12 エーレンフリート
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少し時を遡って、フィリーとユリアンがレシーネ山へ行ってしまった後
今日も疲れた。だけどそれももうすぐ終わる。あと三日。国王との謁見が終われば、この王宮とも、くだらない貴族どもとも、王都からも離れることが出来る。まだフィリーは起きてるだろうか。
化粧や香水の匂いの充満する空間はもうたくさんだ。薬草を扱っているせいか、フィリーはいつもいい香りがする。フィリーの近くにいたい。何よりフィリーの顔が見たい。
今日はまだ時間も早い。まだ起きてるだろう。俺はフィリーの部屋のドアをノックした。返事が無い?
「フィリーはもういないよ」
振り向くとユリアンとアンジェリアが立っていた。怒ったような表情をしてる。ユリアンは腕を組み、アンジェリアは両手を腰に当てている。なんだ?何でこの夫婦は怒ってるんだ?それに今聞き捨てならないことを言ったぞ?
俺は慌ててドアを開ける。暗く、静まり返った部屋。フィリーの荷物が無い。荷物と言っても小さなテーブルにのるくらいの、薬草や光石の袋、メモ帳や筆記具くらいだったが。その代わりに手紙……?
『もう、大丈夫みたいなので、家に帰ります。褒章は辞退します。よろしくお伝えください』
とだけ書かれた手紙。
「そんな……」
頭が働かない……。
「フィリーは家に帰りたがってたでしょ?だから僕が山へ送っていったよ」
「フィリーにはお城は窮屈みたいだったしね……。わたしは結構楽しかったけど……」
ユリアンとアンジェリアは一体何を言ってるんだ?
「アルバンに襲われそうにもなって怖がってたし、凄く疲れて顔色も悪かったしね。もう、ちょっと見てられなかったよ」
「アルバンに?!」
「フィリーを第二夫人にして、金儲けを企んでたみたいだね」
「アルバンって最低ね!旅の途中でもわたしに言い寄って来てたし」
「え?そうなの?ああ、あと何発が殴っとくんだったな」
「あんなに一人で行動しないように言ったのに……」
ユリアンの目が開いた。
「はぁ?何を言ってる?お前。フィリーをこんな所へ連れて来て閉じ込めて、自由を制限する権利がお前にあるのか?全部お前の望みの為だったんだろう?寝ぼけたこと言ってんじゃねえぞ……。全力以上で守り切れないなら大切な妹はお前に渡さないよ?」
全てユリアンの言うとおりだ。何も言い返せない……。それに彼女にとって俺は言葉も交わさずに置き去りにできるくらいの存在だった。その事実に打ちのめされていた。
「いいじゃない!貴方にはマルガレーテ様がいるんだし!何でそんなにショックを受けてるの?公爵様?」
アンジェリアの言葉に驚いた。
「何だ?それは!」
「え?お城にいる貴族様方の間ではそう言われてるわよ?それにわたし達、温室のお茶会に招待されたときに見たわよ?あなた達の事!」
「温室……お茶会?」
思い当たって血の気が引く。
「お茶会なんて開かれてないっ!俺はローズフィールド公爵に呼び出されて、躓いた令嬢を抱き止めただけで……」
「ああ、やられたねぇ。うかつ。まあ、それでもあんな所で二人きりだったのは結構な人数に見られてたみたいだねぇ」
「なっ……」
「まあ、良かったじゃない。公爵家がつけば暗殺の心配も無くなるんでしょ?フィリーに固執する必要もない」
ユリアンは両手を上げる。
「俺は……」
フィリーにも見られていた……のか。立っていられずに膝をついた。
「あれ?エーレンってもしかして、フィリーのこと、やっぱり好きだったの?」
「もう、アンジェはぁ、今更何言ってるのさぁ……見てればわかるじゃないかぁ」
「え、ちゃんとそれ、フィリーに言った?フィリーは激鈍なんだから、態度だけじゃ伝わらないわよ?」
「そうだねえ、山育ちの純粋培養な子だし、恋愛のあれこれなんてわかんないよねえ」
「エーレン様……まさか……あんたまだ何も伝えてないんですか?」
いつの間にか部屋に入って来たパウエル。俺は三人に責められ続けた。
「フィリーには俺と同じ気持ちは無かった。急ぎたくなかった……」
言い訳だ。言ってて反吐が出る。俺はただ拒絶されたくなかっただけだ。
「うーん、そうでもないと思うわよ?温室で結構ショックを受けてたみたいだし」
「うんうん。でもそれに自分で気づいてなかったみたいだねぇ」
「!」
まだ、希望がある……?
「フィリーのところへ行ってくる」
俺は立ち上がった。フィリーの家は北方の山岳地帯だったはずだ。転移魔法を発動する。
「ああ、行くなら覚悟していくといいよぉ。生きてフィリーに会える保証は無いからねえ」
ユリアンの言葉の意味を俺はすぐに思い知ることになった。
ここはただの山道だったはずだ……。何度かの転移魔法を繰り返す。ユリアンとアンジェリアの故郷の町までは何とか到着できた。麓の町で話を聞いて確信した俺はレシーネと呼ばれる山を登り始めたんだ。転移魔法が発動しないから歩いて。急に霧が立ち込めて道を閉ざされるまでは。
迷路のような仕掛けのわんさか出てくる迷宮、魔物が次々に襲い掛かってくる森を抜けて、再び霧の中に迷い出たと思ったら、今度はフィリーが出てきて迫って来た。これが一番きつかった。何がきついって、可愛かったから。絶対に言ってくれないだろう、でも俺が欲しい言葉を言ってくるフィリーの姿の魔物だったんだ。振り切るのが辛かったよ。たとえ偽物だと分かっていても。
「くそっ!フィリーのお師匠ってやつは一体何者なんだ?!絶対性格が悪いだろうっ!!」
俺は悪態をついた。
そして最後は(最後だと思いたかった)火竜が出てきた。正直、転移魔法を乱発してからの戦いに次ぐ戦いに笑いしか出なかった。だけど
「我を倒さねば、フィリーネにはもう二度と会えないと思え」
って言われちゃあね。本気にもなるさ。
心身ともにボロボロになりながらたどり着いたのはこじんまりとした山荘、山小屋だった。もう木々の上には星が瞬いてる頃。家の明かりがフィリーを感じさせて俺の気ははやった。出迎えてくれたフィリーは前開きのワンピースに温かそうなストールを肩にかけていた。髪を編んでいる!可愛い。そう思った瞬間に抱きしめてた。
俺の必死の告白に沈黙が落ちる。ああ、やはり友人としての好意以上のものを持たれてなかったと絶望した。それでも、どうしても離れるのが嫌であがいた。
温かいフィリーの体が俺を包んだ。
「…………私……エーレンのことが好きって……」
その言葉が俺の耳に届いた瞬間、もうダメだった。止められない。何度も何度も唇を奪った。夢にまで見た時間だった。思えば、フィリーに命を救われたあの時から、俺はずっとフィリーにこうして触れたかったんだ。
もっともっと話したいことがある。キスももっと、それ以上の事も。そう思っていたのに連戦で疲れ切ってた俺は、不覚にも朝まで眠ってしまってた。ああ、何やってるんだ俺は……!
それでも、目覚めたその瞬間にフィリーの顔が見られることが、こんなに心を満たすとは思わなかった。俺はこの時間をこの穏やかな朝を、フィリーと過ごす時間を確かなものにすると、改めて決意を固めたんだ。
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