それは俺達みたいな小さなワルが持つ未練の問題なのかも知れねえ……」


 バンドーとジョニーは、やはり同じ日系人同士でフィーリングが合うらしい。

 

 とは言うものの、折角の勝利の(うたげ)に自戒的な話題は似合わない。

 ここは日系とポルトガル系のハーフであるメグミが、この仕事の成果をきっちりと説明した。


「チーム・バンドーの皆さん、ラバッツァ君、そしてジョニーさんとタイジンガーさん。今回の仕事へのご協力、本当にありがとうございました! 当初の見通しからは想像出来ないくらいに色々な事がありましたけど、私達の任務は熊も市民も守る事だったんです。何ら反省する必要のない大成功ですよ!」



「それでは、一同の任務成功を祝って……カンパ〜イ!」


 クレアの音頭の下、バンドーもビールで乾杯に参加する。


 チーム・バンドーの再始動は、幸先の良いスタートを切る事に成功。

 だが、明日からはアニマルポリスも通常業務に戻るため、バンドーとメグミは暫くの間別れなければならない。


「……次に会うのがいつになるのか分からないけど、私は残されたアニマルポリスの任務に完全燃焼します。バンドーさんも、くれぐれも無茶だけはしないで下さい」


「ありがとうメグミさん。大丈夫、俺達の目標は年末の武闘大会なんだ。それまでに生命の危険を感じたら……胸を張って逃げてくるから!」

 

 身体に回ったビールのせいなのかも知れないが、どうしていざという時、こんな言葉しか出てこないのだろう……。

 バンドーは自分のセンスのなさに辟易し、この状況を誰かにイジって欲しくて堪らなかった。


「いいわねバンドーは。逃げても人気が落ちない賞金稼ぎなんて、あんたくらいのもんよ!」


 クレアのツッコミに救われたバンドーはその場で笑い転げ、酔いの回ったハインツに寝技をかけられる。

 メグミがこのコントについて行けるかどうかはともかくとして、北イタリアの夜は賑やかに更けていくのである。



  (Episode 1:完)

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