Episode 1:ヨーロッパヒグマ VS ツッパリ (笑) ジョニーの店 ①
2099年・9月1日
統一世界の危機を救った英雄、賞金稼ぎ「チーム・バンドー」。
彼等とアニマルポリスのメグミ・オリベイラは、互いの仕事のため、間もなくオセアニアからヨーロッパへ向かう事が決まっている。
彼等のオセアニアでの仕事納めは、遂にシドニーに建設された剣術、魔法学校の開校セレモニー。
学校の大口スポンサーだったフェリックス社は再建途上にあるものの、年々悪化する治安に備え、自治体と地元企業の協力で予定通りの開校に漕ぎ着けていた。
「俺とケンちゃん……いや、シルバは剣術学校や魔法学校には通っていませんでした。でも、クレアやハインツ、そしてここにいるリンの様に、資質を持つ人間であれば学校で更に才能を伸ばす事が出来るはずです。オセアニアのトップチームであるチーム・スタフィーの後に続くのは、他でもないあなた達なのですから!」
統一世界の危機を救って以来、各地の来賓に引っ張りだこのチーム・バンドーの面々。
オセアニアに滞在しているのはバンドー、シルバ、リンの3名だけだが、彼等はすっかり壇上のスピーチが上手くなっており、後輩パーティーの宣伝もさり気なく盛り込んでいる。
「ただ、忘れてはいけません。俺は剣を握って1ヶ月後に、無意識のうちに魔法が発動していたのです。生まれ持った資質だけではなく、何かを成し遂げたいと願う強い心と行動力という素質で、新たな力を手に入れる事も不可能ではないのです。そして、手にした力に負けない強い心を育てる大切な仲間を、是非この学校で見つけて下さい!」
自分でも優等生すぎるスピーチだと感じたのか、バンドーは照れ笑いを浮かべてステージから降りる。
だが、メグミに優しく肩を抱かれた彼が剣術学校に施した行動は、学生へのアドバイスだけではなかった。
チーム・バンドーは、かつてマドリードの建設会社に雇われた賞金稼ぎに勝利している。(※本編第36話参照)
一団を率いたオジャル・アルサバルは同情の余地もない悪党だったが、彼に利用されていた他の4名は、執行猶予判決の下で社会奉仕期間を消化していた。
バンドーはその中でも実力、人格ともに評価されるべきスペイン人剣士コケを、剣術学校の職員に推薦する事になる。
暴走したサンチェスを制止するため、バンドーは自身と互角の勝負を演じていたコケを魔法による不意打ちで撃退。
その後悔を清算するため、彼はコケの再出発に力を貸したのだ。
「コケが職員を引き受けてくれて良かったですね。まだまだ剣術未開の地であるオセアニアに、実績のある剣士は来てくれませんから……」
きらびやかな新築校舎を背にして、安堵の表情を浮かべるシルバ。
フェリックスという後ろ盾を失い、剣術、魔法学校の職員報酬が減少傾向にある事は否めない。
また、ヨーロッパと比較してオセアニアの治安は深刻ではないものの、その反面都市としての魅力と刺激には欠けている。
バンドーより歳上で、自身のキャリア再構築を望んでいたコケにこの仕事は適役であり、彼はオセアニアの職員が自覚していない、「剣の道で生きていく事の厳しさ」を学生に伝えられるはずだ。
ブブーッ、ブブーッ……
(……あっ? メールが……)
メグミの上着ポケットに入れていた携帯電話が、メール受信を伝える。
折角の特別休暇中に、職場からの呼び出しは興醒めもいいところ。
家族からの連絡程度である事を祈っていた彼女だったが、どうやら悪い予感は当たっていたらしい。
9月1日・14:30
「バンドーさん、面倒臭い事になっちゃいました……」
メグミはおそるおそる、賞金稼ぎ達に相談を持ちかける。
バンドー達の居場所は、シドニー空港前にあるホテルのロビー。
明日の朝にはメグミの故郷であり、チーム・バンドー結成の地でもあるポルトガルに経つ予定だった一同だが、アニマルポリスのシンディから急遽、イタリアでの仕事要請が来てしまったのだ。
「シンディさんからの要請って事は、アニマルポリスの任務でもあるんですよね? 私達が力になれるものなんですか?」
シルバと婚約し、年末のモスクワ武闘大会終了後には挙式も予定されているリン。
人生の伴侶を決めた事で、彼女はその穏やかな風貌の中にも1本芯の通った佇まいを見せている。
「……はい。これは危険な任務ですから、成功よりも私達の身の安全が優先されています。ただ、事情により警察や軍が関与出来ないケースなので、腕の立つ賞金稼ぎとの共闘が必要みたいなの……」
チーム・バンドーを拘束する事に罪悪感があるのか、どうにも歯切れの悪いメグミ。
いずれ彼女とはパートナー関係になるであろうバンドーは、最愛のパートナーに大きな助け舟を用意した。
「メグミさん、詳しく聞かせてくれよ。俺達に出来る事なら……って言うか、メグミさん達が危険な目に遭う仕事なら、皆ほっとけないからさ!」
メグミもバンドーも、まだ互いに「さん」付けが取れていないのが微笑ましい。
そしてシルバとリンも、もはや戦友と呼ぶに相応しいアニマルポリスの要請を、無下に却下する様な真似はしないだろう。
イタリア北東部にある、トレンティーノ・アルト・アディジェ州。
イタリアに5つ存在する特別自治州のひとつであり、オーストリアとの国境に面している事からドイツ系の住民も多い。
この地域の山奥にはヨーロッパヒグマが生息していたが、2045年の同時多発的大災害により居住区が決壊。
彼等は度々人里に降りてきて、作物や住民に被害を与えてきた。
自治州はヒグマを捕獲してICチップを取り付け、山道を塞いだ後も監視を継続。
だが、フェリックス社による7月の人工地震計画の煽りを受け、再び山道が決壊してしまったのである。
「……つまり、ヒグマを捕獲してまた山に還して欲しいという依頼なんですね……。確かに住居を奪われたヒグマに罪はありませんが、これまで軍や警察は殺処分を考えた事はないんでしょうか……?」
成獣ヒグマ相手の仕事には、例え捕獲目的であってもライフルや搬送用の乗り物が必要不可欠。
ICチップで監視してまでヒグマの保護に自治体の予算を使う事は、元軍人であるシルバの目には現実的でないと映っている様だ。
「イタリア育ちのシンディが言うには、州都であるトレントの多数派議員が自然保護団体と結び付いているみたいなんです。その結果、オーストリアともイタリアとも異なる環境保護政策を行い、そこに惹かれて移住するセレブも増えているらしいんですけど……」
メグミの言葉の先を、賞金稼ぎとしての経験値を積み上げたバンドー達は予測出来ていた。
セキュリティやヒグマの監視に金をかけられない住民からは苦情が殺到し、一方で自然保護団体の組織票とセレブの税収に頼る議員と自治体は、事なかれ主義に走るしかないという現実を……。
「俺達に依頼が来ている理由は、アニマルポリスとの共同作業に慣れている事もあるんだろうけど、軍と繋がりがあって、ヘリコプターやライフルも扱えるケンちゃんがいる事がデカいんだと思う。だからケンちゃんがこの仕事に不安があるなら、俺達も少し考えないといけないかも知れないな」
バンドーは言葉のチョイスこそ慎重だが、シルバに向き合うその表情は柔和そのもの。
幼馴染みを信頼しきったその行動に、堅物のシルバも降参するしかない。
「……ジェシーさんの魔法があるだけでも、単なるハンターとは桁違いの安心感ですからね。動物嫌いなハインツさんは文句を言うかも知れませんが、仕事を離れれば、彼に刺激を与える強い剣士はイタリアにもいるはず。自分はこの仕事を引き受けますよ!」
「皆さん、ありがとうございます!」
チーム・バンドーの協力を取り付けた安心感からか、メグミは嬉々としてシンディからの依頼を要約して伝える。
「明日、出発便をリスボンからローマに変更します。既に向こうでチケットを押さえていて、リスボン行きのキャンセル料も向こうが負担してくれます。ローマ到着後はトリノに行ってシンディ達と合流、1泊してからトレントを目指す予定ですね。シンディが言うには、寒いから上着を持ってきてとの事です」
「シドニーからリスボンまで丸1日かかったんだから、トリノまでは1日半だね。こりゃ疲れるな」
バンドーはちょうど5ヶ月前、自身が初めてヨーロッパへと旅立った日の機内の様子を回想する。(※本編第2話参照)
思えばあの時、同じ便に乗っていたファーナム達に声をかけなければバスジャック事件にも遭遇せず、現在のキャリアは全くの白紙だったに違いない。
それでも、時間潰しの観光でメグミに出会った運命だけは変わらなかったはず……バンドーはそう信じている。
「今回バンドーさん達とイタリアを繋いだのは、シンディとラバッツァ君です。ラバッツァ君は北イタリアのガイド役を買って出てくれたので、ハインツさんのトレーニング相手も不足しませんよ!」
「ラバッツァか! 久しぶりだな。アイツなら順調に強くなっているだろう。早くハインツに会わせてみたいよ」
イタリアの天才少年剣士、ラバッツァとは面識のないシルバとリン。
彼等の薄い反応をよそに、バンドーはハインツに勝るとも劣らない自己中剣士との再会を心待ちにしていた。
9月1日・16:00
ところ変わって、ここはフランスのバイヨンヌ刑務所。
職員から別れ際の説明を受けるふたり組の男性。
彼等は4ヶ月ほど前、アンダイエ駅のホームでバンドーの荷物を盗んだスリ、アントワンとファティである。(※本編第4話参照)
数多の窃盗容疑のために収監されていたふたりだったが、スリの多発する21世紀末フランスで、殺人や傷害事件を起こさない彼等の刑期はごく短期間。
奉仕活動をしながら職業訓練を受ける条件に署名すれば、最低限の一時金とともに保釈されるのだ。
「……あそこの角を曲がればすぐに訓練校がある。逃げようなんて考えるなよ。あそこでサインをしなければお前達は一文無しだし、すぐに追手が来るんだからな」
刑務所の職員はタブロイド新聞を片手に、アントワン達とは視線を合わせようともしない。
逃げ足だけは速くとも、腕力で勝てそうな見すぼらしい窃盗犯を脅威とは思わない……その認識でいいのだろう。
「ファティ、お前はもう若くないだろ? この写真見てみろよ。お前達がバッグを盗んだ賞金稼ぎのバンドーじゃねえか?」
職員が広げたタブロイド新聞には、今や統一世界の英雄となったチーム・バンドーの集合写真とともに、「チーム・バンドー、イタリアでヒグマ捕獲に挑戦か!?」という見出しの記事が小さく載せられていた。
この記事はシンディのメールがメグミに届く前に書かれており、恐らくはトレントの議員と自然保護団体によって吹聴された飛ばし記事だろう。
しかしながらトレントでは、例えチーム・バンドーを呼べなくとも、彼等の活躍に刺激された賞金稼ぎがこの仕事に興味を持つ、そんな展開を期待しているに違いない。
「バンドーはお前達を捕まえたい一心で、魔法という新しい能力が目覚めたそうだ。そして、その魔法でこの世界の危機を救った。今のバンドーは魔法を使えないみたいだが、人はたった4ヶ月で英雄にもなれるって事だろ。お前達もそろそろ堅気になれよ」
職員の言葉は、ファティ達がまだ極悪人ではないと見込んだ上でのものだろう。
だが、ふたりは憮然とした表情のまま黙り込んでいる。
セネガルからの移民であるファティ一族は、彼の父親が暴力沙汰を繰り返して逮捕されてから道を踏み外してしまう。
やがてストリートギャングに仲間入りした彼だったが、小柄で痩身ゆえに使いっ走りに酷使され、逃走に慣れた俊足を活かしてスリ稼業に転向した。
「……俺は30過ぎの今日まで、堅気の仕事はした事がねえ。セネガルから来た親子揃った前科持ちの黒人を、イチから使える様になるまで見てくれる職場なんてねえだろ」
「ファティのアニキの言う通りだぜ! 俺の親父はアル中、おふくろはヤク中だからな。稼ぎを無心されて家にも帰れねえ。それなりに暮らせてるお前みたいな奴が、知った口利いてんじゃねえよ!」
職員に早口でまくし立てるアントワンは、白人貧困層の出身。
まだ22歳の彼は公的支援でやり直せる可能性があるものの、今は両親から逃げるのが精一杯。
ふたりとも家族と距離を置く必要があり、フランスを離れて再出発するのがベストなのだが、スリが盛んなフランスだからこそ日銭を稼げるというジレンマを抱えている。
「……それならいっそ、バンドー達に弟子入りでもしたらどうだ? お前達は頼りない身体つきだが、罪を反省して、賞金稼ぎになりたいって頭を下げれば身体の鍛え方くらいは教えてもらえるだろ? そのためにはまず旅費を稼がないとな」
職員からの最後通告を耳にしても、まだファティ達の改心が見られる事はないだろう。
逮捕で資産が差し押さえられる事態に備えて、彼等はアントワンの自宅物置きに金を隠していたからだ。
「……分かったよ、今度は出来るだけ頑張ってみるさ」
ファティは職員に感謝する素振りを見せ、アントワンとともに訓練校へと歩みを進める。
しかし、通りの角を曲がるとふたりは猛ダッシュで訓練校の職員を振り切り、隠された金を取りに一直線。
「へっ、何がバンドーだ、おもしれえ! アントワン、イタリアに行って大仕事してやろうぜ! 今の奴等なら億万長者だろうからな!」
物置きの床を掘り起こして埋めた金は、アントワンの両親ですら存在を知らない。
無鉄砲なふたりの終わりなき暴走は、西陽とともにフランスの空を朱に染めていた。
9月1日・17:30
「……いくらメグミさんのためとは言え、面倒な仕事を引き受けやがったなバンドー。俺が熊なんかと鉢合わせしたら、恐怖で八つ裂きにしちまうかも知れねえぞ、責任取れよ!」
地元ソフィアで、剣術道場開業の準備を整えているクレアとハインツ。
バンドーはクレアの携帯に電話をかけたはずだったが、生憎彼女は夕食の準備中。
携帯電話を触ってもいい程の間柄になっていたハインツから、1ヶ月ぶりの挨拶が炸裂していた。
だが、流石はハインツである。
いかに動物嫌いであったとしても、自分が熊から逃亡したり、熊に敗れるというシナリオが頭にないのだから。
「バンドー久しぶり! 皆は元気? 道場の候補地にも目処が立ったし、あたし達は問題ないわ。あんた達の到着に合わせてトリノ空港に行くから安心して!」
変わらぬムードメーカーぶりを発揮するクレア。
彼女の参加は、猛獣に確実な効果を保証する火炎魔法を持っている点でも大きい。
「ありがとうクレア! ハインツに言っといてくれ。トリノに着いたら、ラバッツァって剣士に声をかけろってね。かなりの実力派で、昔のお前くらい鼻っ柱の強いクソガキだとな!」
自信に満ちた今のバンドーは、実力的にもパーティー内で対等なレベルに成長している。
リーダーに相応しい存在感を身につけ、「チーム・バンドー」、いよいよ華麗なる再始動だ。
9月3日・12:00
「かぁ〜っ、全く冗談じゃないよ!」
シドニーからローマへ、ローマからトリノへ。
航空機を乗り継ぐ30時間もの長旅の疲れは、覚悟していたはずのバンドー達も流石にうんざり。
睡眠こそ機内で強制的に消化していたが、空港ロビーには高齢者の様な姿勢で手すりに掴まる若者達がいた。
「来たぞ……バンドー、久しぶりだな!」
「ラバッツァ!」
バンドー達を真っ先に出迎えたのは、「トリノの風雲児」と称されるイタリアの天才少年剣士、フランチェスコ・ラバッツァ。
母親の手術費用を稼ぐため、危険な仕事に単身乗り込もうとしていた彼に、バンドーとアニマルポリス、そして現在は神界に帰還した女神のフクちゃんが手を貸した過去があったのである。(※本編第68話参照)
「おかげ様で、おふくろの手術は成功したよ。リハビリも順調だぜ!」
「良かった! これでお前も自慢の息子だな」
互いに再会を喜ぶバンドーとラバッツァ。
ラバッツァはバンドーより小柄だが、既に2ヶ月前より身体が厚くなっており、まだ10代である事を考えると、いずれは身長でもバンドーに並ぶ日が来るだろう。
「元気かバンドー? お前の言う通り、なかなかのクソガキだぜコイツ」
ハインツはラバッツァの背後から素早く身を乗り出し、バンドーと再会のハイタッチを決めた。
「剣士ランキング第1位のハインツは、俺の憧れだ。ハインツとスパーリングしちまったら、もうバンドーとは戦えねえよ」
「なんだと!? この減らず口野郎が!」
10代の少年から笑いのネタにされ、バンドーは大人げなくふざけ半分の関節技をラバッツァに仕掛ける。
「あいたたた! 分かったよ冗談だよ、バンドー様は世界一!」
バンドーとラバッツァのやり取りを微笑ましく見守るシルバとリン、そしてクレア。
一方でメグミは、シンディとターニャ、そして自身の後釜に期待されている新人アニマルポリス、アグネスと交流を深めていた。
「メ、メグミ先輩お久しぶりです! 今日がアニマルポリス初任務のアグネス・シュルツです!」
ドイツ出身のアグネスはダークブラウンの髪と瞳を持ち、髪の長さは肩甲骨辺りまでのセミロング。
シンディやターニャとは異なり、アグネスは正式な警察官としての教育を受けている。
その経歴はメグミと同じで、生真面目さと落ち着いた風貌を持つ彼女は緊張こそあれ、尊敬する先輩の後継者に相応しいだろう。
「アグネス、よろしくね。初任務が熊相手なんて大変だけど、チーム・バンドーは最強の賞金稼ぎだから安心して」
「……そりゃあ、将来の旦那もいるし……」
ターニャから小声のツッコミを浴びても今のメグミに動揺はなく、照れ隠しもない。
結婚を意識した交際が順調である事は、バンドーのみならず彼女にとっても最強の支えなのだ。
「お疲れだろうけど、みんな元気そうで何よりね。ホテルも用意してあるし、少し休んで夜は情報の整理よ。トレントでの道案役は、明日ラバッツァ君がしてくれるから」
「おう、任せとけ! トレントには剣術学校の合宿で世話になっているんだ。バンドー達を呼んで欲しいって、俺にも相談が来たんだぜ!」
クレアからの呼びかけに、ラバッツァは少々フライング気味に応える。
バンドーとの縁が、剣士としての自分に箔を付けた現実に興奮しているに違いない。
9月3日・19:00
ホテルの部屋で暫し休憩を取ったのち、一同はトリノの名物料理を堪能する。
フランス宮廷料理人の影響を受けたトリノ〜ピエモンテ州の料理は、トマトソース主体の汎用イタリアンとは異なる味わい。
とは言うものの、万人に外れの少ないイタリア料理が一同を大満足させ、その後の情報整理は久しぶりのチームミッションという緊張感とは無縁の、実に緩い空気に包まれていた。
「……フェリックスの人口地震の煽りを受けて、1頭の熊さんだけが山道と人里の間に取り残されましたぁ。その熊さんは前にも人里で悪さをしていたので、ICチップを取り付けて動きを監視していたんです。だから今回は、いい加減歳を取った迷惑熊さんは殺処分しても仕方ない……という意見があるんですよね〜」
しかしながら、シンディの話し方はゆる過ぎる。
これではヨーロッパヒグマの危険性や、動物を守りつつ住民の理解も得る意義が伝わらない。
堪りかねたターニャがシンディから資料を強奪し、その明快な口調で詳細を説明する。
「トレンティーノ・アルト・アディジェ州を牛耳っているのは、徹底した環境保護政策を謳っている極左政党ね。この州は統一世界発足直後から環境保護には力を入れていたんだけど、自然保護団体『グローバル・フェアネス』と癒着してから税金が上がって、旧来の住民から不満が漏れ始めた。そこで税収改善のために、環境意識の高いセレブを州に移住させているのよ」
「『グローバル・フェアネス』? あいつら、大人しくしていたと思ったら、イタリアに拠点を移していたのね!」
ターニャの説明に割り込むタイミングで、クレアが苛立ち混じりの声をあげた。
どうやら、彼女は団体の正体を知っているらしい。
「……クレア財団は、『グローバル・フェアネス』がまだまともな団体だった頃に、1回だけ融資をした事があるの。その時の代表は穏便で、自治体や住民と揉める事もなかったわ。でも、代表が病で引退した後を継いだ今の代表が、公金ビジネスに手をつけて東欧から追い出されたのよ」
クレアの話を受けて、ターニャは資料に掲載されている『グローバル・フェアネス』代表、アントニオ・ベラルディの顔写真を皆に回覧する。
短く刈り上げたブロンドヘアーに、小洒落た顎髭。
如何にも胡散臭そうな顔立ちだが、生まれも育ちもトレントである彼は、さも地元凱旋の様な大規模宣伝を用いてこの州に根を張ったのだ。
「……熊を捕獲して山に帰す事が、疑惑のある団体の利益となってしまうのですか? では私達はどうすれば……?」
アニマルポリスに配属されたばかりで、何もかもが初体験のアグネスは戸惑いを隠せない。
そんな彼女を見て、メグミはすかさずフォローを入れる。
「アグネス、心配しないで。私達の仕事は動物を守り、動物による地域の被害を防ぐ事。政治や経済の話は州の議会と、彼等を選ぶ住民にしてもらうしかないの」
メグミの的確なアドバイスに、イタリアに詳しいシンディとラバッツァも深く頷いた。
「……俺が見た限りでは、トレントの街にセレブっぽい住民は余りいなかったな。セレブは高い税金で環境保護をしている気分になっているだけで、大半は他の地域の別荘で贅沢三昧だとも聞いている。大してやりたくもねえ、社会貢献の実績が欲しいだけかも知れないぜ」
「こいつ、賢い所もあるじゃねえか、気に入ったぜ!」
ラバッツァの分析に共感したハインツは、上機嫌で少年剣士の背中を何度も叩いている。
かつてバンドーやフクちゃんに注意を受けてから、それなりに見識を深めたのだろう。
「私達の任務に、『グローバル・フェアネス』や議員の不正調査は含まれていませんからねぇ……。極左政党と自然保護団体のタッグという事もあってか、地元警察もトラブルを恐れて協力には及び腰です〜。でも仕事に使う道具だけは、縁のある特殊部隊のガンボア隊長さんが手配してくれましたぁ」
「ガンボアか! あいつは軍に戻らなかったんだな。馴染みの顔がいてくれると頼もしいよ!」
シンディから懐かしい名前を耳にし、シルバの表情は俄然活気づく。
クリスチャン・ガンボアは軍隊時代のシルバの部下であり、情報処理に優れた温厚なキャラクター。
軍部強硬派のクーデターを鎮圧した影響で、人材不足に陥った統一世界軍に復帰したロドリゲス前隊長、ドンゴン・キム、ゴンサロ・グルエソ両隊員から特殊部隊を引き継ぎ、新たな隊員を指導していた。
「トリノからトレントまでは、バスや電車だと乗り継ぎで7〜8時間かかっちまう。だが、俺とシンディは近道を知っているし、今連絡すれば知り合いがバスを貸してくれる。大型車を運転出来る奴はいるか?」
ラバッツァの問いかけに迷わず手を挙げたのは、農家の次男バンドーと軍隊経験者シルバ。
互いに交代すれば、大した負担ではないだろう。
「よっしゃ決まりだ! 朝飯喰ってすぐ出発すれば、明るいうちに着くぜ!」
いつの間にかラバッツァは、世界一の賞金稼ぎチームを仕切り始めている。
チーム・バンドーとしても、イタリアに頼れる人脈が出来て感謝感激に違いない。
9月4日・14:30
ひと雨来そうな、生憎の空模様。
イタリア北東部のトレンティーノ・アルト・アディジェ州の州都、トレントに到着した一同を待っていたのは、9月とは思えない肌寒さのお出迎えだった。
「天気が悪いのもあると思いますけど、予想以上に寒いです……。上着を用意しておいて良かったですね」
リンは肩をすくめながら、シンディからメグミに送られたメールに記されていた、トレントの寒さを実感している。
「ヨーロッパヒグマが近くの山に住んでいる訳だからな。こんな気温でも、早朝に山沿いでランニングする物好きがいるんだぜ? お前喰われたいのかよって感じだろ!」
得意気に解説を続けるラバッツァを先頭に、バスから降りた一同は非常事態に備え、防具の上からゆったりしたサイズの上着を羽織り済み。
自治体が用意した駐車場は広いスペースが空けられており、そこにはひと目で軍用のものだと分かる小型のヘリコプターが着陸していた。
「なるほど……最終手段として、これに熊の檻をぶら下げて山に運ぶんだね。こりゃあケンちゃんしか出来ないわ」
バンドーはヘリコプターをまじまじと眺め、このスペースに離着陸が可能な操縦テクニックにも想像を巡らせる。
剣と魔法の賞金稼ぎパーティーに、リアリストの代表格とも言える軍人が馴染んでいる例はそうそうない。
ガンボアからの支援も、それを活かせる人材あってのものなのだ。
「自治体との話し合いは夜ですから、今のうちに何か軽く食べておきましょうか〜」
「そうね、移動中は食べ物買うタイミングなかったし……」
シンディとメグミの提案に乗り、遅い昼食探しにその眼を光らせる一同。
だが、クレアが遠くの街並みに視線を伸ばしたその瞬間……。
「……ちょっと待って! あの男、誰!?」
一同の行く手に立ちはだかる、屈強な体格をしたひとりの男。
その腰には剣を携えており、賞金稼ぎかそれとも悪党か、いずれにせよ堅気の人間ではなかった。
「どうした、俺達に何の用だ? 助太刀が欲しいのか?」
剣を持つ人間が、現在のチーム・バンドーを知らないはずがない。
また、北イタリアに住む者であれば、トリノに籍を置くラバッツァやシンディの存在も認識しているはず。
ハインツはあくまでも友好的な態度から、その男に質問を投げかけていた。
「……俺はこの街の剣士ユリアーノ。お前がレイジ・バンドーだな、俺の挑戦を受けてみろ!」
「……え!? 何、ちょっと待てよ……わわっ!?」
ハインツの配慮は無駄に終わり、ユリアーノと名乗る剣士は早歩きでバンドーとの距離を詰めてくる。
しかしながら、不意打ちに全力のダッシュを見せる事はなく、バンドーに殺意までは持っていない様子である。
「剣を抜け……そおりゃっ!」
戦いを望まないバンドーが剣をガードに専念させている間に、ユリアーノは威嚇とばかりにバンドーの上着の裾を斬りつける。
「どわっ……! 何するんだこの野郎!」
お気に入りの上着を斬り裂かれ、理不尽さに怒りがこみ上げるバンドー。
もはや説得が見込める状況ではない。
「この街に俺以上の剣士はいない。しかし俺には都会に戻れない理由がある。だからやるべき事はただひとつ、剣士ランキングを上げて高い報酬の仕事を呼び込むのみ!」
過剰なまでの自信とは裏腹に、何らかの理由で都会への未練を封印しているユリアーノ。
だが一方、バンドーの剣にのしかかる圧力は確かなものがあり、余計な事を考え始めるとユリアーノに敗北する危険性すらあった。
「随分勝手な理由だな……! そんな態度で他人から嫌われるより、仲間を作ってコツコツ稼げばいいじゃないか!」
バンドーは全くの素人から仲間に支えられた事もあり、統一世界の危機を救った英雄として讃えられる今も自分を見失わない様に努めている。
剣士ランキング第1位のハインツに近付こうという意欲はあるが、自分より上のランカーに喧嘩を売るつもりなどない。
「……あの人、強そうです。魔法で援護しますか!?」
押され気味のバンドーを目の当たりにして、リンは小さな風魔法を準備している。
周囲には俄然緊張感が高まるものの、ハインツとラバッツァは戦況を冷静に分析していた。
「……手こずるかも知れねえな。でもよ、今のバンドーが負けるレベルの相手じゃねえぜ。もしヤバくなったら俺達が出るさ」
「おりゃあぁ!」
ヤンカーやゲリエなど、パワー系相手の経験値は高いバンドー。
瞬発力に加えて、相手よりやや低い身長を活かして懐に忍び込み、持ち前の格闘技でもダメージを積み上げる。
「危なく圧倒される所だったよ。お前にとっては、俺達がこの街に来た事が千載一遇のチャンスだったんだろ!? 浮き足立っちまって、全力が出せていないんじゃないか!?」
レジェンド剣士、ダグラス・スコットから直々に指導を受けたバンドーは、ユリアーノの興奮状態が上半身のパワーに頼った戦い方になっているとの見切りを終えている。
前のめりでガードの甘くなった脇腹にキックを叩き込み、自身の目前で剣の軌道が下がる瞬間、相手の下半身から捲り上げる様な一太刀をお見舞いし、ユリアーノの胸の防具を破壊した。
「くっ……ゲホッ!」
両膝を着き、地面に崩れ落ちるユリアーノ。
その場に駆け寄ったラバッツァは、ユリアーノの左手首に巻かれている赤いミサンガを見て、昔の記憶を呼び起こす事となる。
「赤いミサンガ……あんた、『ミラノ5人衆』のファビオだったのか!」
『ミラノ5人衆』とは、イタリアの腕利き賞金稼ぎ達が結成したパーティーの俗称。
彼等はその名の通りミラノを拠点に活動していたが、それぞれが地方出身者であり、ユリアーノは2年前、パーティーの売出し中に家庭の事情でトレントに帰らざるを得なくなっていたのだ。
「……2年前、熊がトレントに姿を現して親父を半身不随にした。お袋ひとりに介護を押し付けられなかったし、ミラノに両親を連れて行く金もない。ミラノを離れた後は、俺のランキングも73位から96位にまで落ちちまったよ。ランカーとしちゃあ崖っぷちさ。熊やセコい泥棒と戦ってもランキングは上がらねえからな。そこへお前達が来てくれた。熊を追い出して、俺のランキングを上げてくれるかも知れない救世主が……」
トレンティーノ・アルト・アディジェ州に於ける賛否両論の環境保護政策は、ユリアーノの家庭と人生にも影を落としていた。
しかしながら、それがバンドーへの襲撃を正当化する理由にはならない。
「……お前、ランキング1位の俺とは戦わなかったな。俺には勝てなくても、バンドーには勝てると思ったんだろ? だがな、魔法が使えなくなった今のバンドーでもランキングは45位、クレアのランキングは59位。この差をタイマン勝負でひっくり返そうとしても、運命を恨んで自分と戦わないお前では無理だ」
ハインツは余計な情けをかける事もなく、事実だけを言い残してユリアーノから離れる。
バンドーはユリアーノから謝罪の言葉を聞きたかったが、今の自分の立場を上手く消化しきれず、無言でその場をあとにする。
今のバンドーは、クレアやハインツの背中を追っていたパーティーのお荷物ではない。
若い賞金稼ぎだけではなく、かつての栄光を取り戻そうとするベテランからも数字で狙われる「標的」となったのだ……。
一同が次に訪れたのは、街のブティック。
ユリアーノに斬り裂かれたバンドーの上着を買い替えるため、軽い気持ちで立ち寄っただけなのだが、運悪く街の中心はセレブ向けのブティックしか開いていなかったのである。
「げげぇ〜! ただのブルゾンが100000CPだって!?」
賞金稼ぎは防具の上から上着を羽織るため、鍛えた肉体より更にひと回り大きなサイズが必要。
セレブ向けのブティックでは余裕のあるサイズの上着が少なく、ファッションに無頓着だったバンドーにとってこの価格は衝撃的であった。
「……バンドー君、こっちに安いのあるよ! デザインが微妙だけど……」
今や高額所得者の仲間入りを果たしたバンドーだけに、その立場に相応しい余裕を持って欲しいもの。
ターニャは半ば呆れ顔を見せながらも、ワゴンに詰め込まれた1着の上着に目をつける。
「……それはもう、2年も前の売れ残りです。特別に10000CPでご提供致しますよ」
まるで厄介払い出来ると言わんばかりに、在庫処分に躍起になるブティック店員。
それもそのはず、その上着は見るからに暖かそうだが完全に冬物。
しかも黒い毛に覆われた、まるで熊の毛皮の様なデザインだったのだ。
「お客様にお似合いですよ!」
今やトレントの負の象徴となったヨーロッパヒグマに酷似したデザインの服を、ずんぐりした体格の日系人バンドーに着せようとしている。
これはイタリア人の潜在的な差別意識すら気にしない、強靭なメンタルがないと購入出来ないはず。
「うん、手頃だからお願いします」
ズルッ!
ええんか? 自分それでええんか?
バンドーを除くパーティー9名が、まるでドミノ倒しの様にコケまくったのは言うまでもないだろう。
「あ、すみません。あたし達遅い昼食を取りたいんですけど、ここから歩いて行ける距離でレストランとかありますか?」
流石は社交上手なクレア。
昼食という最優先事項をセレブ向けの店で聞き込みすれば、まず味的にハズレは掴まない。
「……え〜と、この時間帯はどこも準備中ですね……。あ、パンでよろしければ3軒隣にジョニーさんのお店がありますよ! 飲食スペースがあって、この街のお店の中ではリーズナブルなので、凄く人気があるんです」
「ありがとう、行ってみます!」
唯一セレブの社交場にフィットするクレアの機転から、有力な情報を得た一同。
はやる気持ちと鳴り響く空腹をおさえながら、彼等はコンパクトで質実剛健なデザインの『ジョニーズ・ベーカリー』に到着した。
「ヘイ! らっしゃい!」
イタリアでありながら、極めて日本的な威勢の良い挨拶。
15:00を過ぎていても店内には多数の客が溢れ、辺りには食欲をそそる香りが充満している。
「あ、すみません! こちら10人いるんですけど、店内で食べてもいいですか?」
決して広くはない店内に、この人数は迷惑かも知れない……。
一同を代表して交渉に入ったバンドーがこんな気持ちになったのは、この店が僅か2名の店員で切り盛りされていたから。
しかも厨房に入っている店員は筋骨隆々な身体つきに加えて、両腕にはタトゥーがびっしり。
そして店長らしき男性も、何やら変わった格好をしていたからである。
「なあ〜に、お客は何人だろうが相手するぜ! 『100人組手のジョニー』の名前は伊達じゃねえからな!」
一同に向かって振り向いた店長ジョニーは、百戦錬磨の賞金稼ぎ達をも凍りつかせるに十分なインパクトを放っていた。
食品衛生的に物議を醸しそうなガチガチのリーゼントヘアーに、日本古来の学ランを模した白い特攻服。
切れ長の半透明サングラスから覗く瞳は細い一重まぶたで、その顔立ちはジョニーという名前の印象とは似ても似つかない、完全なる日系人だったのである。
(続く)